生涯いちエンジニアを目指して、ついに半老人になってしまいました。

その場考学研究所:ボーイング777のエンジンの国際開発のチーフエンジニアの眼をとおして技術のあり方の疑問を解きます

メタエンジニアリングのすすめ 第15話の1

2016年03月13日 08時43分26秒 | メタエンジニアリングのすすめ
科学・メタエンジニアリング・工学(その1)はじめに

 私がメタエンジニアリングの研究を始めてすでに5年間が経ち、考えがだいぶ纏まってきました。それは、次の二つのテーマに絞られます。
第一は、現代の西欧型科学文明のままでは、地球環境や生活の満足度がますます悪くなるであろう、という懸念です。そのために「優れた日本文化の文明化のプロセス」というテーマを掲げました。
第二は、西欧型資本主義と現代文明の基となった、科学と工学と社会の関係への疑問です。グローバル経済とイノベーション指向に埋没して、世界中が唯物文化に急速に席捲されています。この状態が、第一の問題をさらに悪化させているのではという考えです。そこで、科学と社会の間にメタエンジニアリングという概念を置いて、科学と工学の関係を見直すために、「科学・メタエンジニアリング・工学」というテーマを設定しました。
 二つとも、大それたテーマであることは重々承知していますが、その場考学半老人の妄言として、しばらくのおつきあいを願えれば、幸せです。さらに、所謂各方面のベテランの方々が、このようなテーマをともに考えてくだされば、望外の喜びと存じます。

 この二つのテーマにつきましては、既に小冊子に纏めておりますが、今回からは、まず第二のテーマにつきまして、その「まえがき」から順次紹介をしてゆきたいと存じます。

まえがき

 一般の人からの科学に対する信頼が急速に低下している。福島第1原発の事故とその対応のまずさがそのことに油を注いでしまった。「科学技術の敗北」などという記事が散見される。もはや、科学者の言動をそのまま信じる人は皆無であり、社会全体としてこの傾向は当分の間続いてしまうであろう。

 その理由は大きく二つに分けられる。第1は、科学と疑似科学が混在していること。第2は工学の分野での科学の具現化に誤りが存在すること。詳細は本文で述べることにするが、インターネットの普及による広い意味での情報の混乱と、技術の進歩の急速化が、従来さして問題にならなかったこの二つの問題を顕在化させてしまった。特に複雑な技術の進歩の急速化が現代人の脳の進化を大幅に超えていることは、生物学的には種の絶滅への方向を示しているとも云われ始めている。

 この問題を根本的かつ持続的に解決するために、科学と工学(即ち、エンジニアリング)の間に、メタエンジニアリングという新たな学問分野を置いてみることを試みてみようと考えている。科学の成果は自然界に存在するあらゆる現象なりものごとを論理的かつ合理的に説明することであり、それ自身に悪は存在しない。なぜならば、この宇宙は125億年の歴史があり、この地球には46億年の歴史がある。その間に全体が最適になるように変化してきた結果が現在なのであるから、生物の食物サイクルなどにみられるように、全体が調和をしている。従って、純粋に正しい科学を信頼しないことは、明らかに不合理なことに思える。つまり、科学への信頼性の欠如は、正しくない科学を科学と信じてしまうか、科学の使い方(即ち工学)に誤りがあるかのいずれかであろう。
 その二つの事柄を、より明確にして間違えを正す方法を考えてゆくことに、メタエンジニアリングを適用する試みが、本書の狙いである。つまり、メタエンジニアリングの基本命題は、「人類の将来にとって、本当に正しいということはどういうことなのか。そのことを念頭に新たな創造を進めるためには、どのようなプロセスを行うべきか」などである。 そこで、「科学・メタエンジニアリング・工学」というテーマでメタエンジニアリングの主機能を提案しようと思う。
 
