ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

徳島県吉野川市、鴨島町飯尾「四国八十八ヶ所第11番・藤井寺(ふじいでら)」です!!

2024-07-11 18:39:29 | 四国八十八霊場
 鴨島町飯尾地区は、吉野川市役所の南西約2kmのところ

 吉野川市役所の西側の県道31号線を南へ進みます

 約900mの「⇐十一番札所藤井寺1.4km」の標識の裏面と「十二番札所焼山寺32.5km」の標識が有りますので右(西)へ
 約600mの「県営住宅鴨島呉郷団地」の手前を左(南)へ、約200mで「藤井寺⇒」の案内板を右(西)へ

 道成りに約600mで、有料駐車場に入って車を止めました

 駐車場脇の水路沿いの参道を進みます

 山門の仁王門です
 
 四国11番藤井寺です

 四国のみち(四国自然歩道)説明板です、第10番切幡寺から吉野川を南に10.2km、第13番焼山寺までは12.3kmの遍路道となっていますが、焼山寺まで車では30km以上の距離に成ります

 日本遺産のプレートです
    日本遺産「四国遍路」
     四国霊場第11番札所 藤井寺 
 弘法大師空海ゆかりの霊場を巡る四国遍路は、四国を全周する全長1400kmにも及ぶ壮大な回遊型巡礼路であり、約1200年を越えて発展継承され、今なお人々ににより継続的に行われている。
 地域住民の温かい「お接待」を受けながら、国籍や宗教・宗派を超えて行われる四国遍路は世界でも類を見ない巡礼文化であり、2015年に日本の文化・伝統を語るストーリーの一つとして、日本遺産に認定された。
 第11番札所藤井寺は、金剛山(こんごうざん)と号する臨済宗寺院で、弘法大師が堂宇の前に藤を植えたことから藤井寺と号したという。

 山門の西側に鐘楼です

 参道脇に藤棚が設置されています



 これが藤井寺の名前の元となった弘法大師が植えたフジでしょうか

 参道は右(西)へ曲がって石段を上がります

 手水舎です

 お地蔵様です

 本堂です

 説明版です
   藤井寺縁起
 当山の開創は、弘仁年間弘法大師が四国ご巡錫の砌、此の地へ立ち寄られ、三面を山に囲まれた渓流の水清き仙境に深くお心をひかれ、山上八畳岩にて17日間の御修法金剛不壊の道場とし、境内に五色のフジをお手植になった由緒から金剛山藤井寺の寺号がおこったと伝えられる。
 昔時は山上に七堂伽藍が立ち並び荘厳の美を極めていたが、天正年間長曾我部元親の兵火に遭い、更に、天保3年火災ににあい伽藍すべてを焼失したが、不思議にも弘法大師御作と伝えられる御本尊薬師如来像(国宝)だけは、その難をのがれられ、今日、四国霊場最古の仏像として奥殿に安置されている。

 弘法大師様です

 大師堂です

 弁財天の鳥居が有ります

 六角堂は白龍弁財天です

 では、納経所へ寄って次へ行きましょう



 

 2024・6・8・14・25
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徳島県吉野川市、鴨島町喜来「若宮神社のクスノキ」です!!

2024-07-11 13:05:24 | 巨樹・大木
 鴨島町喜来地区は、吉野川市役所の北北東約1kmのところ

 吉野川市役所の西側の道路を北へ、県道31号線です

 約300mで信号を右(東)へ、国道192号線です

 約200mで信号を左(北北西)へ、 約200mで歩車分離信号を斜め右(北東)へ

 約400mでJR徳島線の踏切を越えると間も無く左手に

 東向きに鎮座する若宮神社境内です

 鳥居前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 目的のクスノキです

 北側から

 西側から

 南側から

 東側から見上げました

 拝殿です

 本殿です

 境内社です

 では、次へ行きましょう
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徳島県吉野川市、鴨島町麻植塚「五所神社(瑜伽神社)のイチョウ」です!!

