ハリソン君の素晴らしいブログZ

新旧の刑事ドラマを中心に素晴らしい作品をご紹介する、実に素晴らしいブログです。

『S/最後の警官』2014

2019-09-08 00:00:08 | 刑事ドラマ HISTORY









 
2014年の冬シーズン、TBS系列の日曜夜9時「日曜劇場」枠で全10話が放映された警察ドラマ。小森陽一&藤堂裕による人気コミックの実写化作品です。

通常の警察官では対処できない凶悪事件において、犯人の制圧ではなく生け捕りを目的とする特殊部隊=警視庁特殊急襲捜査班「NPS」が新設され、SIT、SATに次ぐ第三の「S」として注目されるも、その成り立ちの裏には警察上層部と政治家たちの黒い陰謀があり……というお話。

幼少時にガールフレンドの両親を目の前で殺され、その犯人も警察に射殺されたため誰も裁かれずに終わり、そのトラウマから「絶対に犯人を死なせない」をモットーにNPS入りした主人公に、向井 理。

そんな彼とは対照的に「凶悪犯には死の制裁を」という素晴らしい信念を持つSATの凄腕スナイパーに、綾野 剛。

そしてNPS隊長に大森南朋、隊員に平山浩行、池内博之、高橋 努、SAT隊長に高嶋政宏、NPS創設者の警察庁次長に近藤正臣、主人公の恋人に吹石一恵、科警研の女に土屋アンナ、そして終盤からNPS入りする女性スナイパーに新垣結衣、テロリストにオダギリジョー、といったレギュラーキャスト陣。

これ見よがしな豪華キャスティングに大がかりなロケーション、オーバーな芝居に押し売りの涙、翌'15年の劇場版公開を最初から前提にしたメディアミックス展開など、とにかく「ヒットさせること」だけを目的に作られた、いかにも「日曜劇場」らしい番組。

もちろんキャストは豪華な方が楽しいし、芝居がオーバーだろうが演出がクサかろうが、内容が面白ければ何の文句もありません。

だけど日曜劇場は大抵、その肝心な部分がおざなりにされるんですよね。とにかく視聴率を稼ぐことしか考えないから、数ある過去のヒット作が築いて来た「大衆が喜ぶストーリー」のパターンを忠実になぞった、いわゆる「予定調和」の典型モデルになっちゃってる。

だけど、それも仕方がないと言えば仕方がない。あれだけお金を掛けたからには「ヒットしませんでした」じゃ済まされないから。

とはいえ、それは日曜劇場に限らず全てのメジャー作品が背負う宿命ですから言い訳になりません。これの何十倍、何百倍もの製作費を掛けたハリウッド映画は、ちゃんと面白く出来てるワケですから。

ハリウッド映画にあって日曜劇場に無いもの、それはズバリ「観客をナメない姿勢」じゃないかと私は思います。ハリウッド映画は、ヒット作のパターンをなぞるにせよ絶対にそれだけじゃ済まさない。あの手この手で我々の予想の斜め上をいき、楽しませる努力を惜しまない。

日曜劇場は、視聴者をナメてます。ただエサを蒔いとけば食いつくだろうとタカをくくってる、としか思えない。私があの番組枠を目の敵にする理由はそこにあります。

日曜劇場が視聴者をどうナメてるのか、この番組のリアルタイム放映時に書いた以下の記事を読んで貰えば、だいたい解って頂けるかと思います。


☆『S/最後の警官』#01(2014年の記事)

毎度ながらこの放映枠は「何が何でもヒットさせたる!」っていう凄まじい気迫が、良くも悪くもビンビン伝わって来ますw

特に今回はスタートする前から映画化が決まってたみたいで、お客を呼べるスターをとにかく揃えたれ!って感じの、如何にも大作映画っぽいキャスティングです。

「何が何でもヒットさせたる!」じゃなくて「何が何でも面白い作品にしちゃる!」っていう姿勢を見せて頂きたい所なんだけど、まぁそこは割り切って、あからさまな商売っ気こそを見て楽しむのも一興かも知れません。

人質を取った凶悪犯を制圧(場合によっては射殺)する為の特殊部隊=SATに対して、人質はもちろん犯人の生命も落とさせること無く「確保」する為に新設された少数精鋭部隊=NPS。

