生涯いちエンジニアを目指して、ついに半老人になってしまいました。

その場考学研究所:ボーイング777のエンジンの国際開発のチーフエンジニアの眼をとおして技術のあり方の疑問を解きます

その場考学との徘徊(13) 土器に記された絵

2016年12月06日 20時18分25秒 | その場考学との徘徊
土器に記された絵

 先日、奈良を3日間歩いた。大学生時代に何度も大和路を歩き回った高校時代の同期の仲間との総会だった。橿原考古学研究所博物館、天理博物館、法華寺、海龍王寺、平城宮跡などを巡った。最近は、考古学の進歩が目覚ましいので、それぞれの地での、専門家の話は面白かった。
橿原考古学研究所博物館には、旧石器時代から奈良時代にかけての膨大な資料の一部が展示されている。私の興味は、ハニワと縄文土器だった。最近は、土器に記された絵の研究が盛んで、この研究所では多くの絵を組み合わせて、当時の祭りの様子をジオラマにしてしまった。だから、このジオラマには何となく真実味が感じられる。





 一方で、平城宮跡の建物は、地下に残された礎石や柱の跡だけで、建物の構造や全体像は正確には分かっていない。つまり、絵が残されていないので、当時の寺院建築などからの類推になっている。屋根の左右には鴟尾(しび)がついているのだが、唐招提寺などの当時の中国風をまねているだけで、実物はどのようだったか分からないそうだ。


 
 なんでもデジタルで残す昨今の風潮は、すべての建物が建て直されるであろう数百年後に、現在のデジタル画像しか残されていなかったら、同じことが起こるのだろうか。
 海底で発見された戦艦武蔵の復元画像を見た。膨大な数の写真から三次元画像をつくったようだ。縄文土器の多数の破片の組み立てと同じ技術なのだろう。人間が知りたいものは、アナログであり、結局はデジタルデータからアナログを復元することになる。
ポンペイの遺跡も、藤原京の木簡もアナログ状態での保存はもっぱら自然の力なのだ。デジタル時代に、アナログのまま残す技術は開発が進まない。

 新たに建てられた大極殿を見ても、当時の感慨は想像できないが、縄文土器の絵を間近に見ると、当時の手の動きまでが感じられてくる。21世紀がどのような方向に向かってゆくのか、楽しみだ。


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