生涯いちエンジニアを目指して、ついに半老人になってしまいました。

その場考学研究所:ボーイング777のエンジンの国際開発のチーフエンジニアの眼をとおして技術のあり方の疑問を解きます

メタエンジニアの眼(15)「台湾の主張」

2017年02月03日 13時14分03秒 | メタエンジニアの眼
「台湾の主張」[1999] 著者;李登輝

発行所;PHP研究所 1999.6.17発行
初回作成年月日;H29.2.3

 この書は、図書館のリユース本放出日で入手した。当日はお年寄りが集まるのだが、目当てはかつてのベストセラーや小説。しかし、私の目当てはかつての大型本か単行本の名著なので、毎回数冊を入手することができる。これは、その中の一つだった。
 


台湾には数回出かけた。特に故宮博物院は4回ほど訪ねた。団体では見どころが決まるので、個人で行くことにしている。特に最上階のカフェは、雰囲気も待遇も最高で、必ず寄ることにしている。
 
 李登輝は、その行動が日本でも新聞をにぎわした記憶があるが、じっくりと主張を知る機会は無かった。歴史的に見て、中国人(漢人)の考え方には深い興味を覚えている。日本に比べて、大陸的といえばそれまでなのだが、戦略的なところが優れているように思う。もう一つの興味は、台湾の不安定な立ち位置が、その場考学の題材になるということだ。中華民国という呼称が、いつの間にか消えたが、台湾では生きている。中華人民共和国が、そのうちに中華民国になるかもしれない。その場の判断が、他の国に比べて大きい。
 
 彼の主張には、多くの台湾人と同じ、日本での教育の影響がある。それは、現代日本の教育ではないし、戦争中の狂信的なものでもない、冷静なものだ。そこからの、現代日本への警告も含まれている。

 台湾の歴史は簡明である。16世紀に中国本土からの移民が始まり、清国の時代に急激に膨張した。
 
 『もともと台湾に住んでいたのは先住民だけだった。その先住民も、文化的にはいくつも分かれていた少数民族の集まりだった、十七世紀頃になると、中国大陸の福建省や広東省あたりから漢民族の移住が始まり、一時的にはオランダが統治に意欲をみせ、さらには明の遺臣である鄭成功が政権をつくったこともあった。
 
 漢民族が大勢住むようになったのは、中国が清の時代になってからである。それまではせいぜい十数万でしかなかった漢民族人口は、この時代には二百数十万に増えたと言われている。
 
 そして、1895年には日本統治時代を迎え、1949年には中国大陸から国民党がやってきてさらにさまざまな民族・文化を受容しながら、半世紀後に現在のような「新しい台湾人」の台湾が存在するようになったのである。』(pp.196)
 
 台湾の先住民族の複雑さには、先日の天理市の博物館で、その詳しい地図を見て驚いたほどであった。まさに、超多様性の受容になっているのだろう。また、オランダ統治時代の政庁も、無理を言って見せてもらったことがある。

 冒頭では、彼の政治学が語られている。そして、「私は政治家ではない」と断言をしている。つまり、中国での政治とは、「人民を管理すること、人民をいかに支配するか」なのだが、彼の主張は、「一心一徳団結」、「中華民族の時代作り」であった。しかし、経歴は、台北市長 ⇒台湾省主席 ⇒国務大臣 ⇒副総統 ⇒総統、であった。
 
 以下は、彼の主張を断片的に列挙する。
 
 『大陸が現在目指している方向に根本的で深い矛盾があることも、台湾をよく見ることによって気がつくはずである。「台湾経験」すなわち「台湾モデル」とは、単に台湾のためだけものではない。中国人すべてのものであり、将来、統一された中国のモデルに他ならない。』(pp.122)
 この主張で、現在の中国政府からは極端な警戒を受けていた。

 この書が発行される当時の日本に対しては、「なぜ日本は停滞しているのか」の節を設けている。
 
 『ものには順序がある。問題がつながっているからといって、あれもこれも一緒に解決するわけにはいかない。なにを先決にするか、そしてその後はどのような順序で解決してゆけば一番スムーズに運ぶのか。その優れた例を世界に示してきたのは、他ならぬ日本だったはずだ。最近の日本は、こんな初歩的なことも忘れてしまったように思われる。』(pp. 145)
 
