まあまあ人生

70年の人生 まあまあですね

3月31日

2006年03月31日 | Weblog
午後、事務所に帰るべく地下鉄に乗る。ふと、前を見ると二人の男性が、それぞれ花束を持っていた。何れかの職場を永年勤務して、退職されたのであろう。そういえば今日は、3月31日であることに気付く、私も、10年前は同じように花束を持って家路についたことが、ついこの間のような気がする。やれやれと何か大役をし終えた満足感と明日からの新しい仕事に対する不安とが交差して、落ち着かない気持ちであったことを思い出す。    3月は、別れの季節である。そうして、明日から始まる4月は出会いの季節である。私も、何度、別れと出会いを経験したことだろう。別れの悲しみ、出会いの喜び、又は、その反対の場合もある。 事務所に帰ってから、瓜破霊園近くに行く。姉の墓が瓜破にあるのでついでに行く。斎場の辺りの桜は、一本の木は2~3分咲きで他もちらほら咲いていたが、霊園内の桜はまだ蕾のままであった。距離的には余り離れていないのだが、自然の妙である。姉の墓には、すでに花があったので、そのままにしておく。隣の墓の花入れには、少し小さめの桜の花が満開であった。 帰り道、ふと、垣根をみると赤芽がしの赤い新芽が目に入ってきた。いずれの新芽も美しい。 . . . 本文を読む

誘惑

2006年03月30日 | Weblog
昨日の夜、テレビの番組「トリビアの泉」の中で、雑種犬、主人の留守中にドロボウ・・・どうする。と金のおのと銀のオノ、子どもは正直かが興味をひいた。犬の件は、主人が留守仲に、ドロボウが入り、犬はドロボウに如何対応するか、また、骨付きの肉を与えた時はどうなるかを100件検証したところ、100匹中、16匹しかドロボウの侵入を阻止しただけで、ほとんど犬は最初吠えるが、肉を与えると駄目になるのが多かった。最初から尻尾を振っている犬もあり想像外であった。 もう一つの金のオノ銀のオノは、イソップ物語にでてくる、木こりが川にオノを落とした時、ヘルメスが川の中に潜って、金オノを拾ってくるが、木こりはそれでないと言ったので、次に銀のオノを拾うが、それも違うと答え、三度目にその木こりのオノを持ってきたとき、木こりはそれが私のオノだと答え、木こりの正直さに三つのオノをくれた話を例に、幼稚園児に母親が10円渡し、一人で駄菓子やで買い物をさせる。駄菓子やの店員はわざとその10円を落とし、探したのち、500円硬貨と、100円硬貨を拾い、先ほど持ってきた硬貨はどれかといって、子どもの正直の度合いを測る番組で少々酷い面があったが、結果は100人中、63人が正直であったが、三分の一強が誘惑に負けている。当初は誘惑に負けるが、途中思い返して正直に言う涙ぐましい子どもあった。この数字は、多いと思うか、少ないと感じるかはそれぞれの考えるところである。これが、大人の場合はどうかと思うと、心もとない思いがする。 聖書に「人はそれぞれ自分の欲に引かれ、おびき寄せられて、誘惑されるのです。」 ヤコブ1:16 . . . 本文を読む

花、花、花

2006年03月28日 | Weblog
昨日の暖かさで、桜も一つ二つと咲きだした。東京では早や満開のようであるが、関西の方が暖かいと思うのだが、大阪はまだまだ、しかし、月初めに満開になることだろう。通勤路にあるお家の植木鉢に、寄せ植えされていたヒヤシンスとアネモネが咲いていた。ヒヤシンスはピンクとブルーで、アネモネは深紅でそのコントラスが面白い。銀行に行く道の塀の下の日陰になっている所に、今年も花にらが白い可憐な花を咲かせていた。この花が咲いているのを見て、何時も植えて見たいと思いながら実現していない。白色のほかに薄いブルーの花もありこれも美しい。我が家の二階のベランダの鉢に絹さやエンドウを二株植えておいたのが、日曜日に見ると、スイトピーに似た赤い色の花を二つ三つ咲いていた。いよいよ春、本番である。 二日前、牧師夫人から頂いたアーモンドの種二粒ナイロン袋に水を入れて、二日ほど漬けた後、植えると発芽しやすいとかで、仮植えする。成長して実がなるのは、何年待てばよいか、気長に待とう。 . . . 本文を読む

