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昭和・私の記憶

途切れることのない吾想い 吾昭和の記憶を物語る
 

2010年04月16日 04時47分31秒 | 

共に考えるを 友と謂う

大土二郎  ミュンヘンのカフェテラスから  1980年(?) 07.15

友 ・ 一
落日は速かった。
日が山に懸かり始めてから、
ほんの 2,3分で、日が沈んだのである。
日が沈むと、
あっという間に暗くなった。
城北公園まで帰って来た頃には、廻りが、まっ暗になっていた。
暗闇の堤防、ひとっこ一人り居ない。
「 どうしやう 」
来た経路 ( ミチ )で、帰ることしか頭になかった。
「 これが一番の近道 」
・・・と、自分に言い聞かせていたのである。
然し
灯りの無い堤防は、まっ暗で歩けない。
これ以上進めない。
4年生・山田、泣き出した。
「 男は泣いたら、アカン 」 ・・・あっという間に日が落ちて 

山田 浩 ヤマダヒロシ
昭和38年 ( 1963年 ) 初の友である


友 ・二
友ガキ ・舟木、
よくぞ 頑張った。
斯くも必死なる形相、・・・拍手を贈る。
而も、裸足。 而も、完走。
『 まけてなるものか  くじけちゃならぬ 』
彼のそんな姿、
私は、それまでとうてい知るものではない。
卒業アルバム中の 斯の画像を見るまで知らなかったのである。
おそらく、彼の17年の生涯に於て、最も命を燃やした瞬間 ( とき ) であろう。
・・・「 おばあさん どうやった? 」 ・・・○○○ が 問いかけた

舟木伸次  フナキシンジ
『 連れ 』 として 1965年~1972年を共にした
かけがえのない友ガキである

1966年 ・・・風よ伝えてよ あの娘に 
1969年 ・・・修学旅行 1 ・ 消えた記憶 「 観音様です、おっ母さん」

 ・・・文学少女にはなれなかった
 ・・・置き碁・風鈴 「 もう、やめじゃあ 」 
1970年 ・・・バラ色の時 1 「 今日の酒は格別 」

 ・・・バラ色の時 4 「 小豆島グリーンランド キャンプ場 」


あっというまの
昭和47年 ( 1972年 ) 4月14日 ( 金 )
友ガキ・舟木 は 逝ってしまった。
私との約束、果せないままに。
凡てを、想い出に変えて逝ってしまったのである。
たった、17才で ・・・・
「 友との別れ 」  なんと 悲しいものである。
この感慨 たとえようもない。・・・17才のこの胸に 「 二人で唄った刑事君 」 

然し 私は、葬儀 には出なかった。
私は 悲しい場に身を置きたくなかった。
別れを告げたくなかったのである。
然しそれは、勝手な理由をつけて逃げたに過ぎない。
ちゃんと正面から向き合うべきであったのだ。 ・・・ちゃんと。
それが友ガキ ・舟木 に、私が取るべき 洵 だったのである。
然し、私は逃げた。 逃げてしまった。
・・・17才のこの胸に 「 友ガキ・舟木との別れ 」 

友 ・三
昭和50年(1975年 ) 2月15日 (土)
京阪電車で枚方の牧野に在る彼のアパートに行った。
親友 ・水阪
「( 結婚 ) 決めようと思っている。
しかし、最後のところで二の足を踏んでいる。
彼女と会って決心を固めたい。
お前、鹿児島まで、付き添って呉れんか 」
親友 ・水阪、私に背を押して貰いたかったのである。
私は、二つ返事で快諾した。・・・「 お前、変わってるなあ 」

親友 ・水阪、
小学校のグランドで子供らとボール遊びをしている。
私は、子供らとのボール遊びには加わらなかった。
砂場の渕に坐って、遠目でその様子を眺めていたのである。
「 あいつ、子供好きなんや 」
その時、私の傍らには彼女が坐って居た。
私は彼女に言葉した。
「 決めるべきです 」

ボール遊びを終えて
「 湯の元 」 の、旅館に案内された。
この日は此処で一泊するのである。
夕食が済んで、部屋に入った吾々。
親友 ・水阪、未だ肝心な用を達していない。
「 お前、話  して来いよ。 ( 俺 ) 此処に居るから 」
と、彼を促しすと、
「 うん、それじゃあ 行って来るワ 」
・・・そう云って、彼は部屋を出た。
果して
旨くいくに決まっている。・・・叶うものであれは゛ 叶えて欲しい