 まさに、戦術を始める前の、戦略的な思考だ。彼は、その主因として、世襲制が顕著な政治家とOBを主体とする官僚組織を挙げている。つまり、そのために社会全体が多様性を失っているということなのだ。そして、「強さを取り戻す方法」についても述べているが、そこは省略する。

 『経済において発揮されたのも、この真面目さであり、また政治においてみられるのもこの真剣さに他ならない。しかし、こうした真面目さや真剣さによって作り上げられた各部分は優秀でも、部分を組み合わせて全体で実践に移す場合には、また別の要素が要求される。私にいわせれば、この別の要素とは、日本人が考えているような「能力」ではない。もっと精神的なもの、いわば信念といったものによって支えられているのである。』(pp. 158)
 まさに、明治維新以来の日本の教育を思わせる、と同時に、これは「その場考学」とメタエンジニアリングの考え方の基本になっている。

 『一生懸命に勉強し、政治の世界で必要とされることを身につけ、経済的な問題をも分かるようになって、とうとう総理大臣になることができたとしよう。それでは、この人物は何をするのだろうか。総理大臣になることが目的ならば、そこで終わりなのである。実に馬鹿げた話ではないだろうか。
 
 目的と手段が混乱してしまい、せっかく総理大臣になってもなにをすればいいのか分からない。(中略)率直に言って、日本の政治はあまりにも行儀正しくて、非常に細かいことをきめこまかくやりすぎる。そしてまた、政治家が育っていくプロセスも同じで、あまりにも小さく細かいことにこだわりすぎる。』(pp160)
 
このことは、まったくその通りに、日本でのエンジニアの世界にも、会社内の上昇志向の強い人たちにも当てはまっていると思う。

 このために、日本は世界で起こっていることへの大局的な見方が不得手だと指摘している。その例として、「香港の急激な変化を甘く見ている」、「シンガポール経済の借金過多企業の実態」、「北朝鮮の意図」などが挙げられている。
 そして、『アメリカに対する追随外交によって、かえってアメリカというものが分からなくなっている。日本は、政治的にはアメリカのアジア戦略の中に位置づけられており、ソ連崩壊後のアメリカにおけるアジア戦略は、日本を中東まで及ぶ広い地域の中で位置づけている。』(pp. 188、順不同)

 あとがきでは、このように結んである。
 
 『もう少し若い人に引きつけていえば、自我の強すぎる人間は「自己を中心とする」観念を、「社会を中心とする」観念に切り替えることが必要だということに他ならない。自己肯定の中に社会中心の考え方を持ち込むことで、社会のために国民のために活動しようという意志と情熱が生まれるのである。現代社会の諸問題について考えても同じことがいえる。』(pp.227)



その場考学のすすめ(04) その場考学と鼎

2017年02月02日 08時04分02秒 | その場考学のすすめ
その場考学のすすめ(04)その場考学と鼎

 入社式の挨拶で良くつかわれる言葉に、「T型人間になれとか、π型を目指せ」などがある。

 TはTechnologyのTでもあるが、この場合には、一般常識やリテラシーを示す横棒と、専門を深く極めるという縦棒をしっかりとくっつけることを意味する。πの場合には、足となる専門が二つ、すなわち複数の専門をマスターしろとの意味が加わる。車には両輪が必要といったところだ。しかし、メタエンジニアリングを考えるときには、それだけでは大いに不足である。

 図を見ていただきたい。もう一本足を追加して、3本足で安定して立ち続けること、大きな二つの耳を持つこと、そしてそれらすべてを繋ぎとめる大きな胴体(知恵袋)があること。それが鼎である。3本目の足の中味については,後に述べる。



「鼎の軽重を問う」という古語がある。中国の春秋時代の半ばに、楚の王が周の都である洛陽に近づいた。周王の使者が楚王に面会したところ、楚王が「周王室伝来の鼎の軽重を問う」た。これは、王室の権威を問うたものであったのだが、周王の使いは、「権威は鼎の重さではなく、徳の大小にある。」と答えて、天下の王はまだ周王室にありとの意思を示した。

