■『あたご』『清徳丸』衝突事故 その後
2008年2月19日0407時、千葉県沖でイージス艦『あたご』と漁船との間で衝突事故が生じたことは既報であるが、『あたご』は母港である舞鶴に帰港を許されず、いまだ横須賀に係留されている。
千葉県房総半島野島崎沖にて生じた事故は、一部のマスコミにおいて偏重報道が為されているが、事実関係は海難審判の結論を待ちたい。ただ、事故から一ヶ月以上を経た今も、母港である舞鶴基地に戻ることを許されず、昨年11月にハワイでの訓練へ向けて舞鶴を出港、今日に至る。所属していた第63護衛隊は3月26日の部隊改編により姿を消している。これだけの長期間、事故調査とはいえ、母港への帰港を許さないことについて、妥当か否か、当方は後者では、と考える。
写真を撮影した28日、初代艦長の舩渡健1佐が更迭され、新艦長に佐世保の第2護衛隊群司令部幕僚であった清水博文1佐が着任した。写真では、新艦長を迎える正装の乗員がみえる。艦長、当直幹部であった水雷長以下6名を護衛艦隊司令部に転属、防衛省によれば海上保安庁とともに事故捜査を続けるとの話だ。
3月25日には、事故当時の当直乗員の一人が自殺を図るという事案も生じており、事故と失われた漁船乗組員の人命は、決して無視できないが、事故直後のここまでの長期間にわたる係留措置、これは普通なのであろうか。この措置による海上自衛官全体への士気というかたちでの影響は検証されているのだろうか。この点、どうも納得がいかない。
NHKのクローズアップ現代など、一部の報道では、弾道ミサイル防衛、インド洋対テロ任務給油支援など長すぎる実任務の対応により、通常の訓練期間が冷戦時代と比較して明らかに圧縮されており、対して防衛大綱の上限である護衛艦数は削減される一方である。組織として活動する以上、事故の根絶は難しいにしても、そのほかに対処するべき事故予防策は、解決されていないようにも。乗員配置の流動化や任務対応能力の艦艇間配分、場合によっては、艦艇の増強を含め、検討されるべきではないだろうか。
HARUNA
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