何と言う名前の魚かと問われれば答えようない。似たような似ないような魚はいるだろう。
寿司屋に行くと魚偏のついた漢字がやたらとある。
鮎
これはアユと言う魚の漢字だ。これを一瞬のうちに別の魚にせよと言う問題が出た。
やたらと隠したり伸ばしたり苦労してる。フト魚偏を消すと占が残った。
ナルホド・・・・・トとロだ。正解はマグロだ。
テレビで近畿大学がマグロの養殖に実績をあげたようだ。マグロが減ってるのにいいニュースだ。
塩の道の牛方の宿を彫りなおした。柄を大きくスッキリ仕上げた。細かいことは目をつぶることにした。
日本本州を南北に横断している「ホォッサ・マグマ」糸魚川・静岡構造線は幅100キロ、信州の面積の四分の三を占めると言う。ガアーーーーンときたら、やられる。おそろしいことだ。
塩の道も当然この一部にあたる。昔は千国街道と言った。
この構造線を「ホォッサ・マグマ」呼んだのはドイツ人ナフマン先生だ。地質学者で明治に来日し、全国的な地質調査をし日本の地質学に大いに貢献した。
野尻湖で象の化石が発見され「ナフマン象」と呼ばれるが、それは彼の日本の地質関する功績を讃えて彼の名をつけたのだ。
魚にもいろいろなが生き方がある。海に棲む魚は大海に出ると隠れるところがない。危険だ。
そこで環境との適応を考える。
南極海に棲むコオリ魚は、極寒の南極海で棲めるよう身体を変化させている。だいだい氷点下の海でスイスイ泳ぐとなると、体内の血液が凍らないよう温度を下げる。このため赤血球が欠け血液が透明だそうだ。仕組みはよくわからないが、それで生きられる。赤い血液を捨て生き延びる術を得たのだ。そして南極海は他の生物は生きられず、のうのうと氷点下の世界で外敵もいず、生活してるとか。
また深海にムネエソと言う魚がいる。小さな魚だから、すぐ食べられそうだ。けどこの魚は腹の発光器をもっており敵に襲わられると光をはなつ。これが海に差し込む太陽光線に似て、敵から見ると消えたように見える・・・・これで逃げ延びるのだ。
自然界の環境に適応する能力はすごいことだ、・・・長い年月でなせる業だ。わたしももう少し版画に気合をいれれば指も彫刻刀に変化するかもしれない。
能楽に使われる能面が出て来た。裏を見ると昭和50年に銀杏の木で彫ったと書いてあった。たしか銀杏が伸びすぎて倒した時だったか・・・・・
ま、素人だから本物の足もとにも及ばない。
この能面にある動物が隠れている?・・・・と言うのが問題に出されたことがある。答えをすぐ答えると面白くないので後日発表しよう。角度を変えたり、影を作ってみたり・・・・・・・
台風が来ると言うのに好天気だ。ラジオもオリンピックの特集だらけだ。・・・盛り上げないといかんと頑張っている。箱ものもただ残れば箱だ。国立はコンサートも出来るようにするらしい。
8万入るから、これをいっぱいにできるのは「嵐」だとか。
ま、素人だから本物の足もとにも及ばない。
この能面にある動物が隠れている?・・・・と言うのが問題に出されたことがある。答えをすぐ答えると面白くないので後日発表しよう。角度を変えたり、影を作ってみたり・・・・・・・
台風が来ると言うのに好天気だ。ラジオもオリンピックの特集だらけだ。・・・盛り上げないといかんと頑張っている。箱ものもただ残れば箱だ。国立はコンサートも出来るようにするらしい。
8万入るから、これをいっぱいにできるのは「嵐」だとか。
あの寒い時期のあめ市の風景の版画をもう一度やりなおしてみた。
これが新しいのだ。店のにぎやかさを出してみたかった。
前のと比べてみた。手がこんでいるかいないかの差だ。
ま、いいでしょう。
頬染めてだるま売りたる少年の甲高き声あめ市の華
これは、前作の時に作った短歌で朝日新聞に載せていただいた。こっちの方が版画よりいいかも。
これが新しいのだ。店のにぎやかさを出してみたかった。
前のと比べてみた。手がこんでいるかいないかの差だ。
ま、いいでしょう。
頬染めてだるま売りたる少年の甲高き声あめ市の華
これは、前作の時に作った短歌で朝日新聞に載せていただいた。こっちの方が版画よりいいかも。
白馬の岳が白くなったそうだ。
思いおこして冬景色を彫ってみた。白が多いと却って難しい。
そこで秋にもどり秋の下絵をつくった。獲り入れ中の田んぼにさぎが飛ぶ図だ。さぎも一向に減らず安曇野市で50代男性が1千なんぼ、だましとられたとか。
今歌う吉幾三はトンボいねェイナゴもいねえし若者もいねェ
短歌の投稿、秋のたんぼ風景を詠った。快心の迷作だ。
その昔、製材所がなかった頃。板は大きな丸太を人力で引いていた。あの大きなのこぎりでひいていたのだ。山で伐り、運ぶ・・・・さぞかし重労働と思う。
私の小さい頃は、俗に言う「木こり」と言う職業があり、このように働く姿も見た。ほんとうに最後の頃だ。運搬にトラックが入り、すぐ製材所に回すと言う時代がきた変遷の頃だ。
ここへ遊びに行くと、運よく休憩だと「ぼうず、よく来たな」とか言って、のこぎりの刃をやすりで研ぐ時出る鉄粉をとっておいて、それをこよりにした紙で包み火をつける。
そうするとパパと火花が飛ぶ。そうです。線香花火と同じなのだ。
あの頃は、線香花火などあることも知らない田舎だったから、衝撃的。
だから花火をみると。その事が思い出すのだ。