 この事からこの言葉は、ある地位や役職に就いている人の権威や資格を疑うこと、とされている。

 鼎とは、一般には「かなえ」と呼ばれるが、青銅器の正式名としては、「てい」と読む。肉などを煮て、供献用の料理を作る事に用いられた、一種の鍋である。歴史は古く、紀元前2000年ころの二里頭期という時代から存在したが、もっとも盛んだったのは、紀元前1700年ごろから始まる商の時代と言われている。
 
 中国の古代青銅器は一点では真価が問えず、セットで見る必要がある。それは、天子は九鼎八簋、諸侯は七鼎六簋など、身分によって礼器の数が決まっていたからである。簋は「き」と読み、穀物を盛る皿を表す。
 
 興味のある方は、奈良国立博物館をお勧めする。旧館(昨年から仏像館として新装れて、見やすくなった)の十四室と十五室の二つを占める、世界的にも見事な坂本コレクションを楽しむことができる。さらに、専門的な見方に興味がある方は、京都の泉屋博古館をお勧めする。住友宗家の当主が収集したもので、数も内容も国立博物館を超えている。そして、案内嬢の説明も見事なものだった。4部屋に分かれた展示室も、それぞれに特徴があり、時を忘れさせる。




 鼎の形状と文様は、長らく私が設計技術者教育に使用していたものだ。
 T型やπ型では、真に役立つものを設計し、商品化することはできない。

 I型 = 4力、材料、制御、物理、化学などの基礎工学
 T型 = I + 経済、法工学、国際関係、倫理などの教養(リベラルアーツ)
 π型 = T + 流体、熱、ロボットなどの特論(応用時の問題解決法)
 鼎型 = π + MOT,QE,VE,QFD,TRIZ(開発ツール)

 その場考学研究所のトレードマークの鼎を示す。

 左は、台湾の故宮博物館のお土産品。右は、高岡の銅器の専門店で見つけたもので、饕餮紋(とうてつもん)がはっきりとしている。すべての知識を収納している胴には、見事な眼も口も牙もある。




 饕餮とは、体は牛か羊で、大きく曲がった角、牙、そして何よりも目立つ大きな眼などを持つ怪獣。饕餮の「饕」は財産を貪る、「餮」は食物を貪るとの意味を持つ字。何でも食べる猛獣がその場考学やメタエンジニアリングには相応しいと考えてのことだった。


「GEやRolls Royceとの長期共同開発の経験を通して得られた教訓 (その5)」

【Lesson5】設計技術だけなら勝つことができた(Rolls Royceとのタービン基本設計[1980])
 
 エンジンの基本設計は,全体性能が決まった後の各要素のパラメータ・スタディから始まる。特に,最後尾の低圧タービンは,最後のつじつま合わせの機能があり,パラメータの変動範囲が広い。RRのタービンチームと数週間にわたってこの作業が行われた。

 未だ,インターネットはおろか,ファックス通信もままならぬ時代で計算はRR任せだったのだが,どう考えてもおかしな傾向が表れていた。数回異論の理由を説明したが,RRの回答ははかばかしくなかった。しかし,ある時「社内の計算式のプログラムにミスがあった。あなたの主張は正しい」といって新たな結果を持ち出してきた。議論は無事結論を得て,設計パラメータはすべて決まったが,その2週間後に,タービン設計部長はRR社を突然退社した。なんと,分子に入るべきレイノルズ数が分母に入っていたのには驚いた。
 
 その後も,各分野で基本設計が進められたが,日本側の担当者は皆若く,修士課程などで最新の解析手法を身につけた者ばかりで,議論は伯仲した。しかし,最終的には経験が判断を決める場面も多くあった。
エンジンは,最低でも40年間は規定通りの性能を保たなければならない。40年間にどのような想定外のことが起こるかは,経験でしか知ることのできないことなので,当然のことにも思える。
 
 しかし,1989年のベルリンの壁崩壊で状況は一転した。このとき,丁度Boeing777用のエンジンである世界最大サイズのGE90の開発が始まった。日本を除くその後の世界の航空機産業の落ち込みは,すさまじいもので,多くのベテランがBig3から去ってしまった。一方で,日本側3社では優秀な技術者の入社が続いていた。

