山古志東竹沢地区は、長岡市役所の南約16kmのところ
国道17号線を南へ、信濃川に架かる越の大橋の手前堤信号を左(南)へ
信濃川右岸に沿って県道589号線進み、小千谷市との境の信号を左(東)へ入ります
JR上越線の下を潜って国道291号線を東へ、しばらく小千谷市内です
朝日川に沿って上って行きます、東側の山の上はかつての山古志村です
山古志に入って、駐在所先を右(南)へ、長い山古志トンネルを貫けると東竹沢地区です
左の山をぐるっと回るように進むと芋川の砂防堰堤を過ぎて左の県道23号線を北へ
間もなく震災資料館のある山古志木籠郷見庵です
芋川の河原に沈んだ家(震災遺構)を見ることが出来ます
橋の手前すぐ先で右手に半島のように突き出したところに枝先が見えました
枝先を確認しながら進むと・・・
ここを右へ
北側から諏訪神社境内です、社殿は北向きに鎮座します
天然記念物標柱です、指定名は「諏訪神社の樹群」となっています
古い感じの狛犬です
社殿は震災後に新しく建て替えられているようです
目的のケヤキです、一本に見えますが・・・
東側から見ると二本が並んでいます、共に5mを越える巨木です
南側のケヤキです
北側のケヤキです
雪割り草(ミスミソウ)が綺麗な花を咲かせていました
では、次へ行きましょう
*小千谷市との境の信号の西側には「妙見メモリアルパーク」が在ります
平成16年(2004)10月23日に発生した中越地震で崖崩れが発生し
小さな子供が車の中から救出されるシーンが思い出される場所です
最近も東北地方の地震で東北新幹線が白石蔵王駅付近で脱線したニュースで
中越地震で上越新幹線が脱線した時の映像が流れていて余震で揺れる車両が印象的でした
*
木籠(こごも)メモリアルパークに「地震で沈んだ村」の石碑が有ります
説明版です
平成16年(2004)10月23日17時56分頃、新潟県中越地方の深さ13kmでマグニチュード6.8の地震が発生しました。
この地震により、木籠集落を流れる芋川の下流、東竹沢で地滑りが発生し、川をせき止めてしまいました(河道閉塞)。
せき止められた芋川の水位は徐々に上昇、11月17日に最高水位が15m以上に達し、上流域にある木籠集落では14戸が水没しました。また、集落内を通る主要道も600mにわたり水没しました。そのため、ただちに大規模な排水工事が行われ、下流域への土石流被害は免れました。日常は緩やかな小さな川でも、地滑り等によりせき止められると大きなダムとなり、集落を飲み込んで氾濫時には破壊的な被害となります。
河道閉塞の原因となった地すべり土砂が、今後下流へ流れないように砂防堰堤を整備したことで、木籠集落は土砂がたまる場所(堆砂敷)になりました。
本来堆砂敷の中に家屋などの建物を残すことはできませんが、関係機関と調整し震災遺構として保存することとしました。家屋周辺には、洪水等により家屋が流れてしまわないよう、柵やネットを設置しています。
やあこし復興交流館おらたる
甚大な被害を被ってなお、「帰ろう山古志」のスローガンのもと、地域一丸となって避難生活を乗り越え、復旧・復興へと歩み続けている様子を、写真や住民の証言、地形模型シアターなどで紹介します。さらに一階は山古志の交流拠点として、地域総合案内の機能も合わせ持ちます。(復興交流館は、竹沢駐在所を東へ県道23号を300mほど行ったところに有ります)
*1996年の兵庫南部地震(阪神神戸大震災)いらいの震度7を記録した中越地震の後、2007年7月16日の中越沖地震や2011年3月11日の東日本大震災と地震が続き、原発事故非難では、中越地震で使われた長岡市の避難施設も使用されています、その後も熊本地震が発生し、東南海の地震も予想されていることから耐震対策等真剣に考えさせられました。
国道17号線を南へ、信濃川に架かる越の大橋の手前堤信号を左(南)へ
