黒木地区は、相馬市役所の北西約3kmのところ
県道228号線を進むと右側に社叢が見えて来ます
境内に
駐車スペースが有りますので利用させて頂きました

案内板です



大きな杉の樹幹です



杉です
でも目的のスギではありません

鳥居です




イチョウです

大銀杏の案内板です
樹齢523年 太さ5,4m 高さ25mで
福島県みどりの文化財に指定されています

相馬市指定天然記念物 諏訪神社の大イチョウの票柱です



道路脇に鳥居の隣です

石碑です

手水舎です

由緒碑です
諏訪神社由来
諏訪神社御祭神
武御名方神 八重事代主神
御神徳
家内安全 商売繁盛
五穀豊穣 心身堅固
奥相志に神護景3年(769)信濃の
諏訪より宇多郡尾浜村十二所に勧進した
が今から450年前天文7年(1538)
4月19日黒木に遷座した。
棟札に藤原朝臣若狭守守胤房(黒木彈
正)神官民部卿(桃井)棟上4月7日大
工内匠頭8人総番匠350人とある。尾
浜上陸後の塚町諏訪田の遺跡も遷座の際
の御旅所であったという。
古歌
陸奥の宇多の尾浜の浪風の
音だに声(恋)の百永(桃井)の松
桃井左近啓網は京都の偉大なる修験者
で御分霊を奉斎して参った、勧進せしと
き基標の松を桃井の松と名づけて詠じた、
その後、黒木彈正に召され宮司となり以
来24代をかぞえる、相馬利胤中村に築
城するや四方守護の一社として尊崇せら
れ、正月には藩主参拝の例を開いた、社
料1石2斗年々加増となり社田も認めら
れ、6月10日は神田のお田植で大字内
は植えられなかった。
例祭は春秋二回、正月27日は流鏑馬、
7月27日は町からの出店が並び、盆踊
など近郷近在の人々が集り夜を徹し踊り
賑わったという。
この古い歴史こそ境内の大杉だけが知
るだろう。
末社 八坂神社 御祭神 素戔嗚尊
稲田姫
小社 稲荷神社 秋葉神社 御水神社
国玉神社
諏訪神社450年にあたり御神威益々
の弥栄と氏子各位の御繁栄を祈念しここ
に建立する。 浄書 宮司可生
昭和60年元旦
奉納並びに碑文 相馬市黒木字町70
番地 遠藤正心
奉納古稀記念 遠藤タツイ
賛助者 相馬市文化財保護調査委員会
松本敬信

絵馬殿です

拝殿は石段の上ですが、祭祀が行われていたので撮影は遠慮しました

境内社です

こちらも境内社です
では、次へ行きましょう
県道228号線を進むと右側に社叢が見えて来ます
境内に


案内板です




大きな杉の樹幹です




杉です


鳥居です





イチョウです


大銀杏の案内板です

樹齢523年 太さ5,4m 高さ25mで
福島県みどりの文化財に指定されています

相馬市指定天然記念物 諏訪神社の大イチョウの票柱です




道路脇に鳥居の隣です

石碑です

手水舎です

由緒碑です
諏訪神社由来
諏訪神社御祭神
武御名方神 八重事代主神
御神徳
家内安全 商売繁盛
五穀豊穣 心身堅固
奥相志に神護景3年(769)信濃の
諏訪より宇多郡尾浜村十二所に勧進した
が今から450年前天文7年(1538)
4月19日黒木に遷座した。
棟札に藤原朝臣若狭守守胤房(黒木彈
正)神官民部卿(桃井)棟上4月7日大
工内匠頭8人総番匠350人とある。尾
浜上陸後の塚町諏訪田の遺跡も遷座の際
の御旅所であったという。
古歌
陸奥の宇多の尾浜の浪風の
音だに声(恋)の百永(桃井)の松
桃井左近啓網は京都の偉大なる修験者
で御分霊を奉斎して参った、勧進せしと
き基標の松を桃井の松と名づけて詠じた、
その後、黒木彈正に召され宮司となり以
来24代をかぞえる、相馬利胤中村に築
城するや四方守護の一社として尊崇せら
れ、正月には藩主参拝の例を開いた、社
料1石2斗年々加増となり社田も認めら
れ、6月10日は神田のお田植で大字内
は植えられなかった。
例祭は春秋二回、正月27日は流鏑馬、
7月27日は町からの出店が並び、盆踊
など近郷近在の人々が集り夜を徹し踊り
賑わったという。
この古い歴史こそ境内の大杉だけが知
るだろう。
末社 八坂神社 御祭神 素戔嗚尊
稲田姫
小社 稲荷神社 秋葉神社 御水神社
国玉神社
諏訪神社450年にあたり御神威益々
の弥栄と氏子各位の御繁栄を祈念しここ
に建立する。 浄書 宮司可生
昭和60年元旦
奉納並びに碑文 相馬市黒木字町70
番地 遠藤正心
奉納古稀記念 遠藤タツイ
賛助者 相馬市文化財保護調査委員会
松本敬信

絵馬殿です


拝殿は石段の上ですが、祭祀が行われていたので撮影は遠慮しました


境内社です


こちらも境内社です

では、次へ行きましょう

