ハリソン・フォードのポリス・ムービー第5弾は、ウェイン・クラマー監督による2009年公開のアメリカ映画。年齢からすると現役の捜査官を演じる機会はもう無いでしょうから、これがハリソン・フォード最後の刑事映画ということになります。
今回ハリソンが演じるのは、ロサンゼルスに本部を置くI.C.E. (移民・関税執行局) のベテラン捜査官=マックス・ブローガン。同じL.A.が舞台でも『ハリウッド的殺人事件』のロス市警とは全く別の組織で、正確には警察権は持つけど警察じゃない。日本におけるマルサみたいなもんです。
無数にいる不法滞在の外国人たちを取り締まるのが仕事なんだけど、情にもろく冷徹になり切れないマックスは、やむにやまれぬ事情を背負った不法就労者を捕まえ、アメリカから追い出す仕打ちに荷担することのジレンマに苦悩しつつ、それでも黙々と職務を果たしていくという、ハリソンの「どシリアス」刑事路線の集大成みたいなキャラクター。
ただし今までと違うのは、マックス捜査官だけが本作の主役じゃないという点。自身がイラン出身の移民であるマックスの相棒=ハミード捜査官(クリフ・カーティス)や、不法移民を守る立場の人権派弁護士=デニス(アシュレイ・ジャッド)、その夫で移民判定官を務めるコール(レイ・リオッタ)、そして様々な立場にいる不法移民たちそれぞれの視点から描かれた、ハリソンにとっては『アメリカン・グラフィティ』('73) 以来となる群像劇なんですね。
看板を背負うのはハリソンだけど、実質はアンサンブルの一角を担うだけ。むしろ主役は取り締まられる側の移民たちと言えそうです。
例えば I.C.E.により強制送還されるも、アメリカに残された幼い息子に会うため1人で国境を越えようとし、命を落とすメキシコの若い母親(アリシー・ブラガ)。
「9.11テロ実行犯たちの気持ちを理解したい」と宿題の論文に書いただけで学校から通報され、テロリスト扱いされて家族と引き裂かれちゃうバングラデシュ出身の女子高生(サマー・ビシル)。
中でも印象に残ったのは、ハリウッドスターを目指してオーストラリアから観光ビザでやって来た女優の卵=クレア(アリス・イヴ)のエピソード。
半年経ってようやく役を貰えそうになるも、必須条件とされる永住権の取得が大きな壁となり、ひょんな事で知り合った移民判定官のコールに「2ヶ月間だけチョメチョメの相手をしてくれたら(裏ワザで)グリーンカードを取得させてあげる」とそそのかされ、チャンスを逃したくない一心で同意しちゃう。
だけど前述の通りコールを演じるのは、あのレイ・リオッタなんです。画像8枚目をご覧下さい。あの顔と関わってタダで済むワケがありませんw
いや、今回のリオッタはあんな顔でも決して悪人じゃなく、マンネリ気味の日々にあの顔に見合った刺激が欲しかっただけ。なのにクレアにまじ惚れしちゃうわ、 裏ワザ=不正行為がバレて逮捕されちゃうわで、仕事も家庭もメチャクチャに。当然、クレアも女優デビューはおろか本命の恋人も失い、オーストラリアに強制送還されちゃう。
両者とも自業自得と言えば自業自得で、前述のお母さんや女子高生に比べれば悲劇性が薄いんだけど、だからこそ人間臭いというか、自分にも起こり得るトラブルとして身につまされました。
クレアを演じるアリス・イヴの体当たりヌードもさることながら、レイ・リオッタがあの人殺しを演じるだけの為に生まれて来たような顔で「妻とは別れるから」とマジ告白し、なのに「マジあり得ないから」と一蹴されて、いよいよマジギレして大暴れ(本領発揮)するかと思いきや、涙ぐみ、しょんぼり背中を丸めて去っていく、その超ダサい後ろ姿に私は共感しちゃいましたw(まさかレイ・リオッタに共感する日が来るなんて!)
