ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

徳島県藍住町、奥野山畑「諏訪神社のイチョウ」です!!

2024-07-02 18:37:00 | 巨樹・大木
 奥野山畑地区は、藍住町役場の南西約1kmのところ

 藍住町役場の東側の県道225号線を南南西へ

 約700mで信号を右(西)へ、細い道路に入りますが県道29号線です

 約800mで突き当りに諏訪神社が東向きに鎮座します

 諏訪神社社號標です

 境内入口です、小学生がビニールボールでサッカーをしています

 前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 手水舎です

 参道を進みます

 二ノ鳥居です

 拝殿です


 本殿です

 説明版です
   藍住町指定有形文化財
     諏訪神社本殿
       指定年月日 昭和63年1月10日
 諏訪神社は、創建年代や沿革は詳しくは分かりませんが、奥野村成立以来の産土神の旧村社です。建御名方命を祭神とします。
 本殿は文化13年(1816)に奥野村に住む佐藤岡右衛門利重、脇町の岡田民蔵英房の二名が棟梁大工として携わり建てられたものであるということが、神社に保存されている棟札から確認されています。
 一間社の春日造で、総欅造、組物や至る所に施された彫刻には匠の技がふんだんに出ており、この地方を代表する良質の建物です。
      藍住町教育委員会

 本殿西側に目的のイチョウです

 南側から

 東側から

 説明版です
   藍住町指定天然記念物
     諏訪境内の大イチョウ
       指定年月日 昭和63年1月10日
 イチョウは中国原産で、全国的に街路樹など普通に見かける樹木ですが、分類上は奇異な位置にあり、広葉樹・針葉樹の区分ではいずれにも属さない原始的な形質を有しています。
 また、繁殖力が強く人為的に栽培・植樹されていますが、現存する唯一のイチョウ綱であり、生きた化石としてレッドリストの絶滅危惧1B類に指定されている貴重な樹木なのです。
 諏訪神社境内のイチョウは、高さは20m前後を測り、幹周も5mを越える大イチョウが2本あります。
 これらのイチョウは、枝張りも良く町内を代表する巨木です。
      藍住町教育委員会

 北西側から

 北側から見上げました

 もう一本は境内南側道路沿いにあったようなのですが、境内側から見付けることが出来ませんでした

 では、次へ行きましょう


 2024・6・7・17・00
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徳島県藍住町、東中富東傍示「東光寺のイチョウ」(市指定)です!!

2024-07-02 06:43:58 | 巨樹・大木
 東中富東傍示地区は、藍住町役場の西南西約2kmのところ

 藍住町役場東側の県道225線を南南西へ進みます

 約1.2kmで信号を斜め右(西)へ、県道29号線です

 約200mでまた斜め右(北西)へ県道1号線です

 約800mで徳島道藍住インターチェンジ入口を過ぎて

 約200mで「東光寺」の案内板がありますので左(西)へ、案内板に案内図がありますので100m足らずで左(南)へ

 間も無く広い駐車場の東光寺が東向き参道であります

 駐車場端に車を止めさせて頂きました

 山門入って本堂手前参道左に目的のイチョウです

 天然記念物標柱です
 
 説明版です
   藍住町指定天然記念物
     東光寺境内イチョウ
     東光寺境内まき
       指定年月日 昭和63年1月10日
 東光寺は、天和年間(1681~83)に宥意上人が開基した真言宗の寺院です。
 境内のほぼ中央部にあるイチョウの巨樹は、幹周5m以上になります。
 戦時中は見張り台としても使われていたというこのイチョウの巨樹は、台風などで傷んだこともありましたが幸い樹勢も良く、たくさんの小枝が派生しています。
 また、境内の北端、隣地との境にはまきの大木が5本並んでいます。
 まきには、コウヤマキ、イヌマキ、ラカンマキ等がありますが、これらはイヌマキです。
 イヌマキは、マキ科の常緑樹で、関東地方から沖縄までの暖かい地方に自生し、庭や生垣、建築材などにも利用されるようです。
 東光寺のまきは、太さが2m前後となっており、堂々と立つ姿は壮観です。
      藍住町教育委員会
 *マキは社務所の建物の影だったので見れませんでした。

 北東側から

 北側から、樹高20m、目通り幹囲5.0mの巨木です

 西側から

 本堂です

 説明版です
   阿波四国第7番霊場・阿波北嶺薬師第8番霊場
     高野山真言宗 命壷山 薬師院 東光寺
       壷薬師
  四国八十八ケ所・西国三十三カ所巡拝由来
 当、命壷山 東光寺は、天和年間に宥意上人によって創建され、御本尊は壷薬師と尊称されており、薬師如来自らが、薬壷の中に立座の上、薬師十二大願の成就を祈念されておられます。
 全国でも非常に珍しくも有り難いお姿です。
 今から約三百年の昔、宝永年間に当地出身の観音講元 普門軒円通居士と号する三木某と言う方が、西国第1番紀州那智に於いて、霊告を受けると言う神秘体験により当地を霊域と定めて、阿波四国霊場発祥の地とし、阿波では最古と言い伝えられる石仏巡拝堂が、建立されており、四国八十八ケ所の御本尊を石仏としてお奉りして、陰徳講を講元とし、札寄寺として繁栄しました。
 しかし平成7年1月の阪神淡路大震災により、老朽化していた巡拝堂が、崩壊しかけたので、今の巡拝形式になっています。
 境内には、当時に植えられたと思われる銀杏の木が、今は大木となって、往古を偲ばせています。

 本堂南側にイブキの古木です

 東側から

 南側から

 西側から見ました

 イブキの前からイチョウを見ました

 では、次へ行きましょう



 2024・6・7・
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