水阪昭二  ミズサカショウジ
 『 家族ぐるみの つきあい 』 ・・叶わなかった
1972年 ・・・パトカー に乗って帰宅する
1974年 ・・・青年は夢を追いかけろ

空が白けて来た。

都工の正門前の道路にへたりこんで、待つこと 6時間
滔々 夜を明かしたのである。
暁払い
一台の車、Civic  が、吾々の目の前に止った。
運転席には水阪の顔
ドアを開けるや
「 スマン スマン 」

寝過ごしたのだと言う。
仕事が終わって一眠りしたところ、気が付いたら午前3時。
「 スワッ、大変 」
・・・と、高速道路突っ走ってきたんだと。  
・・・君達がいて僕がいた 5 「 スマン スマン 」


友 ・ 四 
「 おい!」
倖せなとき なかったよなあ
苦悩ばかりしてなぁ
人生
生きてゆくのは むつかしいよなあ
楽しいことなんて なかったよなあ
「 でも ・・・ どうして?」・・・友を亡くした悲しみ 

大土二郎  オオツチジロウ
無二の親友である
・・・蒜山高原 
・・・コートにかける青春 


親友・大土の様子がおかしい。
いったい、どうしたというのか。
「 最近調子悪うてな。薬、飲んでるんや。 仕事も二週間ほど休んどる 」
「 何があったんや 」
「 最近、職場での皆の態度が変ってな。
あいつは偉い人やから、自分等と違うんや
そこまで頑張らんでもええやろに残業までして、それじゃ自分等がサボっている様に見えるやろ
・・・陰で、そう云うとるんや。
外課たかの同僚と共同した論文が賞を取って本に載ったことや、
そいつらと、ヨーロッパ旅行した事を嫉んどるんや。
でも、そんなことぐらい別にどうってことはない、云わしとったらええんや。
・・・でもな、
最近、設備工事の見積金額が業者に洩れていることが庁内で判ってな。
・・・キャリアの上司が遣ったことなんや。 周りの者もそれを知っているくせに。 皆 黙っとる。
そのキャリアが俺に罪を擦り付けたんや・・・。
君の面倒はちゃんとみるから黙っておいてくれ。 悪いようにはしないから。
・・・そう云うて、そのキャリア 俺にはヘラヘラ機嫌をとってくる。
そのくせ、裏で犯人は俺・・と言いふらしているんや 」
薬の副作用からか、ろれつが回っていない。
「 そんな阿保なことがあってたまるか。 何か手立てはないんか 」
「 相手はキャリアや、組織が護ってくれる。ノンキャリの俺なんか、トカゲのしっぽでしかないんや。
闘こうても、結局負ける・・・云われるが侭 黙っておるしかないんや 」
涙声になっている。
「 庁内に仲間は居らんのか 」
「 居る・・・けど、皆、黙っとる ・・・」
「 そんな ぁ・・・」  ・・・プロローグ ・ 遥かなる想い

・・・4月3日、日曜日は告別式
大阪府庁の職員が葬儀を取仕切っていた
その余りにも多勢に、私等同窓生たかが10人、出る幕など無かった
大阪府庁の一職員の踏切り事故死に
ここまで役所が入って来るのかと、その異様差に戸惑いながら、彼を送ったのである
出棺のアイズの音
彼を乗せた車が去って行く時、悲しいものが込上げた
28歳
青雲の涯へ、逝ってしまった・・
感慨表現のしようもない

出棺を見送って各々が帰宅する前に
同窓生の仲間全員、近くの喫茶店に集まろうと謂う事になった
「皆、揃ったか?」
「大土 が、まだや」
「・・・・」  ・・・青雲の涯 遙かなる想い 

仲間達
・・・昭和45年 (1970年) 4月8日 ・ 1 「 大阪市立都島工業高等学校建築科・65期生 」
・・・反骨な奴のレジスタンス
・・・腕自慢でも敵わなかった万博の大屋根 

