goo blog サービス終了のお知らせ 

北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【7D特報】73APC-北海道防衛,第7師団創設記念行事の老兵73式装甲車(2017-06-03)

2025-05-04 20:16:51 | 詳報 陸海空自衛隊関連行事
■機甲師団支える73式装甲車
 自衛隊を支え続けた老兵としまして北海道の73式装甲車を紹介しましょう、かつてはお隣滋賀の今津駐屯地にも配備されていた。

 73式装甲車。陸上自衛隊唯一の機甲師団である第7師団記念行事における雄姿です。73式装甲車は乗員3名と人員9名を輸送する国産装甲車で重量13.4tのアルミ合金製装甲車、300hpの空冷ディーゼルエンジンを搭載し60km/hの機動力を有する装軌式装甲車です。

 第7師団は自衛隊唯一の機甲師団であり、機動力を第一としています、機動力により防御線は迂回も包囲機動も突破も変幻自在であり、臨機応変の部隊陣形と強力な打撃力を兼ね備える事で、北海道防衛、想定される大陸からの機甲部隊侵攻を破砕するのが任務だ。

 自衛隊に73式装甲車は350両が量産されました、1970年代中頃に一両の取得費用は一億円、当時の74式戦車が4億円といいますので、そんなものかと思われるかもしれませんが、その前型にあたる61式戦車の取得費用が1億円でしたので、なかなかに費用を要する。

 SU-Tとして開発されました73式装甲車は前型の60式装甲車がNBC防護能力を有さない為に当時真剣に脅威であった戦術核による核戦場での生存性に問題があり、浮行性能を有さなかったために河川や湿地というウェットギャップでの踏破能力不足が懸念されていた。

 74式戦車が制式化されますと60式装甲車はますます能力不足が懸念されまして、結果的に新型装甲車が開発される。当時は日本人の体格向上や装備の多様化により60式装甲車の車内は狭くなりすぎまして、定員はほぼ同じですが73式装甲車の車内容積は倍増したという。

 全国の普通科部隊に73式装甲車を、高度経済成長期には当然考えられていたようですが、併せて小松製作所が開発した装輪装甲車である小型装甲車が本州九州を中心に当時急速に整備されていました高速道路網を利用し、本州九州に配備する構想もありました、しかし。

 石油危機。73式装甲車が制式化されました1973年は中東にて第四次中東戦争が勃発し、自由主義圏の多くが親イスラエル政策を採っていたためにOPEC石油輸出国機構が石油輸出制限行うオイルショックが始まり、戦後一貫しての高度経済成長時代が終焉を迎えます。

 10%経済成長の時代には7年間でGNI/GNP国民総生産が倍増したのですが、これが急にマイナス成長となったのです、当然財政難となり初の赤字国債発行が始まる、防衛費も影響を受けまして73式装甲車の量産計画も当然縮小され350両に留まってしまった、理由が。

 東千歳の第7師団、機甲師団は機動力が第一ということは前述しましたが、73式装甲車は普通科連隊に戦車連隊や特科連隊にはもちろん、後方支援連隊の戦車直接支援部隊や通信大隊に施設大隊にも配備されていまして、戦車が全力で前進する場合にも随伴してゆく。

 戦車大隊本部車両として本州や九州の戦車大隊にも73式装甲車は薄く広く配備されていましたが、73式装甲車にも老朽化の波が押し寄せまして、結果、陸上自衛隊は73式装甲車を北海道に集約配備する決定を、そして今は第7師団に集中配備する方向で縮小が続きます。

 90式戦車は70km/hもの速力を発揮し、74式戦車の54km/hよりも更に早くなっています、出力重量比も高くなっていますので、それこそ馬力にものを言わせてどんどん不整地や急傾斜地を踏破してゆくことができるのですが、実は73式装甲車には厳しいともいわれる。

 装軌装甲共通車両、としまして自衛隊は73式装甲車の後継開発を進めています。89式装甲戦闘車と車体を共通化させる計画であり、出力重量比も十分でしょう、73式装甲車は試作車にラインメタル20mm機関砲を搭載試験も行われており、漸くこれが実現するのです。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【G7X撮影速報】桂駐屯地創設70周年記念行事(4)自衛隊行事撮影に関する備忘録(2024-12-01)

