世の中の二乗>75の二乗

話せば長くなる話をする。知っても特にならない話をする。

影響を受ける

2006年10月11日 21時52分13秒 | Weblog
村上ワールドにどっぷりつかっているせいか、
私の実生活にも村上文体が侵食しつつある。
たとえば、職場から帰って、家のカギを鞄から探しているとき、
前もって決められていたように鞄の中からは僕の家の鍵だけがなくなっていた。
という文章が頭をよぎる。
しかも、「僕の家の鍵だけがなくなっていた」の部分は太字で。
頭の中で情景が活字になってあらわれるというのはなかなか面白い。
実際は、探していたカギはなくなってはいないし、
私は一人称に「僕」は使わない。
それでも、「あるはずの家の鍵をなくしてしまう(または奪われてしまう)僕」という村上春樹の小説によく起きそうな設定が実際に起きている、起きないにせよ、起きてもおかしくないところに自分が立っている、というのが面白い。
ね、浸かってるでしょ。
自分でも気持ち悪いが、そういうのを勝手に想像してニヤニヤしている。
物語は読み終えたが、あの文体にはもう少し囚われていそうだ。

だだ急ぎ

2006年10月10日 22時12分20秒 | Weblog
すっかり忘れていたオーディション書類審査の締め切りが明日だ。
明日必着なので、今日の午前中には郵送せねばならぬだろう。
と、気付いたのが今日の朝、8時。
家を出なくてはいけないのが8時30分ジャスト。
当然寝起きで、身支度なんぞしておらぬ。
しかし、書類も白紙だ。ていうか、書類のダウンロードも写真の印刷もまだ。
うっしゃしゃ。ド焦った。
とにかく顔を洗って歯を磨いてる間にプリンタで出力印刷。
推敲なんぞ一度もせずプロフィールと志望動機を書きなぐる。意図せずストレートで素直な文章になったと思われる。
顔を雑にぬたくって10分遅れで家を出る。
チャリを激こいで職場近くのコンビニで切手を買って、店員さんが水をしみこませたスポンジを出してくれる間も惜しんでべろって舐めて貼る。
んで、コンビニ前のポストに投函。
ギリギリセーフで職場に到着。
やれやれ。
こんなことでは先が思いやられますな。
やれやれ。

まだ終わりまで行き着かない。
これから風呂場でじっくり読む。
大事な本を風呂場でなんて、とは思わない。
よれても曲がっても大事は大事だ。

北沢で遊ぶ

2006年10月09日 21時37分40秒 | Weblog
宮部さんが来てるので、誘ったら、いいよ、と言ったので遊ぶ。
買い物がしたい、毛糸と古着と雑貨がみたい、と言うのでやっぱしシモキタじゃないかしらということで、井の頭線急行で15分。
そこは北沢。
お互い、東京の電車の移動に慣れておらず、結果、時間配分がうまくできずに早めに到着してたので、待ち合わせ時間前に早々と合流。清々しい。
口内炎ができてるから味の濃いものがダメという宮部に配慮して和食のランチ。
しかしいかんせん味つけが関東なので、ほぼ醤油味。宮部さんは醤油で炊いたゴボウだけは辛くて食べれなかったらしい。京女ですから。
んで、色んな店をぶうらぶうらと斜め見していく。
私は50%オフになっていたTシャツと100均でお椀を買う。
してから民家を改造した「隠れ家的」カフェに入って、お茶を飲む。
宮部にはすこぶる不評だったが、そこのジャスミンロイヤルミルクティーをおいしくいただいた。
いろんな話をして、まあくだらない話ばっかなのだが、でも面白かった。
昨日までのイヤな気持ち悪さが吹き飛ぶほど面白かった。
ダンスの話になって、もちろんコンテンポラリーダンスの話だったけど、宮部さんが踊りは難しいという流れで、「喋りたくなんないのかな」と言ったのが印象に残った。
次回五反田団公演の出演者からはベーやんという気持ち悪いあだ名をつけられている宮部はやっぱ面白いやっちゃなと思った。