なぜか捜査権までオマケに付いてるのは、いかにも作劇上の都合って感じですがw、言わば右寄り組織vs左寄り組織の対立を軸に描く構図は面白そうだと思いました。

NPSの隊長(大森南朋)にスカウトされた元交番勤務の巡査・向井理くんは、幼い時にガールフレンド(吹石一恵)の両親が目の前で通り魔に殺され、更にその犯人も警察に射殺されてしまった過去がある。

なぜ罪も無い市民が殺されなきゃならなかったのか、理由を知りたくても犯人がこの世にいなきゃ知りようが無い。遺族も憎しみをぶつける相手を失う事になる。

だから向井くんは、どんなに救いようのない凶悪犯であっても、生かしたまま確保したいと思ってる。

その対局にいるのがSATの敏腕スナイパー・綾野剛くんで、犠牲者を1人でも減らす為に凶悪犯は迷わずぶっ殺す!てな主義の持ち主。彼にも何か哀しい過去があるのでしょう。

犯人を何が何でも生かしたい向井くんと、どうしても殺したい綾野くん。よく例えに使いますが『ブラック・ジャック』の天才外科医ブラック・ジャックvs安楽死のエキスパートDr.キリコのライバル関係によく似てます。

そういった人物設定を聞いた限りだと、なかなか面白そうやん!って思うんだけど、私もそんなにバカじゃないですからw、半分以上は裏切られる覚悟をしてました。残念ながら今回も的中でしたね。

最初の1~2カットを観た時点で「ダメだこりゃ」と直感しました。見せ方がもう、少年マンガそのまんまで、如何にもアニメ世代、ゲーム世代に媚びた映像。あるいは、まさにその世代の人達が創ってるのかも知れません。

それを否定するつもりは無いんだけど、私の好みには全く合いません。私に限らず、昭和世代はちょっと受けつけられないんじゃないでしょうか?

一体いつの時代のどこの国やねん!?ってツッコミたくなるような、銃火器で武装した血も涙もない凶悪犯が続々と登場するんだけど、そういうのは別に良いんです。『西部警察』とか『大激闘』で慣らされてますからw

「それ、あり得ないやろ!」って言い出したら『スター・ウォーズ』や『アベンジャーズ』あるいは『デカワンコ』等も否定しなくちゃいけなくなっちゃう。でも私は、それらの作品が大好きです。

どんなに現実離れした世界観であっても、描かれるキャラクターの内面にリアリティ(共感出来る心情)さえあれば、我々はその世界に入って行く事が出来ます。

逆にどんだけリアリズムを追求した世界観であっても、描かれる人物の内面が絵空事だと全く感情移入が出来なくなっちゃう。

『東京バンドワゴン』がまさにそういうドラマでした。日曜劇場の前作『安堂ロイド』に至っては、世界観も人物の内面も全てが万事、絵空事にしか感じられませんでした。

今回の『S/最後の警官』も『安堂ロイド』並みに絵空事だと、最初の数秒を観ただけですぐに判りました。善人にしろ悪人にしろ、出て来るキャラクター全員が嘘っぽくて「んなヤツはおらんやろ~」の連続でした。

ついでに言えば、CGで描かれる爆破シーンも観てて虚しい気分にさせられます。やればやるほど嘘っぽさが増す一方で、最初からやらない方がマシだと思います。

こうなるともう、誰が生きようが死のうがどうでも良くなっちゃいます。せめて目を見張るようなアクションだけでも見せて欲しい所だけど、それも大した事なかったですね。

少年マンガやゲームの世界観が好きな人や、向井くん綾野くんのファンには美味しいドラマになりそうだけど、私にとっては観る理由が何も見当たらない番組です。


☆『S/最後の警官』最終回(2014年の記事)

初回のレビューで「自分が観る理由が見当たらない」って書きましたけど、ラスト2話になって急に、観る理由が出来てしまいましたw

テコ入れというより映画化に向けての布石でしょうが、『リーガルハイ』で一皮むけたガッキーこと新垣結衣さんが、凄腕スナイパーとして向井理くんのチーム「NPS」に加わりました。

かつて向井くんの目の前で通り魔を射殺した警官の娘という、かなり強引な設定ですがw、全てに無理を感じるこのドラマにおいては、まぁ大した問題でもありません。

例え相手が凶悪犯であっても、人を殺してしまったトラウマに苦しみ続ける父親を見て育ち、絶対に誰も殺さない為に射撃の腕を磨いたガッキーは、向井くんの良き相棒になって行きそうです。