  
青春のたまり場 2008.08.14 撮影
 

「 ちょっと、まて! 俺、肉 食うてへんど 」
「 俺かて、食うてへん 」
「 みんなが、食えるようにしようで 」
「 順番に食おうや 」
「 おれが、ちゃんと造ったるから 」
「 おい、ハナべー に任せようや 」

ワイワイ 言いもって 食べた すき焼き は 美味かった。
そして 仲間達と初めて会して飲んだ酒。
それはもう
『 五臓六腑に染渡った 』 ・・・のである。  ・・・君達がいて僕がいた 1 「 仲 間 達 」 

昭和49年 ( 1974年 )
社会人 2年目の秋
その頃、
「 体を鍛えよう  」 ・・・と
偶にであるが、親友 ・平野と二人、大阪城にて、ジョギングをしていた。
大阪城の外堀を、一周するコース
何背、20歳・・・元気はあった。
ジョギングの後は、キャッチボール がいつものメニューであった。
野球少年の吾々、腕に覚えはある。
キャッチボールだけでは、もの足りなかった。
「 みんな集めて 野球しようか 」
「 それええなぁ 」

親友 ・平野との斯の会話から、
『 君達がいて僕がいた 』 ・・・茲に、物語は始まる。
青春のたまり場 「 MA会 ・ 都島アーキテクチャー 」 

友 ・五
人生
咲かない華
どうして、次に継ひでいく
咲かない華 一生懸命、咲かさうとしている
側から観て、哀れ と 言ふ
華をさかせる・・・何を意味するのか
価値判断は何処に在るのか・・・明 にすべき所 であらふ
何が 価値か
一生懸命が価値なら、結果は問へなひ
結果の成否で一生懸命を評価するのか
あるひは 幸運・不運 で決めるのか
砂漠で 咲かない華 
一生懸命、咲かさうとしている と 言ふ
是 不運か  是を 悲運 と 言ふのか
私しの咲かさうとしている華 は 咲かない華 か
私しは 砂漠 か
私しの 咲かさうとしている華は 確かに咲く
「 確かに咲く 」
信じて今日 なるも
さて
咲かない華 
どうして、次に継ひでいく

人生において
( 平野 匡勇 ) 2006-04-16 12:39:12               ・・日曜日
人生において、その過程も結果も満足できれば幸いです。
僕は怠け者なので、平均点を目指しているだけです。
追い立てられて一所懸命になるときもありますが。 
・・・あれから 1 「 人生 」 への コメントである


「 千夜子さん、花田君をよろしく 」 ・・・吾結婚披露宴での祝辞
平野匡勇   ヒラノマサオ
受験番号一番の男
「 一番は誰哉?」
興味津々の私の前に立つは 小柄の坊主頭の男・平野匡勇だった。
一番と二番の出逢い
此が縁 えにし茲に、彼との友情が始まる。
『 共に生きるを、友と謂う 』
こうして彼とは鎖縁、
以後なにくれと行動を共にすることになるのである。  ・・・受験番号一番の男 と 人生航路
1970年 ・・・バラ色の時 4 「 小豆島グリーンランド キャンプ場 」
 ・・・貴ノ花の相撲を見たかったのです
1971年 ・・・鎖縁の物語 「 共に野球部に入ったけれど 」 

  1973.09.03
ところで 四人集まれば、やはり高校時代の事が思い出される。
何らかんら 僕らは3年間言ってきたが。
やっぱり今思えば 思い出として人生の貴重な時期であったろう。
( ところで 君らが来た時、妹はなにかのセールスマンと思ったらしい )
夜十時頃、花田と机をならべて もう一度勉強してみたいと思った。
僕は一刻も病気を回復して、君らと旅行をしたり、ゆっくりと話をしてみたいと思う。
そして、僕らは良い意味のライバルとして、お互いの進む道 ( ともに建築ではあるが ) に、
共に腕を磨いて行こう。
そしていつか、ゆっくりとした時間を持って何かをしてみたいと思う。  ・・・酢豚の想い出 
 
「 ソ連が攻めてきたら、白旗を掲げて降伏する 」 ・・・右翼青年
と、言った平野君の天皇観である。
私と悉く異なる彼の思想信念は、
どこから産れ、亦、築き上げてきたのであらうか。・・・
平野匡勇君の天皇観 1975