いま、ねじまき鳥はナツメグの話を聞いている。
ようやく村上春樹「ねじまき鳥クロニクル」を読み始めた。
いや、本当は第1部の泥棒かささぎ編は買っていたし読んでいた。
でも、第2部の予言する鳥編と第3部の鳥刺し男編は持っていなかったし、泥棒かささぎ編も間宮中尉の長い話しかほぼ読んでいなかった。
それは、大学の先生が何かの折にこの間宮中尉の話のエピソードを講義中に教えてくれたのがきっかけだった。
とても怖くてでも興味深い話だったので、とりあえず私はそのエピソードが収められている泥棒かささぎ編だけを買って、前の物語をろくに読みもせず、その間宮中尉の話の部分だけを丹念に読んだ。
もちろん、「ねじまき鳥クロニクル」は3部あわせての長編小説なのだが、先生が教えてくれたエピソードは物語の大筋とは少し離れた、独立した一つの物語として完結していたので、私は間宮中尉の話だけでも十分に面白く読むことができた。
そしてなぜかそのときはそこで満足してしまって、続きを買うとか、最初からていねいに読み返すとかそういうことのないまま、今まできてしまっていたのだ。
それを、ここ2日で読み始めた。
金曜の夜に持っていた泥棒かささぎを読み終えて、
土曜の午前中、ワークショップが始まる前に本屋で予言する鳥と鳥刺し男を買い揃えた。
そしていま、ねじまき鳥はナツメグの話を聞いている。
もう少しで全てがつながる予感がする。

体重を落とそうと思う。
これはまったく別の次元の話。
ぼちぼち。規則正しく。

なんとも

2006年10月09日 10時29分01秒 | Weblog
ずいぶんスパンがあいてしまった気がする。
ここ2日、私はとある劇団のワークショップに参加していた。
できることならその経過を書いていけたらよかったのだが、
実際これまでの流れでいうと、そういういかにもブログのネタになることを書かなかったことはなかったように思うのだが、
今回ばかりはちょっと違った。
書きたくても、書けなかった。
なぜならそのワークショップで経験したことが不思議なくらい私に違和感を与えたからだ。
いろんなところのワークショップに顔を出して、
今回初めて私は明日行きたくないとか、もう帰りたいとか、やっと帰れると思った。
これはあくまで私個人の問題であって、名前はふせるがその劇団が悪いとかいうものではない。
たぶんそうなのだ。
ワークショップの内容も特に変わったことをしたわけではない。
ウォーキングと自己紹介。台本読みとその稽古。
本当に単純でわかりやすいワークショップの一形式だったはずなのだ。
しかし私はそのとき、本当に自分でも理解できないくらい切実にその場にいたくなかった。
もう一度言うが、こういう私の心理はその劇団のせいではない。
きちんとした対応をしてくれたと思うし、礼儀正しく接してくれたとも思う。
それは単に趣味の相違だったのかもしれない。
もちろんそんなことはいくらでもある。
彼らが面白がることを私が面白がれなかった。
彼らが面白がることを私がうまく体現できなかった。
そういうことなのかもしれないとも最初は思った。
でもそんなに単純なことでもない気がする。
これは本当に「気がする」程度のもので、確固たる確信があるわけではないのだが。
つまり、このワークショップで私はできの悪いやつだった。それもかなり、できの悪いやつだった。
私は、自分ができないことに自分で腹を立てて、それでこのワークショップ自体が面白くないんだと自分を納得させようとしたのだろうか。
そうかもしれない。
でも私は私にできることは本当にごくわずかだと知っているつもりだったし、それでもなんとか私ができて皆が納得することはあるんでないかと思っていた。
自分ができないのが明らかでなおかつ相手を責める強気さを私は持ち合わせていない。
こないだの公演で楽をしすぎたのかもしれないとも思った。
楽しくて居心地のいいところに慣れすぎたせいで、初対面の緊張漂う空気の飲み込まれたのかもしれない。
慣れればやっぱり楽しい面々なのかもしれないし、実際にそうだろう。
しかし、今回に限って私はワークショップにはつきものの飲み会も用事があると言って辞退した。どこにでものこのこついていくので有名な私が飲み会を断る。本当にイヤでしかなかったのだ。
なにがいけなかったのか、そもそも私はいけなかったのか、何かを正す必要があるのか、ないのか、そんなことさえもぐらぐらしている。
ただ漠然と、私の中の何かを直さなくちゃいけないとしても、直しようがないなぁとも思う。
不安ではあるが、このままいくしかないのかもしれない。
空気に呑まれる蚤の心臓で、不器用な演技のまま、あんまり使えねぇなこいつと思われながら。
今は割と楽です。