現代アメリカの抱える(トランプ政権になって更に深刻化してるであろう)、そして今後の日本にとっても全く他人事じゃない、大きな社会問題をリアルに描いた真摯かつ辛辣な映画なのに、リオッタの顔を面白がるのは不謹慎なのかも知れないけど、まぁそれが私だから仕方ありません。
そんなワケで、ますます渋味を増したハリソンはさすがの存在感&安定感で作品を支え、敬遠されがちな重苦しい映画に多数の観客を呼び込む役目をみごと果たされたと思うけど、その演技自体は「いつも通りのハリソン・フォード」と言わざるを得ず、飛び道具のレイ・リオッタばかりが印象に残っちゃう結果となりました。
だけど移民問題の実態を知るには最適のテキストで、日本で働く外国人が増え続けてる今こそ、あらためて観直す価値のある作品だと思います。
セクシーショットはクレア役のアリス・イヴと、デニス弁護士役のアシュレイ・ジャッドのお二人です。
ハリソン・フォードのポリス・ムービー第4弾は、2003年に公開されたロン・シェルトン監督によるアメリカ映画。当時若手の注目株だったジョシュ・ハートネットとのダブル主演作です。
それまでハリソンが出演してきた刑事物は「どシリアス」な作品ばかりだったのが、ここに来て初めてライトタッチの作品に出てくれて、私はとても嬉しかったです。
なにしろオープニング曲がヒップホップなんです。初めて観たとき「うわっ、ハリソンの映画でラップがかかってる!」ってw、私は驚いたし時代の流れを痛感したもんです。ハリソンの使用拳銃もM10と同じS&W製ながら近代オートマチックで、ぐっとモダンになりました。
『エアフォース・ワン』('97) を最後に大ヒット作が出なくなり、マネーメイキング・スターの座を降りつつあった当時のハリソンだけど、だからこそこういうB級テイストの作品にも出られるようになったのかも知れず、売れるにも良し悪しあるんだって事が、1人のスターをずっと見続けてるとよく分かります。
ハリソンは根っから真面目な人らしいから、ご自分で作品を選ぶと自然とシリアスな方へ片寄っちゃうんだろうと思います。だけど元来「ハン・ソロ」と「インディアナ・ジョーンズ」でスターになった人なんだから、そういうコミック的キャラを演じた時こそ一番魅力を発揮するんですよね。
今回ハリソンが演じたのは、ロサンゼルス市警ハリウッド署の強盗殺人課刑事=ジョー・ギャビラン。腕利きだけど副業の不動産仲介に振り回され、どっちが本業なんだか判らない多忙な日々。
そしてその相棒を務めるのが、ジョシュ・ハートネット扮する若手刑事=K.C.コールデン。刑事としては半人前なのに副業で営むヨガ教室で高収入を得ており、実は俳優志望でハリウッドの大物たちへの売り込みに余念がない、これまた多忙な日々。
そんな二人が人気ヒップホップグループを狙った連続殺人事件を担当し、片や邸宅を売りながら、片や銀幕デビューのチャンスを探りながら、ついでに捜査して犯人を挙げるという、ハリソン映画史上おそらく最も不真面目なお話(なにしろ犯人とカーチェイスしながら電話で買い手と値段交渉してる)w
だけどこれは決してバカげた設定でもなく、アメリカじゃ警察官の副業が普通に認められており、ロス市警には実際に不動産屋を兼ねた刑事も俳優志望の刑事もいたそうです。笑えるようデフォルメはしてるにせよ、結構リアルなお話なんですね。
場所がハリウッドなだけにアメリカ芸能界の興味深い裏側も見えて来るし、これはなかなか面白い。ハリソン本来の軽妙な魅力に加え、相方のジョシュ・ハートネットもすこぶるチャーミングだし、アクティブさにおいてはハリソンの刑事映画の中で一番だし、これはもっと話題になりヒットして然るべき作品だったと思います。
ただ1つだけ残念だったのは、今回もハリソンと若手共演者、すなわちジョシュとの不仲説が流れてしまったこと。いや、説というより、ジョシュが「現場でハリソンにほとんど無視されてた」みたいなことをインタビューでバラしたのが話題になっちゃった。
だけどこれは「あえて距離を取った」とハリソン自身も語っており、決して名コンビとは言えないチグハグな(役柄上の)関係を演出する為の、言わば役作りだったみたいです。
