浄土寺地区は、射水市役所の南約5kmのところ
射水市役所の南側道路を南東へ進みます、約700mの「本開発(中)」信号を斜め右(南)へ、国道472号線です
約4.7km道成りに進んだ「青井谷」で国道は左の標識があります
左(南東)の国道に入って下条川の橋を渡ると
右手に禅照寺の
駐車場がありますので利用させて頂きました
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/d4/212f61bbb7c10efca806451c01093c9b.jpg)
参道入口です![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_sup.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/4a/54332ea04d99430d20d4f1a127124536.jpg)
寺號標です![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_en.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/3c/b9772acb906d22dbd188725331f45ff7.jpg)
山門です![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ee_2.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/96/5cc872120130e4f88c1fcdb41d2449c9.jpg)
山門を入った左手に鐘楼です![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/onpu.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/6c/d68a17c50f6bd9265e80db57eeba6d1e.jpg)
蓮如上人の歌碑です![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ee_2.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/1d/7b053554c51bed4f676b1d105988c047.jpg)
説明版です
蓮如上人直筆詠歌 歌碑について
本願寺第8代ご門主の蓮如上人(御往生は85才)は、70歳を迎えられたときの所感を2首の歌に託されたもので、一幅の掛け軸としてご本山に所蔵されています。
この旅、ご本山の好意により、当寺の歌碑建立のため、その「書字」の許可を頂いたものであります。
詠歌1、「七十地に 身はみつしほの にしの海 ふなぢをてらせ 山の端の月」
詠歌2、「なき跡に 我をわすれぬ 人もあらば ただ弥陀たのむ こころをこせよ」
当寺は昔、真言宗の寺であったと伝えられています。
今から500年余り前、当寺の住持であった浄心法師が蓮如上人の名声を聞き、加賀二俣の本泉寺へ上人がご来化の機に、その法を聞き、念仏の大法に感動し浄土真宗に帰し、当寺の初代となり今日(現住職は第19世)に至っています。
因縁の厚いその上人の歌碑が建立されたことは、まことに意義の深いことと喜ぶものであります。
金龍山 禅照寺
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/f2/10ad078d0fd3d88873fbcc6f635ec624.jpg)
本堂です![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_en.gif)
目的のスギは本堂と庫裡に裏側に有る様なので本堂の南側から回って見ましたが・・・
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/89/3f879b0052c9c16db015d498cf1b30f4.jpg)
建物の陰に成ってしまって樹冠を確認するしかできませんでした![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_sup.gif)
2024年1月1日の能登半島地震の時に、射水市も震度5だったようです
墓石が倒れて、まだそのままになっています![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_z.gif)
では、次へ行きましょう![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/cars_red.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/up.gif)
2024・4・11・13・45
射水市役所の南側道路を南東へ進みます、約700mの「本開発(中)」信号を斜め右(南)へ、国道472号線です
約4.7km道成りに進んだ「青井谷」で国道は左の標識があります
左(南東)の国道に入って下条川の橋を渡ると
右手に禅照寺の
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/cars_red.gif)
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参道入口です
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寺號標です
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_en.gif)
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山門です
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ee_2.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/96/5cc872120130e4f88c1fcdb41d2449c9.jpg)
山門を入った左手に鐘楼です
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/onpu.gif)
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蓮如上人の歌碑です
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ee_2.gif)
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説明版です
蓮如上人直筆詠歌 歌碑について
本願寺第8代ご門主の蓮如上人(御往生は85才)は、70歳を迎えられたときの所感を2首の歌に託されたもので、一幅の掛け軸としてご本山に所蔵されています。
この旅、ご本山の好意により、当寺の歌碑建立のため、その「書字」の許可を頂いたものであります。
詠歌1、「七十地に 身はみつしほの にしの海 ふなぢをてらせ 山の端の月」
詠歌2、「なき跡に 我をわすれぬ 人もあらば ただ弥陀たのむ こころをこせよ」
当寺は昔、真言宗の寺であったと伝えられています。
今から500年余り前、当寺の住持であった浄心法師が蓮如上人の名声を聞き、加賀二俣の本泉寺へ上人がご来化の機に、その法を聞き、念仏の大法に感動し浄土真宗に帰し、当寺の初代となり今日(現住職は第19世)に至っています。
因縁の厚いその上人の歌碑が建立されたことは、まことに意義の深いことと喜ぶものであります。
金龍山 禅照寺
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/f2/10ad078d0fd3d88873fbcc6f635ec624.jpg)
本堂です
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_en.gif)
目的のスギは本堂と庫裡に裏側に有る様なので本堂の南側から回って見ましたが・・・
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/89/3f879b0052c9c16db015d498cf1b30f4.jpg)
建物の陰に成ってしまって樹冠を確認するしかできませんでした
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_sup.gif)
2024年1月1日の能登半島地震の時に、射水市も震度5だったようです
墓石が倒れて、まだそのままになっています
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_z.gif)
では、次へ行きましょう
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/cars_red.gif)
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2024・4・11・13・45
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