大土の 出棺を見送って各々が帰宅する前に
同窓生の仲間全員、近くの喫茶店に集まろうと謂う事になった
「皆、揃ったか?」
「 大土 が、まだや 」 
と、そう言って とぼけた
平野一流のパフォーマンス、 亦哀し ・・・青雲の涯 遙かなる想い 

朋友
「俺はオレ、オマエはお前」
これを肝に銘ずる
其れで善いではないか
汝は汝たり 我は我たり ( ・・・吉田松陰 )

最後まで頑張って自己を尊重し、自尊心を護ることが
取りも直さず 人間を尊重することに成る
自己を尊重する者が人間を尊重でき、真実を尊重できる  ( ・・・三島由紀夫 )

不変
「おまえ、かわったなあ」・・と

吾は不偏で不易
そうみえざるは
おまえこそが、かわったのである  ・・・人と人との間

此の日
親友・長野と共に旭屋書店に行った私は
己の欲するところ欲するがままに
武者小路実篤の著書
若き日の思い出、ある彫刻家、おめでたき人、若き人々、馬鹿一、
人生論、人生雑感、人類の意志について
の、8冊(文庫本)を纏めて購入した。
親友・長野も数冊束ねていた。
自分を磨こうと、読書三昧の日々を送っていたのである。
別に競ってはいない
カラー違いの似た者同士、タイプの違った同類項・・故に
相互が、
「 俺はオレ、オマエはお前 」
「 吾、汝に関知せず 」
・・・と、そう想っていた。
其を肝に銘じて語り合ったのである。
そして二人は、
『 自分を磨く 』 ・・・と、格好をつけた。
格好をつけたがるは、若い力ゆえのもの
「 己が気持ちに素直に生きる 」
その方が、楽に決っている。
然し、それは出来ない、やっちゃあいけないと
若い力が邪魔をするのである。
自分を磨くことこそが、夢を追いかけることに繋がる
そう、確信したのである、これが人生と
そんな二人が、堂島川の護岸に坐ったのである。・・・若い頃


長野卓夫  ナガノタクオ
1973年 ・・・チェリッシュの悦ちゃん
 ・・・旅情 ・ 兼六園
 ・・・心の旅 
1974年 ・・・歴史との出逢い 
1975年 ・・・「サークル」 

昭和50年9月、私は斯の時の想いを
『俺は自尊心の強い男』 と題する小編の中に「 男のロマン 」 として綴った
私の拙文を吟読した親友・長野は、次の感想文を綴ってよこした

斯の頃
親友・長野が謂う 「 力の方向 」
私と彼の 「力の方向 」 は、次元が異なっていた
だから  現実主義の彼に、私の「 男のロマン 」 なぞ、分るべくもない
それは、 私が 彼の 「力の方向 」 を、理解できなかったように   
・・・
男のロマン ・ 生涯一の大風景 
『 
長野君の小册 1975.12.29  ・・長野卓夫 著  ノンタイトル ( 上記タイトルは私が名付けたもの )
昭和51年 ( 1976年 ) 1月9日 ( 金 ) 謹呈さる、以後、幾度と読む・・も、読み熟せない。
46年経ち 68歳の而今、ちっとも不易ない。
長野君の小册
・ 長野君の小册 ・ 1 『 空虚の裏側に充実の存在に気づいた 』 
長野君の小册 ・ 2 『 気晴らし 』 
・ 長野君の小册 ・ 3 『 自我の眼差し 』 
本編は、吾偏見で以て原作を読み、亦 独断で以て 『 写書 』 したもの。
だから原作とは、多少? 変質したものになったかも知れない。 
1977年
・・・ほう・・・、それで、親孝行とは如何ですか

・・・「ママ、可哀そう」
・・・人 間 革 命 
  ・・・
自尊心を問う 1977

コメント

員数

2010年04月15日 02時42分48秒 | 


想ひ 
( あれから )
昭和 54年 ( 1979年 ) 春 ( 24歳 ) ~ 昭和59年 ( 1984年 ) 春 ( 29歳 ) の、
日々の想いを纏めたもの    若かりし日の吾が想ひ 』 ・・・である
途切れることのない想ひ    吾心は 「不偏不易 」
吾は 吾は唯一ではないか     今なほ そう想ふ