 GE90の最大の問題は,目標とした世界最高の推力重量比をいかに達成するかであった。当時のGEの設計は,すべてがマニュアルに示されており,現役世代にとっては金科玉条であり,そこから外れることは許されなかった。GEには,超ベテランのThe Chief Engineerと呼ばれる万能技術者が数名存在していたが,当時はそれもただ一人に減り,しかも彼は後継者の指名ができずに悩んでおられた。
 
 推力はサイズの二乗,重量は三乗で効くので,GE90の目標推重比の達成は従来のマニュアル通りでは不可能であることは自明だった。そこで力を発揮したのは日本の若い技術者たちで,最新の破壊力学や構造解析を提案して改善に寄与した。しかし,まだ足りずに新材料のチタンアルミニウムという気温続巻化合物を急遽低圧タービン翼に採用しようとの動きが始まった。この新材料の特許はI社が保有しており,GEの材料専門家との会合が頻繁に行われることとなった。
 GEも独自の成分の特許を取得し,双方の特性の比較が行われることとなり,最後には実機による試験まで行われた。この間の詳細は割愛するが,これらの経験を通じて設計解析に用いる新たな工学的知見や新材料の設計に関しては,日本の技術はBig3を上回るとの確信を得た。そして,残る経験の問題も徐々に蓄積が進み,技術全般に関してもBig3に大いに近づいたとの感覚を得ることができた。

【この教訓の背景】

 元の原稿はこうであった。「議論は無事結論を得て、設計パラメータはすべて決まったが、その2週間後に、タービン設計部長はRR社を突然退社した。なんと、分子に入るべきレイノルズ数が分母に入っていたのには驚いた。」ここで、「その2週間後に、タービン設計部長はRR社を突然退社した。」は、編集委員の要請で削除をした。たしかに、学会誌には不適当な表現だった。

 しかし、このことは欧米の技術者と会社の関係を明確に示している。日本ではありえないことなのだが、設計において、根本的なミスを犯し、それが重大な結果を招く可能性がある場合には、責任者を明確にする。ここでは省略をしたが、部長直下の主任も同時に退社をした。なんと、イギリス国教会の僧侶になってしまったのだった。
 
 日本では、問題が発覚しても責任者を特定することは敢えて避ける傾向が顕著だ。「みんなの責任」にしてしまう。ジェットエンジンの組み立てのミスで飛行機が墜落したとする。責任者は、誰であろうか。最終検査員、工場長、品質保証部長、事業部長のいずれでもない。みんなの責任になってしまう。しかし、欧米の交渉事では、責任者が明確でないと話にならない。

 このことは、自衛隊の飛行群司令との度重なる会話からも痛感した。事故を起こした機種の再飛行許可を出すかどうかの決断だった。司令官は、自己の判断で飛行命令を下さなければならない。技術部長時代に大規模な不具合が発生して、スクランブル発進にまで影響を及ぼす事態に発展した。そのときには、再発防止対策について、司令官に何度も詳細な説明を繰り返した。
 
 RRとのプロジェクト準備のためのチーム編成は、日本側3社と各技術分野代表の混成チームであった。したがって、年齢も地位もバラバラであった。そこで、日本側のチームは全体の責任者を明示しなかった。私は、管理職でもなく、最若年層だったが、RR側の責任者であるChief Engineerは、あえてRR社内に、「日本側の滞在チームの責任者は、Mr.Katsumataである」との短い内部文書を配布した。日英の組織管理の在り方の違いが、明確にわかった瞬間であった。

メタエンジニアの眼(14)世界日本化計画

2017年02月01日 18時57分14秒 | メタエンジニアの眼
メタエンジニアの眼シリーズ
          
このシリーズはメタエンジニアリングで文化の文明化のプロセスを考える際に参考にした著作の紹介です。『 』内は引用部分です。
「世界「日本化」計画」 [2016] 著者;鈴木孝夫 他
発行所;新潮社 本の所在;新潮45
発行日;2016.7.18