生きた信仰

2006年03月27日 | Weblog
今朝は暖かい朝であった。大阪朝祈会に出席する、今朝の奨励は活けるキリスト大阪一麦教会のH師で、「生きた信仰」と題して、マタイ17:19~20から語られた。師は46年間の牧会生活に裏打ちされた力強いメッセージをされた。 私達の周りには、解決の出来ない暗い出来事が多く、ともすれば希望をなくすが、どの様な時でも、主を信頼して、信仰を働かすならば、必ずや解決を与えてくださる。悪霊を追い出すことが出来なかった弟子に、イエスは言われた。「信仰が薄いからだ。はっきり言っておく。もし、からし種一粒ほどの信仰があれば、この山に向って{ここから、あそこに移れ}と命じても、そのとおりになる。あなたがたにできないことは何もない。」真に信仰を働かすならば、あなたにできないことはないと断言しておられる。 例えとして、話された。師が牧会して6年過ぎた時、一人の夫人が導かれてきた。その方はお姑さんと大変仲が悪く、お互い気性が激しく、犬猿の仲であった。しかし、その夫人が、聖書を読み、導かれた時、自分の罪を示され、悔い改めてお姑さんに仕えた時から、段々と仲がよくなり、お姑さんも夫人の変化で導かれるようになった。夫人に洗礼を授ける時、夫人は何時も、頭にネッカチーフをされていたが、師はおしゃれな方とばかり思っていたが、洗礼のため、そのネッカチーフを取ってもらって驚いた。禿げていたのである。夫人はその後、ますます、信仰熱心になり、私を変えてくださった主は、必ずや、この頭も癒してくださるとの強い信仰が湧き、祈り続けた結果、産毛が生え、やがて美しい髪になり現在に至っておられると証しされた。私は、このメッセージ聞いて大きなチャレンジを受けた。 . . . 本文を読む

懐かしい淀川

2006年03月26日 | Weblog
礼拝後、体調をくずしているS兄を訪ねる。地下鉄の太子橋今市駅で下車、歩いて豊里大橋を渡る。淀川を眺めていると、子どもの頃が彷彿と思い出された。豊里大橋付近の河川敷は整備されていて、グランド等が多くあり、駐車場も整備されていた、わんどもなく昔の面影はほとんどなかった。少し西の方の工大付属高校(旧摂南工業高校)裏あたりは、葦等が繁茂しているように見えたので、その辺りは、わんどがあり昔の面影を残しているかもしれない。葦原には、せっか、よしきりが鳴いていて、何か侘びしい感じがした記憶がある。機会があれば行ってみたい。子どもの頃は、夏は、魚つりや土手で、きりぎりすを獲ったものである。わんどには大きなどぶ貝(からす貝)が獲れた。秋には、かすみ網で野鳥を獲った。秋に渡ってくる「かしらだか」という雀を少し細長く大きくした鳥が多く獲れた。こがらも獲れたこともあり、うずらも棲んでいた。工大高校の東側に広場があった。ある時、鳥もち竿を持って、やんまのギーネン(交尾している)を追って端から端まで競争したが、ほとんど速度は同じ位であったが、ついに捕まえることが出来なかった口惜しさが思い出される。心配したS兄は思ったより元気相であったのでほっとして帰路につく。帰りの地下鉄の千林大宮駅についた時も、昔を思い出した。当時、大宮町に住んでおり、暇さえあれば千ぶら(千林の闇市をぶらぶらすること)をしたこと、商店街の入り口あたりに小鳥やがあり、そこで鶏も売られていて、今日はどの種類が置いてあるかと楽しみであったのが強い印象である。こうして昔のことが次ぎから次へと思い出すのは、年を取ったからだろうか。 . . . 本文を読む

