世の中の二乗>75の二乗

話せば長くなる話をする。知っても特にならない話をする。

小学校の同級生

2009年05月11日 22時19分03秒 | Weblog
小学校の同級生に「べっちゃく」君という子がいた。
これはあだ名でもなんでもなくて、
正真正銘、彼の名字なのであった。
しかしその奇妙な語感から、
正直に「べっしゃくです。」と名乗っても
「ふざけるな」と返されてしまうことがあった。
事実、私は先生にそう言われて半泣きになっている彼を見たことがある。
漢字で書くと別役。
が、今日のお話はこの別役君とは関係ありません。

別役実「天才バカボンのパパなのだ」を読む。
中野ブロードウェイで105円だった。
すごくおもしろかった。
これは、赤塚不二夫のキャラクターであるバカボンやら、バカボンのパパやらが出てくる戯曲で、
そこだけでもだいぶ興味深いのだけど、
これがおもしろいのは、
バカボンもバカボンのパパもママも、レレレの人も出てくるんだけど、
別役実が取り込みたかったのは、あの漫画のキャラクターじゃなくて、
あの漫画の構造みたいなものだということだ。
以下抜書き。
「先ず本筋に関わる基本的な葛藤線が、本筋と関係ない補助的な葛藤線に枝分かれしてゆく。本来ならこれはあくまでも補助的な葛藤線なのであるから、我々は終始、これはやがてカーブを描いて基本的な葛藤線に収束してゆくであろうことを期待しているのであるが、そうはいかない。逆にこちらの方が基本的な葛藤線なのではないかと思われるほど、それが維持され、強調され、しかし、我々がそう思い始めたとたん、それがまた、さらに補助的な葛藤線に枝分かれしてゆく。」
これが別役実のいう『「天才バカボン」のドラマツルギー』だ。
で、実際にこのドラマツルギーにしたがって話を進めた結果が、この戯曲というわけ。
で、この「補助的な葛藤線」を生み出すのには膨大で、なおかつ突発的なエネルギーがいる。
一つか二つならまだしも、並みの登場人物にはこのエネルギーを生み出し続けれない。
そこで、パパが出てくる。
パパはこわい。
行動に前後関係がないからこわい。
まず登場からこわい。
パパは四つんばいになって登場する。
ママが「あれはネコになってるつもりなんです」と周囲に説明。
周囲にいる警察署長と巡査はいたたまれない。
突然、パパがバカボンに難くせをつける。
「お前、お父さんがネコだって思ってないだろう?」
「思ってるよ」とバカボン。
「思ってないよ」とパパ。
「思ってるよ」とバカボン。
これが続く。
そして、突然パパはひらめく。
「よし。それじゃこうしよう。お前、そのコーモリ傘で(署長を指して)こいつをぶつんだ。」

どうよ。
ほんの序盤でこの壊れよう。
登場から最後までこの脱線させる力というか、破壊力というか、このエネルギーはパパにしかないものだ。
なので、パパはパパのまま登場してるんだろう。
といっても、あの漫画のキャラクターの格好してやったっておもしろくないだろうね。
オリジナルキャストを考えながらむひむひ喜ぶのに最適。

同じ本の中の「虫たちの日」というのもおもしろかった。
うって変わってこちらは見えにくいドラマ。
老夫婦が夕食食べてるだけなんだもん。
そこにお互いの相手に対する感情とか、間柄とか、老いとか、歴史とかが見え隠れする。
最後に「しあわせ」という言葉が出てきてしまったので、あーあと少し思ったけど、
全体に漂うけだるさとか馴れ合いとかそういうのがおもしろい。
やってみたいようないい戯曲です。

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