2006年10月04日 19時16分07秒 | Weblog
最近水をよく飲むようになった。
しかも買って。
水を、買って、飲むなんてちょっと前までの自分では考えられなかった。
堕落している気がしてならないが、飲んでしまう。買ってしまう。
そういや、ペットボトルのお茶が普及しはじめた時もおんなじことを思いながら、買っていたなぁ。今ではお茶買うくらい普通になったけど。
一日、2ℓくらいは飲む。
空調で乾燥しているところで働いているせいもあるが、
朝、寝起きに500mℓとかも飲む。
そのせいで体調がどう変化したとかは今のところないが、
どうもそうしないと喉が乾いて仕方ないようになってしまった。
お茶よりも水なのだ。
味がない分ごくごく飲めるし。
いいことなのか悪いことなのか、まだはっきりしない。
ボルビックはうまい。高いけどね。だからなかなか飲まないけどね。
そうこうしてたら、今度は炭酸の水とか飲み始めるようになるのかしら、私。
そんな自分、想像するだに気持ち悪いが、否定できないので、余計に気持ち悪い。

一連のむっちり浸りの中で、おいしいものを色々食べたので忘れないように記す。
高砂堂製「栗赤飯まんじゅう」。その名のとおりの食べ物。だが、めちゃめちゃうまい。
山形「ダシ」。漬物?いろんな緑の野菜が千切りになっているご飯のお供。オクラの粘り気がうまい。
チェゴヤのチャプチェ。辛くてうまい。
「さくさく日記」。せんべい。だが、濃厚なホタテの味。
あれはどこの店だったんだろう。一口サイズのうなぎの上に山椒がかかってるご飯のお供。または酒のつまみ。文句なくうまい。
ランクがちょっと上の差し入れたち。
そうとう喜ばれます。

最後に

2006年10月03日 00時55分49秒 | Weblog
残業終わり、打ち上げだけちゃっかり参加するつもりがしっかりバラす、むっちり最終日。
でもその後、おいしいイエ飯をたっぷり食べた。
12時過ぎてたけどね。
んで、明日も仕事だし終電で帰る。

大崎駅で電車の乗り継ぎのことを駅員に聞こうとしたら、
とにかく早く乗っちゃって、答えてる時間ないから、
と無下なくあしらわれる。
駅員以外の誰に路線のことを尋ねろというのだ。
地元の駅員もそうだが、ホントJRの職員には腹が立つ。
銀行、郵便の窓口係と同列で私はそうとう嫌いだ。
無駄ないらつきが最後に押し寄せ、げんなり。
ああ、でもむっちりは楽しかったなぁ。
また機会があれば絶対くびをつっこみたい。