員数

世の中に動かされている
動いている人は 安心している
動かされた人の 心は哀しい

世の中に動かされている
そんな心持ちになるが故に 常に受身で 世の中否定となる
途ゆき で、よく考へる
社会に動かされたくない 社会を動かしたい
自分の意志で仕事をしたい

 長野君を推ふ
彼は社会に動かされている と謂ふ認識はないだらう
彼は世間と共に生きている と謂ふだらう

 平野君を推ふ
彼は私しと同じだ
会社の機構の中 与えられた仕事を真面目に行ふ
・・・動かされている

大土君も さうである
納得いくか否かは別として 動かされている

昭和58年1月11日 ( 火 )

コメント

長野君の小册 1975.12.29

2010年04月14日 05時54分09秒 | 

雄弁----心地よいものと、真実なものがなければならない。
      しかし、この心地よいものと、それ自体も、
      真正なものからとり出されたものでなければ
      ならない。
・・・・↑ 表紙の添書き
ここに記されているのは、1974.10~現在に至るまでの自分でみつめた自分の姿、そう自己の客体化の記録とでもいえばいいだろうか。
1974.10.13、確か秋晴れのすがすがしい日曜日だった、それは創価学会との初めての出逢いの日。
1975.7.19、季節が夏の入口にさしかかっていた。
背中に汗をうかべて入会カードを書いたのが想い出される。
そして黄色く色づいたポプラの枯葉が風邪に舞い、本格的な冬の到来を待つ今、1975.12.8 。
1974.10、1975.7から1975.12の約1年2ケ月そして約五ヵ月、ぼくは過去の自分を振り返り、過去の自分と対話することによって、現在の自己存在の外柵を描ければ  この記録はぼくにとって満足なものだ。
そう記録としてまんぞくなものだ。
ぼくはこの小冊が 記録 という主張のない領域にとどまってしまったことに対して 自分をなさけなく思う。
ぼくは主張で貫抜かれた小冊を書きあげたかった。
しかし思うのだ。
今のぼくが主張を貫くという姿勢で書いていたなら、そこに出来上がるのは、文章の断片を 「嘘」 という 接着剤で貼り合わせた、こっけいで、不釣り合いの、自分自身にとって納得のいかない小冊であるように。
----そんなものは望まない。
ぼくは主張=確信がつかめるまで、主張で貫抜かれた目標の小冊を大切に残しておくことにしよう。
そして主張=確信が胸からあふれんばかりのとき、冷静さと慎重さとそして情熱をもって、胸から湧き上ってくる一字一字を受けとめながら、目標の小冊を書きあげよう。

 S50.5.18日曜日、創価学会・西淀川地区主催のソフトボール大会に未入会らもかかわらず、未入会の H と二人して参加した。
会場となっているグランドには、色とりどりのカラージーンズの若者達が思い思いのことをしながら集合の合図を待っていた。
9:00AM頃 ようやく集合の笛がなり、その後大会宣言、選手宣誓、準備体操 その他のプログラムを消化し、9:30AM頃プレイボール。
----女の子の黄色い歓声、5ガロン缶をたたいての声援、手拍子、口の減らないはりきり小僧、
 3本のストライプの入ったジャージ姿の女の子の、ホームからセカンドへの Niceスローのあとの あの得意そうな顔つき、ボールを満足にスローイング出来ないライト、三振する人----Etc---。
その試合の結果を知ることもなく、また知りたくも思わず、グランドを去ったのは 10:30AM 頃だったろうか。
それからぼくは考えている。
----この大会に集った多くの若者
   そして この大会そのものは いったい何なのか!?
     ほんとうの若者らしさとは、ほんとうの行動とは。
                      S50.5.18 Sun 
5月18日の このソフトボール大会と この記録とは、思わぬところで関係してる。
ぼくは5月18日の記述のとおり考えた。