花々の美しさ

2006年03月24日 | Weblog
今日の午後、自転車で遠出する。大和川に架かる高野大橋を渡るまで、200メーター程の坂道になっている。2年程前に改修工事が行われ、舗道が整備されて少し広くなって走りやすくなった。中高生を見ていると、腰を上げてこいでいるが、私はもっぱら自然体でこいでいる。距離があるので、橋の上に来ると、息が弾んでいる。私は、大体そこで小休止して、大和川の川面を見るのが常である。年配の人が釣りをしていた。鯉でもつっているのだろう。そうした時、突然、ひばりの鳴き声が聞こえて来た。最近はほとんど耳にすることがない。懐かしさがふつふつと湧いてきた。子どもの頃、淀川の川原や、旭区の高殿小学校の西側に広大な野原があった。そこにもひばりの鳴き声が嫌と言うほど聞いた。天高く上がる時と、降下する時の鳴き声は全然違う。当時、ひばりを捕獲しようと何度かこころみたが、成功しなかった。巣は降りた所でなく、巣の手前に降りると聞いていた。だから飛び上がったところを探すのだが、毎回失敗であった。 帰り道、雪柳が白い花を振っていた。レンギョウの黄色の花が、対比して美しかった。 昼食を食事処で食べていると、向かい側にある旧家の屋敷に植えられている、こぶしの白い花が、木全体を白一色にして見事に咲いていた。居ながらにして一幅の絵を見ているようであった。 . . . 本文を読む

選抜高校野球

2006年03月23日 | Weblog
今朝、銀行で順番待ちをしていた時、ふとテレビを見ると、甲子園で行われている、選抜高校野球大会の入場行進をしている場面で、丁度近畿の京都の学校に始まり、大阪、兵庫、奈良、和歌山の順で行進していた。それを見ていると、色々なタイプがあった。先頭のプラカードをもって先導しているボーイスカウトでも、訓練を受けて、ある程度統一されていると思ったが、プラカードはキッチリト持っていたが、足の上げ幅は、高いのや低いのがあって、低いのはやはり見苦しかった。行進している高校生は、緊張して固くなっている者や、やたらとにやにやしている者、上体を前のみめりしている者、横に曲がっている者等さまざまであった。勿論、足の上げ幅の高低、腕のふり幅の大小もあった。少し緊張気味で、足を高く上げ、腕も大きくふっている方が見ていた感じが良かった。 勢いのある姿は美しいし、きっと野球にも勢いがあると思われる 私は、出来るだけ背中を張って歩くようにしている。何時まで続くか分からないが、姿勢を正すことによって、生活も正されていくものと確信する。 聖書に「幸いなことよ。 悪者のはかりごとに歩まず、 罪人の道に立たず、 あざける者の座に着かなかった、 その人。 その人は、 水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。 その人は、何をしても栄える。」詩編1:1・3 . . . 本文を読む

世界一の勝利

2006年03月22日 | Weblog
荒川選手が冬季オリンピックで優勝したことは、久しぶりに明るいニュースであったが、今回のWBCで王ジャパンが世界一になったニュース程、日本中を喜びに包んだことはない。一度は絶望視されていたが、奇跡的に復活して、最後は優勝を手中にした。「目の前が暗くなるようなことがあっても、いつかは光が差し込んでくることがある。決してあきらめずにいれば、最後に勝利をつかめるかもしれないということを、日本チームは身をもって示した」と天声人語の筆者は書いていた。私も、小さいことであるが、もう駄目かもしれないと思いながらも、我慢して続けていると、チョトしたことで、事態が良い方向に転回したことを、何度か経験した。少しの失敗や困難にもひるまず、これからも頑張り続けて行きたい。聖書に「そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。」ローマ5:3~4とある。 . . . 本文を読む

梅園観賞

2006年03月21日 | Weblog
今日は春分の日、ゆっくりと起床する。休みなので「さわ」に行く、行った時、客は居なかったが、私達が行って間もなく、次から次とお客さんが来られた。 昼まで植木の手入れを行う。昼食後、大阪城の梅を見に行く。少し冷たいかなと思ったが寒くもなくいい天気であった。大阪城公園駅を下車して、美しい松並木を歩いていると、多くの人達が梅園や大阪城に向かって歩いており、多くの屋台が出ていた。 梅は盛りを過ぎた感じであるが、まだまだ美しい姿を見せ、特に綺麗な花の前では、写真を撮る方も多くあった。メジロの新子と思われる群れが、鳴きながら枝から枝へ移動している風景を眺めていると、何とも言えない安らかな気分になった。 三々五々、多くの人達が梅を見ながら歩いている姿を見て、日本の国は平和だなーと実感する。 堀には、多くの鴨たちが、北国に旅立つ前の準備なのか、せっせと水面を動き回っていた。 大阪城は、所々新しく金箔を施されたのか、ぴかぴかと照り輝いていた。至る所で、3月25日から開催する、「花彩祭り2006おおさか」の準備をされていた。機会を見つけてこの催しにも来たいと思いながら、森之宮駅に向かい帰路についた。 . . . 本文を読む