25

2006年10月02日 00時50分37秒 | Weblog
むっちりの公演中、受付係りの私たちはフリーなので、
坊薗さんが「25をやろう」と言った。
なんですかそれ、と聞いたら、タテヨコ5マスづつの四角、マスの合計が25の中に単語を書いていって、順番にその中の単語を読み上げていき、タテヨコナナメのどれかが揃ったらその人があがりのゲームだと言う。
なんのことない、ビンゴだ。
数字がある程度範囲の限られた単語に置き換わっているのである。
私たち6人で、都道府県名、国の名前とゲームを進める。
有名ドコロでマスを埋め尽くすのも作戦的にはありだが、
ちょっとマニアックな方面に行くと自分の番になって、読み上げた時のみなの反応が楽しい。
福井かぁとか、ウズベキスタンかぁ、みたいな。
あと、言っていく順番も均等だとつまらないから、側面の一面一面に数字を書いた鉛筆を転がして、自分たちにも数字を割り振っておいて、その数字の人が自分のを読み上げれるというゲーム性もプラス。
けっこうな盛り上がりとなる。
さいごに、お題が和製アニメ全般になる。
これは大きく世代が影響し、私1人だけ最後まであがれなかった。
秘密のアッコちゃんやら母をたずねて三千里やおそ松くんがすんなり出てくる世代じゃない。
変に周りに合わせようとして、あと思いつく限りに書いたら、
とっとこハム太郎のマスの横に海のトリトンがいる究極の25選になっていた。
そりゃ、あがれねぇわ。あと、めぞん一刻とか。

明日は仕事終わりに打ち上げのみ参加。
やったねやったね。

27、8、9の世代感というもの

2006年10月01日 09時54分41秒 | Weblog
引き続きむっちりに入り浸り。
今日は微力ながらのお手伝い。
ちゃんと集合時間通り開場の2時間前に行ったら、他のお手伝いさんはまだ誰も来てなくて、何でそんなに早く来るの、みたいなことを言われて、おかしいなとか思いつつ相当な時間くつろぐ。
揃ったお手伝いメンバーの中に、去年一緒にカレーを食べた兵藤さんやら、ポツのワークショップで出会った太田さんやらがいて、つくづくこの世界はどこへ行っても狭い世界だと思う。
再会はうれしいものでしたが。
んで、アロハ着て場内を行ったり来たり。
そうこうしてるうちに開演で、そうこうしてたら終演。んでソワレも終わる。
んで、打ち上げというか、腹を満たすためのご飯を皆で食べる。
といっても、むっちりスタイルは炊き出し。
むっちりメンバー全員がほぼ下戸ということでアルコール分は少なめ。
誰かが「ザ・劇団みたいで気持ち悪いね」と言ったらみんな大いに受けていた。
知り合いのお客さんもちらほら車座に加わって、
五反田にあるテイクアウトOKのおいしい韓国料理屋、チェゴヤの惣菜やらおなじみ、土鍋炊きのご飯やらキャベツオンリーの味噌汁、プレゼントのお菓子、お客で来ていたロリータ男爵一同さんたちがコンビニに行って買ってきてくれた巻寿司やお新香、塩焼そばなどをほうばる。
リッチなのか貧相なのかわからない一貫性のない食べ物のチョイスにもかかわらず、皆なんの抵抗もなく楽しく食べていた。
後で前田さんも加わってこの惨状に「どんな打ち上げだよ」とつぶやいて輪の中に参加。
お手伝いメンバーの中には、今度の五反田団の公演に出る人たちもいるらしく、思わず、宮部をよろしく、と言いそうになったがどうもそれは違う気がしたのでやめた。そういや、同じ劇団員とかじゃないし。
誰かの話で、「むっちりは私たち世代のことをようやく言ってくれているのよ」みたいなことを言っていて、
要約すると、今の20代後半の世代そのものを扱った芝居って実はあるようでなくて、むっちりの芝居はどんぴしゃでその世代のネタがわんさか出てくるのだという。
別にむっちりの場合はターゲットをそこにしぼってやっているとかじゃなくて、
ただ単に自分たちの面白いと思うことをやろうとすると、どうしても同年代の6人なのでとんねるずとか聖闘士星矢とかに話が行くのだろう。
それでも、メンバーの中に北斗の拳を知らないでそのネタ作りに協力している人もいるというこのむらっ気が私は大好きだけどね。
終電が近づき、千葉の実家に帰れなくなった太田さんと駅まで行く。
明日は開演の一時間前でいいよと言われて、帰宅。