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北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【G3X撮影速報】岐阜基地日常風景2024夏(2),飛実団銀色のC-1FTBフライトテストベットの発着(2024-09-12)

2024-10-27 20:24:52 | 陸海空自衛隊関連行事詳報
■銀色のC-1FTB
 銀色のC-1FTBを撮影した話題を。

 C-1FTB,もう目の前に降りてきました、銀色の、いや原色の、C-1輸送機がおりてきた。この構図を撮影できるというのが岐阜基地の強みと思う。いや、まあ、小牧基地でも歩道橋の上で撮影していますとこういう構図になってくれるのですけれどもね。

 C-1輸送機は、沖縄返還前の設計と要求仕様であるために航続距離が異常に短く、その分を速度と機動性とSTOL性能に全ふりした、日本らしい輸送機です。もっとも、製造数が大幅削減されて31機にとどまった、というのもC-2輸送機と重なるのだが。

 F-15戦闘機が旋回して着陸へ向かう。岐阜基地は戦闘機も配備されている基地ですので、輸送機が轟音とともに頭上を通過したその直後にもう一度いきなり戦闘機がかんだかい金属音を響かせて高速で着陸してゆく、というのも日常風景だったりするのです。

 夏空と夏雲がもくもくと聳える残暑というには厳しい風景の岐阜基地、その先の風景へF-15の機影が溶け込んでゆく。岐阜基地は旋回する先に岐阜市の市街地がひろがり、周りには各務原市も犬山市もならんでいるのですが、その上を轟音をひびかせつつ。

 F-2戦闘機の着陸だ。え、F-15どうなったの、と思われるでしょうが試験飛行でF-15とF-2が連続して離陸していたのですね。戦闘機の数だけでみれば、小松基地、北陸の基地の方が多く飛行する回数も多い、が、機種は多いし、まわりで食事できるところも。

 飛行開発実験団のF-2戦闘機、この着陸の構図も凄く好いのですが、例えば三井山という基地の西側に聳える小山の山頂に陣取りますと、離陸の際に目の前を上昇し、タッチアンドゴーの際には目の前で旋回して迫力ある構図を撮影できたりして、たのしい。

 三菱重工のF-2,制空戦闘が第一の航空自衛隊では異端児のような扱いという戦闘機なのですが、石破防衛庁長官時代に生産中断が発表され、繋ぎのライセンス生産なども行われなかったので、そこで日本の戦闘機製造が中断してしまったのは残念のひとこと。

 ラファール戦闘機、フランスなどはラファールF2、ラファールF3、ラファールF3.1、ラファールF4と改良を、とにかく戦闘機を生産し続けている。偵察機とか電子戦機とか飛行隊定数を増強するとか、F-2後継機が具体化するまで生産を継続すべきであったなあ。

 夏雲と夏空とF-2戦闘機、ちょっと逆光気味で雲の迫力とかもちょっとなあとおもいつつ、できれば積乱雲とかといっしょに構図を決めたかったけれども、積乱雲が迫ってくる状況となると、落雷とかで怖いことになりますので贅沢を言ってはいけない。

 有事の際の予備というものを考えると、定数ギリギリで稼働率次第という日本の防衛力整備は、ほんとうに戦争を考えているのか、そもそも政治は、自衛隊では無く政治は、与党も野党も、どういった戦争を、軍事戦略でアジアを生き延びるつもりなのか、とね。

 稼働率という面から戦闘機を見ますと、小野寺防衛大臣時代に共食い整備など、冷戦時代には稼働率95%とまで言われた航空自衛隊の即応体制がいまもう見る影も無い、という状況であったため、補正予算で動かせるよう予備部品の予算が組まれた事を思い出す。

 ヒコーキカッケー、というような単純に被写体として防衛装備品を見るのでは無く、これをどのように運用して必要な任務を果たすのか、という視点まで踏み込んでいますと、大丈夫なのかなあ、という素朴な懸念がふっと浮かぶのですが、ね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
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(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
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【G3X撮影速報】富士学校開校70周年富士駐屯地祭(4)FH-70,99HSP,19WHSP,12SSM(2024-07-21)

