まあまあ人生

70年の人生 まあまあですね

銀杏の木

2007年10月30日 | Weblog
4時50分に起床、大阪城に行く。暖かいのかウインドブレーカーを着て歩くと、何か冷たく感じたので脱いで見ると汗が付着していた。懸崖菊も少しずつ蕾が大きくなって来たが、鉢によって大きな差がでている。菊の山は遠目で見ると下の方に幾つかの蕾が見えた広場の中央にある銀杏は上から下の3分の2位まで黄色く輝いて見えた。 今朝も元気に合唱。何故か最初は、ちょうちょ、春が来た、みてござる、鉄道唱歌、浜辺の歌、涙くん . . . 本文を読む

見えるようになることです

2007年10月29日 | Weblog
今朝は3時過ぎに目が覚めて、そのまま起床までラジオ深夜便を聞く。にっぽんの歌こころの歌はすでに始まっていた。作家で綴る流行歌「原 六朗(作曲)作品集」で、とんこ節、祇園ブギ、もぐらこおろぎ、この歌は面白い歌であった。もぐらこおろぎは「おけら」のことである。サビタの花、(伊藤久男)雑木林に月が出た、等で私にはあまり馴染のない歌が多かった。4時45分に起床、大阪城に行く。懸崖菊の蕾も少し膨らんできた。 . . . 本文を読む

雨の大阪城風景

2007年10月26日 | Weblog
4時50分に目ざましで起きる。玄関を出て空を見ると、暗くてはっきりは分からないが雨が降ってなかったので、傘を持参して大阪城へ行く。はたせるかな地下鉄を出ると雨が降って来た。行こうか引き返そうかと迷ったが、ままよ雨の大阪城も良いのではと、心に決めて歩く。大手門の坂に設置されている外灯は雨の中、照らしているのも又違った風情があった。小雨の中、何時も出会う背中の少し曲がった老女は今朝も手をふりふり歩いて . . . 本文を読む

失敗の連続

2007年10月25日 | Weblog
目が覚めて時計を見る、5時15分であった。携帯の目覚ましは鳴っていたようであるが、ぐっすり眠っていたようである。夜中3時ごろ目がさめて暫く眠れなかったのが、眠れたそれも熟睡であった。大阪城は断念する。今日は、朝から教会から貰った古机を解体して板だけにしてあったものを、書斎?を整理してスペースが出来たので、その板で整理箱を作った。何十年昔の座机で、材質も堅くのこぎりで引くも、息切れしながらやっとこさ . . . 本文を読む

戦後のあの頃

2007年10月24日 | Weblog
3時前に目が覚める。2~3日は目が覚めてもまた眠れたたが、今日は、なかなか眠れなかった。仕方なくラジオを聞く。既に、にっぽんの歌こころの歌昭和歌年鑑「昭和24年はやり歌」が始まっていた。最初に耳にしたのは、長崎の鐘(藤山一郎)青い山脈、イオマンテの夜、村の一本橋、ハバロスク小唄・・・24年と言えば、戦争の傷跡もまだ残っていた時代、これらの歌で励まされたことを想い出す。当時の値段は、牛乳11円、ラー . . . 本文を読む

秋の深まり

2007年10月23日 | Weblog
4時50分に目覚ましで起きる。自然と大阪城に足が向く。不整脈の治癒を願って両腕を大きく振りながら歩く、効果は直ぐには出ないだろうが頑張ろう。 大阪城には野鳥が多く見かけるようである。少し、林の方に行けば見える。カラスが多く見受ける。合唱している時、負けじと啼く時がある。今朝、リーダーはセキレイ、ジョウビタキを紹介された。合唱は、かわいい魚屋さん、汽車、とおりゃんせ、一週間(ロシア民謡)浜千鳥、・・ . . . 本文を読む

こころの目で見る

2007年10月22日 | Weblog
起床4時50分、大阪城に行く。二日見ない間に、城内のあちこちに置かれている懸崖菊の下の方からちらほら咲きかけて来ていた。また、展示小屋の大輪の菊もだいぶ咲いて来た。今朝も、元気に合唱する。村祭り、お猿のかごや、証城寺の狸ばやし、五月の歌、さんぽ、冬景色、ここでリーダーは昔、母は私によく言った、人は上を見て暮らすとほしい欲しいの気分になる、よって下を見て暮らすのだと・・・帰り舟、最後は新雪で終わる。 . . . 本文を読む

