佐久間町大井地区は、天竜区役所の北約29kmのところ
国道152号線を北へ、天竜川に沿って進みます
約30kmで大井橋信号で国道473号線を左に向きを東へ
天竜川を挟んで浅間山〈標高540m〉の山裾を左回りに半周進むと間もなく

集落への入り口です(写真右が浜松方面です)

急な道路を上がると、子安神社の案内版があります

つずれ折れの一番奥にバスがユーターン出来る広場があります

奥の防災倉庫手前に車を止めさせていただきっました(後ろにモノレールが見えます、神社境内までの荷揚げが出来るようです)

この奥に子安神社があるはずです

広場入り口に登り口があります

茶畑と杉林の間を登って行きます

参道石段の上に白い鳥居が見えてきました

一の鳥居です

鳥居脇から目的のシラカシが見えました


参道石段を登って斜め下側から見上げました

横側から



目通り幹囲4.5mの大木です



斜め上から、ゴツゴツした幹に古木感がありますね



参道奥から


少し登ると二の鳥居が見えてきます、両側に杉の大木が立ちます

二の鳥居も白い鳥居です

社殿が見えてきました

手水舎です

拝殿です

説明版です
子安神社
鎮座地 佐久間町大井596番地
御祭神 木花開耶姫命
例祭日 11月3日
由緒
創立年代詳かでないが棟札に大永6(1526)年再建殿入とあり古社である。
天文23(1555)年11月当村小川城主奥山右エ門尉なる者勧請す。
其の後徳川家光より社領高3石4斗3升7合下賜、奥山右エ門尉なる者小川へ城築大井郷の惣氏神に定むと云う。
初めは大井郷一ノ宮子安大明神と称え、昭和17年10月村社に列せらる。
現在子安神社と称し安産子授けの守護神として近郷近在よりの崇敬者多く今日に至る。
*浜松市内には百を超える城の跡があるそうです、多くが山の尾根沿いに砦を築いて地区の守備に当たっていたのでしょうか、子安神社のある大井の地にも小川城が在ったようです)

本殿覆い屋です

境内社の稲荷社ですね

境内社が並びます
では、次へ行きましょう


駐車場へ戻ってきました、向かいの浅間山北側の集落が見えました、向かいの集落に車で行くには、下流側では大井橋信号のところから浅間山の西側を周る道か、上流側ではJR飯田線あいづき駅先の相月トンネル南口からの道路になるようです、静岡県内には、山の奥の奥まで集落が残っています、お茶の栽培が集落を残しているようです
国道152号線を北へ、天竜川に沿って進みます
約30kmで大井橋信号で国道473号線を左に向きを東へ
天竜川を挟んで浅間山〈標高540m〉の山裾を左回りに半周進むと間もなく

集落への入り口です(写真右が浜松方面です)


急な道路を上がると、子安神社の案内版があります


つずれ折れの一番奥にバスがユーターン出来る広場があります


奥の防災倉庫手前に車を止めさせていただきっました(後ろにモノレールが見えます、神社境内までの荷揚げが出来るようです)


この奥に子安神社があるはずです


広場入り口に登り口があります


茶畑と杉林の間を登って行きます


参道石段の上に白い鳥居が見えてきました


一の鳥居です


鳥居脇から目的のシラカシが見えました



参道石段を登って斜め下側から見上げました


横側から




目通り幹囲4.5mの大木です




斜め上から、ゴツゴツした幹に古木感がありますね




参道奥から



少し登ると二の鳥居が見えてきます、両側に杉の大木が立ちます


二の鳥居も白い鳥居です


社殿が見えてきました


手水舎です


拝殿です


説明版です
子安神社
鎮座地 佐久間町大井596番地
御祭神 木花開耶姫命
例祭日 11月3日
由緒
創立年代詳かでないが棟札に大永6(1526)年再建殿入とあり古社である。
天文23(1555)年11月当村小川城主奥山右エ門尉なる者勧請す。
其の後徳川家光より社領高3石4斗3升7合下賜、奥山右エ門尉なる者小川へ城築大井郷の惣氏神に定むと云う。
初めは大井郷一ノ宮子安大明神と称え、昭和17年10月村社に列せらる。
現在子安神社と称し安産子授けの守護神として近郷近在よりの崇敬者多く今日に至る。
*浜松市内には百を超える城の跡があるそうです、多くが山の尾根沿いに砦を築いて地区の守備に当たっていたのでしょうか、子安神社のある大井の地にも小川城が在ったようです)

本殿覆い屋です


境内社の稲荷社ですね


境内社が並びます

では、次へ行きましょう



駐車場へ戻ってきました、向かいの浅間山北側の集落が見えました、向かいの集落に車で行くには、下流側では大井橋信号のところから浅間山の西側を周る道か、上流側ではJR飯田線あいづき駅先の相月トンネル南口からの道路になるようです、静岡県内には、山の奥の奥まで集落が残っています、お茶の栽培が集落を残しているようです
