生涯いちエンジニアを目指して、ついに半老人になってしまいました。

その場考学研究所:ボーイング777のエンジンの国際開発のチーフエンジニアの眼をとおして技術のあり方の疑問を解きます

メタエンジニアリングのすすめ(9) 第8話 持続的なInnovationにおけるメタエンジニアリングの「場」

2013年09月28日 09時10分45秒 | メタエンジニアリングのすすめ
第8話 持続的なInnovationにおけるメタエンジニアリングの「場」

メタエンジニアリングの一つの目的はイノベーションの持続性の確保である。しかし、現時点において、それは思考過程のみのことであって総合的なことではない。イノベーションの持続性とは、実際のものやことのデザイン(企画を含む広義での)に関するエンジニアリングを総合的に考えるもので、思考過程はその一部分にすぎない。技術経営的な側面から考えると、その条件は既に多くの著書で述べられている。
そこで、一般論ではなく、あくまでも設計技術者としての経験から追加項目とでもいうべきでものを考えてみる。

① 特定分野のプロの技術力を伝承する仕組みを維持すること
② 技術的なチャレンジ精神を途切れさせないこと、この為にはかなり高度な夢の共有
③ 集中が途切れて、分散を余儀なくされた期間の資金他のリソースの確保
④ いざという時のリーダーシップが発揮できる土壌を維持すること
などであろうか。

また、思考過程については、発想法に問題があるといわれているのだが、私は工学的な発想については日本人独特の左右脳の使い分けと優れたスイッチング機能から、むしろ世界レベルからはずば抜けて優れているように思える。このことは、40年間に亘る国債共同開発の経験から思い当たることが数々ある。従って、問題は全く別のところにあると思う。その一旦は、次の著書に著されていた。

「なぜ、日本企業は「グローバル化」でつまずくのか」ドミニク・テュルパン/高津 尚志著 日本経済新聞出版社発行



この著書は、スイスの国際的ビジネススクールであるIMD学長で、日本への留学経験を持つドミニク・テュルパン氏が、日本企業への提言をまとめたものである。評者 内山 悟志が、日経コンピュータ 2012年7月5日号で述べた書評には以下のようにある。

 「日本の驚異的な成長に学びたい」──。そんな思いを抱き1980年代に来日したテュルパン氏は、その後の日本の凋落ぶりも内と外から見てきた。IMDが毎年発表する世界競争力ランキングで、日本は1980年代半ばから1992年まで首位を保っていたが、最新の2011年調査では59カ国中26位まで順位を下げている。その過程で自信を失ったためか、多くの日本企業が中国やインド、ブラジルなど新興国への進出で立ち遅れたと指摘する。
 著者はこの凋落ぶりの原因を、過度な品質へのこだわりやモノづくり偏重による視野狭窄、地球規模での長期戦略の曖昧さなどにあると分析する。根源には異文化に対する日本人の理解力不足があり、打開するには真のグローバル人材の育成が急務だと警鐘を鳴らす。
 スイスのネスレや米GEなどのグローバル人材育成の先進事例とともに、既に中国やブラジルなど新興国の企業でも人材育成に多大な資金と労力を投じている事実を紹介している。
著者はこれらの事例を踏まえ、日本企業が取り組むべき人材育成策を次のようにまとめている。人事異動をもっと効果的に使う、幹部教育を手厚くする、外国人も人材育成の対象にする、英語とともにコミュニケーションの型を学ぶ、海外ビジネススクールを有効に活用する、の5点である。特に「人材育成に国籍の区別はない」との考え方には強く共感した。日本人だけを集めて研修したり、特定の日本人を海外に赴任させたりするだけでは、本当の意味で多様性は芽生えない。異文化を理解する力は、様々な国や地域の多様な人材と共に学び、切磋琢磨するなかで育まれるものだ。」


ここには、従来の個別のエンジニアリングに加えるべきメタエンジニアリング的な項目が示されている。即ち、エンジニアの視野を社会科学的な範囲に広げる必要性を示している。
① モノづくり偏重による視野狭窄
② 地球規模での長期戦略の曖昧
③ 異文化に対する日本人の理解力不足
などで、何れも「これらに関して、日本の技術者ないしは、技術の指導者の知識と見識が足りなかった」と云うことではないだろうか。
 私は、エンジニアリングの立場から、これらについてエンジニアリング脳を使って根本的に捉えなおすことがメタエンジニアリングであると考えている。そして、これら7項目(前出の3項目プラス後出の4項目)がイノベーションの持続に関して従来以上に研究を進めなければならないことだと考えている。

 著書のまえがきで著者はこの様に述べている。
「当時(1980から1990年代前半)、日本の企業の多くはもう海外から学ぶものは無いという態度が強く見受けられました。どの企業も自信に満ちあふれ、どこかしら傲慢な雰囲気も漂っていた。結果的に日本企業は、工場管理に「よい常識」を持ちこんで非ホワイトカラーのマネジメントには成功したものの、それ以上の成果を出すことはできませんでした。さらにもっと苦手なのがダイバーシティー(多様性)のマネジメントでした。いまだに男女平等とは言えず、マイノリティー(少数派)の採用や活用には消極的です。
(中略)東洋と西洋の間の難しい異文化マネジメントをも相互理解に努めることで乗り越えようとしています。中国は急速学んでおり、今後十年間で世界経済において確たる地位を占めるであろうことは言うまでもありません。」
 著者は、自分以外の他者や異文化に心を開くこと、加えて、共感性(Empathy)を養い、おもいやり(Sympathy)をもって他を尊重することが不可欠と断じています。一見当たり前のことのようですが、実際に日本のエンジニアは、業務の遂行にあたって、或いは新製品の開発に際してそのような心持を持っていたでしょうか、おおいに疑問です。この様なことから筆者は、日本語での「グローバル化」とか、「グローバル人材育成」といった表現に疑問を呈しています。安易にカタカナにせずに、正確に「全地球的」とか「全地球的人材」という表現だと、もっと広範囲な思考に至るのではと指摘をしています。その意味において、日本企業のグローバル化におけるつまずきの原因を以下のように挙げているのです。
① もはや競争優位ではない「高品質」にこだわり続けた
② 生態系の構築が肝心なのにモノしか見てこなかった
③ 地球規模の長期戦略が曖昧で、取り組みが遅れた
④ 生産現場以外のマネジメントがうまくできなかった

以上は、すべてがエンジニアリングとは言い難いが、エンジニアリングが深くかかわることと、従来の日本人のエンジニアリングの視野が狭く全地球的戦略に疎かったことが主要原因であり、メタエンジニアリングの領域の話が大きな位置を占めているように思えるのだが、いかがであろうか。

(蛇足)
日本では、国際化とグローバル化という二つの言葉の意味が、全く異なるにもかかわらず混用されている。例えば、ある製品をどこかへ輸出したり、どこから輸入したりするのは国際化の観点で、当該品の全世界での流通の現状と将来性の解析からスタートするのが、グローバル化と言えるのではないだろうか。
そのことから出発をしないと、戦略は立てられない。(その場考学半老人 妄言)



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