訪問したのは2016年5月22日、資料を見ながら、喜茂別町内の歴史的史跡、あちこち巡った。
(1)「南部団体開拓の碑」
説明案内
「明治35年(1902)4月鷹羽喜太郎氏を団体長とする南部団体(岩手県岩手郡本宮村を通信とした)が、當時の上尻別に入植を果たしたのが喜茂別町への団体入植の最初であった。・・・(中略)・・・この碑は、昭和43年9月に原上尻別地区の住民が主となり建立されたが、昭和56年、現在地に移設された。
平成11年11月喜茂別町教育委員会
(2)庚申堂
喜茂別郷土研究会発行の「ヌプリ」1号には「北海道には珍しい庚申碑」と記述されている。
建立の由来について
「しりべつのこの付近には四国の人が多かったので、弘法大師を信仰し、毎月20日にはだいし大師溝を「開いていた・・・。この尻別にもの農神として庚申を祀ろうと昭和2年(1927年)交流した・・・と説明。
(3)国鉄胆振線喜茂別駅跡地
旧跡・みちしるべの案内版
「喜茂別駅(旧西喜茂別駅)は私鉄胆振鉄道(京極~喜茂別間)開通した昭和3年(1928年)に開業。当時の役は「いびっこ広場」付近にあった。胆振縦貫鉄道「京極~伊達紋別)開通の折り、移転することになり、喜茂別中心街から北側へ移った。
(4)地神の碑・馬頭碑
説明版
「地神さん(ヂンシサン・ヂジンサン)は徳島県特有の農神で「小彦名命」(すくなひこのみこと)、「大巳貴命」(おおなむらのみこと)、「天照皇太御神」、「埴安魂命」(はこやすひめのみこと)、「稲倉魂命」(いなくらだまのみこと)を祭り神として大正5年(1916年)9月に建立された。
作物の生育を祈り、収穫に感謝し、日々の暮らしを守り幸せをもたらすとされ、心の支えとなった。
「馬頭碑」は、農家の財産、家族の一員である馬の生前の苦労を偲び、魂のやすらかなることを願い建立され、地神と合わせて信仰された。
平成12年喜茂別町教育委員会
この後、比羅夫神社や喜茂別町初の入植者である阿部嘉左ヱ門さんの祀られている所を訪ねた。
(1)「南部団体開拓の碑」
説明案内
「明治35年(1902)4月鷹羽喜太郎氏を団体長とする南部団体(岩手県岩手郡本宮村を通信とした)が、當時の上尻別に入植を果たしたのが喜茂別町への団体入植の最初であった。・・・(中略)・・・この碑は、昭和43年9月に原上尻別地区の住民が主となり建立されたが、昭和56年、現在地に移設された。
平成11年11月喜茂別町教育委員会
(2)庚申堂
喜茂別郷土研究会発行の「ヌプリ」1号には「北海道には珍しい庚申碑」と記述されている。
建立の由来について
「しりべつのこの付近には四国の人が多かったので、弘法大師を信仰し、毎月20日にはだいし大師溝を「開いていた・・・。この尻別にもの農神として庚申を祀ろうと昭和2年(1927年)交流した・・・と説明。
(3)国鉄胆振線喜茂別駅跡地
旧跡・みちしるべの案内版
「喜茂別駅(旧西喜茂別駅)は私鉄胆振鉄道(京極~喜茂別間)開通した昭和3年(1928年)に開業。当時の役は「いびっこ広場」付近にあった。胆振縦貫鉄道「京極~伊達紋別)開通の折り、移転することになり、喜茂別中心街から北側へ移った。
(4)地神の碑・馬頭碑
説明版
「地神さん(ヂンシサン・ヂジンサン)は徳島県特有の農神で「小彦名命」(すくなひこのみこと)、「大巳貴命」(おおなむらのみこと)、「天照皇太御神」、「埴安魂命」(はこやすひめのみこと)、「稲倉魂命」(いなくらだまのみこと)を祭り神として大正5年(1916年)9月に建立された。
作物の生育を祈り、収穫に感謝し、日々の暮らしを守り幸せをもたらすとされ、心の支えとなった。
「馬頭碑」は、農家の財産、家族の一員である馬の生前の苦労を偲び、魂のやすらかなることを願い建立され、地神と合わせて信仰された。
平成12年喜茂別町教育委員会
この後、比羅夫神社や喜茂別町初の入植者である阿部嘉左ヱ門さんの祀られている所を訪ねた。