 工学は約2世紀に亘って様々な分野での専門化が急速に進んだ。そして、その細分化の弊害が顕著になり、学際的な新分野とか俯瞰的統合化や融合・連携など色々な工夫が実際に試み始められている。しかし、工学の基本が「人の役に立つものことを、広い意味で設計すること」とする限りにおいて、この傾向には聊か疑問を感じてしまう。それは、私が長年にわたって大型航空機用ジェットエンジンの国際共同の設計開発の現場で色々な変化を見てきたことから発している。
 世の中のもの作りの産業界は、随分前から技術指向(すなわちシーズ・オリエント)から顧客志向(ニーズ・オリエント)に急速に変化をした。もはや懸命な新技術の研究によるシーズ・オリエントで一時をリードしても、最終的にはニーズ・オリエントを徹底する企業に負けてしまうという事例には事欠かない状態にあると云えるであろう。
 この様な見方で工学の学問分野をみると、依然としてシーズ・オリエントに固執しているように見えてしまう。そこで、メタエンジニアリングの機能との関連が出てくる。最近の研究会や論文の傾向は、一見するとニーズ・オリエントに見えることが多い。しかし、ニーズの中身をメタエンジニアリング思考すると、聊かの疑問を感じる。それは、科学や工学という学問分野での「ニーズ」のとらえ方にある。産業界の「ニーズ」は、あくまでも顧客であるが、学問の「ニーズ」は、産業界のそれとは明らかに異なるべきであろう。それは、社会全体とか地球環境の保全とか、人類文明の持続的発展とかといった、社会全体を対象とした「ニーズ」であるべきではないだろうか。学問分野の細分化のせいで、「ニーズ」も専門領域の範囲にとどまっている傾向がみられる。

 メタエンジニアリングは、工学的な発想や創造を従来以上の範囲に広げてゆこうという活動である。ひと⇒人間⇒文明・文化⇒哲学⇒人文科学・社会科学⇒自然科学⇒工学⇒技術という流れの中で、現代のエンジニアリングは、末端の3つのステップに集中して進化を遂げてきた。しかし反面多くの公害や環境異変をもたらす結果となった。好むと好まざるとによらずに、この傾向はグローバル競争時代にはますます激しくなることが予測されている。そこで、それを正す一つ方法として考えられるのが、新たなもの・ことを創造するエンジニア自身の思考範囲を「文明・文化⇒哲学⇒人文科学・社会科学」という上流まで遡らせるという考え方である。
 つまり、工学の価値の原点を自然科学分野に求めるのではなく、「文明・文化⇒哲学⇒人文科学・社会科学」という場において、そこから生じる価値を上位に置いて括りなおしてみてはいかがなものであろうか。
 例えば、幸福度・安心度・地球環境の向上・文明の進化といった具合である。この価値は、便利とか安いとか簡単にとか、より合理的にといったものとは異なり「文明・文化⇒哲学⇒人文科学・社会科学」という場から生じるものである。工学は現状の延長上での発展を続けるものとして、科学と工学の間に思考の場を持つ新しい工学の考え方として「メタエンジニアリング」の主機能を定義する試みを、第2の狙いとしてみようと思う。

 現代科学は、近未来に向かって更なる分化と専門化が進み、また政治がらみのトランス・サイエンス(詳細は第1章の8)も盛んになるであろう。従って、いったん出来上がってしまった科学への不信を、科学自身の手で解消することは、ますます困難になるであろう。そこで、科学と実社会の間にメタエンジニアリングという緩衝材がますます必要になると想像している。

 重ねて申し上げますが、私のメタエンジニアリングは現代の科学や工学の在り方を否定するものでも、止めようとするものでもありません。これらは若手の現役世代に任せて、それと並行して、種々の経験を積んだベテランが、従来とは別の視点で現代を見直してみようという試みなのです。
 その意味において、あえて科学と工学の間に、「新しい場」を設けたつもりでおります。
(以下はその2に続く)


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