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北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【G3X撮影速報】大久保駐屯地創立65周年・第4施設団創設61周年記念行事,施設団の観閲行進(2022-05-29)

2022-06-04 20:12:40 | 陸海空自衛隊関連行事詳報
■第4施設団の観閲行進
 大久保駐屯地祭が行われました先週は流石は宇治市も京都府だと痛感させられるほどに暑かったですね。

 自衛官候補生の観閲行進、教育訓練は第2教育団を拡大改編させました中部方面混成団という印象はありますが、大久保駐屯地にも教育隊が置かれており前期教育の共通教育として三カ月間の教育を行います。そしてかつては新隊員、いまは自衛官候補生という。

 前期教育は執銃訓練や小銃の分解結合と野戦訓練や装具の管理と自衛官としての生活などを教育します。自衛隊は志願制の所謂職業軍人より成る組織である為、各国では営内生活や敬礼動作などは相当省略しています、徴兵期間が数カ月という国も多いのですからね。

 駆け足、これは展示ではなく徒歩行進から車両行進となる為、ゆっくり徒歩行進をつづけていますと後続の車両に追いつかれてしまう為です、しかし、前期教育の小銃が64式小銃から89式小銃に、部品も減りかなり軽量化されましたが多少は楽になったのでしょうか。

 第4施設団本部と本部幕僚の観閲行進、施設団というのは諸外国でいう工兵旅団にあたり、建設工兵として重架橋や重要補給路の整備と道路建設に策源地造成など一通りは可能ですが、近年は戦闘工兵としての能力も師団施設や旅団施設より移管され、全般任務を扱う。

 第7施設群の車両が災害派遣装備で観閲行進に臨む。ここ大久保駐屯地はかつて第45普通科連隊が駐屯、第3師団の縮小改編により第45普通科連隊は解体されてしまいましたが、この関係から奈良県の防衛警備及び災害派遣を任務としています。次の大災害に備えて。

 3-1/2tトラックはどうしても73式大型トラックという旧称で呼んでしまいます、民生部品などを柔軟に仕様変更に対応するべく制式化ではなく部隊使用認可という方式で採用しているため、73式という呼称から転換した装備、毎年400両ほど継続的に配備されている。

 第6施設群長奥1佐が観閲行進に臨む。最近考えるのは、方面混成団の予備自衛官部隊と地域配備師団に方面隊直轄の施設団は統合し、方面師団とし、即応機動旅団や即応機動師団など、有事には即座に方面隊を超えて運用する部隊と区別する選択肢は無いか、という。

 本部管理中隊の観閲行進、1-1/2t救急車も本部管理中隊の衛生小隊に所属しています。しかし1-1/2tトラックという呼称よりも、やはり73式中型トラックという呼称の方がなじみが在りまして、もう何年経つのだといわれそうですが、なかなかに呼称に慣れないのですよ。

 第402施設中隊の観閲行進、道路障害作業車と掩体掘削装置を搭載下73式セミトレーラが観閲行進に参加します、施設中隊は100名規模となっていますが、建機は一人で操作するものが多い為に実は中隊全体で装備する車両というものは非常に膨大な数ともなっている。

 道路障害作業車は舗装道路や街路樹に道路関連資材などを即座に障害物に作り替えるほか、複数のアタッチメントを切り替えることで支援車輛として様々な用途にも散られるという、一見して地味な装備ですが使い方次第という、スイスアーミーナイフのような車両です。

 第7施設群本部の観閲行進、一直線の式典会場は旧陸軍の飛行場施設を転用したもので、東千歳駐屯地、ほど広くはありませんが第13旅団司令部等が置かれる海田市駐屯地、旧陸軍海田市飛行場跡の駐屯地と、なにか雰囲気が似ているのが面白い、そしてやはり広い。