2024-10-27 20:00:10 | 陸海空自衛隊関連行事詳報
■特科教導隊行進
 HSPは自走榴弾砲を示しWHSPは装輪自走榴弾砲の事を示しそしてSSMとは地対艦ミサイルをさします。

 FH-70榴弾砲の観閲行進が開始されました、実に479門もの数がライセンス生産され装備された陸上自衛隊の主力火砲ですが、かなりの数が退役してしまいました。この火砲は、それこそ退役させても廃棄せず、モスボール保管すべき装備と思うのだが。

 39口径155mm榴弾砲、FH-70というのは1970年代の火砲という意味をもつのですけれども、結局世界は39口径よりも長い砲身を選んだのはずいぶん後であり、52口径の火砲は牽引式としてはほとんど普及せず、45口径や47口径の牽引砲も大量生産は至っていない。

 99式自走榴弾砲、正直なところ19式装輪自走榴弾砲はこの99式自走榴弾砲の砲塔部分をトラック車体後部に載せるべきでは無かったかと思う、火力調整所からの標定を自動で受けて走行中に咲いて奇異な射撃陣地を割り出しほぼ操砲も自動化されている。

 52口径155mm榴弾砲、射程は40km程度ということだけれども、例えばエクスカリバー誘導砲弾の運用能力を付与するとか、それだけでなくアメリカ本土以外のもう少し遠距離の射撃を試験できる射撃場での試験を行えば、この砲の真価は変わるようにも。

 21世紀の自走榴弾砲を20世紀のうちに実現させている、ただ、唯一不満はエンジンの出力が600hpであることで、戦車とともに機動力を発揮するならば1000hp級のものを搭載すべきであったか、車体部分が89式装甲戦闘車を応用した故のエンジンなのだが。

 車止め取り外し忘れている、99式自走榴弾砲は優れた装備と強調したものだからどうしてもショックだったのは右側の車両、妙に煙が出ているなあとおもってよくよく見てみると、車止めがそのままだ、外しわすれは頓馬だけれども無理矢理動く三菱設計は凄い。

 19式装輪自走榴弾砲、既に西部方面隊では配備が始まっている。ただ、99式自走榴弾砲の先進性を比べてしまうとどうしても設計思想の古さが目立つ。スウェーデンのアーチャー装輪自走砲のように砲塔は自動装填方式を採用すべきでは無かったのかなあ。

 火砲は射撃から陣地変換までの早さが重要、そうしないと対砲レーダ装置で場所を標定され的の砲弾が降り注いでくる、だから砲員が外に出なければならない設計よりも砲塔式が望ましいのだ。この頃イギリスもボクサー装甲車の砲塔型、RCH155を採用した。

 地対艦誘導弾部隊、新しい陸上自衛隊の花形部隊です、なにしろ射程が先ず当面は900kmに、そして2000kmにまで延伸する計画なのだから。変な話本州や九州から北京まで届いてしまうどころか、本州から中国内陸部四川省の核ミサイル部隊が射程にはいる。

 12式地対艦誘導弾システム、連隊の同時射撃能力は96発、射程延伸型が所謂反撃能力だ。当面はやはり任務は地対艦ミサイル、ただ射程延伸型の配備はまもなくであり、変な話、九州から沖縄県の島しょ部防衛任務への参加が可能となるのは、時代だなあ。

 反撃能力というのが憲法9条や専守防衛政策とどこまで適合するのかは議論があるとは思いますが、陸自全体で500発以上の同時射撃が可能、再装填により一時間で攻撃を数回継続できる。冷戦時代に始まった地対艦ミサイルは2020年代に変革を迎えた。

 教育支援施設隊の観閲行進、施設学校の施設教導隊とはことなる部隊ですが、施設学校は茨城県の勝田にあり、富士学校の教育や戦術研究には施設科部隊が必要であるためということで、富士学校も独自の施設か部隊を隷下に有しているのですね。
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【京都発幕間旅情】榛名さんの総監部グルメ日誌-愛知,小牧基地隣接うなぎ屋のうな丼をテイクアウトでC-130H輸送機と

