生涯いちエンジニアを目指して、ついに半老人になってしまいました。

その場考学研究所:ボーイング777のエンジンの国際開発のチーフエンジニアの眼をとおして技術のあり方の疑問を解きます

ジェットエンジンンの設計技師(5) 第4話 規制緩和とコスト削減の実体

2014年05月12日 08時46分26秒 | ジェットエンジンの設計技師
第4話 規制緩和とコスト削減の実体

 1990年代から急激に進んだ海外旅行の一般化は、まさに国際民間航空機関ICAO(International Civil Aviation Organization)が設けたETOPS(イートップス)(Extended-range Twin-engine Operational Performance Standard:双発エンジン距離延長運用性能規準)に伴うコスト削減の賜物、その変更・拡大、つまり規制緩和によるもので、その根底にあるのは、エンジンの性能向上と信頼性向上であったと思われる。

民間航空機用エンジンの世代の推移(坂田公夫・柳 良二、2005)


 第1世代、第2世代、第3世代などとも分類されて説明される航空用ジェットエンジンの技術進歩には目覚ましいものがある。高出力化が図られると同時に、上図に示される通り、燃料消費率も、材料から構造まで様々な新技術の導入によって、大幅な低減が実現されてきている。

 そして第3世代ターボファン・エンジンと呼ばれる、日英米独伊の5ヶ国の国際共同開発のV2500、米P&W社のPW4000、米GE社のCF6-80などの実用化に伴って、大西洋・太平洋を横断する民間旅客機も完全に双発機が主流の世界になったのである。
 その中でもETOPSの変更・拡大、規制緩和には、とくにエンジンの信頼性向上が大きな役割を果たした。規制緩和が行われても、飛行中のエンジン停止事故が増加するようなことがあれば、規制緩和は元に戻されてしまう。規制緩和が恒久的にものになるためには、たった一つの事故も許されない。こうした時代背景の中で、エンジンの設計・製造に関わる信頼性技術の発展と、その発展した信頼性技術の現場での定着が強く求められてきた。

 そして、さらに航空業界では、運行実績データに基づいて信頼性を証明するのではなく、開発時の試験と設計プロセスに基づいて証明することが求められるようになった。つまり運行開始当初からの大洋横断飛行などの実施が求められた訳である。そこでEarly-ETOPSと呼ばれる考え方が生まれた。

 それが初めて導入されたのは、Boeing777の1994年の初飛行であった。1985年規則では、運行開始時に適用が許されていたのはETOPS-120までであって、ETOPS-180はETOPS-120での1年間の無事故実績があって初めて適用が許されるということになっていた。しかし、ボーイング社では設計・製造の品質・信頼性を格段に向上させることによって、B777については、初飛行からのETOPS-180の適用を当局から取得した。その際には、我々が開発中のGE90エンジン(B777機には、このエンジンが独占的に搭載されることになっていたが、この規制緩和をスムースに進ませる為でもあったと考えられる)の、信頼性設計と開発試験データなどが、大きな役割を果たしたことは云うまでもない。
そして現在では、初飛行からETOPS-180の適用が許されるようになっている。

 双発航空機の安全性とエンジンの信頼性の関係に関する最も詳細なレポートは、1990年のボーイング社のRichard W. Taylor副社長による「Twin-Engine Transports:A Look at the Future. 」(Boeing Corporation Report)である。

 この論文は、ETOPSの実施後5年、B777の開発中に発表されたもので、その間の実績から更に進んだ規制緩和であるEarly-ETOPSへの道を開くためにまとめられたものと推測される。そのレポートの「Review of 767 ETOPS Events Since 1985」という項目で、双発機の信頼性が十分に予期した数字を満足していたと解説した後、「Risk of Multiple Engine Thrust Loss」という項目で、過去30年間の全ての航空機事故の原因を分析し、機体に装備されたエンジンの数と事故発生の確率の関係を定量的に示し、双発機の信頼性が四発機よりも高いことを論証している。
 私の記憶では、この内容は当時岐阜市で行われた国際シンポジウムで講演されて、私自身はGE社の同僚と講演を聴講した。

 そこには、航空機の信頼性に関する代表的な指標である1000飛行時間あたりの空中でのエンジンの停止回数、エンジン空中停止率IFSD(In Flight Shut Down Rate)の過去のデータを整理分析し、これらの数値がすでにはるかに改善されてきており、さらに改善されつつあることを示した、次の図が掲載されている。


世代別の1000飛行時間当たりのエンジン空中停止率(IFSD)


さらに、これらデータを基に作成された、ETOPSに係わる様々な文献に引用されている下図も掲載されている。

     

V2500エンジンは1989年から製造が開始され、最初にエアバス社のA320に採用され、その後、マクドネル・ダグラス社のMD-90にも採用された。しかし、これらの機体はいずれも主に短距離用の機体であり、ETOPSの取得には積極的ではなかったが、それでも後発エンジンであるため、V2500には、先発エンジンであるCFM56に勝る性能と信頼性が強く求められた。

 当時のETOPSルールでは、1000飛行時間当たりのIFSDが0.02以下であることの実証が要求されていた。これに対して、V2500運用初期の信頼性データは
総飛行時間  36,420時間でのIFSDは0回で、IFSD率は0.0
総飛行時間 149,154時間でのIFSDは2回で、IFSD率は0.013
であり、十分な信頼性を示していた。