そもそも共演者とは一切ベタベタしない、ビジネスライクな姿勢で知られるハリソンですから、フレンドシップを求める若手俳優から見れば「冷たい人」と感じるのも仕方ないかも知れません。恐らくブラピやジョシュは特にその想いが強く、過剰に反応しちゃったんでしょう。
と、いうような事はしかし、長年のファンでハリソンに関する記事を読みあさって来た私だから推理できることで、そこまでマニアックじゃないファンの多くが離れていく要因の1つには、多分なったでしょう。
そのちょっと前に2番目の奥さんとの離婚が報じられ、急にピアスを付け始めたりするハリソンには、この私ですら「おいおい、どうしたハリソン」ってw、正直思ってました。そりゃ人間ですから色々ありますよね。
『ハリウッド的殺人事件』に話を戻すと、ハリソン扮するギャビラン刑事の恋人を色気たっぷりに演じられた女優さんは、『存在の耐えられない軽さ』や『蜘蛛女』等で知られるレナ・オリン。清楚な人が選ばれがちなハリソンの相手役としては異彩を放っており、とても印象深いです。
ハリソン・フォードのポリス・ムービー第3弾は、1999年に公開されたアメリカ映画『ランダム・ハーツ』、名匠シドニー・ポラック監督による作品です。
ハリソンが演じたのはワシントン市警・内務捜査班の刑事=ダッチ・ヴァンデンブロック。
その日、出張でマイアミに旅立つ妻を見送ったダッチが、捜査に追われて忙しく動き回ってたら、あちこちのテレビで飛行機の墜落事故を報じてて、よく見りゃ落ちたのはマイアミ行きの便だったから驚いた!
急いで航空会社に問い合わせたら、その機の乗客名簿に妻の名前は無かったんだけど、それはそれでおかしいから妻の勤め先に行って聞いてみたら、マイアミへの出張仕事なんか誰も知らないって言うからまた驚いた!
残念ながら、やっぱり妻は墜落機に乗ってたのでした。しかも他人の姓を名乗って…… そう、妻は愛人と夫婦を装ってお忍び旅行に出かけ、バチが当たって事故に遭っちゃったのでした。
最初は他人事と思ってた飛行機事故から、次々とショッキングな事実がダッチに降りかかる、この序盤の展開が一番ゾワゾワして面白かったですw
だけど、本筋はここからなんです。妻の死はもちろんショックだけど、仲良くやってた筈なのに浮気されてたこと、そして人の嘘を見抜くプロである刑事の自分が、それに全く気づいてなかったことが何よりショック!
なぜ、いつから、どんな気持ちで妻は不倫をしていたのか? どうしてもそれが知りたくなったダッチは、仕事の合間を縫って妻とその愛人との関係を「捜査」し始めます。そして、妻の愛人の妻=ケイ(クリスティン・スコット・トーマス)に会いにいく。
政治家のケイは選挙を間近に控えており、また思春期の娘がいることもあって、浮気した夫のことなど一刻も早く忘れたいのに、ダッチはしつこく食い下がります。この辺りが、切り替えの早い女性とそうじゃない男性との違い、なのかも知れません。
で、妻と愛人が泊まる予定だったマイアミのホテルを突き止めたダッチは、そこにケイを誘う。んなアホな、来るワケないやんって思ってたら、来ちゃうんですよねw まさかこの二人、パートナーに裏切られた者どうしで恋に落ちるんちゃうやろな?って思ってたら、あっという間にそうなっちゃうから驚きましたw
「あなたに誘われて断る女がいるの?」なんて言われて、ニヒルに笑うだけのハリソンが二枚目すぎますw
さて、こんな二人に我々は共感できるでしょうか? いや、たとえパートナーの不倫相手の身内であっても好きになっちゃったら、そりゃ仕方がない。お互いパートナーを亡くしてる以上、これは不倫じゃないワケだし。
だからケイの方は良いとして、問題はダッチです。いくら刑事のサガとはいえ、もう終わってしまった妻の不倫を今さら、根掘り葉掘り調べたがる心理が私にはよく解らないし、ケイとチョメチョメしておきながら妻が忘れられずメソメソし、結局はケイも傷つけちゃうダッチには到底共感できません。
