武田光弘画楽多製作日記

暇をもてあそび造形してます。作品として形としてまとめたものなどを見ていただきたい
と思っています。

武田信玄を考える

2014年10月29日 | Weblog
甲斐の武田信玄がほぼ信濃を治めるに十年かかったと言う。ただし北信は謙信がおり治められなかった。
私も武田と言うので、どうゆうつながりですと都会から来た人は聞く「おじさんにあたります」と言うと「冗談でしょ」と言う。そう冗談なのです。
これは我が家に伝わる「信玄公」の像だ。大昔からあると思っていたら、昭和十九年戦争のため金属を供出した時記念でこれをもらったと書いてあった。

こういう顔だったが・・・・国立図書館にある肖像画とはえらく違う。
この時代負けると一族皆殺しが通常だから、信玄の末裔と言ったって・・・・・と思っていたら東京におられてそのご子息が、祖先のお世話になった山梨の職員になったと言うニュースも聞いた。どういう系統の方か不明なれど。
私は末裔でないことは確かだ。この肖像画は、わたしが退職の時生徒が贈ってくれたものだ。随分柔和で戦国時代には生きられない顔だ。
この肖像画は「鉄拳」が書いて新聞に載せられたものだ。ずいぶん怒っていた時代なので、こんな印象なのでしょう。


合掌。

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