 第380施設中隊、施設群隷下の施設中隊は機能別編成となっていまして、築城障害中隊や機動支援中隊と交通中隊という中隊毎に編成と装備が若干異なっています、第7施設群は大久保に駐屯していますが、一個中隊だけ第382施設中隊が富山駐屯地に駐屯しています。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【京都幕間旅情】榛名さんの総監部グルメ日誌:京都-嵐山,山陰線トロッコ列車の音響くピッツァリアのひととき

2022-06-04 14:44:08 | グルメ
■榛名さんの総監部グルメ日誌
 舞鶴地方総監部にいちばん最寄の京都市内といいますとやはり嵯峨嵐山になるのでしょうか、イージス艦の名となった愛宕山も近い。

 嵯峨嵐山、京都の奥座敷は鞍馬や大原と趣き深い情景が広がりますが、ここ嵐山も観光地たる渡月橋とともに見上げる愛宕と高雄は古くからの聖域と静寂を湛えており、成程一概に観光地とはいえない情感を常に新鮮さとして感じ入る事が出来るのですが。さて。

 嵯峨野トロッコ列車が、店の前の踏切をちょうどゆったりと走っていました、もともとは嵯峨野山陰線の旧線を観光鉄道に転用したものですけれども、COVID-19も収まり始めていますので混雑が戻ってきています、観光鉄道ですが換気はばつぐんですので、いいのか。

 嵐山を散策するには徒歩が一番趣き深い、一歩一歩に歴史を感じますが写真として情景を切り取り帰路と共にその歴史に書籍を一頁一頁と捲るのもまた感慨深い知への好奇心を満たします、ただ、長時間散策するには好奇心の前にお腹を満たさなければ、中々に寂しい。

 ルガラ。天龍寺の前を高雄の方へ、こうJR山陰本線の踏切へと歩み進めますと美味しい看板の標記が並ぶのですけれども、踏切を超えましたその場にピザ屋さんが、ありまして。こんな時代ですのでテラス席があるというのが、換気も良くてありがたいものですよ。

 ピリ辛サラミ&チーズ、ここはマルゲリータがお勧めということで、誰が食べても美味しいマルゲリータ、という名を冠しているのですが、やはりペパロニ的な食べ応えのあるピザをがっつりいきたいものです。この席はテラス席ではないのですが、奥まった独立席です。

 ピカンテオイルはオリーブオイルに唐辛子を漬け込んだもので、辛いのですがさっぱりしている調味料、美味しいを持続させるにはちょっと味わいを変えてみる事も大切ですので、少しすこしを振りかけてピザを美味しく頂きます、ほどよい辛さ、こういうものを掛けた。

 日向のビールを呑めるぞ。日向といいますか日向夏なのですがクラフトビールを楽しみにしていたのに、まあ、世の中そんなものですよ、売り切れでした。代わりに日向晴れの焼酎をロックで頂きたいところですが、そんなものはピッツァリアにはおいていませんよね。

 ハートランドビールを注文、地政学を専攻していた訳ではないのですがむかしハートランドビールという名を知った際に思い浮かべたのがゲオポリティクスの中心部を示す単語です、独立席のテーブルですのでビールくらい頂いても、これ安心な程度の感染対策度合い。

 ピルスナーの独特と強めの炭酸とともに軽い口当たりが、明るい時間帯の、しかしもう初夏の頃合いを見せる京都の奥座敷にふと心地よい。ああ実は苦味よりもベルギービールにありますリンデマンスクリークのような果実味という方が好きなのですが、ここにはない。

 タバスコは辛さの暴力、慣れるとそれ程ではないのですが辛さというよりも強烈な酸味を併せ持つ調味料ですので、ペパロニ調の、しかしフォッカッチャのような食べ応えのある分厚いピザに、するとしかし単調になってしまうかもしれない味わいを刷新してくれる。

 読書に地図にカメラと並べまして、さてもどるかたちにはなるけれども鹿王院へ久々に歩きながら嵐電でも眺めるか渡月橋を超え毎度の阪急6300系にて長岡当たりへ移動するかそそれとも北は清凉寺か大覚寺、流石に愛宕神社はこの時間からは厳しいなあ、そんな事を。