2024-07-11 06:30:05 | 巨樹・大木
 鴨島町麻植塚地区は、吉野川市役所の東北東約2kmのところ

 吉野川市役所西側の県道31号線を北へ、約200mで右(東)へ、国道318号線です

 約500mの感応式「鴨島町中島」信号を左(北)へ細い道に入ります

 約100mで突き当らいを右(東北東)へ、県道239号線です

 約1.5kmで道路右手に五所神社が北向きに鎮座します

 前の道路幅の広がった所に車を止めさせて頂きました

 境内入口の鳥居と目的のイチョウが見えます

 鳥居下からイチョウを見ました

 手水舎です

 南側から、細い注連縄が巻かれています

 東側から

 幹の中には焦げ跡が見られます

 説明版です
   五所神社(瑜伽神社)の由来
 祭神 五所神社 
  伊弉諾命(いざなぎのみこと)、伊弉冉命(いざなみのみこと)
   伊弉諾命は伊弉冉命と夫婦となり、わが国土・山川草木・諸々の神を産んだ神々。
   伊弉冉命は、最後に火神を産んだために崩ぜられた。熊野神社など多くの神社の御祭神。
  大山祇命(おおやまつみのみこと)
   神産みの際に生まれた山の神。愛知県大三島の大山祇神社の御祭神。
  誉田別命(ほんだわけのみこと)
   応神天皇の別名。八幡神社の御祭神。
  息長足姫命(おきながたらしひめのみこと)
   仲哀天皇の皇后であり応神天王の母。誉田別命と一緒に八幡神社で祀られる。
 瑜伽神社
  大麻綜杵命(おおへつきのみこと)
   祟神天皇の第3皇子に座して、大麻綜杵命は天太玉命の(ふとたまのみこと=布刀玉命・忌部の祖神)のお孫なり。
   御母后は伊香色許売命(いかがしこめのみこと:祟神天皇のの生母)と申し祀る。
   この地、大麻綜杵命と呼びにくき故に麻植津賀(おえつか)と称せる。
   「阿波風土記の一節」(登記種類より)
 由緒と沿革
  往昔には、山路森藤三谷柿原氏子にして氏神なく、安政6年吉野川と飯尾川大洪水の秋祭り参詣で出来難い事往にあり。
  瑜伽神社の境内に遷し(十二社神社、柿原山神社、向麻山の西麓山路八幡神社、森藤八幡神社、)五社を合祠し五社大明神と敬称をなした。
  明治初期に社称を五社神社と改称する。また、大正15年1月29日の徳島県指令第343号により境内北の瑜伽神社を五社神社へ合祀許可を得る。(国有境内地譲与申請に関する書類より)
 麻植塚史蹟
  「麻植神塚」字麻植塚小字麻植塚なり。同地に面積5坪高さ3尺の古墳あり、麻植神塚と称えて、付近を塚西・塚東と称し、今倉種集の氏人の今鞍進士(吉野川市美郷の後藤田家)の租を祀る(石碑あり)。
  この地に今倉姓あり、今鞍進士の末裔ならんと云う。此の地を大麻綜杵と呼びにくき故に麻植津賀と称せる。
  向麻山の麓の北西に麻搗、麻晒の岩あり。高さ2尺、周囲6間の岩ありしが前年用水路のため破壊される。
  その付近を流れる飯尾川を麻清、麻清の口とも云う。「阿波風土記に見ゆ」(登録書類より)
       五社神社 宮司 石田 志朗

 北東側から

 北西側から、樹高16m、目通り幹囲6.1mの巨木です

 西側から

 拝殿です

 本殿です

 社殿改築記念碑です
   社殿改築記念碑
 当社は俗称を「瑜伽神社」と云い、崇神天皇第3皇子大麻綜杵命の外五柱を祀る。
 旧社殿は明治41年改築以来、幾多の星霜を経て老朽化したため、神徳の尊厳を護持せんと崇敬の念篤き氏子各位より多額の浄財が奉斎され、祝詞殿、拝殿、向拝の改築を竣工するに至った。
 その要録をここに記す。
   平成6年8月吉日 五所神社氏子
 
 境内社の石祠が並びます

 境内東側のクスノキです、目通り幹囲は4m程の大木です

 クスノキを見上げました

 では、次へ行きましょう

 

 2024・6・8・13・50
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