2025-05-04 20:00:01 | 陸海空自衛隊関連行事詳報
■桂駐屯地
 観閲行進の撮影は列車を撮影するような感じで流れを読んで編成写真のように。

 鉄道写真と似た感覚がある、若しくはわたしは撮影しないけれどもF1などモータースポーツの位置取りと似ているのかもしれない、自衛隊行事を撮影する際に留意するのは撮影位置です。ここを誤ると間延びした写真ばかりになってしまって、ちょっと寂しい。

 撮影位置の確保、やみくもに最前列を確保すればよいといえば、必ずしもそうではなく、そして混雑している場所が良い撮影位置かと問われればそうでもない、素晴らしい撮影位置が部隊入場の時刻になっても数名しか居ない、いや無人という事だってあるのです。
 駐屯地の一般開放されている地域を少し見まわしてみる、一番良いのは、観閲行進を真正面に近い角度から撮影できる位置を探すことです、それならば道路の真ん中だ、と油断していると観閲行進最初に部隊旗を掲げた82式指揮通信車に轢かれるのでお勧めできない。

 観閲行進は指揮官に対して左方向から右方向へ進みます、敬礼するためにこの角度は基本となっています。すると、駐屯地祭で開放されている区画は、式典会場の四隅に対して一辺だけか、二辺開放されているか、三辺開放されているのか、これをまず最初見てみる。

 行進の経路が緩やかに蛇行しているならば、ここが狙い目です、一枚の写真に真正面から、鉄道写真という表現をしましたのはこの為なのですけれど、先頭の装甲車から後続の装甲車まで、ややカーブがありますと、一枚に連続して撮ることができる、迫力もふえる。

 迫力、という言葉ですが、この定義は、“写真に余分なものが映りこまない”という条件を“できるだけ多くの人員と車両を映す”という手法で両立させた場合のもの、と考えています。単純にたくさん車両を入れるために広角レンズを使っても画の大半が地面と空では。

 観閲台の向かい側で撮影しますと、観閲行進は思い切り望遠で寄せて2両だけ撮影するか、観閲台全体を入れてたくさんの車両が映りこむのだけれども写真の四割が空で四割が地面で一割が群衆と肝心の行進は写真の一割、というのではあまりに迫力がないと思う。

 そんな場所はない、と思われるかもしれませんが、探すと案外ある。那覇駐屯地や帯広駐屯地に真駒内駐屯地や豊川駐屯地、旭川駐屯地に守山駐屯地と駒門駐屯地と明野駐屯地などなど、部隊広報の視点からは、何もそんな遠くから撮影しなくとも、という立地で。

 駐屯地の一部が盛り土で高くなっているところはないか、隊舎の玄関など一段高い場所が解放されているところはないか、厚生会館のあたりで観閲行進の経路を一望できるところはないか、スタンド席から離れているが行進の経路を見ることができる直線はないか。

 この撮影ですが、やはり200mmクラスの望遠レンズでは、APS-Cのように写真換算で320mmになる普及型のカメラを含めて、望遠レンズが多少ないと厳しい、できれば70-300mmくらいのズームレンズが必要です。ただ、昨今普及によりそれほど高くない。

 広角レンズしか持っていない場合は、これは18-55mmとか15-45mmとかのレンズを示すのですが、その場合はあまり遠い位置から撮影しますと、今回紹介した視点では余分なものが多く映ってしまいます、その場合は逆に観閲台付近で撮るしかないのだけれども。

 撮影位置を最初にどう選ぶか、この最初の一歩の時点でけっこうその日の撮影成果というものは左右されてしまうように思います。ただ、難しく考えずに邪魔なものが視界に入らず、撮りたいものを撮影するところで遮るものがない場所を選べば、案外正解なのですね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【京都幕間旅情】榛名さんの総監部グルメ日誌:京都-大宮通,イチゴとトマトは今宮神社近くのワインBAR