「新潮45」という月刊誌は、「新潮」の陰に隠れて目立たない雑誌だが、社会や文明論に関しては面白い記事が豊富に掲載されている。2016年7月号の特集は、「世界「日本化」計画」であった。その中からメタエンジニアリング的な文明論を紹介する。





1.「日本語と日本文化が世界を平和にする」[2016] 筆者;鈴木孝夫


 筆者は、言語生態学者(慶応大学名誉教授)である。見出しには、『いよいよ西洋文化に代わって、日本文明が指導適役割を果たすべき時代が到来した。』(pp.19)とある。

 500年間にわたる西欧文明主導の時代により、多くの解決困難な地球規模の問題が顕在化して、文明の限界に近付いたと断言した後で、生態論が始まる。
 『全生物界で人間ほど地球のあらゆるところに分布して栄えた生物はありません。他の生物は行く先々の環境に合わせて体のしくみやくちばしの形を変えたりして、棲息する場所に適応した結果、もとの種が分化して多様性が生まれます。しかし、何百万種と存在する生物の中で、ただ人間だけが熱帯から寒帯までほとんど分化せずに、種として同一性を保ちながら広がっているのです。』(pp.20)
 
 その訳は、『人間の持つ「文化」の多様性が、環境の変化から来る衝撃を吸収する緩衝装置になっていた。』からとしている。
 しかし、それ故に、『グローバリゼーションは大量のエネルギーを無駄にして文化の多様性を失わせることであり、結果として人類の繁栄どころか終局を目指していることになります。』とある。この論理は、エンジニアとしては一瞬奇異に感じるのだが、「生物の多様性が失われる」ことの結果がどうなるかは、歴史上自明なことなので、広い視野で考えれば妥当な結論といえる。

 そこから、日本文明の良い点ばかりが強調されてゆくのだが、ここからImplementingの話が始まる。現代の日本文明は、『西欧と対峙できる力を持ちながらも一方で、古代文明的な独自な文化的世界観も失いませんでした。人間中心、人間至上主義的にしか世界を見られない西欧人とは違った世界観を持っている日本、その二枚腰文明が今こそ強みを発揮できるのです。』としている。「二枚腰」とは、ハイブリッドということではないだろうか。

 筆者は、従来から「日本語を国連の公用語にすべし」との主張をされている。それについての言語学者の判断は、『公用語になったところで、国連内で日本語はほとんど使われないでしょう。しかし、日本語の国際普及には非常に役立ちます。同時通訳官や翻訳官など、日本語の必要な職業が増えるからです。』(pp.24)とある。

 英語と母国語については、「公用語を英語に変えた国は、文化が廃れ、日本は日本語が健全なために、ノーベル賞が多発している。創造性や発想を豊かにするのは、母国語しかない。」という説は、近年盛んに叫ばれている。言語学者の筆者は、そこから更に「タタミゼ効果」(フランス語のtatamiserで、かぶれる、贔屓になる)に言及されている。
 
 「タタミゼ効果」とは、『日本語の普及は世界を変える力があります。外国の人が日本語を習い、欧米のすべてと異なる日本文化に深く接すると、外国人学習者の対人関係の質が変わり、その人の強い、攻撃的な口調や態度がなくなり、日本人っぽくなる現象が見られます。』(pp.24)
 ここでは、事例が二つ挙げられているが、具体例は「日本の感性が世界を変える」(新潮選書)に紹介されているとある。

 言語については、日本語の有利性と不利性を強調する意見が散乱しているが、あと数年後には、人工頭脳が正確な即時翻訳をしてくれる時代になる。そうなれば、同時通訳官や翻訳官は真っ先にロボットにとって代わられる。すでに、そのことを前提にした議論のほうを薦めたほうが良い時代のように、メタエンジニアリング的には思ってしまう。


2.「素人」がデビューできる唯一の国  筆者;ヤマザキデルス

 記事では、彼はヤマザキマリさんの長男として紹介されている。まだ大学生だが、フィレンツエ生まれで、北海道、シリア、ポルトガル、アメリカ本土、ハワイでの生活を経験している。