この日の一コマ一コマを再現しながら、一語一語を思いおこしながら。
------------
「それならば、オマエ自身はどうなのか。オマエ自身は何をしていると言い切れるか。」
という、この頃きまっての重苦しい結論がそこに待ち受けていた。
この時ぼくは 「それならば オマエ自身は----」 という自問に どうしようもなく答えられなかった。
答えられない自己への憤りが、「それならば オマエ自身は----」 を増巾し さらに新たな そして大きな憤りを生んでいくという袋小路へと、ぼくを追いたてていった。
そして この記録(その時は エッセーと呼んでいた) を書くという思いつきは この時おこった。
この記録のいちばん始めに 「何故エッセーを書こうと思ったのか」 という見出しで、5月18日の自分を振り返りながら、袋小路に追いつめられたあの時のぼくは こう書いている。
創価学会主催、ソフトボール大会
      何故エッセーを書こうと思いたったのか
ソフトボール大会に中途半端なかたちであれ参加し、その後 この大会に参加した多くの若者を偽善者を見る眼差しで見つめ、大会そのものを偽善的行為ときめつけた。
5ガロン缶をたたいての声援とか手拍子、女の子の黄色の歓声、大会宣言とか ラジオ体操----その他もろもろの行為が、ぼくの目には しらじらしくうつろいやすい、もうどうだっていい、ある空しさを伴って写ったからだ。
しかし そんな眼差し、いろんな事に対して空しさを伴った眼差しで自分のまわりを見わたしてみると、全対象に 「空虚」 というレッテルを貼らざるを得なくなることに気がついた。
と同時に この 「空虚」 の裏側に 「充実」 がかくされていることに気がついたのだ。
空虚な眼差しで自己の世界をみわたせば 世界は空虚な存在となって ぼくの心に横たわる。
これはあたかも色メガネをかけて世界をみたようなものである。
水色の色メガネをかけて 真赤なバラの花を見たことしよう。
そこに見えるは真赤なバラではなく水色で偏向された どす黒いバラだ。
水色の色メガネの世界は、水色で汚された 嘘の色の世界である。
ところで、空虚という特殊色メガネで ソウトボール大会を見たとき 空虚さで汚された世界の裏側に
 「充実」 の世界の存在に気づいたのは どういうわけだ。
                                    S50.6  」
以上のことを書いているときのぼく、そう袋小路に追いつめられたときのぼくは、"充実さを感じる自己" ではなく、
 "空虚さを感じる自己" を否定する自分でしかなかったと思える。
空虚な眼差しでいるということは、気が狂わんばかりの孤独感と身をつんざくような自己嫌悪とを伴っている。
ぼくは周期的といっていいほど押えようのない "苛立ち" におそわれる。
------------
それでは この"苛立ち" の原因は何であろう。
それは何もしていない自分、ただ机の前でボッーとしている自分に対する 自己の呵責ではないだろうか。
結局のところ、ぼくは何もしていないということになるだろう。
何もしていないという自己の呵責に対して、Baseboll,Ski & Fishing,Reading Books----etc----
 という (パスカル風)気晴らしで ぼくはごまかしてきた。
気ばらしで 自己の呵責からのがれていたのだ。
                                S50...? 
だから 袋小路に追いつめられた ぼくが否定した空虚さとは、孤独感と自己嫌悪の否定、 別の言い方をするなら 孤独感と自己嫌悪からの逃避だったのだ。
孤独感と自己嫌悪に真向から戦いを挑むよりは、さっさと逃げだしてしまう方が 安全でしかも容易なことなのだ。
そしてあの時のぼくは秘かに知っていたにちがいない。
エッセーを書くという行為が、
「どんな境遇でも 騒しさや、気晴らしがなかったら、幸福ではない。
どんな境遇でも、なにか気晴らしをして楽しむことができるのなら、幸福である。
しかし、そんな幸福とは、いったいどんなものであるかを、よく考えてみるがいい。
それは、自分自身を考えることから気をそらそうとするところの幸福なのだ。」
                                                               バスカル著 パンセ  より
という パスカル風気晴らしであることを。
ここで 「何故エッセーを書こうと思いたったのか」 の最後に残しておいた問題、
"----空虚さで汚された世界の裏側に 「充実」 の世界の存在に気がついたのはどういうわけだ。"
の答えがおのずとその殻を破ってあらわれてくるのである。

