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ハリソン君の素晴らしいブログZ

新旧の刑事ドラマを中心に素晴らしい作品をご紹介する、実に素晴らしいブログです。

『ひらいて』

2025-04-10 18:51:42 | 日本映画
 
2021年に公開された、首藤凜 監督&脚本による日本映画。『インストール』『蹴りたい背中』『勝手にふるえてろ』等で知られる芥川賞作家・綿矢りさ氏が2012年に発表された小説を実写映画化した作品です。

私がレビューするからには当然「百合」の要素が入ってるワケですが、これは残念ながら女の子どうしのピュアな恋愛を描いた作品ではありません。

ごく普通に同級生の男子に恋する、ごく普通の女子高生が、その男子に中学時代から付き合ってるカノジョがいることを知り、二人の関係を壊すためカノジョの方に近づいて百合チョメするという、かなり歪んだ青春ストーリー。









主人公の女子高生=愛に山田杏奈、初キスも初チョメも愛に奪われちゃうピュアな同級生=美雪に芋生悠、そしてフィギュアスケートの王子様によく似た許しがたいイケメン野郎=“たとえ”に佐久間龍斗が扮してます。









私が“たとえ”を許せないのはイケメンでモテるからであり、あくまで美雪を大切にする彼の人間性には何の問題もありません。

いや、むしろ、そうして外見だけじゃなく内面まで徹底して二枚目だからこそ私は許せないのかも知れません。(けっこうおバカさんな側面も終盤に明かされるにせよ)

主人公の愛が美雪にアプローチをかけ、初キスや初チョメを奪うのもきっと、彼女が自分よりも美少女(というか男好みのルックス)であるうえ内面もピュアで、さらに難病まで抱えてる“ヒロイン”ぶりが許せなかったから。

持って生まれた境遇や性格(つまり才能)にはいくら努力したって勝てやしない。両者が演劇部に所属してるのもそんな感情のメタファーかも知れません。







けど、嫉妬される側の美雪にだって当然、難病以外にもコンプレックスがある。長いこと付き合ってるにも関わらず、“たとえ”は彼女にスキンシップを求めて来ない。

そんな“たとえ”の心理を、愛がフラれた腹いせに鋭く暴いたシーンがあるけど、複雑すぎて共感できなかったせいか思い出せません。「実はインポだった」というシンプルな理由なら少しは彼を好きになれたかも?



“たとえ”がインポか否かはともかく、美雪は自分と肌を合わせてくれた愛にも想いを寄せていく。それがジェラシーによる策略だと判って大いに傷ついても、最終的には「触れられる嬉しさを教えてくれてありがとう」と感謝する。

つまり「人肌に優る癒やしは無い」っていう結論?

原作を読めばもっと深いとこまで考察できそうだけど、前回の記事(『アタシラ』のレビュー)にも書いたように、作品をいちいち正確に理解する必要は無いと、今の私は思ってます。

「パーフェクトな人間なんていやしない」がテーマかも知れないし、「手を出してこない彼氏には要注意(インポ率が高い)」というメッセージだと解釈するのも観客それぞれの自由。

ラストシーンで愛が美雪に言ったセリフが何回リピートしても聴き取れないんだけど、多分わざと聴き取れないように演出したんだろうと思います。そういう「あざとい」やり方も以前は大嫌いだったけど、今は「万人受けを狙うより挑戦的で大変よろしい」ってなもんです。

謎は謎のままでいいし、とにかくレズビアン・チョメチョメさえ観せてくれたら私は満足なんです。チョメチョメを。チョメチョメを。女どうしのチョメチョメを。おっぱいとおっぱいがくっつくチョメチョメを。

ちなみに本作はPG12指定(12歳未満の鑑賞には成人保護者の助言や指導が必要)というメジャー寄りの映画ゆえ、性描写はいたってソフト。おっぱいとおっぱいがくっついたりはしません。





ただし、愛が美雪を愛撫したあと、愛液のついた指先を念入りに洗うシーンは生々しくてエロかった。メジャー作品でそこまで踏み込んだ創り手と女優さんたちに拍手!