信濃川右岸に沿って県道589号線進み、小千谷市との境の信号を左(東)へ入ります
JR上越線の下を潜って国道291号線を東へ、しばらく小千谷市内です
朝日川に沿って上って行きます、東側の山の上はかつての山古志村です
山古志に入って、駐在所先を右(南)へ、長い山古志トンネルを貫けると東竹沢地区です
左の山をぐるっと回るように進むと芋川の砂防堰堤を過ぎて左の県道23号線を北へ
間もなく震災資料館のある山古志木籠郷見庵です
芋川の河原に沈んだ家(震災遺構)を見ることが出来ます
橋の手前すぐ先で右手に半島のように突き出したところに枝先が見えました
枝先を確認しながら進むと・・・
ここを右へ
北側から諏訪神社境内です、社殿は北向きに鎮座します
天然記念物標柱です、指定名は「諏訪神社の樹群」となっています
古い感じの狛犬です
社殿は震災後に新しく建て替えられているようです
目的のケヤキです、一本に見えますが・・・
東側から見ると二本が並んでいます、共に5mを越える巨木です
南側のケヤキです
北側のケヤキです
雪割り草(ミスミソウ)が綺麗な花を咲かせていました
では、次へ行きましょう
*小千谷市との境の信号の西側には「妙見メモリアルパーク」が在ります
平成16年(2004)10月23日に発生した中越地震で崖崩れが発生し
小さな子供が車の中から救出されるシーンが思い出される場所です
最近も東北地方の地震で東北新幹線が白石蔵王駅付近で脱線したニュースで
中越地震で上越新幹線が脱線した時の映像が流れていて余震で揺れる車両が印象的でした
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木籠(こごも)メモリアルパークに「地震で沈んだ村」の石碑が有ります
説明版です
平成16年(2004)10月23日17時56分頃、新潟県中越地方の深さ13kmでマグニチュード6.8の地震が発生しました。
この地震により、木籠集落を流れる芋川の下流、東竹沢で地滑りが発生し、川をせき止めてしまいました(河道閉塞)。
せき止められた芋川の水位は徐々に上昇、11月17日に最高水位が15m以上に達し、上流域にある木籠集落では14戸が水没しました。また、集落内を通る主要道も600mにわたり水没しました。そのため、ただちに大規模な排水工事が行われ、下流域への土石流被害は免れました。日常は緩やかな小さな川でも、地滑り等によりせき止められると大きなダムとなり、集落を飲み込んで氾濫時には破壊的な被害となります。
河道閉塞の原因となった地すべり土砂が、今後下流へ流れないように砂防堰堤を整備したことで、木籠集落は土砂がたまる場所(堆砂敷)になりました。
本来堆砂敷の中に家屋などの建物を残すことはできませんが、関係機関と調整し震災遺構として保存することとしました。家屋周辺には、洪水等により家屋が流れてしまわないよう、柵やネットを設置しています。
やあこし復興交流館おらたる
甚大な被害を被ってなお、「帰ろう山古志」のスローガンのもと、地域一丸となって避難生活を乗り越え、復旧・復興へと歩み続けている様子を、写真や住民の証言、地形模型シアターなどで紹介します。さらに一階は山古志の交流拠点として、地域総合案内の機能も合わせ持ちます。(復興交流館は、竹沢駐在所を東へ県道23号を300mほど行ったところに有ります)
*1996年の兵庫南部地震(阪神神戸大震災)いらいの震度7を記録した中越地震の後、2007年7月16日の中越沖地震や2011年3月11日の東日本大震災と地震が続き、原発事故非難では、中越地震で使われた長岡市の避難施設も使用されています、その後も熊本地震が発生し、東南海の地震も予想されていることから耐震対策等真剣に考えさせられました。
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