まあまあ人生

70年の人生 まあまあですね

タバコの値上げ

2006年06月30日 | Weblog
今日は6月30日、今年も半年が過ぎた。自転車で走っていると、自動販売機の横に大きなパラソルが立てられており、その下で60才前後の男性が椅子に座っていた。初めは、何のことか分からなかったが、男性の横に、タバコのカートンが積まれているので、ようやく理解出来た。明日からタバコが値上げされるので、駆け込み需要を狙っての対応であったのだ。知人が言っていたが、もう少し大幅の値上げであれば、タバコを止めるんだがなーと呟いていた。夕刊には、禁煙外来盛況と新聞は報じていた。私は、タバコは吸わないので関心がない。これは母の影響である。母は明治の人間でタバコを吸っていた。あの終戦前後の物のない時代、タバコも配給でままにならなかった。吸殻を火鉢の灰をかき混ぜて取り出し、それを煙管につけて吸っていた。また、母は喘息の気があり、体調が悪い時は、咳き込みながらもタバコを吸っている姿を見て、何か、哀れに思い、私は、成人してもタバコは呑まないと決心したことが理由である。 . . . 本文を読む

富とは、貧とは

2006年06月29日 | Weblog
今朝の朝日新聞の天声人語に聖書のことばがあった。「もし完全になりたいのなら」とイエスが言う。「行って持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい」。更に弟子たちに述べた。「はっきり言っておく。金持ちが天の国に入るのは難しい。重ねていうが、金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通るほうがまだ易しい」(聖書・新共同約)を見た時、これは、日銀総裁の福井氏と村上ファンド前代表の村上世彰氏のことを言わんとすると思ったが、世界第2位とも言われる米国の富豪、投資家のウォーレン・バフェット氏が、4兆円余りの資産を寄付のことであった。氏は遺産税廃止など、相続負担を減らす動きを批判して来た。それは、経済格差を助長し、資産家の子どもを甘やかすからだという。 ウォーレン・バフェツト氏も村上世彰氏も子どもころからお金に興味があったと言う。幼い姿には通じあうところもあるが、プロとしての姿勢には大きな違いが出たと結んでいた。 使徒パウロは、貧に処する道を知っており。富に処する道も知っていると語っている。 翻って、自分は如何なんだろうか、富にはまだ仕えていないが、貧は経験している。あの戦争の前後、喰うものも喰えず、辛い生活を経験している。しかし、飽食の今、それを克服出来るかと自問する時、少々自信がない。 . . . 本文を読む

鈴のなる道

2006年06月27日 | Weblog
今朝バスに乗って出勤する。途中から乗車した50才前後の男性は、左手が火傷か、麻痺がしているのか不自由な身のようであった。私が下車する一つ手前で下車した。その時まで、彼の存在は知らなかった。下車する時、当然のように自分は身体障害者であると、態度で、何も見せないで下車した。運転手は,くだんの男性の背後からに二、三度、パスを見せないと乗せないよと言っていた。それを見て、下車する姿に同情していたが、その後の態度を見て、その気持ちが何処かへ行ってしまった。 夕食を摂りながら、クリスチャン新聞を見ていると、星野富広さんが、名誉群馬県民として顕彰されたと報じられていた。その時、「鈴のなる道」と題してミニ講演をされた。 ある人から貰った鈴を車いすにつけて散歩していた時、いつも避けて通っていたでこぼこ道で「チリン!」と美しい音色をかなでた。小さな音色でしたが本当にいい音でした。その鈴の音を聞きたくてもう一度そのでこぼこに乗って音を立ててみました。その日から私は道のでこぼこを通る時に前ほど嫌いでなくなりました。と語っておられた。 自ら障害を前向きにとらえるか否かでその先の歩みは大きく変わることを知らされた。 . . . 本文を読む