2024-10-27 18:22:25 | グルメ
榛名さんの総監部グルメ日誌
 うなぎはいつの時代だって御馳走だ。

 本日は浜松基地航空祭です、衆議院総選挙だろう、と反論があるかもしれませんが、要するに今は多様性の時代、マルチドメインタスクフォースで何から何まで並行して行わなければならない時代、2009年の富士総合火力演習に自民党は民主党に大敗した。

 稲生、今回紹介したいのは浜松基地、から新幹線で40分ほど行った名古屋駅から最寄りの基地である小牧基地のすぐ北隣にあります和食のお店なのですが、ここを知ったのはCOVID-19新型コロナウィルス感染症華やかなりしころ、なにもできなかった時代だ。

 小牧基地の最寄りなので、お店の上空を当たり前のようにC-130H輸送機が飛んでいる、おもえば2020年と2021年はほとんど航空祭も駐屯地祭もなにもなかったので、舞鶴基地か岐阜基地と小牧基地ばかり巡っていた印象です。その際、テイクアウトのお店へ。

 うなぎ丼、うなぎといえば静岡だろう、と思われるかもしれませんが浜松駅周辺のうなぎはお値段が新幹線で京都や東京にいけるくらいのお値段でした、その点うなぎは、愛知県や岐阜県、あとは西友筆頭に滋賀県のほうが安くて美味しいいんしょうがある。

 稲生のうなぎ丼、おもえばCOVID-19の最盛期は慎重さが求められたが、ホテルも食事もいまより遙かに安かった、GOTOトラベルを筆頭に政府補助もあったのだけれども、インフレが世界の趨勢になる前だったので、美味しいものをいつも手頃に頂けて。

 テイクアウトですが、いつも頂いたのは小牧基地を一望できる公園の展望台、展望台も無人のときにそっと包み紙をテーブルクロスのように広げて、そして脂の旨味というものを最大限堪能したものです、油断して隣をF-35が上がっていったこともあったが。

 世界中かなりの犠牲者が出ているけれども、日本の場合は五類変更後のほうが死者数も多くなっているというのが先日報道されてしまいましたが、それだけに犠牲よりも自粛の方でたいへんだった当時のことを、ちょっと思い出してしまったのですね。

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【京都幕間旅情】嵯峨野観光鉄道DE10ディーゼル機関車,トロッコ列車はトキ25000形無蓋貨車改造客車

2024-10-27 07:00:32 | コラム
■かわりゆく車窓
 車窓というか車両というべきなのかもしれない。

 嵯峨野観光鉄道、全長7.3kmの山陰本線旧線を利用した観光路線です、単線で非電化、最高速度も35km/hと嵐電よりもゆっくり、1989年に廃線になった路線を1991年に再生させた路線です。保津峡で昔、悲しい出来事がありましたので縁の薄い路線ですが。

 DE10ディーゼル機関車とトキ25000形無蓋貨車改造の客車を利用して観光輸送に活躍し、年間輸送は、100万、休戦は保津川がすごくきれいでCOVID-19新型コロナウィルス感染症の頃でさえ46万もの輸送実績を維持していたというのだから凄いものです。

 観光列車ですが、時として特急まいづる号と並ぶことがあります、山陰本線ダイヤとともにDE10の加速力故に偶然醸成される奇跡のような情景なのですが、ちょっとこの日は定刻通り、定刻通りで杞憂の顔をしても怪訝に思われるのですが、巡っては来ない。

 まいづる号、昔は183系特急まいづる号よりも比較的新しいKTR-8000系のタンゴディスカバリー号ばかり選んで乗車していたものだけれども、思い返してみればもうすこし183系についても利用しておけば良かったなあ、と振り返ったりもするのですが。

 タンゴディスカバリー号も過去のものとなった、というよりもむかしは山陰本線と謂えばおんぼろの113系がごうんごうんボックスシートにお客をのせて走っている印象が、221系の快速電車導入と続いて気づけば223系の時代になっていて世代交代を果たしている。

 183系は懐古の時代になってしまいまして、そう、旧線の方は残っているのですが新線切り替えのころに頑張っていた車両たちはもう過去の思い出となっている、トロッコ列車をながめたあとでふと、時代の経過というものを、感じてしまったのですね。

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