2025-05-04 18:19:30 | グルメ
榛名さんの総監部グルメ日誌
 京都は北大路大宮から少し上ったあたり。

 今宮祭、今宮神社の門前町、といいますと北大路通に大鳥居がありますし、その先に楼門がありますし、もともとの今宮社が船岡山の山頂にあったことを考えると北大路通沿いなのかもしれませんけれども。

 大宮通、門前町というには意見があるかもしれませんが、今宮通りはむしろこのあたりを北大路駅まで続いていまして、大宮通は広場が出来たり、頑張っていて、今回の話題は今宮通りと大宮通の十字路ちかく。

 ブドウ酒場ケンちゃん、この二年ほど頑張っている居酒屋さんで換気はよく、しかし奥の座席もあり、なにより1500時から営業している気軽なお店、ちょっと強いお酒を呷るさいにお薦めできる。

 イチゴのクリームチーズトマトソースを肴に。なんじゃいそれ、と驚かれるかもしれないけれども、イチゴとトマトのマリアージュ、甘いのか酸っぱいのか醍醐味なのか、これ意外と酒の肴に合うとおもった。

 梅酒ソーダとイチゴの、春らしいと云うか、考えると梅酒は梅の実だからまだ季節はやどりというか、そんな感じですけれど、梅の酸味とトマトの酸味とイチゴの甘酸っぱさと、もう複雑な、これが肴だ。

 タンカレーのジン、ケネディ大統領が愛したというジンをロックで。北大路機関は、こういうところで執筆、ばかりしているわけではないのですけれども、POMERAを開いて執筆しつつジンを頂き。

 レバーペースト、もうひとつ、肴は定番のものを頂くこととしました。これ、案外手間がかかっていて、バゲットをカリカリになるまでオーブンで焼き上げて、そこにレバーペーストを塗ってナッツとかを。

 ジンには、レバーの苦みのような生臭さのような、要するに子供の頃に苦手だったようなものを美味しく頂けるようなものが、何故かよく合うとおもう、生まれて初めてジンを頂いたのがこのあたりだから、ね。

 大宮通、北大路大宮から北山大宮まで、ちょっと小技の利いたお店が散在していまして、むかしながらの商店街の延長がある、コンビニが消えて本屋も大分前に無くなり駄菓子屋はイタリアンになったけど、元気です。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【京都幕間旅情】TWILIGHT-EXPRESS-瑞風,87系気動車は夜行列車利用者をどうはぐくむか

2025-05-04 07:01:05 | コラム
■京都発京都行
 京都駅を利用するときにこのTWILIGHT-EXPRESS-瑞風が停まっているとちょっと興味が湧いてきます。

 TWILIGHT-EXPRESS-瑞風、運航日などを調べれば普通に見れる車両なのですけれども、昔のトワイライトエクスプレスのように隔日でも正午過ぎの時報のようにやってくる列車とはちがって、故に見つけるとちょっと嬉しさを感じるところ。

 周遊型寝台特急ですから、京都駅発京都行、電光掲示板にも行先は京都駅、となっているのが面白い所です、もっとも、折角この種の車両を運行するのですし、この車輛を起点に117系電車改造のクルーズトレイン銀河が開発されるなどあり。

 87系気動車、TWILIGHT-EXPRESS-瑞風の車両は、TWILIGHT-EXPRESS-瑞風専用に開発されました87系気動車というものをつかっていまして、機動車ですので非電化区間、架線柱がない眺望のよい区間に乗り入れられるというのは強み。

 クルーズトレイン、この車輛が開拓するというのは、持続的なのかな、と思うところですが。クルーズ船のような、繰返し乗るものとなるのか、今乗っている層が次世代の利用者を、つまり子供の頃に乗った記憶を引き継いでくれるのか。

 運行形態から、このTWILIGHT-EXPRESS-瑞風を起点に夜間輸送の、非有効時間帯は長時間停車する方式出会ってでも、寝台特急の復興に繋がるのだろうかと見つめていますが、銀河は目的地への移動手段となっていて、その一歩を歩んでいるようです。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする