気紛れ貴婦人願望バーバの徒然草~カムイミンタラに憧れ、悠々自適人になりたい

ご訪問いただきありがとうございます。安政の探検家松浦武四郎足跡を訪ね、音楽と自然、いにしえのロマンを愛する旅人です。

松浦武四郎の足跡(道央・十勝エリア)-1千歳~佐幌2011年9月4日

2011-11-23 11:39:05 | 日記
2011年9月4日、出発した。退職後時間に追われないゆっくり旅を夢みて、道東方面の松浦武四郎の足跡を夫が資料作る。出発時は快晴のドライブ日和だったが、予想通り台風が北海道に上陸する前日ということになった。雨にも負けず、尊敬する武四郎の足跡に出逢いたいという一心のみ。
 千歳で一泊し、アウトレットモールに寄り道。翌朝、7時ホテル出発し、千歳川に架かるサーモン橋の武四郎のレリーフに逢いに行った。(二度目の再会である)レリーフは4枚ある。

 次の行先は新得町の佐幌ダム奥にある野営の地である。トマムの高速はまだ開通していない時期であったので、夕張まで高速を利用して、国道274号線から樹海ロードに入る分岐を左折して、R237から占冠、落合から狩勝峠に入るが、大雨になる。サホロダム方向へ進む。ダムを過ぎると目印はないのだが、紫紺橋を通り越して林道を進む。松浦武四郎の野宿の地の青い銅板の案内標識があったが、そこから林道に270m進むと勘違いして、真直ぐ奥へ進んだ。(林道に面して石碑がある・・・思い込んだのだ。)1~2㎞以上進んでも見当たらない。熊笹の藪に埋もれているのかと目を凝らした。同じ道を戻り見落としたのでは・・・と元の看板へ戻った。よく見ると、看板から右奥に笹刈りをした大きな道があった。誰も歩いた形跡がないが私は登山靴、夫は長靴を履いて歩いた。間もなく目的の野営の地の石碑があった。看板の所にあるタイヤ痕は大きく深い泥濘に我が家の愛車RV車が埋まった証のトレース。
(ここではSOSを発しても、JFの助けはどうなのか・・・最悪は免れた。私一人で車の後押しをするか・・・と覚悟までした。夫は平気で、四駆だよ!!(車の性能知っとけ・・・ですか)

青い案内板には「函館奉行から東西蝦夷地山川地理取調の命を受けた幕末の探検家松浦武四郎が安政五年(1857年)六度の蝦夷利入りをし、同年三月十三日(太陽暦の四月二十六日)に残雪きらめく狩勝国境を越え、新内の一の沢を下って、この地に足を踏み入れた。和人としては初めての狩勝越えである。
 同行者は石狩詰下役の飯田豊之助と案内のアイヌ○○(※読み取れない部分)十人、函館を出発して五十日目、ときに武四郎四十歳であった。
 武四郎が書いた当時の記録「戊午東西蝦夷山川地理地取調日誌」によると一の沢が合流する付近の佐幌川は幅が七、八間(一間は約百九メートル)分け入り(文字が不明瞭であるが・・・)トドマツの多いこの地に野宿したとある・・・」とあった。  
                昭和六十ニ年十月  新得町
                             新得郷土研究会調査