主の喜びたもう歩み

2006年06月26日 | Weblog
起床5時45分、大阪朝祷会に出席する。今朝は、日本基督教団淀川教会のT兄が、「主が喜んでお用いになるために」と題して、コリントⅠの13:13から証しされた。 T兄は、ご両親が熱心なクリスチャンで子ども全員が信仰を持つ環境で成長される。 主は人の内面を見られる、主の謙遜を見習って、信仰に励んで生きたいと語られた。 昨日の、みことばの扉の聖書箇所は、箴言10:1~5 知恵のある子は父を喜ばせ、愚かな子は母の悲しみである。 不義によって得た財宝は役に立たない。しかし正義は人を死から救い出す。 主は正しい者を飢えさせない。しかし悪者の願いを突き放す。 無精者の手は人を貧乏にし、勤勉な者の手は人を富ます。 夏のうちに集める者は思慮深い子であり、刈り入れ時に眠る者は恥知らずの子である。 自らの歩みを日々点検しながら気をつけなければ、今の時代どの様になるか判らない。 . . . 本文を読む

海外派遣

2006年06月25日 | Weblog
朝から今にも降りそうな天気であった。教会学校に子ども達は元気に来ている。語る話がどれだけ届いているのだろうかと思いながら語りつつ、自らの今日までのことを思い起こし、感謝する。礼拝後、昼食を摂りながらの教師会に出席する。その後、「社会を明るくする運動」の集会があると勘違いして行くが、二週間後とわかりそのまま事務所で仕事をする。5時半に事務所を出る。夕食は、昭和町にある和食の店「久富」に行く。愚息が7月にバングラデシュに、かねて念願の海外に派遣されることになり、娘家族と一緒に壮行会を兼ねての食事会であった。家族だけで何も形式ばらずに、食事を共にするだけのものであったが、愚息から改めて、決意?を聞いてああ!そうなんだと言う新たなる思いをさせられた。あまり心配はしないが、過去二回海外から帰国後、高熱で苦しんだことがあるので、そのことだけが気になるが、全ては、主のみ手の内にあることを信じて楽観する。 . . . 本文を読む

一日研修会

2006年06月24日 | Weblog
今日は、天気予報は雨模様であったが、予報に反して良い天気になり、行楽日和となった。今日は、近畿地区の女性会と壮年会の初めての合同研修会が神戸で開かれた。観光バスで阿倍野から桃谷教会を経由し、神戸平野教会に着き、合同礼拝の恵みに与る。礼拝後はバス2台を連ねて、二番目の目的地、森林公園に行く、スポーツ・リクリェーションゾーンにある、阿蘇の草千里を想い出すような広大な芝生の上で、ゲームで交わりと汗を流す。その後、三々五々に別れ、お弁当に舌鼓をうつ。食後は、腹ごなしを兼ねて、植物園のメーンであり、今が見頃の「あじさい」見学に行く、種々の品種があり、これがあじさい?と思うようなものもあった。時間に急き立てられて、次の六甲山牧場に行く、最初に出迎えてくれたのは、大きなオッパイをした山羊であった。その後は、馬、豚、うさぎ、それに一番多く私達を歓迎してくれたのは、羊の群れであった。聖書に良く出てくる羊達で、柔和で人なっこい羊は子ども達が触っているのをよく見かけた。急勾配の道を歩いたのと、照りつく太陽の暑さで、冷たいものを要求したので、売店で特製のソフトクリームで喉を潤す。 暑さのため、休憩していると爽やかな高原の風が気持ちよく撫ぜてくれた。3時過ぎ、2台のバスは、元町と大阪に分かれそれぞれ帰路についた。何か心身がリフレッシュし、快い疲れを覚えながら今日一日を感謝する。 . . . 本文を読む

ネジ花とアガパンサス

2006年06月21日 | Weblog
今朝出勤前、ベランダの植木に水をやる。ふと見ると、ねじ花が花をつけていた。昨年は沢山咲いたが、今年は余り姿が少ない。ねじ花は、以前はありふれた野草で、野原のいたる所で見られたが、いつの間にか姿を消していた。今、我が家で咲いているのは、前に住んでいた、(アポロビルの南側)家の近くの空き地に芝生が生えていた。そこに珍しくネジ花が群生していたのを採取したものである。ねじ花は可憐な綺麗な花であり、私の好きな花の一つである。 アガパンサスも大きく首を伸ばし、咲き始めた。この花は至る所の植え込みで見られる花である。 花ことば、ネジ花 思慕 。  アガパンサス 恋の訪れ・愛の便り。 . . . 本文を読む

