生涯いちエンジニアを目指して、ついに半老人になってしまいました。

その場考学研究所:ボーイング777のエンジンの国際開発のチーフエンジニアの眼をとおして技術のあり方の疑問を解きます

八ヶ岳南麓と世田谷の24節季72候(56) 八ヶ岳南麓と世田谷の庭

2021年09月01日 09時58分04秒 | 八ヶ岳南麓と世田谷の24節季72候
八ヶ岳南麓と世田谷の24節季72候(56)   

場所;八ヶ岳南麓と世田谷の庭 
 作成日;2021.8.31                                                

TITLE: 綿柎開 (処暑の初候で、8月23日から27日まで)

 
 「綿のはなしべ開く(綿を包む咢(がく)が開く)」とは、実がはじけて、綿花を摘む時期が来たということ。八ヶ岳南麓の我が家では、遅まきながらブルーベリーの収穫が本格化する。
 小海線の線路は、この辺りでは大体1000メートルの標高を走っている。
線路の上と下では、畑の様子がまるで違う。田んぼやトウモロコシは、線路よりも下に限られている。上には、蕎麦かカボチャなどだが、トマトもかろうじて可能なようだ。我が家の庭でもトマト栽培を一度だけ試みた。ちなみに、我が庵の標高は1130メートル。
 成長は遜色なく、花も十分に付けて、蜂や虫の類が多く、受粉もすこぶる順調で。青い小さな実が沢山付く。しかし、それからが問題で少し天候が悪いと実は一向に大きくならない。そして、徐々に変形をしてそのまま終わりである。しかし、元気の良いいくつかは、どうにか食べられるまでに成長する。うっそうと茂った枝と葉をかき分けて、収穫の貴重な体験ができる。
 日当たりの良いところでは、枝豆ができたし、弦ムラサキは烏山よりも良い葉っぱを収穫することができた。大方のハーブの類も問題はないようだ。



 ところが、今年は事情が大分変っていた。中々花が咲かない、花が咲いても、実が付かない日々が続いた。しかし、8月になって暑い日差しが続くと、どうにか元に戻ったように思う。異常気象とまでは云えないが、20年間に随分と季節の移ろい方が違ったようだ。
 同じ現象が、世田谷の我が家でも起こっていた。例年、沢山の花を咲かせる朝顔が、弦ばかり延びて一向に蕾を付けない期間が、1か月はあっただろうか。しかし、8月末のある日を境に、一気に花が咲き出した。そのことは、例年のグリーンカーテンとして育てるゴーヤも同じことだった。
 


 しかし、花や実をつけ始めると、今度は極端に沢山の開花だ。やはり、植物は動物よりも生命力が強いことを思い知らされる。そうなると、今年の朝顔は、色まで鮮やかに見えてくる。ちなみに、この朝顔は、夕方まですこぶる元気で、青からムラサキ色に代わって、終日通行人の眼を楽しませてくれる。





 綿花で思い出すのは、アメリカの南北戦争だ。南部のプランテーションは綿花の大生産地だったが、工業力はサッパリだった。一方で、当時産業革命が盛んだった、スコットランドのマンチェスターでは綿織物が大量生産されていた。そこで、綿花貿易が始まるのだが、これが北部による搾取になってしまった。そのことが、奴隷解放云々よりも、大きな問題だったと、何かの本で読んだ記憶がある。この時のいさかいが、南部諸州でのトランプの熱狂的な支持者層を支えているのだろうか。


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