セクシーショットはもちろん山田杏奈さんと芋生悠さん。このブログには生田斗真主演の連ドラ『書けない!?』のレビューで山田さんが、そしておなじみ『警視庁・捜査一課長』のレビューで芋生さんがそれぞれ過去に登場されてます。





















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『アタシラ。』

2025-04-03 20:26:13 | 日本映画

またワケの解らぬ映画を観てしまった…… いや、レンタルするときにパッケージを観て、アート寄りの作品=難解であることは覚悟してました。目的はあくまで「レズビアンズ・チョメチョメ」ですから、内容はどうでもいい。そりゃまあ面白いに越したことは無いけれど。



以下、映画紹介サイトによる「解説・あらすじ」です。
舞台演出家としても活躍するヨリコジュン監督のオリジナル脚本作品で、ヨリコジュン監督が手がけた官能映画『花鳥籠』で体当たりの演技を披露した女優の森野美咲が再び主演を務めた。

自分では制御できない自分、遺伝子に苦しめられる人間をテーマに描いた作品で、森野は主人公A子のほか、A子の内面から派生した人格、性格の異なる3役に挑戦。A子を中心とした複雑でトリッキーなドラマの中で、さまざまな人間模様や性と生、死などを描いていく。





要するにアングラ系の舞台をそのまま映画にしたような感じで、若い頃の私はそういうのが大のニガテだったけど、今はけっこう楽しめます。

若い頃は理解できないのが悔しかったんでしょうね。それが歳を重ねるにつれ「別に理解する必要もない」って開き直れるようになった。

例えば『エヴァンゲリオン』みたいにわざと謎を散りばめ、実はそこに大した意味は無かったりする「ハッタリの美学」みたいな手法があることも学んで来たし。











主人公が悲惨なトラウマを抱えて無機質な部屋に閉じ籠もり、“孤立”の果てに暴走しちゃう構図は前回レビューした『アルビノ』と似てるかも知れません。

タイトルの『アタシラ。』はレズカップルを指してるんじゃなくて、3つの人格に分裂した主人公A子ひとりのこと。

確かに孤立は悲劇を招きがちかも知れないけど、『アルビノ』も『アタシラ。』もその恐怖を煽りすぎてるような気がします。あるいは作者自身が異様に怖がってるのか……

まったく的外れなことを書いてるかも知れないけど、それこそ作者の思う壺なんでしょう。









レズシーンには『アルビノ』ほどの意味も熱量も感じなかったけど、森野美咲さんの体当たりおっぱいとガイキチ演技は見応えあります。







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『アルビノ』

2025-04-01 18:30:53 | 日本映画
 
久々となる日本映画レビューですが、これは積極的にオススメできる作品じゃありません。特に、観てスッキリしないどころか憂鬱な気分にさせられたり、救いがないようなストーリーは敬遠したいと仰る方には「絶対観ない方がいい」と断言しておきます。

私自身も暗いのは得意じゃないんだけど、なんとなく「日本のレズビアン映画」をまたレビューしたくなって(詳しい内容はあえて調べずに)DVDを借りて観たら「うわっ、なんだこれは!?」と。ただでさえネガティブなものは避けたい時期に「しまった、うっかりした!」と、大いに後悔するほど本作の憂鬱さ、救いの無さは群を抜いてます。

けど、2回に分けて観るつもりが一気にラストまで観ちゃった(それだけ引き込まれた)のは事実だし、万人受け=当たり障りない“商品”で溢れてるメジャー界隈よりよっぽど刺激的で、ボケ防止には持って来いかも知れません。

少なくとも私は、そのストーリーが憂鬱であればあるほど、救いが無ければ無いほど、作者が一体どういうつもりで創作したのかを凄く知りたくなる。

もちろん、その作品に“魂”とか“熱量”を感じなければ冒頭数分で鑑賞をやめた筈だから、きっと何かメッセージが込められてると思うワケです。

それを読み解くにはストーリーを(サラッとだけど)結末まで書く必要があるので、憂鬱なレズビアン映画が大好きでネタバレを避けたい方や、救いが無いなら粗筋も知りたくないと仰る方は、ここから先は読まないで下さい。亀井亨監督による2016年公開の作品です。



