気紛れ貴婦人願望バーバの徒然草~カムイミンタラに憧れ、悠々自適人になりたい

ご訪問いただきありがとうございます。安政の探検家松浦武四郎足跡を訪ね、音楽と自然、いにしえのロマンを愛する旅人です。

美幌 「峠の湯」松浦武四郎の宿営の地 2011年9月9日

2012-03-17 22:19:19 | 旅行
 弟子屈のアイヌコタン資料館や以前訪れた和琴半島の松浦武四郎の描いた「チライ」の図のある所へ行きカメラに収め、次の予定地である美幌峠へ向かった。
 峠の頂上の展望ハウスで遅めのランチをいただき、目的の美幌「峠の湯」前にある松浦武四郎宿泊の地の石碑に着いた。
 石碑の説明文には宿営の由来が書かれている。
『松浦武四郎は蝦夷地調査の安政五年(一八五八年)五月十三日、津別から弁慶岩を通り、ビホロのアシリコタン(新しい集落の意)に至り家主シュイベリキンのところで一夜を過ごす。
松浦武四郎著 戊午日誌「安加武留字智之誌」によると最上ニシパ(徳内)近藤ニシパ(重蔵)等には度々逢、最上ニシパはシャリ(斜里)に越年したが、其節は度々行て逢て、此山
の事を話し、間宮ニシパ(林蔵)はクスリ(釧路)の山々を歩行給(ふ)時に附て歩行、また大塚惣太郎様は我が家にて滞留も致され候等、審に語りぬるに、大に我も益を得て、一夜をおもしろく明しぬ。」と記している。 これを4記念し、この建立する。  
           美幌町郷土史研究会

美幌峠の湯の前にある石碑

美幌博物館に寄り、松浦武四郎に関する資料を求めた。

=参考=
松浦武四郎著「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中」秋葉實解読では
 「ヘテロコピ 此川二すじに成り右の方は本川、左の方にピホロ川すじのよし。爰にて金鳥西に落ちかかりけるまま上陸して一夜するに、夜にて鹿多く来る。また其辺り細道多き故に是を聞んい皆カツクミ、ピホロ土人の猟路なりと。夕方鱒七八頭にチライ二頭を取り喰す。
(中略)・・・反樽の酒に興を催し、夜五ツ(20時)前に漸々臥す。」翌朝網走湖へ回っている。

私たちも網走湖の方に向かい、松浦武四郎のように野営スタイルではないが・・・予約していた呼人にある網走湖荘にお世話になった。