ラッキョ

2006年06月20日 | Weblog
昨日、3時のおやつをイズミヤに買いに行く。野菜売り場を通り過ぎようとすると、ラッキョが目についた。少し前から目についていたが、どれもこれも大粒で好みでなかった。昨日のラッキョはひね物の小粒であったので、つい手にして買ってしまった。昨年、漬けたのは失敗作であった。塩ぬきが足りなかったのか、多めに塩を入れたのか、いずれだったのか、塩からい出来のため、余り食がすすまず残っているので、今年は漬けないことに決めていたが、つい買ってしまった。帰宅後、ラッキョの掃除に時間を費やす。 昨日の午後、瓜破方面を自転車で走る。瓜破霊園には、姉一家の墓があるので、花を飾りに行く。以前は月2回霊園を通るので、その都度、墓を訪ねたが、最近はまれである。 昨日の午後も暑かった。霊園の木の下で、鳩達も暑いのだろう、涼をとっていた。付近の畑では、大豆がすでに豆をつけていた。なす、きゅうり、とうもろこしも実をつけていた。 . . . 本文を読む

災害は忘れたころにやって来る

2006年06月19日 | Weblog
今朝も、大阪朝祷会に出席する。今朝は、シャロンの花・キリスト教会牧師のK師が「神の庭」と題してヨハネ6:11から話された。K師は、阪神淡路大震災に遭遇され、その体験を財団法人「人と防災未来センター」の語りべとして、多くの人にその恐ろしさを知らせ、その備えの必要を語っておられる。大震災があって、10年が過ぎ、人々の頭から忘れ去られようとしているが、風化させてはならない。震度7では、人間は何も出来ないと、地震は東海、南海に発生するとの予報であったが、地震は何時、何処で発生するのか現在では解らない。震災後の食料のない者同士が助け合う本当の思いやりを見て、感激された。奪いあえば足らなくなり、分かち合えば余るのであると結ばれた。 私自身、地震は体験したが、何の被害も被らなかったので、風化が早いと実感し、その備えを忘れないように配意していきたい。 . . . 本文を読む

クチナシの花

2006年06月18日 | Weblog
昨日、クリスチャンセンターからの帰り道、阿倍野筋の舗道を歩いていると、ほのかな香りがして来た。ふと舗道の植え込みをみると白と黄色のクチナシの花が咲いていた。クチナシの咲く季節であることを知らされる。今まで、植え込みは、つつじが植えられていたのであるが、年々枯れて淋しくなってきていたのは知っていたが、いつの間に、クチナシに植え替えられたのか知らなかった。クチナシは地味な花であるが、その匂いは、少し強烈過ぎるほどの香りを放つ。梅雨の雨にも負けずクチナシは咲いていた。 「クチナシの香りただよう雨の宵 こころ静かに人を待ちおり」鳥海昭子 花ことばは 私は幸福すぎる である . . . 本文を読む

歌声はひびく

2006年06月17日 | Weblog
今朝も「さわ」でお粥の朝食の後、医院に行く。午後は、家内と、大阪クリスチャンセンターで開かれた、0CC親睦の集いに出席する。1部デボーションでは、0CC常任理事の0兄が「聖書を羅針盤として」ピリピ4:6から証しされた。O兄は、若い時、商社に勤めておられ、にっちもさっちも行かない苦難に遭遇された時、主により頼み、祈って対処した時、不思議にも道が開かれたと述懐されていた。2部は、70年代に風靡した、「キリスト教歌声の夕べ」を想起して、0CCのS総主事が当時を振り返り語られるとともに、かつてのメンバーも加わり、楽器演奏に参加者一同、数々の賛美、上を向いて歩こう、替え歌など楽しく歌うことが出来た。H姉の独唱、関西エバンジェリカルハーモニーの合唱など充実したひと時であった。帰りは激しい雨であったが、何かしらほのぼのとした気持ちで帰途につく。 . . . 本文を読む

