ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

長野県千曲市、八幡「笹焼神社のケヤキ」です!!

2019-11-19 06:11:50 | 巨樹・大木
八幡地区は、千曲市役所の南西約4kmのところ

国道403号線を西へ、千曲川を千曲橋で越え道なりに南へ

八幡小学校西信号を西へ入ります

通の突き当り、郡区公民館の北側に

笹焼神社が鎮座します

境内に車を止めさせて頂きました




千曲市循環バス 姥捨線 郡バス停です

郡区公民館です


神社入口の鳥居です

説明版です 
  笹焼神社
 笹焼という字地に鎮座する郡の産土神である。
古代はみな笹・やぶ等を焼き払って農業を営むと
ころから開拓神ではないかという一説もある。し
かし、笹焼神社は穢れを払い清める瀬織津姫命を
祭神としている。
 この神は、明治41年、宮川建雄の「笹焼神社
由緒書」によれば、祓処四柱中の一神で天照大神
の分魂である。続いて武水別神社の新嘗祭に当り
神託によって定められた五頭人が、各斎庭に営ん
だいわゆる小竹葉造りの遥拝所を祭りのあととり
壊し集めて、この地で焼くことから生じた名称、
神社である。と伝承を書き記している。
 武水別神社に、京都石清水八幡宮から別宮が勧
請された際、不用の荷物が焼かれたというが、往
古より不用・不浄な品物はすべて焼き尽くしてい
た。東道路沿いの境内に道祖神が立ち、正月の松
飾や古いお札・達磨などのドンド焼きは、焼却の
好例であろう。
 巽(東南)の方にあった往時の笹焼神社の火災
焼失後、1反15坪の当地へ移り、現在の拝殿が
造営されたのは明治17年であった。それまでは
矢崎山の天神社に神楽が奉納され獅子が舞ったと
いう。これに先たつ寛政6年(1794)11月
、願主和田右衛門によって社殿が奉建され、また
、禰宜宮沢権大夫が宮守として仕えていた。春季
祭は八幡宮と同日であったが、今は桜花の咲く2
0日前後の日曜日に変わり、秋祭は9月20日で
ある。
 同名の神社は少なく、善光寺七社の一つ左喜焼
神社(現柳原神社)は、昔から善光寺の掃除のと
きに使用した笹をここで焼く風習があり、笹焼明
神と呼ばれたという。なお、「石神石仏」で有名
な筑北村の修那羅山に、神像一体、ささやき明神
と刻まれた文字碑4基の石神が安置されている。


拝殿前に目的のケヤキです


東側から


拝殿前(北側)から、目通り幹囲7,1mの巨木です


東側にケヤキの大木が並びます

拝殿です

本殿は覆屋の中です

本殿西側の若い杉の木が御神木の様です



境内に祠が点在します

説明版にあった境内東側の道祖神の石碑です

では、次へ行きましょう

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