小さな配管工会社に勤める技師の屋島(不二子)は自分が女性であることに違和感を抱えており、恋愛に縁が無いまま生理も止まってる今日この頃。

そんなある日、屋島は水道管修理の依頼を受けて訪ねた古い家で、若い女性の九(真上さつき)と出逢い、お礼に「I」というアルファベットを象った飴を貰います。

どうやら九は屋島に自分と相通じるものを感じたらしく、数日も経たない内にわざと水道管を詰まらせ、再び修理にやって来た屋島に黙ってキスし、屋島も黙ってそれを受け入れるのでした。







二人に相通じるのは同性愛者ということに限らず、両者とも片親で、屋島はしょっちゅうカネの無心に来るアル中の母親になけなしの給料を分け与え、九は同居する父親に支配されて性のオモチャにされている!



(学校の制服は変態オヤジの趣味=コスプレであり、演じてる俳優さんは成人女性ですからね、goo事務局さん!)

つまり屋島も九もそれぞれ親と共依存の関係にあり、屋島は先天的に、九は後天的に自分が“女性”として生まれた運命に苦しんでる。









そんな二人も身体を重ねる内に共依存の関係となっていき、屋島は九に「一緒にどこかへ逃げよう」と説得するんだけど、九は「どうせすぐに見つかるから」と頑なに拒みます。

せっかく大切に思えるパートナーと出逢えたのに、鳥籠みたいに小さな世界から飛び出せない二人。

そればかりか、九とのチョメチョメによってフェロモンが出て来ちゃった屋島は、同僚の最低チンポコ野郎にレイプされてしまう!





絶望の淵に立たされた屋島がふと、九と会うたびに渡されてたアルファベットの飴を並べてみたら驚いた!



「H」「E」「L」「P」

頑なに脱出を拒んでた筈の九が、実は屋島に助けを求めてた!?

すぐさま九の家に駆けつけた屋島は、今まさに彼女を犯してる真っ最中の最低ちんぽこ豚ファーザーの後頭部に、配管工事用の特大ハンマーを振り下ろすのでした。





工場のトラックで豚ファーザーの死体を森まで運び、車内で激しく絡み合う二人。ところがそのあと九は、なぜか豚ファーザーの死体にすがって泣きじゃくる。せっかく地獄の檻から救ってあげたのにと、屋島は混乱します。そして……

ちょっと仮眠したスキにトラックから消えた九を、必死に探し回った屋島が見たものは……!



荷台にあったロープで首を吊り、息絶えた九の右手には、3つのアルファベットの飴が握られてました。



「Y」「O」「U」

つまり九が飴に託した想いは「I HELP YOU」であり、豚ファーザーとの共依存を絶ち切りたいワケじゃなかった! ……と私は解釈したけど説明は一切されぬまま、突き放すように映画は幕を下ろします。





どうですか? これ以上は考えられないほどのバッドエンドで、「作者はこの2人を一体どうやって救済するんだろう?」なんて期待しながら観た私はエラい目に遭いました。

けれど、伝わってくる熱量がとにかく凄い。見過ごせない。何かしら必ずメッセージがある筈で、そうでなきゃスタッフ&キャスト(ことに主演の不二子さんと真上さつきさん)が浮かばれない。

まず私が感じたのは、彼女らに比べりゃ自分の置かれた境遇がいかに恵まれてるか!っていう、逆説的な励まし。

その次に、男という生きものが如何に愚かで、どれだけの女性たちがその犠牲になってるかっていう、まさに2025年現在でも変わらない社会問題に対する糾弾。



そしてもう1つ。親との共依存関係をやめられない心理は解らなくもないけど、同僚にレイプされながらその会社を辞めることも訴えることもせず、また九が父親に性的虐待を受けてるのを知りながら警察に通報しない屋島の、愚かさというか無知さ。