懐かしい童謡を聞きながら

2006年03月20日 | Weblog
夜中二度目のトイレ、ベッドに戻り眠ろうとするも、なかなか眠れず3時も大分過ぎる。仕方なくラジオを聞く、懐かしい音楽が流れてきた。  みどりの丘の赤い屋根 とんがり帽子の時計台 鐘がなるなるキンコンカン メイメイ子山羊が鳴いている 風はそよそよ丘の上 黄色いお窓は おいらの家さ  幼い時、何度と聞いた歌で、ラジオから聞こえる音は、使い古したのか雑音が入りザアザアとなっていたが、それでも良かった。題は「みどりの丘」と思っていたが、アナウンサーは「とんがり帽子」と言っていた。今朝の日本の歌心の歌は、川田姉妹特集で、烏の赤ちゃん、ちんから峠など懐かしい歌の数々が放送され聞き入る。そのまま「心の時代」を聞く今朝は、東大を卒業され仏教に得度された方の話であったが、あまり心に響かずそのうちに眠る。6時前起床朝、大阪朝祷会に出席する。今朝は、阪神チャペルセンターのK兄が「万事が益になるように」と題して、ローマ8:28から証しされた。K兄は、めぐまれた生活から、バブルの崩壊にともない一変して厳しい試練の生活へと迷いに中にあったが最善に導かれる主に委ねて祈り続けて、当時、住んでいた阪神間ばかり探していたが、大阪に行きなさいとの示しをうけ、大阪にきて、現在の職場も与えられ、主の証しの働きも恵みのうちに過ごす幸いを証しされた。 . . . 本文を読む

古希からスタート

2006年03月18日 | Weblog
土曜日の朝は、このところ「さわ」でお粥を食べる。11時に診療所に予約していたので行く。帰りに天王寺で盆栽のボケと水仙を買って帰る。ボケも水仙も家にあるが、見ていると欲しくなり買ってしまった。 夕食は、北畠にある肉料理の「よし富」で長女の家族、次女の家族と一緒で、私の古希の祝いをしてくれた。正月以外このように全家族で食事をするのは久しで、賑やかな和やかな一時を過ごすことが出来て感謝である。 これからどれ程、元気でいるかは分からないが、家族の為に頑張らなければ、勿論、主のためにも励んでいきたい。と願いながら「希望の花」の一節が思い出された。 五十、六十がつぼみなら  七十、八十花盛り  わたしの人生これからと 希望の花を咲かせましょう・・・・・・・ . . . 本文を読む

もう70才

2006年03月17日 | Weblog
先日、社会保険事務所から健康保険高齢受給証が送られてきた。70才になると医療費の一部負担金の割合が3割から1割になるらしい、有難いことである。先日、税金を少しでも返してもうために、確定申告で医療控除をするため、昨年支払った医療費の領収書を計算すると、私の分だけで12万円ほどになっていた。1割負担になると8万円ほど少なくなる勘定になる。年をとるのも悪いことばかりではなく、いい事もあるのに気づく。明日、古希の誕生日を迎える。この70年間を振り返ると、よくもこれまで生きてこられたと、ただ感謝するばかりである。今年、仕事を終え、自分史を書き上げ、その感謝会を開く予定であつたが、もう1年延長しなければならなくなった。それもこれも主の導きと確信する。 . . . 本文を読む