こういう活きのいい女子がいると画面も弾みますから、初回よりはいくらか面白く感じました。アクションシーンが多いのも素晴らしいと思います。

だけど、やっぱり設定に無理を感じてストーリーに没頭出来ないんですよね。別に屁理屈をこねたいワケじゃなく素朴な疑問として、NPSが創設された理由がどうにもピンと来ない。

足でピアノを弾けるらしい警察幹部=近藤正臣さんが、凶悪犯を即座に射殺してもオーケーな法案を通す為に、その真逆の(つまり絶対に誰も殺さない)理念を持つ部隊、すなわちNPSをテロリスト達にぶつけ、彼らが全滅する様を世間に見せつけようとしてるワケです。

わざわざそんな回りくどい事しなくても、SATを痛めつけて何人か犠牲者を出せば結果は同じと違うの?って最初は思ったけど、まぁそこは「人命を尊重したが為に殺された」っていう図式が欲しいんだなと、一応は納得しました。

だけど、そもそもそんな法案が無くたって、現時点でもやむなき場合は射殺も許可されてるワケでしょう? その為にSATがいて、綾野剛くんなんか殺す気満々なワケだし……

バレたらクビどころじゃ済まないリスクを背負ってまで、そんな法案を通したがる理由がイマイチよく解んない。

まぁ足でピアノを弾ける位の人だから、その法案を足がかりにファシスト国家を築いてやろうとか思ってるのかも知れないけど、だとしたら尚更、もっと効率的な作戦を考えろよ!って思っちゃう、

なんか、世界征服を目指すショッカーが、その辺の子供たちを拉致して洗脳する事から悪事を始めてたみたいなw、なんとも気が長いというか地道というか、とにかく回りくどい! セコい!

その挙げ句、大森南朋隊長や綾野くんにあっさり作戦を見破られるわ、結局1人も犠牲者なしで終わっちゃうわで、黒幕がいくらなんでもマヌケ過ぎます。

だから近藤さんが滑稽に見えるし、そんな人に利用されてるテロリストのオダギリジョーくんもバカみたいに見えちゃいます。バカな敵は怖くないですから、せっかくのアクションシーンも緊張感が無くなっちゃう。

捨て駒にされた少数部隊が、クラシック音楽をバックにスローモーションで全滅させられて行くっていう、ハリウッド映画でよくあるシチュエーションを描く為に、無理やり捻り出した設定としか思えません。

そういう根本的な部分でつまずいちゃうと、もう何を見せてくれても乗って行けません。ガッキーか吹石一恵さんが脱いでくれるなら話は別ですが。

案の定、オダギリジョーくんが生き残り、何も解決しないままドラマは終わっちゃいました。ガッキーが登場した意味も特に無かったですね。

まず映画化ありきの連ドラであったとしても、面白ければ別に何の文句もありません。面白いと感じた視聴者が沢山おられるとしたら、それはそれで素晴らしい事です。

私はどうもダメでした。向井理くんの熱血演技も、薄っぺらいと感じてしまいましたm(_ _)m 吹石さんの父親役=本田博太郎さんのネバネバした芝居も気持ち悪かったですw

本田さんの芝居、いつ見ても気持ち悪いですw


☆追記(2014年の記事)

同時期放映の連ドラ『僕のいた時間』の主要キャラクター全員に共感して泣いたのは、皆それぞれが深く傷つき、葛藤して苦しんだ末に、それを乗り越え成長した姿を見せてくれたからだと、私は思います。素晴らしい!

一方、ちっとも素晴らしくないのが『S/最後の警官』ですよw 振り返れば、登場人物が誰1人として成長しないドラマでした。

私は最初の2話と最後の2話しか観てない、つまり2ヵ月近くも間を空けたのに、キャラクター達が(特に主人公の向井理くんが)全く変わってないもんだから、全然ブランクを感じずに済みましたw

変わった事と言えば、向井くんが吹石一恵さんとチョメチョメしちゃったこと位じゃないですか? しましたよね? 吹石さんとチョメチョメ。

吹石さんの、あの豊満な乳を向井くんは、当然ながら揉んだ事でしょう。揉みますよね? 吹石さんの乳。揉んで揉んで揉みしだくに決まってます。揉んでないとしたら、そりゃ正気の沙汰じゃないですよ。

私がもし、吹石さんの乳を目の前にすれば、きっと揉んで揉んで揉みしだくだろうと思います。神に誓います。揉んで揉んで揉まれて揉んで、揉み疲れて眠るまで揉みますよ!

