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【京都発幕間旅情】小倉城,快晴青空直下の如き夜景は紅葉燈火に白輝く北九州最大復興天守閣

2017-12-20 20:02:28 | 旅行記
■小倉城天守閣夜空に輝く探訪記
 築城基地航空祭がF-2飛行隊の迫力誇示した帰路、九州観光に転進、小倉城に達した際には既に日暮れでしたが、夜景とは思えない白く輝く天守閣の威容には感嘆のひとこと。

 小倉城、福岡県北九州市小倉北区に輝く復興天守閣です。毛利勝信が1587年に築城しました。関門海峡に面するここ小倉は九州北部における交通の要衝であると共に、関門海峡は瀬戸内海と朝鮮半島の中継点であり21世紀の今日においても戦略的要衝となっています。純白天守閣は照明に白く輝き朝日と青空のよう。

 毛利勝信はこの小倉城を近代城郭とした武将、黄母衣七騎衆に名を連ねる豊臣秀吉の古参家臣で、九州平定に参陣しました。黄母衣七騎衆とは豊臣秀吉が馬周衆から精鋭を選抜し黄母衣の着用を認めた武芸者です。城井谷城攻城戦で頭角を示します。城井谷城は築上郡築上町にあり、築城基地から程近い。

 輪郭式平城は城を大きく見せるものですが、それ以上に大きいのは築城で名を残す豊臣家古参家臣ゆえか。森勝信が毛利姓を賜る事となったのは、刀狩が行われる遠因ともなった肥後国人一揆での奮闘です。肥後国人一揆では鎮定軍として一揆勢の隈部親安と甲斐親英を破り、九州へ名を轟かせました。この勲功以て豊前国の小倉六万石、規矩郡と高羽郡を与えられています。

 小倉城は旧城としてこの地には13世紀ごろから城塞が造営、維持されていました。緒方大膳亮惟重や黒崎土佐守景経が居城としており、安土桃山時代には高橋元種が城主となっていますが、豊臣秀吉九州平定に際し開城しており、毛利勝信が大きく城郭を拡張している。桜の名所という城内は晩秋の紅葉に最後の輝きを魅せている。

 勝山城や指月城と別名がある小倉城も朝鮮出兵に際して、北九州小倉城は策源地の一つとなり、毛利勝信は2000名を率い、島津義弘をはじめ南九州勢の指揮を執り、第一次蔚山城の戦いでは五倍以上の敵に包囲され籠城する加藤清正への救援軍を指揮、最後まで踏み止まり九州諸大名の信頼を勝ち得ました。

 関ヶ原の戦い、天下分け目の戦いにて毛利勝信は石田三成の西軍に就き、敗戦と共に改易となりましたが朝鮮蔚山城での奮戦から、加藤清正が毛利家預かりを名乗り出ており、続いて山内一豊が土佐預かりを申し出、小倉城築城の経験から高知城城普請に活躍しました。

 細川忠興は関ヶ原の戦い勲功以て速見郡、豊前国国東郡39万9千石にて入封、豊前国中津城を居城としつつ、毛利勝信造営の小倉城の城郭を拡大しました。この城普請は小倉を居城とすべく実に七年間を要する大規模なもので、小倉城天守閣はこの時建築されています。

 大入母屋破風や千鳥破風構造の天守閣は連結式層塔型4重5階で1609年に完成します。現在の小倉は北九州市最大の繁華街を構成していますが、小倉城城下町を紫川で東西町に分け、西町に家臣団と寺町、東町に町人街と商家町や問屋町を広めます。市街開発経て細川家は1832年に熊本城へ移ります。

 小笠原忠真は明石藩より豊前国6郡15万石で入封となりました、播磨明石初代藩主として、今年二月に紹介しました明石城の城主となっていましたが、豊前小倉初代藩主となり、小倉城を居城としました。小笠原家の治世は幕末まで続きます。しかし、幕末に一つ転機が。

 天守閣と本丸御殿が1837年、天守閣造営から二百余年を経て突如失火により焼失してしまいます。幕末の動乱期まで遠く、結果、御三階という代替の建物は建てられましたが天守閣は再建されません。一方、幕末には海防増強へ砲台が建設されます、しかし1866年の第二次長州征討では城を維持できませんでした。

 明治維新とともに落城した小倉城は長州藩占領下から陸軍創設に合せ歩兵第12旅団、1837年に焼失したままの天守台には1898年に陸軍第12師団司令部が建設されます。1925年に師団は久留米へ移駐し、大正軍縮で予備部隊化、そして太平洋戦争経て小倉城は生き残る。

 復興天守閣として1959年に小倉城天守閣が建設されます、小倉には巨大軍需工場、小倉陸軍造兵廠がありましたが原爆投下候補地であった小倉は大規模空襲を免れ、1837年焼失の構造とは違う連結式望楼型4重5階天守閣が建設、1998年には本丸庭園が再建され、小倉の象徴となっています。夜景撮影ながら、ここまで間近に輝く天守閣を探訪できたのは、素晴らしい経験でしたね。

北大路機関:はるな くらま
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