心身ともに健康

2006年03月16日 | Weblog
第三木曜日はカナン朝祷会のある日、今朝は、日本イエスキリスト教団西大和キリスト教会のM師が「友と呼ばれる方」と題して、マタイ20:1~16からメッセージをされた。ぶどう園の主人は、朝から働いた人も夕方から1時間しか働かない者も同じ賃金を払ったことで、朝から働いた者が、主人に不平を言うところである。主人は、その者に友と呼んで親しく接しておられる。イエス様は裏切るユダに対しても、同じように友と読んでおられる。主は、ご自分に反対する者に対して、友と語られ、また、無きに等しい、ねたみ心の多い我らに対しても、友と呼んで近づいてくださる。 今朝も、心のこもった食事であった。名物の若ごぼうとあげの炊き合せ、さばの塩焼き、野菜のサラダ、みそ汁にデザートのバナナ1本であった。 午後雨の中、社会保険事務所主催の健康づくり講習会に出席する。講師は、健康運動指導師、丹羽美智子氏が、「体のひずみを知って、らくらく健康生活」と題して話された。雨が降っていたため、参加する人が少ないうえ、説明会が終わった時点で、多くの方が退場され、残った者は少なくて、講師は話し難かったと想像する。この話を聞いて、参考になることが幾つかありますよと前置きして、時には演技をしながら説明された。私は特に、「若さを保つ五つの習慣」①目標を持ち続ける。 ②人の話を聞くことや、本を読むこと。 ③早寝、早起き、時間の使い方が上手。 ④姿勢がよい、運動習慣がある。 ⑤感謝の気持をもつ。が興味を持った。また、ゴムひもを使っての体操もこれから実行したいと思った。 . . . 本文を読む

花の季節

2006年03月15日 | Weblog
先日(10日)剪定で捨てられ椿の小枝を事務所に持ち帰り、一輪挿しに入れておいたのが、昨日一輪が咲きはじめた。ピンク色のバラのように咲いているのを見ているので、満開になるのを楽しみてである。テーブルの一輪挿しを見ていて、新しい発見をした。それは、はなびらが一日一枚ずつ開くようであった。満開になるのには4~5日かかる勘定になる。枝は2本で蕾は3つであり、1つ咲けば良いと思っていたが、この分では2花咲きそうである。 自転車で走っていると、舗道に植えてあるこぶしの白い花が、蕾から少し咲きかかっている。満開になれば、木全体が白色で埋もれる。早春の一コマである。家々に咲いていた梅は盛りを過ぎてきた。桜の蕾も大分大きくなってきた。春爛漫はもうそこに来ている。 事務所にある白色のシクラメンは3年前に買ったものであるが、肥料もやらないが健気に咲いている。花の季節がやって来た。 . . . 本文を読む

善行を先に延ばすな

2006年03月13日 | Weblog
今日は朝から冷たい風が吹き、午後からは、小雪が舞う寒い一日であった。今朝も、大阪朝祷会に出席する。今朝は、日本基督教団四条畷教会で28年間、伝道牧会をされていたD師が、「明日に延ばさぬ善行を」と題して詩編90編12節(生涯の日を正しく数えるように教えてください。知恵ある心を得ることができますように。)から話された。 D師は、これまで度々明日に延ばしたために、痛恨の思いをかみしめることを味わったと、例えば、癌で入院されていて大分悪い状態であると聞き、訪問しょうと思ったが、用事が出来、一日延ばしたが、その方が亡くなられた。また、D師は心を病んでおられる方に重荷をもっておられて、交わりをしていたある方から、夜中に電話が架かってきた。その朝早く、遠方に出張する予定であったため、帰ってからゆっくりと話をしようと電話を切った。出張から帰ると、その方は、その日自殺をしたことを知り、なぜ、その時、話を聞かなかったと後悔された。また、恩師が入院されて早くお見舞いをと思いながら、忙しさのために、延びていたが、恩師が急逝されたことなどが話された。それに比較して、四条畷教会に故大川増江姉がおられた。ある時、永年伝道されていた宣教師が、母国に帰国されるため、空港で倒れられ、連絡を受けたD師は駆けつけ、荷物を入院先に届けられた。宣教師からボストンバッグからタオルをだしてくれるよう頼まれたので、出してみるとそれは雑巾のように使い古したタオルであり、パジャマも擦り切れたものであった。D師は何とも言えない気持ちになり、教会に帰り、大川姉に話された。すると大川姉は、大きな風呂敷一杯にタオル、パジャマや、下着類までつめて、宣教師の所へ行きましょうと言われた。また、危篤の癌患者がおられた。医師は、癌であることを知らせては駄目だと言っておられ、それを聞いた大川姉は、先生行きましょうということで一緒に行かれた。面会したとたん、病人にたいして、大川姉は、天国で再会しましようと短刀直入に言って、その後は、喜んで交わりの時を過ごされた。D師は初めはらはらしたものの本当に良かったと感謝された。このように大川姉は、善いと思うことは躊躇せず実行する人であった。 与えられている今日という日を精一杯生きよ、心にある好意ある善きことを明日に延ばすなと自らに戒めるごとく話された。 . . . 本文を読む