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京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

攻撃ヘリコプターの時代は終わったか?【1】ウクライナ侵攻ロシア軍攻撃ヘリコプター大量損耗

2022-06-09 20:00:36 | 防衛・安全保障
■現代戦場の過酷な現実
 この戦争で戦車の時代が終わったとか戦争の一部が報道されると色々な装備の時代が終わったと報じられるところですが今回ウクライナでは。

 ウクライナへ侵攻したロシア軍は初期の稚拙な作戦により膨大な戦死者を出し続けています、これを補うべく非戦闘員への残虐行為や虐殺事件、ロシア軍が使わない非ロシア語外国語話者の集団拉致と拷問、民間資産の没収や窃盗、無差別砲撃とインフラ破壊等を繰り広げており戦線は過酷さを増していますが、一方でロシア軍稚拙な戦術は議論ともなった。

 戦車や戦闘ヘリの時代は終わったのではないか、前者の戦車はウクライナ軍が緒戦でロシア戦車を対戦車ミサイルで撃破しつづけ囁かれたものの、反撃を開始すると共に機動打撃力は不可避の戦力であり、攻撃力機動力防護力三要素兼ね備えた戦車は欠かせない戦力であるとして、緒戦しか報道を観なかった俄か好事家を除けば再評価されました、しかし。

 戦闘ヘリコプターは、ロシア軍が最新型のKa-52アリゲーター攻撃ヘリコプターを多数損耗しており緒戦から戦力建て直しまでの期間、ロシア軍はヘリコプター42機を撃墜されたとされています。フランスのISC比較戦略研究所によれば、ウクライナ軍も7機を喪失したとしていますが、ロシア軍攻撃ヘリコプターの喪失数は当初想定よりも多く、衝撃です。

 自衛隊はAH-1S対戦車ヘリコプターを冷戦時代から調達し96機を導入しましたが、後継機であるAH-64D戦闘ヘリコプターが防衛費削減とミサイル防衛事業が重なり、当初62機の導入計画があったものの、13機で調達終了となっています。すると、ウクライナでのロシア軍攻撃ヘリコプター被害は、こうした日本の防衛力整備にどのような影響があるのか。

 アンブルの攻撃に対しては降着地域を徹底的に特科火砲で叩く。陸上自衛隊では冷戦時代、ソ連軍の新戦術として1970年代から強化されていたアンブル、エアボーンブリゲードに対する制圧をこのように構築していました、特に降着はヘリコプターが地表近くに展開している為、CVT信管や時限信管による曳火射撃でヘリコプターごと無力化が可能となります。

 アンブルに対し特科火力が有効とされる背景には、先ず野戦特科部隊は対砲兵戦では砲弾が射撃により対砲レーダ装置等により標定され反撃を受ける事を警戒し一効力射とともに素早く陣地変換しますが、アンブルは砲兵火力とともに対砲レーダ装置や地中マイクロフォン敷設の時間はありません、無論、あまり長時間続けると攻撃ヘリコプターが来ますが。

 ウクライナでは開戦劈頭にロシアの精鋭空挺軍が16カ所を同時に空挺強襲、強襲にはヘリボーンが多用されキエフ北方の空港やキエフ南部の飛行場などを襲いましたが、13カ所で空挺軍が壊滅し3か所で撤退に追い込まれました。この失敗の背景には、空港周辺の航空攻撃を行わずに奇襲し軽装備の空挺部隊がウクライナ軍装甲部隊に叩かれた事がおおきい。

 空挺軍は陸軍とは独立した精鋭部隊で人員規模も我が国陸上自衛隊よりも大きく、30mm機関砲を搭載したBMD空挺装甲車などを多用するのですが、いきなり投入した為に降着地域周辺のウクライナ軍が無傷であり叩き潰してしまい、また、ロシア軍は不思議な程に防空制圧任務を行わず、ウクライナ軍地対空ミサイルはロシアの空輸補給線を遮断しました。

 攻撃ヘリコプターの時代が終わったのではなく、いきなり準備せずヘリコプターだけで戦略目標叩いても意味が無い、戦略目標にはウクライナ側も相応に備えている、つまり運用の稚拙さが裏目に出ているとも言えます。例えば1979年アフガン侵攻の様に、空挺部隊を歓迎してくれる勢力が確保している飛行場を狙うべきでしたが、ウクライナには無かった。

 ヘリボーンについて、アメリカ軍の時代を見ますと1991年湾岸戦争では、ネフド砂漠というイラク軍主要部隊から300km以上離隔した地域にヘリボーン拠点を構築、C-130輸送機延べ550機が砂漠の真ん中に燃料と弾薬を輸送しヘリコプター基地とし、基本的にイラク軍の補給線を叩くと共に移動中の、接敵行動を執っていない後方の戦車を一方的に叩いた。

 攻撃ヘリコプター対策は、しかしイラク軍もただ観ているだけではなく2003年イラク戦争ではヘリコプターの接近経路などを丹念に研究し、23mm機関砲と14.5mm機銃を集中運用しAH-64アパッチ戦闘ヘリコプターを待ち伏せ攻撃し、数機を撃墜しました。アパッチは防御力が高い機体ですが、生還した機体には200発以上命中した機体もあったほどです。

 攻撃ヘリの時代は終わった、とはこの頃に提唱されたものですが、現実はそれほど甘くありません。サドルシティ市街戦などアメリカ軍はイラク戦争バクダッド攻略後に消耗戦争というような様相の治安作戦に転換しましたが、この際に市街地の錯綜地形に上空掩護へ展開させたOH-58Dカイオワ観測ヘリコプターが、想定以上の損耗を強いられたのでした。

 攻撃ヘリコプター以外では生き残れない戦場があったのです。当たり前ですが、兵器は進化し深化するもので、開発当時にどれだけ高性能を誇っても、対抗手段が開発され、これに併せて運用は変化します。例えば潜水艦を見れば、開発から半世紀近く、基本的に洋上を浮上航行し襲撃行動を執る際に潜航するものでしたが、今これをやれば生き残れません。

 兵器の運用は、戦車も集中運用が基本であったのは1950年代まででその後は集中と分散が基本、部隊が固まっていてはあらゆる攻撃の標的となる為、大隊規模以下で分散し攻撃の瞬間に集合する、この為に戦車単体ではなく機械化部隊の重要性が認識されています。ヘリコプターも映画のランボーの様に暴れているだけでは、生き残れない時代となりました。

 変らねば生き残れない。攻撃ヘリコプターの時代が終わったのではなく、攻撃ヘリコプターの数さえ揃えればあとは飛ばすだけで勝利という単純な時代が終わったのであり、言うなれば最新の戦術、攻撃ヘリコプターの数を揃えるとともに対抗戦術の研究と、これを上回るヘリコプター部隊運用を研究しなければ勝利は元より先ず生き残れない、当たり前の現実なのかもしれません。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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