生涯いちエンジニアを目指して、ついに半老人になってしまいました。

その場考学研究所:ボーイング777のエンジンの国際開発のチーフエンジニアの眼をとおして技術のあり方の疑問を解きます

鴻雁来 雁が飛来し始める(寒露の初候で、10月8日から12日まで)季節を見て出かける方向を決めること

2013年11月04日 16時44分20秒 | 八ヶ岳南麓と世田谷の24節季72候
季節を見て出かける方向を決めること

季節を見計らって旅に出るのは、雁も人も変わりがない。人だって夏は北へ、冬は南への旅を好む。
ここ八ヶ岳南麓は、日本のほぼ中央に位置する。中央にも色々と定義があって、「日本中央」の碑が青森県で発見されたことは有名である。これは、当時の日本が千島列島全域をカバーしていたと考えれば妥当だとされているようだ。私の中央の定義は、ドライブをするのに好都合ということ。小淵沢インターからは、関東にも関西にも日本海側の新潟や福井方面にも快適なドライブを楽しむことができる。つまり、距離だけではなく快適なドライブができるということも、要素の一つになる。そのことは、周囲の別荘地や観光地に駐車している車のナンバーを見れば直ぐに分かることなのだ。
 ここでの生活も十年を越えたが、毎年1~3回は関西方面にドライブに出かけている。行楽シーズンの中央道は渋滞で有名だが、名古屋方面に向かうのは全く逆方向なので、いつも渋滞の列を横目で見ながらの運転になる。
 今年のこの季節の連休は、琵琶湖周辺を選んだ。かつて、琵琶湖から伊賀、奈良、高野山を抜けて、紀伊半島一周をしたときに見逃したところを尋ねる予定だ。それから、琵琶湖東岸は観音様の良い仏像が沢山あるので、目下制作中の聖観音像のお手本にもするつもりなのだ。


完成半ばの聖観音様

 出発は、いつも朝の6時と決めている。


朝日に輝く甲斐駒岳 
彦根までは、約300kmなので、サービスエリアごとに小休止をとっても、10時には最初の訪問地に到着する。丁度、開門時刻なので駐車場の心配もない。彦根城は前回たっぷりと堪能したので、今回の最初は長浜城。明治期の広告ビラの特別展示と石田三成の髑髏を元に想像された肖像画が興味を引いた。


彦根上の天主からの眺め

 今回のお目当ては渡岸寺の観音像。先ずは、その前に腹ごしらえと、門前の茶店に入った。先客は二人、名物を注文したら、なんと小型の観光バスでの出前だった。


琵琶湖定食、小エビと貝は琵琶湖産

観音像は、別棟に前立ち像などと共に安置されている。二重扉だが、中の照明は明るい。国宝を手が届きそうな距離からじっくりと見ることができるし、説明も丁寧で感激。お顔の特徴の細かい説明は、後ろの笑い顔が良かった。写真を示しての説明で大方を理解してから、ゆっくり仏像を廻りながら観察をする。すると能面と同じように、見る角度で表情が変わってしまう。
姉川の合戦のときには、付近の寺は浅井側だとして、信長に焼き払われたが、村人が仏像を埋めて守ったとか、その記念碑が建っている。


仏像の埋伏由来を書いた記念碑

ところで、渡岸寺という名前の寺は存在しない、場所の名前なのだ。十一面観音像は、白山信仰でこの地域に沢山あるそうだが、朝廷の庇護をうけ比叡山の援助が強かった。しかし、信長以降改宗して、真宗となり十一面観音は拝めなくなったので、別棟を建てて安置したそうだ。現在管理をしている、向源寺は、100mほど西へいったところにあった。


衣の細部のお手本は、入口の仁王像が代役

寺の横の資料館で場所を調べてもらった横山古墳へむかった。約3kmの畑の中の道だ。途中で野良仕事の老人に場所を尋ねると「この先の角を曲がって、しばらく行くと学校がある。その前に小さな神社があって、古墳はその中にある小さな盛り土だと思う。」と教えてくれた。


横山古墳の全景


この古墳は、最近の本で継体天皇の先祖のものとされている。ちなみに、継体天皇の両親の古墳は琵琶湖の西岸に、そのまた両親の古墳は東岸にあるとの説をその本は主張している。これで、次回の旅の目標地が決まったようだ。

翌日も連日の快晴・無風。ゆっくりと朝食をとって八時半に出発と思ったが、エレベータの中に近江鉄道の一日乗車券+竹生島往復船券という張り紙があった。船賃だけで¥3300なのに、鉄道乗り放題付きで¥2900は安い。駅まで行って、改札口で乗車船券を買った。勿論、鉄道に乗らなくても問題ないとのこと。早く戻ったら、多賀大社にでも行ってみよう。片道15分ほどの電車が楽しめる。(⇒実際は時間が無くなったのだが、鉄道も船も西部グループ傘下だった)


船は西部ライオンズの色に塗られていた


竹生島からの帰りの船上より

竹生島の国宝「渡り廊下」は、屋根のふき替え工事中。しかし、わざわざ特設の階段が用意されており、剥がされた屋根の地を見ることができた。




そして、屋根ふき用のひのきの皮と、釘と槌まで用意されていた。



剥がされた屋根の地と、屋根ふき用のひのきの皮と、釘と槌

MIHO美術館は、優れた作品が東京のいくつかの展覧会に出品されていたので、是非現地を見たかった。受付で聞くと、平均1時間半で廻れるとのことで、イヤホーンを借りてゆっくりと廻り始めた。二人供用になっているので、2m以上離れることは出来ないのだが、これは便利だった。特別展の甲賀の塗りものの北館だけで、1時間以上かかってしまった。これから本番という時に、閉館時間の案内放送があった。残念ながら古代中国の青銅器は数点だったが、エジプトのヒエログリフやガンダーラ仏などは、逸品だった。創始者のみほこさんの、「一流のものだけ見る価値がある」との言葉通りの収蔵物は、通常の博物館とは違って、正に逸品だけに限られていた。

博物館の喫茶室の屋根

受付と、美術館の間には、岡と谷があり、10人乗りのカートでトンネルと橋を抜ける。歩くこともできるが、皆カートを利用している。



料金所との間のカート上より

閉館時刻に追われて、美術館を出たが、駐車場の車は数台しか残っていなかった。帰りは、信楽に戻らずに、白州雅子の「隠れ里」の道を行くつもりだったが、こちらの県道が通行止めになっている。聞くと、先日の台風で数か所の土砂崩れで、長期間にわたって通行止めとのこと。来た道を帰ることにした。安土城址も含めて、この辺りの寺巡りは、今回もお預けとなってしまった。






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