ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

山梨県北杜市、須玉町上津金「海岸寺仁王門の大スギ」です!!

2020-04-21 06:45:38 | 巨樹・大木
上津金地区は、北杜市役所の北約9kmのところ

県道605号線を北へ進みます

津金郵便局を過ぎて桑原集落を抜け

しばらく進むと、森のようちえんピッコロが有ります


旧参道の大杉やモミノキを見て更に車道を進みます

旧参道も、モミノキから上へは行けるようですが・・・


県道から仁王門前の駐車場への入り口です

光陽関という寺門です

注意書きです、ここ海岸寺は観光開放していません

仁王門です

仁王門を潜ると直ぐ左手に目的の大スギです

仁王門脇(南側)から見上げました

参道石段上側(北東側)から見ました、目通り幹囲5,2mの巨木です



大スギの反対側には七佛通戒の偈の石碑です


参道の鐘楼門です

説明版です
  海岸寺の由来
 今より約1260年前(元正天皇の養老元年=
西暦717年)行基菩薩が庵をかまえられたのが
海岸寺のはじまりといわれる。
 行基菩薩は、土木工事や農業の技術を伝えると
ともに、千手千眼観世音の像を彫り海岸寺に祀っ
た。
 天平9年(737年)には、聖武天皇より「光
明殿」の勅額を賜った。
 また、寛治年間(1087~1094年)新羅
三郎義光が甲斐の国主としてこの国を支配するに
あたり、京より玄観律師を海岸寺に迎えて聞法の
師として仰ぎ、深く帰依して鎮護国家の大道場と
した。義光の子義清も父の志をついで多くの寺領
を奉納し、供華を怠らなかった。
 六百年程前の応安年間(1368~1375年)
大義詮和尚の時に、鎌倉、建長寺より石室善玖和
尚(勅賜直指見性禅師=本朝高僧伝巻三十二詳記)
を招いて、律宗を臨済宗に改め、海岸寺の開祖と
した。
 天正10年(1582年)織田が甲斐に侵攻の
際、寺の堂塔ことごとく焼き払われたが、同11
年には、徳川家康が寺領を寄進し再興を命じた。
慶長8年(1603年)には、さらに寺領を寄進
し法令4条を下して天下安寧の祈願所と定めっれ
た。
 万治4年(1661年)山火事により堂宇全焼。
 寛文6年(1666年)中興の祖、即應宗智和
尚が海岸寺山主として堂宇を再建し現在に至って
いる。

本堂です






境内には多くの観音像が並びます



説明版です
  海岸寺の百体観音
 観音は、衆生の救済に専念する菩薩で、人々の
祈り(音)をみ(観)て「慈悲」と「現世利益」
を施すとされ、多くの信仰をあつめました。
 海岸寺の百体観音は、
・聖観音  (主に立像で頭髪を結いあげ、左手
       で蓮茎を持つ)
・十一面観音(頭頂部に複数の顔、蓮茎か蓮をさ
       した水瓶を持つ)
・千手観音 (複数の手に多くの法具を持つ)
・如意輪観音(坐像で、右手を頬に当て、左手に
       法輪を持つ)
・馬頭観音 (怒った顔で頭頂部に馬頭を持つ)
                 などです。
 まだ、町内には多数の石造物があり、路傍の歴
史的景観を形成しています。
  平成11年12月    山梨県・須玉町


本堂前庭から大杉を見ました

境内では、フクジュソウが花盛りでした

では、次へ行きましょう

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