でも、共感は出来ないけど、それこそが男の本質なのかも?とは思います。「女々しい」という漢字は間違ってる、あれは男性にこそ当てはまる形容詞だって、有名人の誰か(美輪明宏さん?)が仰ったらしいけど、多分その通りです。
にしても、ハリソンが演じるキャラクターにはいつも無条件で感情移入しちゃう私なのに、今回のダッチ刑事だけは例外でした。
『デビル』の次に主演した『エアフォース・ワン』で理想的ヒーローの究極形とも言える米国大統領を演じたハリソンは、続く『6デイズ/7ナイツ』では遊び人を、そしてこの『ランダム・ハーツ』を挟んで『ホワットライズビニーズ』では初めて殺人犯を、その次の『K-19』ではソ連の冷徹な軍人を演じる等、明らかに固定されたイメージからの脱却を図っておられました。今回のダッチ刑事役もまた、共感しづらいからこそあえて選んだのかも知れません。
そのせいか『インディ・ジョーンズ』と『スター・ウォーズ』の新作を除いてはヒットに恵まれなくなるんだけど、替わりに役柄の幅がぐっと広がり、俳優としてはより充実した日々を過ごされてるようにお見受けします。
だから長年のファンとしては、脱アメリカンヒーローを模索するハリソンを応援すべきだし、それまでとは違うハリソンを受け入れ、楽しむべきです。そういう意味じゃ必見作の1つかと思います。
そしてご覧になった方には是非、ダッチとケイがとった行動についてご意見をお聞きしたいところです。
ハリソン・フォードのポリス・ムービー第2弾は、1997年に公開されたアラン・J・パクラ監督によるアメリカ映画。ブラッド・ピットとの2大スター競演が話題になりました。
今回ハリソンが演じるのは、ニューヨーク市警の実直なパトロール警官=トム・オミーラで、聡明な妻と三人の娘を持つ良き父親でもあります。
一方、ブラピが演じるのは幼い頃にIRAシンパの父親が眼の前でイギリス人に殺され、やがてIRAの活動家すなわちテロリストとなったアイルランド系の若者=フランシス・マグワイヤー、通称フランキー。
CIAにマークされたフランキーは偽装パスポートでアメリカに渡り、しばらく別人としてニューヨークに潜伏することに。そこで組織が手配した下宿先が、よりによって警官のオミーラの家。それ以上に安全な場所は無いだろうってワケです。
もちろん、オミーラはフランキーの正体を知らず、やっと男の家族が出来たと言って大歓迎します。そしてフランキーも亡き父親の面影をオミーラに重ね、二人の間には疑似親子みたいな感情が芽生えていく。
ところが銃器調達の取引相手とトラブったフランキーはそいつらにも命を狙われ、オミーラの家族を巻き込んじゃう。それでフランキーの正体を知ってしまったオミーラは、彼と対決せざるを得なくなるワケです。
私は決して悪くない作品だと思うけど世間の評価は厳しく、興行的にも2大ビッグネームを揃えた作品にしてはパッとしない成績に終わりました。撮影中からハリソンとブラピの不仲説が流れちゃったのが、けっこうな痛手だったかも知れません。
その不仲説の詳細は『エアフォース・ワン』のレビュー記事に書いたので今回は割愛しますが、要するに『刑事ジョン・ブック/目撃者』('85) の頃と比べてハリソンが大御所になり過ぎちゃった事による弊害だろうと私は睨んでます。
大御所になると、本人が何も言わなくても周りが忖度して色々やっちゃう。出演が決まった途端に「ハリソンが出るなら出番を増やさなきゃ!」「ハリソンが演じるキャラをもっと掘り下げなきゃ!」って、脚本に後から手を加えたりする。それでバランスがおかしくなっちゃった映画の典型例が、ハリソンが『デビル』の前に主演した『サブリナ』だろうと思います。
今回の場合、中盤でハリソン扮するオミーラが相棒と二人で銃を持った窃盗犯を追いかけ、射殺しちゃうくだりが如何にも後から足されたような感じがします。
犯人は途中で銃を捨てて丸腰だったのに、相棒がそいつを背後から撃っちゃった。その事実が明るみになれば相棒は警官でいられなくなる。悩みに悩んだオミーラは、真実を闇に葬り、代わりに自分が警官を辞める決意をする。
いい話なんだけど面白いとは言いがたく、重苦しい上に本筋と全く絡んで来ないから、そこで流れが思いっきり停滞しちゃうんですよね。