ところで 「パンセ」 のなかの気ばらしは、あの時のぼくを考えるときに 頭に想いうかぶのみならず、現在、刻々と過去に流れ落ち込んでいく現在の自分をみつめるときに、よりいっそう その姿を現わす。
ここで パスカルのいう 「気晴らし」 について書くことにしよう。
    野田又夫著 パスカル  岩波新書
(二)  善の研究----気晴らし
--------
人間は本質的に不幸であり 悲惨であって、これを脱れようともがいている。
内なる空虚をみたす善を求めている。
しかしながら、舟に乗って海に出たり、軍人となって城攻めに加わったり、役人の職を買ったり 賭事をしたりする、これら人間的ないとなみは、本性の不幸を消し去れない。
ただ自己の悲惨から目をそらし、それを考えないことによって つかの間の幸福を興えるにすぎぬ。
あらゆる人間のいとなみ あらゆる有限なる善の追及は すべて自己の真の状態を考えまいとして工夫された 「気晴らし」 にすぎないのである。
--------
世に最も結構な身分とされている 「王」 の身分にも 「気晴らし」 は欠くことができぬ。
王にも反乱がないかとか、病や死とかが、気にかかる。
宮廷には必ず道化師が要るのである。
----しかし逆に、世に最も不幸な者も、 「気晴らし」 によって不幸を忘れることができる。
つい数ケ月前 一人息子を失い、また訴訟にも負けて今朝に浮かぬ顔をしていた男、その男がいまけろりとして、楽しそうである。
いま彼は、六時間も前から犬どもの狩りたてている猪が どの道から現れるかと夢中にまちうけているのだ。
--------
すなわち、第一に、一匹の兎を追いかけて一日をつぶすのは愚かだと哲学者がいうのは誤まりである。
兎が目的なのではない。兎を追うことが大切なのだ。
毎日賭けをする男に、その日の儲けをはじめに興えて、きょうは賭けをするな、といえば、その男は不幸になるのにきまっているのである。
----しかしながら 第二に、兎や賭け金がまったく問題でないというのもまた誤まりである。
何も賭けない遊戯はつまらない。
つまらぬ有限な目標でもやはりなくてはならない。これは、静止と平安において真の幸福があるという正しい考えの痕跡が、人間性の中にはやはり残っている証拠である。幸福は善にとどまるにあるということの象徴である。
----かくて 「気晴らし」 は、第一に人間が自己の悲惨から脱れようとする動揺喧騒であるが、しかし第二には真の幸福が静止にあることをおぼろげに示しており、それぞれ、堕落してみじめになった人間の姿と、堕落以前の幸福な人間のあり方を現わしているのである。

始めに書いたように、創価学会に入会して およそ5ケ月の月日が経過したわけだが、この過去5ケ月の学会のなかでの、ぼく自身の足跡を振り返るとき、ぼくは再び自問しなければならない。
----オレにとって学会とは 気晴らしの対象でしかないのではないか。

入会5ケ月の今のぼくは 自己を凝視するとき、この自問に対して Yes と No  の両面を認めざるを得ない。
Yes といえば あとは問答無用である。
孤独感と自己嫌悪からの逃避というかたちで、気晴らしに入会している、ということになる。
しかし、No という場合は そんなわけにはいかない。
No という限りは 「何故えにか」 を語らねばならないからであり、
 そして今のぼくには 「何故にか」 を感ずることは出来ても 語ることが出来ないからである。
(この小冊が 記録の領域にとどまるというのは、感じることは出来ても語ることの出来ない、今の自分に由来するのだ。)

それなら、今のぼくは いったい いかなることによって気晴らしを否定し得るものを感じるのか。

 「仏教の基礎知識」 「道徳形而上学原論」 これらのことが語り教えてくれないものが学会のなかにあるような気がする。
いろんな人と話し合ったあとのこのすがすがしさ、わだかまりのなさ、ぼくはほんとうに大切なことだと思う。
理論とか論理とか道徳とか、今はそのような単語をあてはめようとは思はない。
真っ直ぐで、素直で、謙虚で、そんな思いこそが何よりも大切なことだと思えるのだ。
(学会のいろんな人を総称して) Gさんのようにいきいきとした眼差しで、自信をもって、誇らしげに語ることが出来るということは、
 何とすばらしいことか。
どんな話しよりも ぼくを魅了する。
ぼくはGさんと同じ眼差しで語らなければならないと思う。    S50.9 