不戦の誓い

2007年10月21日 | Weblog
夜中に1回トイレ起きただけで、6時過ぎまで眠る。久しぶりのことである。ベッドでラジオを聞くとラジオ体操であった。ベッドに横たわりながら自然に体操の格好をしている自分が可笑しかった。体操の後は、あの音に会いたいであった。大阪城に行き体操をすませて歩いている時、よく聞く番組である。昔の懐かしい音の風景であり郷愁を覚える。リスナーのお便りにのせて音が奏でられる。今朝の三つ目は非常な思いにかられた。 鹿児 . . . 本文を読む

吹田朝祷会

2007年10月20日 | Weblog
起床4時45分、大阪城に行く。大手門の登り坂の両側にある24基の外灯は一段と明るく照らし誘導してくれる。大手門を入り正面を見ると、3色のライトが石の壁面を照らしている。二日行かない間も日の出が遅くなっていることを感じる。 菊の展示も大分咲いているグループもあった。合唱は、夕焼け小焼け、で始まる。赤い花つんで、みかんの花咲く丘、月見草の花、・・・・最後は、誰か故郷を想わざる。であった。帰宅朝食後、吹 . . . 本文を読む

希望を持って困難を克服する

2007年10月19日 | Weblog
2時30分に目が覚めトイレを済ませて、ベッドに横たわるも眠れず暫く寝返りをうつ、3時過ぎにラジオを聞く。ラジオ深夜便は日本の歌こころ歌が始まっていた。今夜は、昭和39年の歌であった。恋をするなら きりこのタンゴ お前に 傷だらけの人生 いつでも夢を 等の懐かしい歌であった。それから暫くうとうとしていたのか「こころの時代」が始まっていた。昨日と今日が2回目であるが、途中から聞いたのでハッキリした内容 . . . 本文を読む

朝祷の恵み

2007年10月18日 | Weblog
今朝は月一回のカナン朝祷会に出席する。今朝は、日本キリスト教団大和キリスト教会のY兄が「朝祷の恵み」と題して、エペソ6:18から証しされた。Y兄は、クリスチャン二世として、そして三世、四世と信仰の継承されていくなか、祈りの大切さを実感する。 Y兄は、全国朝祷会連合の会長として、朝祷会の活性、発展を願っておられる。1957年1月14日、大阪クリスチャンセンターの食堂で14名が集い第一回の大阪朝食祈祷 . . . 本文を読む

大阪城 菊の祭典 近ずく

2007年10月17日 | Weblog
4時30分に目が覚める。希望の声、S師の疑わずに祈ること、期待をもって祈る必要を奨めておられた。続いて世の光を聞く。6日ぶりに大阪城に行く。一寸行かない間に大きく変わっていた。6時前に大手門の手前の登り道を歩いていると、道路の両側に設置されてある外灯の灯りが美しかった。はっきり見えるほど日の出が遅く暗かったからである。大手門の両袖に大きな懸崖菊が置いてあった。先日から城内の道路の両脇に1.5メート . . . 本文を読む

奥飛騨温泉一泊の旅(二日目)

2007年10月15日 | Weblog
4時過ぎに目が覚める。ラジオ深夜便を聞き35分に「真の救い」M師、45分からは、「世の光」M師のメッセージを聞く。久しぶりに大阪城に行こうと思ったが、少し不整脈が出ていたので断念して一眠りして6時前に起床、大阪朝祷会に出席する。H師が朝祷会の先達の一人「升本建爾兄、峰子姉に学ぶ」と題して、ヘブル13:7bから話された。升本兄は若い時に失明され鍼灸院を経営されていた。信仰に裏打ちされた鍼灸が患者さん . . . 本文を読む

奥飛騨温泉一泊の旅(一日目)

2007年10月14日 | Weblog
金、土曜日と奥飛騨方面に旅する。その朝、3時ごろから不整脈の発作がありなかなか治まらず、旅行に行くのにこの調子ではと不安になる。5時ごろになっても発作がひどく、胸にはる貼り薬を藁をも縋る思いで貼る。この貼り薬は、隣家のご主人から頂いたもので、頂いた当座2回試したが、全然効果がなかった。注意書きに腹部、背中等に貼ればよいと書かれてあったので、その時は、腹部に貼ったのであった。今回は、心臓の上に貼った . . . 本文を読む

福音の力に生かされて

2007年10月10日 | Weblog
今朝も、早朝に目覚め、ラジオを聞く。ラジオは、にほんの歌、心の歌が始まっていた。村田英雄の歌の数々で、懐かしく歌詞を聞いていると心に響く。リスナーの手紙の紹介を聞くと、大方は同年代の方々であり、共感を覚える 起床5時40分、ニユー大阪朝祷会に行く。今朝は、大阪一麦教会のH師である。H師は二畳間のアパートの祈りから開拓され、2回会堂建築を行い、2002年には新大阪駅北側に「大阪一麦教会ゴスペルホーム . . . 本文を読む