かようにクソ真面目な性格のオミーラだから、フランキーがテロリストである限り対決せざるを得ないんだ、仕方がないんだってことを言いたいんだろうけど、くどいです。
あの時期のハリソンはそんなキャラクターばかり演じて、その結果同じような芝居を繰り返す事にもなり、大ファンの私ですら食傷気味でしたから、余計にくどく感じちゃう。
実直なお人柄は見てりゃ判るんだから、それをわざわざ強調する時間があるなら、オミーラとフランキーの交流をもっとじっくり描いておくべきでした。その肝心な部分がおざなりにされてるのが、ストーリーの致命的な欠陥になり、主演者2人の不仲を裏付けるような結果にもなっちゃった。事実はどうあれ、世間はそう感じてしまう。
当時のハリソンとブラピは、映画雑誌における人気投票で共に1位、2位を競う存在でしたから、そんな2人によるせっかくのコラボが不発に終わっちゃったのは、あまりに勿体無いとしか言いようがありません。
10と10を足しても20になるとは限らない。いや、うまくいくことの方がかえって珍しい、2大スターの競演作にありがちな顛末でした。
なお、女優陣はオミーラの妻役にマーガレット・コリン、フランキーの恋人役にナターシャ・マケルホーンという顔ぶれでした。
ちなみにオミーラの使用拳銃はS&W-M10ミリタリー&ポリスの4インチ・ヘビーバレル。ミリポリがお気に入りなんでしょうか?(そういう趣味は無さそうだけどw)
1985年に公開され大ヒットした、ピーター・ウィアー監督&ハリソン・フォード主演によるアメリカ映画。第58回アカデミー賞の作品賞はじめ4部門にノミネートされた作品です。
『インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説』に続いて主演したこの作品で、ハリソンは初めてアカデミー主演男優賞にノミネートされ、アクションヒーロー以外の役でも魅力的に演じられることを証明し、俳優としてもスターとしても一気に株を上げて押しも押されぬ存在となりました。
また、このブログとしてはハリソンが初めて刑事を演じた作品としても外せません。SF映画『ブレードランナー』で演じたリック・デッカードも近未来の「特捜刑事」みたいに呼称されてますが、あれは警察官というより探偵、あるいは殺し屋と呼んだ方がしっくり来ます。
だからハリソンの純然たる「刑事ドラマ」としては、これが最初の作品。プロットは至ってシンプルなもので、オーストラリアの名匠=ピーター・ウィアー監督はハリウッドに出向いて「人気スター主演のプログラムピクチャー」を撮るつもりで臨んだのに、思わぬ高評価が舞い込んで逆に戸惑ったそうです。
ハリソンが演じたのはペンシルベニア州のフィラデルフィア市警・殺人捜査課に所属する中堅刑事=ジョン・ブック。ランカスター郡に実在する「アーミッシュ村」から母親=レイチェル(ケリー・マクギリス)と二人でボルティモアへ向かってた幼い少年=サミュエル(ルーカス・ハース)が、乗り換えで立ち寄ったフィラデルフィア駅のトイレで殺人現場を目撃してしまい、ブックはその捜査を担当することになります。
で、少年の証言により、犯人が同じ署の麻薬課に所属するベテラン刑事=マクフィー(ダニ―・グローバー)であることが判明。それを上司に報告した直後に命を狙われ、上司もグルであることを悟ったブックは、レイチェル&サミュエルを避難させるべくアーミッシュ村へと送り届けるんだけど、襲撃された時に撃たれた傷により気を失っちゃう。
で、19世紀式のお祈りと薬草によりw、何とか蘇生したブックは、傷が癒えるまでの間アーミッシュ村に身を潜めることになる。それで夫を亡くしたばかりのレイチェルと禁断の恋に落ちていくワケです。
なぜ「禁断」なのかと言えば、レイチェルがアーミッシュの女だから。キリスト教の非主流派として近代文明を拒絶し、非暴力主義を唱えて質素に暮らすアーミッシュの人々から見れば、大都会から来た暴力刑事であるブックはエイリアンそのもの。しかもレイチェルは未亡人になったばかりで、よそ者とすぐにチョメチョメするなど言語道断。もし結ばれたいなら全てを棄てなきゃいけないワケです。
