武田光弘画楽多製作日記

暇をもてあそび造形してます。作品として形としてまとめたものなどを見ていただきたい
と思っています。

白の魅力

2014年10月18日 | Weblog
ペーパークラフト3点。


このトカゲはオーストラリアのモノクトカゲをモデルに思ったが、どちらかと言えば失敗だ。とげがたくさんあるトカゲだが、それにこだわるとだんだん恐竜みたいになっていく。

モノクトカゲはオーストラリアの灼熱の砂漠に棲む。食料は🐜だ。🐜はたくさんいる。食料には困らない。問題は水分だ。
だが身体にある無数の溝は口に通じ身体が濡れれば、その水分が口に入る。朝露があれば生きれるのだ。ここが砂漠に生きる他の動物にはない対応なのだ。

日本みたいにどこへ行っても水がある国は、水の貴重さを感ずることはあまりないのでは・・・・・

魚偏

2014年10月17日 | Weblog

何と言う名前の魚かと問われれば答えようない。似たような似ないような魚はいるだろう。
寿司屋に行くと魚偏のついた漢字がやたらとある。


これはアユと言う魚の漢字だ。これを一瞬のうちに別の魚にせよと言う問題が出た。
やたらと隠したり伸ばしたり苦労してる。フト魚偏を消すとが残った。
ナルホド・・・・・トとロだ。正解はマグロだ。

テレビで近畿大学がマグロの養殖に実績をあげたようだ。マグロが減ってるのにいいニュースだ。

ナフマン先生

2014年10月15日 | Weblog

塩の道の牛方の宿を彫りなおした。柄を大きくスッキリ仕上げた。細かいことは目をつぶることにした。

日本本州を南北に横断している「ホォッサ・マグマ」糸魚川・静岡構造線は幅100キロ、信州の面積の四分の三を占めると言う。ガアーーーーンときたら、やられる。おそろしいことだ。
塩の道も当然この一部にあたる。昔は千国街道と言った。

この構造線を「ホォッサ・マグマ」呼んだのはドイツ人ナフマン先生だ。地質学者で明治に来日し、全国的な地質調査をし日本の地質学に大いに貢献した。

野尻湖で象の化石が発見され「ナフマン象」と呼ばれるが、それは彼の日本の地質関する功績を讃えて彼の名をつけたのだ。

海のギョ

2014年10月14日 | Weblog


魚にもいろいろなが生き方がある。海に棲む魚は大海に出ると隠れるところがない。危険だ。
そこで環境との適応を考える。
南極海に棲むコオリ魚は、極寒の南極海で棲めるよう身体を変化させている。だいだい氷点下の海でスイスイ泳ぐとなると、体内の血液が凍らないよう温度を下げる。このため赤血球が欠け血液が透明だそうだ。仕組みはよくわからないが、それで生きられる。赤い血液を捨て生き延びる術を得たのだ。そして南極海は他の生物は生きられず、のうのうと氷点下の世界で外敵もいず、生活してるとか。

また深海にムネエソと言う魚がいる。小さな魚だから、すぐ食べられそうだ。けどこの魚は腹の発光器をもっており敵に襲わられると光をはなつ。これが海に差し込む太陽光線に似て、敵から見ると消えたように見える・・・・これで逃げ延びるのだ。

自然界の環境に適応する能力はすごいことだ、・・・長い年月でなせる業だ。わたしももう少し版画に気合をいれれば指も彫刻刀に変化するかもしれない。

霧の摩周湖

2014年10月13日 | Weblog
現在たたかれている朝日新聞によると、摩周湖の透明度が落ちているそうだ。
こう環境が変化すると・・・・・そうなるわな。
これは大町にある木崎湖である。ちょい昔の作品だ。わたしの高校の頃はかなり透明度があり湖底に小魚も見え、飛び込んだものだ。今はそんな気分にならない水色だ。
子どもの体力も二極化してるとも載っていた。・・・・だろうな。
外遊びする子どもの姿が見えない。昨日校庭でサッカーしてる子どもを見てホッとしてる。
そんな日の、むかしの子どもだった彼からプレゼントが届いた。

日本の伝統芸能

2014年10月11日 | Weblog
能楽に使われる能面が出て来た。裏を見ると昭和50年に銀杏の木で彫ったと書いてあった。たしか銀杏が伸びすぎて倒した時だったか・・・・・
ま、素人だから本物の足もとにも及ばない。

この能面にある動物が隠れている?・・・・と言うのが問題に出されたことがある。答えをすぐ答えると面白くないので後日発表しよう。角度を変えたり、影を作ってみたり・・・・・・・

台風が来ると言うのに好天気だ。ラジオもオリンピックの特集だらけだ。・・・盛り上げないといかんと頑張っている。箱ものもただ残れば箱だ。国立はコンサートも出来るようにするらしい。
8万入るから、これをいっぱいにできるのは「嵐」だとか。

リメーーク・飴市

2014年10月10日 | Weblog
あの寒い時期のあめ市の風景の版画をもう一度やりなおしてみた。
これが新しいのだ。店のにぎやかさを出してみたかった。
前のと比べてみた。手がこんでいるかいないかの差だ。
ま、いいでしょう。

頬染めてだるま売りたる少年の甲高き声あめ市の華
これは、前作の時に作った短歌で朝日新聞に載せていただいた。こっちの方が版画よりいいかも。

ああ秋の日よ

2014年10月09日 | Weblog
熊が近くに出て学校休み。パトカーがやたらと来てにぎやか?そこで
熊の子よ人の怖さを知ってくれひもじくあれど山で眠れよ
山にエサが少ないのだろう。マイマイガが発生しどんぐりの葉っぱが喰われ実がならないのだと言う人もいた。
今頃は七十二候では山茶始開(つばきはじめてひらく)。ちょい椿?と思われるが、この頃山茶花と椿が混同して使わられていたのでこうなったらしい。似てるのだ。そこで一首
秋の野は志功版画の彩りに似て花乱れ咲き誇り
そんなこともあって午後のワークショップは「花」でいくことにした。みなさんきれいに創っていただいた。終って栗ごはんいただく。秋だ。月食残念。

詐欺に逢うなら・・・・

2014年10月08日 | Weblog

白馬の岳が白くなったそうだ。
思いおこして冬景色を彫ってみた。白が多いと却って難しい。
そこで秋にもどり秋の下絵をつくった。獲り入れ中の田んぼにさぎが飛ぶ図だ。さぎも一向に減らず安曇野市で50代男性が1千なんぼ、だましとられたとか。

今歌う吉幾三はトンボいねェイナゴもいねえし若者もいねェ

短歌の投稿、秋のたんぼ風景を詠った。快心の迷作だ。

線香花火だ!

2014年10月06日 | Weblog

その昔、製材所がなかった頃。板は大きな丸太を人力で引いていた。あの大きなのこぎりでひいていたのだ。山で伐り、運ぶ・・・・さぞかし重労働と思う。

私の小さい頃は、俗に言う「木こり」と言う職業があり、このように働く姿も見た。ほんとうに最後の頃だ。運搬にトラックが入り、すぐ製材所に回すと言う時代がきた変遷の頃だ。

ここへ遊びに行くと、運よく休憩だと「ぼうず、よく来たな」とか言って、のこぎりの刃をやすりで研ぐ時出る鉄粉をとっておいて、それをこよりにした紙で包み火をつける。
そうするとパパと火花が飛ぶ。そうです。線香花火と同じなのだ。

あの頃は、線香花火などあることも知らない田舎だったから、衝撃的。
だから花火をみると。その事が思い出すのだ。