 ちなみに、母親のヤマザキマリさんは、「テルマエロマエ」の作者で有名なイタリア在住のマンガ家である。彼女のイタリアでの社会観を、彼女自身のブログから、まず探ってみる。トランプ大統領が就任した直後のブログには、こんな記事があった。

「トランプ大統領に驚かないローマ1000年の歴史観」 2017年1月24日
『2017年1月24日わたしの周りのイタリア人の会話の中には、ローマ帝国の皇帝の話が普通に出てきます。皇帝にも当然さまざまなタイプがいて、賢帝もいれば、ひどい皇帝もいました。「この政治家は皇帝ティベリウス(第2代皇帝、紀元前42年~紀元37年)を想起させるね」とか、「暴君ネロ(第5代皇帝、紀元37~68)も最初は民衆にも支持されるいいヤツだった」という会話がなされるのです。

 しかしイタリアでは信頼は美徳ではありません。信頼とはむしろなまけ者がすることで、知性や教養を持つ人は為政者を疑ってかかります。それは知識階級のある意味で義務的なものとして、そういう行動をすべきだという感覚があります。だからイタリア人から見れば、「そう簡単に社会が変わりますかね」という冷めた見方になるわけです。』

http://mainichi.jp/premier/business/articles/20170123/biz/00m/010/020000c
http://yamazakimari.com/
 
 以前に、エンジンの共同開発中のイタリア人の「日本人の考え方は、戦略的でない」と書いたが、それに通じるものを感じる。

 本論に戻る。デルス君は、アメリカ本土での学生生活を「格差社会」とか「治安の悪い」とか「勉強以外の視野が閉ざされる」などと、かなり批判的に述べている。一方で、ハワイでの学生生活については、『海も山もあり、都市生活も体験できるハワイの環境を選びました。専門は、機械工学です。世界中のたくさんの地域から学生が集まっており、自由で開放的です。ガタガタ音がする古い洗濯機を平気で使うような土地柄で、・・・。』(pp.34)
 これは、50年ほど前に私がStanford大学で感じたことに似ている。

 彼の主張の主眼は、日本人の「合理性の欠如という特徴」です。『まず、日本人は合理性をあまり問題にしません。アメリカでもイタリアでも、学生は仕事でも勉強でも「何のために」「どういう社会的な意味があるのか」という現実的な目標に縛られがちで、あまり自由な行動をとれません。(中略)
 
 日本の多くの研究者たちが開発している人間型のロボットは、欧米人にはなかなか理解ができない発想の一つです。単にロボットとしての機能を考えるだけなら、ヒトの姿をしている意味も合理性もありません。ただコストパーフォーマンスが悪いファンタジーと受け取られてしまいますが、だからこそ、他の国の研究者には考え付かない貴重な仕事なのです。』(pp.34)
 
 つまり、合理性の欠如を「貴重」だとして、一方的な批判は避けている。さらに、合理性の欠如は、『現実と非現実が融合してしまったような感覚を生むリスクはあるけれど、だからといって合理性ばかりを重視すればいいとも思いません。』(pp.35)としている。
 
 実に、冷静な見方だと感じる。イタリア人の感受性とそのセンスは、多くの有名ブランドに見る如くに、日本人にはない感性を感じてしまう。

 
3.世界が欲しがる「和のシステム」 筆者;菊池正憲

 『日本初の世界標準は、アニメや和食だけではない。様々な社会システムや制度も多くの国で取り入れられ、評価されているのだ。』で始まる主張は、次の10の制度を引き合いにしている。

 ①カイゼン、②母子手帳、③防災、④水道、⑤新幹線、⑥地下鉄、⑦郵便、⑧交番、⑨教育、⑩法整備、通関、廃棄物処理。 中には、広くではなく、特定の国だけに認められているものもあるようだが、次第に世界で認められるようになっている傾向は間違えがないように思う。

 これらの社会システムは、従来は日本独特の優れた文化と見なされていたのだが、次第に合理性を得て変化し、文明化への道を進み始めているようにも思えてくる。しかし、まだ普遍性という意味では、中身に難解であったり冗長であったりする箇所がいくつも存在している。「世界日本化計画」には、誰でもどこでも容易に使える、という視点が更に大事であるように思う。