男性しかいない小さな工務店で働き、友達も恋人もつくらず、アパートにはテレビも無い。世の中には救済の場も存在することを、たぶん屋島は知らないんでしょう。九の場合は父親によって情報を遮断されてるのに対し、彼女は自らアンテナを外してる。

つまり、これは私自身も凄く耳の痛いテーマになるけど、“孤立”の成れの果てを描くことで“他者との繋がり”を促してる?と解釈出来なくもない。

実際、職場で同僚たちと一定の距離を保ってる私は、皆の間じゃ常識になってる些末なこと(例えば先日書いたMさん2号の正体とか)を後から知って驚くようなことが、ままあったりします。

友達も少ないし、そのこと自体は苦痛じゃないにせよ、無知であることの弊害は時おり感じてます。

作者が一番伝えたかったのは、そういうことじゃないかと私は解釈しました。そうでなきゃ観てしまった私自身も浮かばれません。



PS. ラストのどんでん返しで悲惨さが倍増する映画と言えば、フランク・ダラボン監督のアメリカ映画『ミスト』(’07) を思い出します。

正体不明のモンスターに追い詰められ、政府にも見放されたと思い込んだ主人公が一家心中を敢行し、さあ自分も死のうとしたところで救援軍が駆けつけるという究極のバッドエンド。

全てはそのための前フリだったと考えればエンタメ性を感じなくもないけど、この『アルビノ』がそうだったとすれば相当な悪趣味で、やっぱりオススメは出来ません。


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『相棒 -劇場版-』

2024-06-08 17:17:13 | 日本映画

劇場版の大ヒットがその人気を決定づけた刑事ドラマと言えば『あぶない刑事』と『踊る大捜査線』、そしてこの『相棒』も代表格の1つでしょう。

(どうでもいいけど連ドラを映画化するとフジテレビは“◯◯THE MOVIE”、テレビ朝日は“◯◯劇場版”、TBSは“映画◯◯”と表記する慣わしがあるみたい)

私は『相棒』という番組を「日本の警察ドラマを全て“刑事がただ突っ立って謎解きするだけの紙芝居”にしてしまったA級戦犯」としてずっと揶揄して来ましたけど、実は2008年に公開された劇場版第1作『相棒 -劇場版-/絶体絶命!42.195km 東京ビッグシティマラソン』は映画館で観てたりします。

当時はまだ両親が元気で休日はフリーだったし、隣町にシネコンがあったし(現在は閉鎖)、愛読してた年1回発行のムック「刑事マガジン」で猛プッシュされてた影響もあり、どこがそんなに面白いのか確かめたくなったんですよね。

今思えば「刑事マガジン」は東映の息がかかったムック(元はと言えばテレ朝&東映制作による特撮ヒーロー番組を特集した本のバリエーション)だから、同じテレ朝&東映の勝負作をプッシュするのは当たり前なんだけど。



観たら面白かったですw (脚本は『つばさ』『スペシャリスト』等の戸田山雅司さん)

そりゃ当時すでにTVシリーズがシーズン6まで数えてた人気作の、満を持しての映画化だからつまんない筈がないし、その確信が無ければいくらヒマでも観に行ったりはしません。

でも正直、あんなにヒットするとは思いませんでした。PR面で圧倒的に有利なテレビ局映画とはいえ、『あぶない刑事』や『踊る大捜査線』に比べると地味ですから。

明らかに客層が違うんですよね。つまり「大人の鑑賞に耐えうる作品」であり、それがちゃんと商売に繋がることを証明してくれた点が『相棒』の偉大さかも知れません。



警視庁内で“陸の孤島”と呼ばれる2人だけの特命係=杉下右京(水谷 豊)& 亀山 薫(寺脇康文)をはじめ、川原和久、六角精児、高樹沙耶、鈴木砂羽、木村佳乃、津川雅彦、そして岸部一徳ら当時のレギュラー&セミレギュラーキャスト陣が勢揃い。



東京ビッグシティマラソン大会が爆弾テロに狙われるストーリーってことで、有森裕子選手もゲスト出演。



そして内閣総理大臣を『はぐれ刑事』の平幹二朗さんが演じ……



もう16年も前の映画だからネタをバラすけど、爆弾テロの黒幕を演じたメインゲストが『特捜最前線』の西田敏行さん。それまで水谷豊さんとの共演はありそうで無かったかも?



