ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

群馬県東吾妻町、原町「原町の大ケヤキ」(国指定)です!!

2022-06-15 06:29:13 | 巨樹・大木
 ここからは2022年6月8日取材分です

 草津温泉や菅平(長野県)方面の行き帰りには国道145号線を主に使うため

 「国指定天然記念物 原町の大ケヤキ」には久しぶりの対面となりました

 原町地区は、東吾妻町役場の有る地区です

 吾妻川左岸の段丘面に市街地が広がっています

 国道145号線沿いに有る町役場から南へ

 JR吾妻線ぐんまはらまち駅南側の県道28号高崎東吾妻線を東へ

 県道35号渋川東吾妻線と県道58号中之条東吾妻線との三叉路に目的の大ケヤキが立ちます

 近くのホームセンターに車を止めさせて頂きました

南側から、大きな洞が開いて支柱に支えられた姿です

南西側から、残る大枝は一本だけになっています

横断歩道を渡って西側から

信号が変わるのを待って三叉路中央の安全地帯へ、国指定天然記念物原町の大ケヤキの標柱です

説明版です
  原町の大ケヤキ
1、名称
 国指定天然記念物 原町の大ケヤキ
2、指定年月日
 昭和8年4月13日
3、所在地
 群馬県東吾妻町大字原町391番地
4、指定理由
 全国有数のケヤキの巨木であるため
5、説明事項
 ・幹囲 目通り11m、根元廻り17m
 ・樹齢 推定1000年
 ・ニレ科の落葉高木
 この大ケヤキは、慶長19年(1614年)頃、すでにうっそうと繁った大樹になっていたといわれ、町割りの基準とされ、また、鬼門塞ぎに見立てたと伝えられている。この木は、町民に槻の木(つきのき)と呼ばれ、今日まで親しまれ、畏敬されてきた。
 ケヤキは古名を槻(つき)といい、万葉集にもこの名でよまれているが、植物学上の区別は明らかでない。木が高くても枝が横に張っているもの、材が良質で赤味を帯びるものをツキと呼ぶ説があり、強木(つよき)の略ともいう。
 この大ケヤキは、樹齢を重ねるにつれ、各所に損傷を生じることもあったが、その都度保護・増殖の手当を施してきた。そこでこのほど、残りの主幹の保護と樹勢回復の工事を行い、また、往年の樹勢旺盛のころの姿を写真で示すこととした。
   文部省
   群馬県
   吾妻町
(昭和9年撮影)
 この土際の樹幹の太さを測ると約17mあり、それよし1m半上の幹囲は約11mある。樹の枝張りは、東方約9m、東北方約22m、西方約11m半、南方約14m半、北方約11mで、太い主幹は低地面から高さ6m辺から6大枝に分かれ、各大枝は更に分岐しており、幹には幾つかの瘤起がある。
 昭和7年10月、理学博士三好学氏の調査によると、この樹は山形県東根町の大欅、山梨県三恵村の大欅と共に日本三大欅と称されるべしものであるとされた。(昭和35年刊「原町誌」による)

*山形県東根市本丸南の「東根の大ケヤキ(幹囲12.6m)」は、このブログの2021年5月8日の投稿をご覧ください。
*山梨県南アルプス市寺部の「三恵の大ケヤキ(幹囲14.7m)」は、2017年9月5日の投稿をご覧ください。
 この二本は、原町の大ケヤキのような道路に囲まれたところに立っているものと違って、東根の大ケヤキは小学校の玄関前、三恵の大ケヤキは、新興住宅地の果樹園の脇に立っていますので、環境的には良いと言えます。


信号名は「槻木Tsukinoki」です

信号をも戻って北西側から

また信号を渡って北側から

東側から見上げました

東側に離れてみました

信号を渡り返して南東側から見ました

では、次へ行きましょう


 

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