 そして1992年1月、V2500エンジンはETOPS-120を取得した。その時点の総飛行時間は約20万時間だった。総飛行時間50万時間でのIFSD率は0.009だった。このような実績が、次の機種でのEarly-ETOPS承認の基になったのである。


http://www.airbus.com/aircraftfamilies/passengeraircraft/a320family/a320/ 
 

ETOPS(イートップス)(双発エンジン距離延長運用性能規準)とコスト削減

 米連邦航空局(FAA: Federal Aviation Administration) からETOPS (Extended-range Twin-engine Operational Performance Standard)に関する規程やアドバイスなど様々な資料が世界中に配信され、これらによって整合性のある対応がなされている。



 米連邦航空局から提供される資料の中には、安全性や信頼性など技術的なことだけではなく、多くのコスト削減に関する資料も含まれている。技術論からは離れるが、これは重要な視点であり、それを確認する意味でも、以下、ETOPSで扱われているコスト削減について、少し紹介することとする。

 例えば、2003年11月14日付け米連邦官報 (FR) には、米連邦航空局の規則制定告示案 (NPRM) 「多エンジン搭載航空機へのETOPS拡張」(Extended Operations (ETOPS) of Multi-engine Airplane)である。



それには、要約「着陸可能な空港(Adequate Airport)から一定距離を超えて飛行する航空機とエンジンの設計・メンテンナンス・運用に関わる連邦航空局の提案。ある、双発機だけに適用されていた規定を搭載エンジンが双発以上の航空機にも拡大するもの。長距離フライトの安全運行を確実にするに方針、運用方針、国際規格などに関する規則の制定」とあり、さらに、その改正提案内容の詳細を取りまとめた次表が付けられている。



これはA4文書にすると、約150ページにもなる膨大なものであり、その中で本改正提案の経済性も議論されており、「コスト削減」として、次のように書かれている。


 「2地点間の最善の直行ルートを飛行できることになれば、早くて燃料節約になり、運用コストは低減する。双発機のETOPS飛行で飛行距離節減は非常に重要である。例えば、イタリア・ミラノとバルバドスの間の飛行を、地球上の2地点間の最短距離である大圏コース をETOPS−180で飛行すると、ETOPS−60で飛行するのと比較して、130海里以上の短縮となる。」



 「大圏」とは、球の中心を通る平面と、球面とが交差してできる円、いわゆる「大円」のことで、球面上の2点を結ぶ「弧」のうち最短距離となるのは、「弧」が「大円」の一部である場合である。そして、ETOPS−180というのは、双発機で、空港から飛行時間で3時間離れたところまでで飛行できるという規則であり、それに対してETOPS−60というのは1時間離れたところまでしか飛行できないという規則であり、その制限が厳しいため、ETOPS−60であると、一般的に大圏コースからのズレが大きくなってしまうということである。
 実際の飛行ルートに関しては、例えばこんな経験がある。成田~ニューヨーク間の飛行はジェット気流の影響を受けやすく、具体的な飛行ルートは最新の気象データに依り大な影響を受ける。このルートの直行便が開設して間もなく、私の搭乗した便の目的地は、成田ではなく千歳であり、成田は代替え飛行場として知らされた。通常は、アンカレッジ上空付近を飛行中に、目的地が成田で、代替え飛行場が千歳と変更されるのだが、この日は座席も満席に近く、偏西風も強かったせいで、実際に千歳空港に着陸をして、燃料補給を受け、再び成田空港に向かった。気象情報のデータが豊富な米国のエアラインは、ほぼ同時刻にニューヨークを出発して、直接成田まで飛行をしたことを、成田の到着便の掲示板で見て知った。「日本のエアラインの運航ノウハウはまだまだだ」と感じた記憶がある。

 そして「運行業者にとってのコスト削減は、下表に示す通り、10年間で10.9億ドル、現在価値で7.6億ドルになると推計されている。

Table 2 TEN-YEAR COST SAVING TO OPERATORS



 この推計の前提は以下の通り。
・現在、双発機を例外的にETOPS−180を上回る条件で飛行させているエアラインは3社で、その条件での飛行時間は各社それぞれ約231時間である。
・現在、低価格エアラインは、AirTran、America West、ATA、Frontier、JetBlue、Southwest、Spiritの7社で、各社がそれぞれ1路線でETOPSに従う航空機4機を運行している。
・現在、3発・4発エンジンの航空機を運行する米国エアラインは13社で、各社それぞれETOPS−180を超えるルートを1ルート運行している。
・提案要件を満たすPart 135 エアライン (コミューターとオン・ディマンド)は81社で、各社それぞれ年間96時間を削減する。

エアラインとメーカーでのコスト増もあるので、純コスト削減は減額される。このコスト増については、コストの項で説明されている。コスト増はコスト削減を下回り、下表の通り、純コスト削減は8.2億ドル、現在価値で5.3億ドルになると推計されている。


Table 3 TEN-YEAR NET COST SAVING OR COST TO OPERATORS


 このように、10年間という長期に亘るエアラインの現実の経営に直接影響を及ぼすであろうコストについて、公の期間が公表するということは、原価企画やコストエンジニアリングの観点からは、興味深い事実と云えるのではないだろうか。規制緩和と、それを支える技術開発プログラムの同時進行をマッチさせる、米国独特の旨い仕組みのように思える。
 
このような社会全体としての戦略的なコスト削減は、現在に至るまで国内各社で行われている原価企画の在り方に、新たな考え方をもたらすものであろう。メタエンジニアリングと云う思考法の展開の一例として、今後「原価企画へのメタエンジニアリングからの提案」を示してゆこうと考えている。

今回の第5話の内容については、友人の井上利昭氏(元IHI)と前田勲男氏(戦略経営研究所)から多くの資料と助言を頂いた。文末ですが、お礼を申し上げます。


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