だから向井の奴も間違いなく、吹石さんの乳を揉んで揉んで揉みしだいたに決まってるんです! あの野郎ーっ!!(激怒)

だけど私は、吹石さんの乳を揉む揉まないの問題は置いといても、向井くんを見てるとイライラして仕方ありませんでした。

相手が例え凶悪犯であっても絶対に殺したくないっていう、向井くんの主義主張は理解出来るんだけど、彼がその考えを押し通し、時には命令を無視して勝手に突入したりする度に、人質や仲間が生命の危険に晒されるワケですよ。全くもって本末転倒!

何より問題なのは、そんな向井くんを誰も咎めない事です。大森南朋隊長もNPSの仲間達も、その瞬間だけは「馬鹿野郎!」「勝手な真似を!」とか言うんだけど、事が済んだら「まったく、しょーがねえ奴だな」みたいなこと言ってヘラヘラ笑ってる。

おかしくないですか? 犠牲者を出さずに済んだのは、たまたま運が良かっただけでしょう?

これが『太陽にほえろ!』だったら、向井くんは確実にゴリさんのパンチを浴びて怒鳴られてます。人質や仲間の命はもちろん、自分自身の命を粗末にする行為が許せないからです。

「自分の命も大事に出来ない奴に、人の命を守れやしない!」

ましてや人質救出を専門とする特殊部隊なんでしょう? 勝手な行動を取ってチームの連携を乱すような人間を、咎めもしないで放置されたら、人質にされた一般市民はたまったもんじゃないですよ! ましてや吹石一恵さんの乳を揉みまくった男なのに! あの乳揉み野郎ーっ!!(激怒)

マトモな番組ならば、乳揉み男は隊長や仲間達にこっぴどく叱られ、落ち込んで辞職を考えたりなんかして苦しんだ末に、成長した姿を視聴者に見せるもんだろうと私は思います。

例えば寅さんみたいに、いつまで経っても(内面が)成長しない主人公も、いるにはいます。だけど寅さんの場合は、成長しないが為に孤独だったり家族に認めてもらえなかったり、その代償を払ってる事がちゃんと描かれてる。だから観客は共感出来るワケです。

ところが乳揉み男の場合は、あれだけ勝手な事して周りに迷惑を掛けても、何一つ代償を払わないばかりか、常に格好いいヒーローとして描かれてる。オマケに吹石一恵さんの乳を揉みまくりですよ!

おかしいです。絶対におかしい。自分の信念を貫くのも良いけど、時にはそれを犠牲にしてでも守らなきゃならないもの、優先しなくちゃいけない事が、あって然るべきです。乳揉み男には、そういうモラルが完全に欠如してる。

これと全く同じ違和感を、私は『あまちゃん』や『ドクターX』にも感じました。どちらもワガママ放題の主人公が何の代償も払わないで、ひたすらトクするばかりの(そして誰も成長しない)お話でした。

それを多くの視聴者が何の疑問も抱かないばかりか、高視聴率を取って国民的番組だとか言われてる現実に、私はマジで空恐ろしさを感じてます。本当にもう、世の中が解らない。日本人が解らない。

道徳観や価値観の問題は置いといても、誰1人として成長しないドラマを観て、面白いと感じちゃう人の感性が私には解らない。そんな作品を平気で世に出す創り手たちの神経も、私には解りません。解りましぇーん! 僕は死にまっしぇーんっ!!

「成長」を「進歩」と言い換えた方が、私のそんな疑問や絶望を理解してもらい易いかも知れません。初回から最終回まで観ても何一つ進歩しないドラマが、面白いワケないですよね?

『サザエさん』や『ドラえもん』の主人公達だって成長しないじゃん?って思われるかも知れないけど、そんな事はありません。あれは1話完結ですから、10分弱の間に主人公は成長を遂げて、次の回でまた振り出しに戻ってるワケです。

それがドラマってもんだと、私は思います。人は無意識に、ドラマの登場人物に対して成長(進歩)を求めてる。それが見られなかった時に、人は「ドラマがない」→「面白くない」と感じるワケです。

それが何故なのかは、私にも分かりません。たぶん、自分自身が進歩したいっていう願望を、誰もが根っこの部分に持ってるからじゃないでしょうか?

それより何より、本田博太郎さんの芝居が気持ち悪いですw


☆2019年の追記

その後、吹石さんの乳は福山雅治くんが毎日揉むことになりました。
 

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