それでも純真なレイチェルは、全面的に受け入れOKをアピール。だからこそブックは葛藤します。レイチェルが純真であればあるほど、そしてアーミッシュの素朴な生き方が好きになればなるほど、彼女からこの暮らしを奪えなくなっちゃう。
そうして我慢に我慢を重ねたブックがフィラデルフィアに帰ることを決めたその夜、二人の想いがついに爆発しちゃう。たぶん一晩中チョメチョメしまくった翌朝、殺しにやって来た悪徳刑事たちを撃退したブックは、なにも言わずにアーミッシュ村を去って行くのでした。
以上のあらすじに書いたブックやレイチェルの心情は、あくまで私が「多分そういうことだろう」と推測したものに過ぎず、セリフでは一切語られません。だからこそ名作なんですよね。もし語っちゃったらウィアー監督が仰った通りのありきたりな「プログラムピクチャー」で終わったかも知れません。
なのに、本作を初めて観た時の私はまだ20歳直前のガキンチョでしたから、いまいちピンと来ませんでした。数あるハリソン・フォード主演作の中で最もアクションが激しかった『魔宮の伝説』に続く作品だけに、ダーティハリーばりのバイオレンスがたっぷり見られるとばかり思ってましたから。
だけど今となっては、本作が心に染みる名作であり、ハリソンフォード・ファンの多くが「ナンバー1」に挙げる気持ちもよく解ります。ドラマとしての完成度は間違いなくトップクラスでしょう。
まずアーミッシュと呼ばれる人々が実在してる点にこの上ない説得力があるし、その生活ぶりがじっくり描かれることで刑事物らしからぬ映像美を堪能できるし、モーリス・ジャール氏によるシンセサイザー音楽がまた奇跡のマッチングぶりで、ちょっと他に類を見ない世界観なんですよね。
そして何より、タフなヒーローが似合いつつどこか不器用で、イケメンでありつつどこかイモっぽいハリソン・フォードの個性がこれほど完璧に活かされた作品も他に無いかも知れません。
翌'86年に『トップガン』で現代的ヒロインを演じるケリー・マクギリスも、'88年に『ダイ・ハード』でテロリストを演じるアレクサンダー・ゴドノフも本作が映画初出演で、不思議とアーミッシュの役がよくハマって輝きまくってます。
子役のルーカス・ハースも素晴らしいし、後に『リーサル・ウェポン』シリーズで世界一善良な刑事を演じるダニ―・グローバーの悪徳刑事ぶり、まだ全く無名だったヴィゴ・モーテンセン等、キャスティングの半端ない的確さがまた凄い、凄すぎる。
勿論、もはや無数に舞い込むオファー中から、一見地味な本作を選んだハリソンの選択眼も神がかり的だし、様々な要素の組み合わせが奇跡の化学反応を起こして傑作を生んだ、これはその典型例の1つかと思います。
この後、再びウィアー監督とタッグを組んだ『モスキート・コースト』は興行的に振るわなかったものの、ハリソンは『ワーキング・ガール』や『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』『パトリオット・ゲーム』そして『逃亡者』などのメガヒット作を連発し、いよいよハリウッドの頂点に君臨することになります。
だけどハリソンが最も輝いてたのは、俳優としてもスターとしても果てしない伸びしろを感じさせた、この『刑事ジョン・ブック/目撃者』の頃だったかも知れません。確かご本人もそんな風に仰ってたような記憶があります。
とにかくハリソンもケリーもお若い! まさにピチピチ&キラキラ状態で、それだけでも観る価値があり過ぎるぐらいあります。超オススメ!
PS. 本作でブック刑事が愛用する拳銃が、S&W M10ミリタリー&ポリスの2インチ旧型。何も知らずにいじろうとしたサミュエル少年に、ブックがその危険さを教え諭すシーンで、この銃が何度もクローズアップで映ります。
非常にクラシカルな拳銃で、'85年当時でもあまり活躍の場が無かったやも知れず、リボルバー好きのガンマニアには垂唾ものの映像であろうことをついでに記しておきます。私も大好きな機種で、モデルガンをいくつか持ってます。