 ピッツァリアルガラ、焼き上げる煙突が営業中のあかしという。ピザはテイクアウトでもお世話になる事が多いですけれども、焼き立てのピザは別物、おもわずビールを注文してしまう程に美味しいものです、嵐山といえば和食、そんな固定概念は端にしてお勧めです。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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ウクライナ軍で活躍する欧米供与M-113装甲車-装甲戦闘車と重装甲車時代のAPC装甲人員輸送車奮戦記

2022-06-04 07:01:13 | 先端軍事テクノロジー
■臨時情報-ウクライナ情勢
 APC装甲人員輸送車という装備体系はウクライナで再評価されるのかもしれません。

 M-113装甲車やそのオランダ仕様であるYPR-765装甲車、ウクライナ軍はこれらM-113系統の装甲車が欧州からの軍事援助による供与数について、一定以上の規模となった事を受け、M-113装甲車を運用する機械化師団を新編したとのことです。M-113装甲車は過去の装甲車と思われていましたが、案外、実戦では使いやすいという実情があるようです。

 73式装甲車と89式装甲車の写真にて代用しますが、M-113と73式装甲車はともに、“戦場のタクシー”という発想、戦場までのせてゆくがそれ以上は戦闘に関与しない、という設計で知られています。これが時代遅れであると考えられたのは、M-113装甲車は基本的にアルミ合金製箱型車体にトラック用エンジンを搭載した装軌式車両であるためです。

 89式装甲戦闘車のような車両は装甲戦闘車と呼ばれますが、これは強力なエンジンと高い防御力を有していて、戦車の機動力に随伴できると共に戦車を狙う対戦車火器に対しても一定程度の防御力がある、そして最大の違いは砲塔に機関砲を搭載している為、下車戦闘の直前まで歩兵を輸送できますが、M-113では戦場手前で降ろさなければ人も車も危ない。

 しかし、M-113装甲車は幾つかの理由でウクライナで威力を発揮しています、第一に軽いこと。軽いという事は装甲が薄い事を意味しますが、同時に軟弱地形でも車体が泥に沈まない利点があります、もちろん履帯の幅を広げれば面積当たりの設置圧を下げられますので、重ければ行動できないという訳ではないのですが、M-113は自由自在に動いている。

 装軌式であるのも第二の利点です、装輪装甲車としてストライカー装輪装甲車やボクサー装輪装甲車など、路上を高速で移動できるという戦略機動性が評価されていますが、装輪装甲車は車輪と云う点で支えていますので、道路上ではM-113はそれほど速度を発揮出来ませんが、車輪が埋もれる程度の地形でもM-113装甲車は活動できる事を意味している。

 BMP-1、ロシア軍が多用している旧ソ連製装甲戦闘車は、しかし、ウクライナの軟弱地形で苦戦しているようで路外を運用している事例は余りありません、擱座している事例も多い。すると、路上での戦略機動性の低さや装甲の薄さという、基本設計が二世代前の装甲車も、実のところかなり有用である。日本も73式牽引車派生型の汎用装甲車を再検討すべきなのかもしれません。

 M-113装甲車はウクライナにおいて、路外を経路としてロシア軍の側面等を攻撃する際の、所謂戦術マヌーバに活用されているようです。道路上を堂々と進む際には道路に沿って砲撃を受ける事は必至ですが、ウクライナ軍は森林や湿地帯などを踏破し、いわばロシア軍の想定外といえる地形に迂回し攻撃を加える際にM-113装甲車を多用しているようです。

 戦車部隊と共に機動打撃を展開する際には、M-113は戦車と協同するには危険があります、機動力がそれほど高くありませんし、何より歩兵多数が乗車していますので一両でも破壊されますと人的被害が大きなものとなってしまう。しかし、歩兵機動車輛として、特に歩兵の集合と分散を迅速化させるという機械化部隊の装備としては、威力を発揮できるのです。

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