人それぞれ

2006年06月16日 | Weblog
今朝、バスに乗る。優待パスを頂いてから乗る機会が多くなった。バスの運転手さんも色々の方がおられる。親切丁寧な運転手さんが多いが、中には無愛想で苦虫をつぶした様な感じの運転士さんがおられる。今朝の運転手さんは、後者に属する方であった。運転技術もやや荒っぽかった。終点まで乗っていたのは、私一人であった。下車する時にありがとうと言ったが、うんともすんとも言葉がなかった。 毎朝、銀行に行く。今朝も、キャシュコーナで順番を待っていた。3台ある機械は、3台とも女性が使っていた。1人は振込みが多くあるのか、メモを片手に操作していた。もう一人は、通帳を何冊か持っていて、入れたり出したりしていた。3台目は母と娘と思われる二人連れで、これまた、メモを片手に振り込んでいた。相当時間が過ぎ、私自身も少しいらいらしてきた時、前の男性が早くしてや、待つてねんでーと少し大きな声で注意をうながした。暫くすると、一人が去り、続いてもう一人が去って私の番になった。丁度、母娘の横になる。私は毎日行っているので、2件の預け入れを行う。隣は何かもたもたしていたので、見るとはなしに、チラッと見ると、プロミスという文字があった。想像であるが、メモに書かれていた何件かは、さら金の返済ではないかと思う。そのうち、間違って振り込んだと声をだしていた。 それぞれ事情があるのだろうが、もう少し考えた方が良いのでないか。 今朝の「世の光」はA師が「民族を越える愛」と題して語られた。A師は、かつて宣教師として、マレーシアの教会で奉仕されていたが時、熱心に協力した信徒二人は、父親が日本兵に殺された経緯があるが、キリストの愛により、憎しみを越え、民族を越えて愛する愛が生まれると語っておられた。 . . . 本文を読む

アジサイ

2006年06月15日 | Weblog
今日は天気予報どおり、朝から雨、梅雨に入ってからの梅雨らしい天気である。この時期、至る所で、種々のアジサイが今を盛りと咲いている。ラジオ深夜便の誕生日の花と花言葉、今日は、「アジサイ」である。花言葉は移り気、乙女の愛となってある。私は、心情的にあじさいはあまり好みでない。それは梅雨の雨と一緒に想い出すからだろう。そんなアジサイであるが、平野に和菓子屋さんで「塩伊」と言うお店がある。上品で美味しいくたまに買って味わう。前にブログに紹介したことがあるが、店先に、その時々に旬の花を道行く人の目を楽しませている。ここのアジサイは好きである。濃いコバルト色がとても美しい。 6月24日、女性会の方々と神戸に行くことになっている。六甲山のアジサイの名所にも行くことになっている。そこでも多くの色々なアジサイ達と出会うことだろう。 . . . 本文を読む

月下美人

2006年06月14日 | Weblog
今日は朝から午後2時30分まで部屋で一人勤務、その後、明日は一日中雨の予報なので、調査で事業所を廻る。大きな事業所もあるが、大方は中小企業又は、家内工業ガ多い。 底辺を支えている様々な事業があるのには驚きである。忙しかった一日の仕事を終えて、行きつけの、「釣りロマン」のテレビに出た、理髪店に行く。店先に、月下美人(サボテンの一種)が二輪見事に咲いていた。そのことを店主に話すと、この花にアゲハ蝶が止まったと言いながら、デジタルカメラを持ってきて、その映像を見せてくださった。見事にとまっている姿が映っていた。月下美人と言えば、夜中に咲いて朝にはしぼむのが普通なのが、自宅の近所の月下美人も昼間咲いていた。品種が違うのかも知れない。しかし、優雅な花である。 . . . 本文を読む

屋久島の伝道

2006年06月12日 | Weblog
6時前に起床、大阪朝祷会に出席する。今朝は、初代クリスチャンセンターの主事をしておられた、K兄が「わたしの羊を飼いなさい。といわれて」と題して、ローマ10:14・17から証しされた。K兄は、13年前、学校を退職後、屋久島に移住された。島には、無牧のカトリック教会とプロテスタントの教会があるものの、あまり伝道がされていない。K兄は45年間CSの教師をしておられたので、島の子どもたちのため、教会学校「待望館日曜学校」を開き、子どもの救いに情熱を傾けておられる。本土同様厳しい環境であるが、子どもの救いのために頑張っておられる。離島、辺境地の伝道のために祈って欲しいと訴えておられた。 . . . 本文を読む