映画が製作される数年前に起きた、紛争国に出向いた若い日本人ジャーナリストをゲリラ集団が拉致し、国に身代金を要求してきた事件をモチーフにした内容で、あのとき「自己責任だろ!」と被害者やその家族をさんざんバッシングした社会、そしてそれを放置した政府に対する復讐が西田さん(拉致されて殺されたジャーナリストの父親)の犯行動機でした。

練りに練ったミステリーの面白さだけじゃなく、そうした時事ネタを巧みに取り入れ、さりげなく作者の主張を滲ませる作劇にも『相棒』を「大人の鑑賞に耐えうる作品」たらしめた秘訣がありそうです。

ただし! ラスト近いシーンにおける長ったらしい“手紙の朗読”にはシラケました。それまで泣いてたのに「まだあるんかいっ!?」「しつこいぞ!」って思いました。

あれが私の言う「製作委員会システムの落とし穴」なんですよね、きっと。映画やドラマの本質をまるで解ってない素人(スポンサー企業の偉いさん)が「ここにもうひと押し“泣けるシーン”を入れろ」とでも注文したんでしょう。最後の最後に、つくづく残念です。



セクシーショットは西田さんの娘(つまり殺されたジャーナリストの妹)役で出演された、ゲストヒロインの本仮屋ユイカさん。劇中では初々しく見えたけど、すでに3年前にNHKの朝ドラ『ファイト』で主役を張っておられます。


 


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『踊る大捜査線 THE MOVIE』

2024-06-05 20:55:32 | 日本映画

'70年代を代表する刑事ドラマが『太陽にほえろ!』なら、'80年代は『あぶない刑事』、そして'90年代は『踊る大捜査線』ってことになるでしょう。

『太陽にほえろ!』が築き上げたスタンダードからハミ出た『あぶない刑事』と、打ち砕いた『踊る大捜査線』はどちらも刑事ドラマの流れを大きく変えた点で、なおかつ劇場版の大ヒットにより人気が決定づけられた点でも共通してます。

だからなのか、あるいは偶然なのか、『あぶない刑事』が映画で8年ぶりに復活した今年、なんと『踊る大捜査線』も12年ぶりに新作映画が公開されるんだとか。マジかっ!?

それ、観たいですか長嶋さん?

ん〜〜〜っ、どうでしょう!?

私自身が最初のTVシリーズに“どハマり”し、だけどその熱が映画化によってみるみる冷めていった点でも『あぶない刑事』と『踊る大捜査線』は共通してるんですよね。

『あぶない刑事』は近作の『さらば〜』と『帰ってきた〜』で原点回帰を果たし、我々オールドファンを魅了してくれたけど、『踊る大捜査線』は一体どうするつもりなのか?


「事件は会議室で起きてるんじゃない、現場で起きてるんだ!」

主人公=青島俊作(織田裕二)の名台詞が光る’98年公開の劇場版第1作『踊る大捜査線 THE MOVIE/湾岸署史上最悪の3日間!』は、TVシリーズの斬新さと面白さをうまく2時間に凝縮させた点で素晴らしかったと思います。

私は当時「ただの焼き直しやん!」って批判した記憶があるけど、今にして思えば「TVドラマを映画化する」にあたっては手本にすべき作品かも知れません。

ところが、これが想定外の大ヒットを記録したせいで、『踊る大捜査線』シリーズは本来の斬新さと面白さを失っていく。

過去の記事でさんざん愚痴ったから細かくは書かないけど、要するに創り手たちの姿勢が「ヒットしなくていいから新しいことやるぞ!」から「何が何でもヒットさせるぞ!」へと、あからさまにシフトチェンジしちゃった。

