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北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

阪神大震災-兵庫県南部地震発生26年,新型コロナCOVID-19拡大下で問われる危機管理の原点

2021-01-17 20:02:42 | 防災・災害派遣
■忘れてはならぬ1.17慰霊の日
 今年はCOVID-19感染拡大下では慰霊祭なども制約がある最中ではありますが、忘れてはならない1.17です。

 6434名が亡くなった兵庫県南部地震-阪神大震災発災から本日で26年となりました。本年は3.11東日本大震災-東北地方太平洋沖地震発災から10年目という節目の年でもありますが、同時に新型コロナウィルスCOVID-19日本上陸から一年目という年でもあり、危機管理というものを考えさせられる前に今がまさに危機の克服への最中にある、という重大な状況中でもあります。

 犠牲者は還らず、往時の面影を思い起こす事しか出来ません。しかし、次の何かへの教訓があるならば、それは制度へ内部化し継承しなければ、犠牲者の意味というものが問われるように思い、特にこの視点は災害において非常に重要であるように思います。その視点から、喩え何年たとうとも、巨大災害発災の日には追悼の念と機会が大事であるよう思う。

 東日本大震災発災から10年となる本年ではありますが、阪神大震災はのちに繋がる危機管理、ギリシャ語で"切られた"を語原とするクライシスというものを真剣に考えねばならない、戦後最大の警鐘であったことを考えさせられます、即ち平時の感覚と危機に際しての切り替えを適宜且つ適切に行えない場合にはそのまま多くの人命に直結する、という意味で。

 阪神大震災は、1995年1月17日0546時に兵庫県淡路島北部の野島断層を震源とするマグニチュード7.3の直下型地震により引き起こされました。この震源は深さ10kmと浅いことから、姫路市や京都市などはほとんど被害がなかったのに対し、神戸市をはじめ兵庫県人口密集地域には非常に大きな揺れが低層建築物、特に住宅、を中心に大被害を及ぼした。

 安全神話。こうしたものが改めて信仰のように信じられていた点は不思議なものではありましたが、日本の建築物は耐震構造により地震に強い、という一種の神話が吹き飛ばされ、低層建築物の中には極めて厳重に建築され、そして比較的新しい山陽新幹線の高架部分も崩落する事となり、最大規模の地震にたいし盤石性の確保への難しさを認識されています。

 火災。阪神大震災はもう一つ、兵庫県東灘区を中心に大火災が発生し、非常に残念なことではありますが、倒壊家屋には多くの生存者が救助を待つ頭上を業火は蹂躙したと考えられています。大都市であり消防機能は大きなものがありましたが、火災はそれ以上に大きく、また消防水利断水により大阪湾を消防水源とするなど大変な消火作業だった、という。

 神戸市を筆頭に西宮市や伊丹市に芦屋市など多数の都市が大きな損害を被りました。特に旧耐震基準建築の歴史ある住宅街が多かったことも被害を拡大させたのですが、強大な都市機能をゆうする近代都市であっても直下型巨大地震というものを想定した平時機能はあり得ず、果たされなかった自衛隊への迅速な派遣要請などの遅れは確実に響いている。

 もちろん、火災の一点を考えればあの火災は破壊消防でも行わなければ延焼拡大阻止は難しく、思い切った破壊消防などは現場判断で簡単に出来るものではなく、文字通り想定外であったのかもしれません。しかし、それ以外の部分で、防災、防衛、ともに平時の状況が大きく機能付随となることを念頭とした根本的法整備は、行われず今に至っています。

 想定外。実のところ2011年東日本大震災にて当時の民主党政権を始め連発した、この想定外という表現は、実のところ、安全神話、と阪神大震災に際して繰り返し表現されたものの焼き直しであり、実際のところ、想定できないではなく、想定しなければならない例外無き対策、というものが阪神大震災16年を経ても為されていなかった事にほかなりません。

 危機管理、とは平時になり経たない非合理的なものであっても、不足する場合を見越して準備しておくこと、安全係数における冗長性の必要性にほかなりません。もちろんこれは経済的な若しくは人員面での余裕がなければ実現しない概念ではあるのですが、予算不足や人員不足を言い訳として準備を怠れば、それは現実的な危機に際し直ぐに顕在化します。

 平成時代はバブル崩壊ののちに、所謂"余裕のない時代"が到来していることは否定しません、しかし、余裕がないのであれば平時の不便を敢えて容認することで有事の際の冗長性を確保する、という施策は当然平時における不満の受け手には難渋が強いられるものではありますが、丁寧な説明努力と合理性への受容性を持つことが、危機管理の意識といえる。

 新型コロナウィルスCOVID-19、現在も危機管理が現在進行形で継続中であることは上掲の通りですが、考えてみますと平成以降、日本における危機管理の分水嶺が厳しく迫られているのは、26年前の阪神大震災、10年前の東日本大震災、そして1年前から続くCOVID-19世界的流行禍、三回であるよう思えます。危機管理の観点からはどうでしょう。

 現在進行形の危機の最中にあっては、暫定的な結論しか出すことはできませんが、政府の感染対策は概ね第一波を水際対策で防ぎ季節性疾患であるコロナウィルスの停滞期にあたる夏期の所謂第二波は過度な規制を回避しGDP比四割という膨大な経済対策により経済破綻を回避する事に成功しました。しかしまさに、冬の第三波に現在曝されている現状です。

 医師国家試験の合格者数を増大させ、もちろん平時には採算の成り立たない医療機関が増える平時の医療崩壊という懸念はありますが、医療従事者をもう少し確保するべきだった。そしてCOVID-19検査と調整を考えるならば、橋本内閣時代から続いた行政改革と小泉政権時代以降本格化した町村合併にて保健所と公務員を減らしすぎたのは一つの課題でした。

 行政の肥大化への批判、歳入不足という現実、これは別に日本だけのの問題ではなく、例えばイギリスでもブレア政権時代には大きな課題となっていました、この際にブレア政権は"第三の道"として民間外注の本格化により、問題の解決に当たっています。コロナ対策ではイギリスNHSなどは限界が突きつけられているために一概には、いえないのですがね。

 緊急事態宣言や厳しい法規制の検討、こうした部分で日本は次の段階を模索中ですが、平時のうちから有事に備えて人員を確保する、保健所の数的維持が出来ずPCR検査態勢に遅れがあった点、病床数は多数を確保しているものの支持医療回復医療重視の背景もあり肝心の医療従事者不足の現状、行政改革が危機管理を制度化していなかった事を示します。

 結局のところ、阪神大震災の教訓は、都市機能の防災能力の限界を超える場合には迅速に応援を必要な地域へ展開できる体制を官民一致で大きく前進させる、というものでした。この教訓はかなりの部分で活かされているように思う一方、全国的な規模で引き抜ける余裕のない状況を想定していないというCOVID-19危機管理での反省があるようにも思う。

 危機管理、考えたくない、震災以前は空気が前進させる事を阻んでいたように思う。現在のCOVID-19という問題があり、全国的に他の場所から増援を受けられないという状況です。一方、防災という観点からは遠くない将来に危惧される南海トラフ連動地震に際しても類似した状況は考えられるのです。すると、社会全体で処方箋を考えてゆかねばなりません。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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