ささやかな幸せ

SUPER EIGHT、本、美術鑑賞、俳句、お茶が好き!
毎日小さな幸せを見つけて暮らしたい。

阪神淡路大震災の日

2015-01-17 22:20:22 | 日記
出勤時、駅に震災メモリアルウォークの案内の人とセンター試験会場となる大学への案内の人がいました。
今日は、センター試験と私立中学の受験日であり、阪神淡路大震災20年の日です。
職場では、いつも1・17と3・11は、正午に黙祷をします。今年は、朝礼時に、被災した職員が体験を話し、黙祷をしました。当時は、あちこちで道が寸断され道が大渋滞だったが、「救援物資搬送中」の横断幕を掲げたトラックは皆よけて通してくれたという話にじんときました。

あの日。私は、当時東京に住んでいました。九州に住んでいる母から電話があり「神戸で地震」と聞き「神戸で地震がおこるわけないやん」と言ったと思います。「ちがうんや。とにかくNHKを見てみ」そして、神戸にいる妹と連絡が取れないと。テレビを見た私は「なんで、神戸なん?妹は?」と思いました。
その後、妹から母に電話があり「無事。怪我なし。箪笥以外すべて倒れ、ガラスが散乱している」と母から聞きました。そして、テレビで茫然と映像を見ていたと思います。高校へ通っていたバス道が、三宮が、アルバイト先が、無残な姿をさらしている。高校の友達は?大学の友達は?
それから、両親は妹が心配で九州からやってきます。交通機関がなく歩かないといけないので なるべく身軽にと救援物資を持たないで来たのでしょうが、当時は「水や食料くらい持っていきなよ」と両親に怒りを感じたことを思い出します。今なら、両親は妹が心配で とにかく会いにいこうと思ったのだとわかりますが。
そして、妹は両親と九州に一時避難します。すると、安心したのか私の体に不思議なことがおこりました。阪神淡路大震災の映像を見ると涙がとまらなくなったのです。被害にあっていない私が泣いていては、被災者の方に申し訳ないと思うのですが、涙が止まらず、一月ほどは映像を見ることができませんでした。

それまでの私は、自分に余裕があれば、困っている人を手伝おうと思っていました。急いでいる時は、構っていられないと。けれども、阪神淡路大震災で皆が助け合っている姿を見て、「困っている人がいれば、まず手をさしのばそう、手伝ったからってそんなに時間がかかるわけないし」と思うようになりました。震災から20年たった今、改めてその当時の気持ちを思い出し、実践できているかと自分に問うています。

コメント
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