2作目の劇場版を観てホントに私は「魂を売りやがった」と感じたし、それがまんまと「日本の実写映画 歴代No.1ヒット」の座を今だにキープする興行収入を上げたもんだから「可愛さ余って憎さ百倍」ってワケです。

特に、TVシリーズと劇場版1作目には無かった「仲間」っていうフレーズが2作目以降は乱発され、あの悪名高い「少年ジャンプ」や「日曜劇場」を彷彿させる“お涙頂戴システム”が私をさらに辟易させたという顛末。

本来の『踊る大捜査線』は、そういう“万人受け”狙いの王道をひっくり返したからこそ面白かったのに!

なまじ劇場版1作目が大ヒットし、2作目から製作費が格段に上がった=勝手な注文をつけてくるスポンサー(それこそ“会議室”にいる連中)の数が増えたことが諸悪の根源。いわゆる「製作委員会」システムの落とし穴。

会議室の言いなりに動くしかない“下々の民”の悲哀をコミカルに描き、大いに我々を共感させたはずの番組が大作映画になったとたん、自ら進んで会議室にシッポを振るようになったという“現実”の皮肉。そうするしかない実情は解るけれど。

そんな『踊る大捜査線』を今さら観たいと思いますか?

ん〜〜〜っ、どうなんでしょう!?


しかも新作(2部作になるらしい)の主人公は青島ではなく、本庁のエリートで四六時中眉間にシワを寄せながらホッペを舌で膨らませてた、あの室井慎次(柳葉敏郎)なんだとか。ん〜〜〜っ、どうでしょう!?

確かに室井さんは第2の主人公と言える存在だけど、それは対極に青島っていう熱血漢がいればこそ光るキャラクターなワケで、スピンオフでも客が入った全盛期ならともかく……


もし青島を出せない事情があるなら、いっそ恩田すみれ(深津絵里)を主役にした方がファンの興味を引くのでは? それなら私も「ん〜〜どうでしょう、観てみたいかも!?」って思うかも?


柏木雪乃(水野美紀)という第2ヒロインだっているし、TVスペシャルに登場した内田有紀さんやフレッシュな若手女優も加えて“女性の時代”に相応しい『踊る大捜査線』なら「ん〜〜っ、観に行くでしょう!」って言いますよ、きっと。

別にギバちゃんが嫌いなワケじゃないけど、四六時中眉間にシワを寄せながらホッペを舌で膨らませてる爺さんの映画を、いったい誰がわざわざ観に行くの?って思う。


最初の頃は大いに笑わせてもらった、通称“スリーアミーゴス”(北村総一朗、小野武彦、斉藤暁)のコント芝居もシリーズ末期にはウンザリしたもんです。


これでもかと“哀愁”を漂わせる和久さん=いかりや長介さんの芝居にはTVシリーズの頃から「あざとさ」を感じてたし、劇場版2作目に至っては単なる“名言生産マシーン”にしか見えなかった。(彼に名言を吐かせるためのお膳立てが何よりわざとらしい!)

こんなに悪口ばっか言っちゃうのはホントに最初のTVシリーズが大好きだったからこそで、前述の通り「可愛さ余って憎さ百倍」なんです。


犯人役の“意表を突いたキャスティング”も劇場版1作目の小泉今日子さんまでは楽しめたけど、2作目の岡村隆史さん以降はやっぱり「あざとさ」しか感じなかった。創り手の変わり身とその下心は、確実に伝わるんですよ。特に熱心なファンには!

今回の記事は「踊る大捜査線まで(あぶデカと同じく)完結を謳ったクセに復活しちゃう!」っていう事実を皆さんに伝えるだけのつもりだったのに、結局また恨みごとを書き連ねちゃいました。

繰り返しになるけど、それほどTVシリーズは革新的で面白かった。テレビにはテレビならではの良さがあるんです、ホントに。


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