月に一、二度座談会が行われ、そのとき "体験レコード" というものをみんなで聞く。
----さまざまの境遇の、いろんな立場の人が、自己の血のにじむような、あるいは戦慄的、感激的な体験に裏付けされた、確信しきった口調で、胸をはって語るそのレコードを聞くとき、ぼくは心から名も知らない、顔もみたことのない、
 レコードの声の人に拍手を送りたくなるのだ。
と同時に、ぼくの生命に力が理由もなく、雲一つない青空の夏空にどんどん広がってゆく入道雲のごとく、ムクムクと湧きあがってくるのがかんじられるのだ。
Gさんと逢って話し合うとき、体験レコードを聞くとき、そして----etc----、ぼくは 気晴らしを否定し得るものを感じるのだ。
 Gさんに逢うこと、座談会というものに出席すること、これらは オマエにとって 自分自身を考えることから目をそらそうとする気晴らしにすぎない。
 いろんな会合に出て、ただ忙しさのなかに自己を埋没させていれば オマエは幸せなのだ。 」
こんな風に 以前のボクが言うなら言えばいい、ぼくは否定せずに黙っていよう。
そして こんな風に言う 以前のボクに尋ねてみよう。
----Gさんと話しているとき、体験レコードを聞くとき、ぼくの心にフツフツと湧きあがってくる押えようのない力(生命力)を オマエは何とするか。
「 それが何なのか オレには解らない。何故ならオレはGさんと話したこともないし、体験レコードとやらも聞いたことがないのだから 」
----それならば、Gさんに逢ってみたらどうか、座談会に参加して 体験レコードを聞いてみたらどうか。
   そうすれば、少しは、ぼくの言っている心に湧きあがる押えようのない力を解ってもらえるのではないか。
「 オマエはとんだところで了見違いをしていることに気づかないのか、一人よがりしていることに気づかないのか。
 オマエは生命力とかいうものに価値をあたえているようだが、オレは価値をみいだし得ない。
 だからGさんに逢おうとも思わないし、体験レコードも聞こうとは思わない。
オレはオマエが生命力に価値をあたえることに対して、何ら批判はしないし、また その権利をも認めない。
と同様に オレが生命力に価値をみいだし得ないからといって、オマエに何ら言われる筋合いはない。
要するに オレはオレであり オマエはオマエなのだ。
オマエの価値基準をオレに押しつけて オレを要約しようとすることが、不当で不法な自我に他ならないことをオマエは知っているはずだ。」
----オマエはこそ とんだ了見違いをしている。
   ぼくはオマエに ぼくの価値基準を押しつけて オマエを要約しようなどとは思っていないし、そうした行為にの不当、不法さも少しは知っているつもりだ。
   ぼくは ただ解ってもらいたいだけなのだ。
   ただ オマエに Gさんに逢って欲しい、体験レコードを聞いて欲しいだけなのだ。
   そして その後 オマエ自身の心を、素直に謙虚に省みて欲しいのだ。
   オマエはこれらのことに 価値をみいだし得ないからといって、ぼくの話しに耳も傾けないけれど、オマエが何事かの内に、
    何らかの価値をみいだす場合のことを少しは考えてもら いたい。
   そうしたとき、おのずからオマエ自身のなかで矛盾が生ずるのではないか。
   その矛盾に気づいたなら、オマエはそんなにもそっけなく 「逢おうと思わない----、聞こうと思わない----」 などとは言えないのではないか。
   さらに オマエがGさんに逢ったからといって、体験レコードを聞いたからといって、いったい何を失うというのか。
   失うものがあるというなら それはいったい何なのか。
「 なるほど オマエの言うことは ある面で正しいのかもしれないし、今のオレには失うものはないと言っていい。
 しかし今度は オマエに考えてもらいたいことがある。
オマエは いつもいつも オレにとって 不思議な生命力に湓れた状態ではないだろう。
すなわち Gさんと話している時、あるいは体験レコードとやらを聞くときに心のなかから湧き上ってくる不思議な生命力に湓ふれた状態というものが、
 通常の状態ではなく、ある種の異常状態であるということだ。
そしてオマエは ただ単に異常性のなかに価値をみいだしているにすぎないのではないか。」
----確かに 今のぼくはいつもいつも生命力の湧き上った状態ではない。
   そしてそのことを決して好ましく思っていないということを まず答えておこう。
   「異常性のなかに価値をみいだしているにすぎないのではないか」 、この問に最も的確に答えられるのは、ぼくではなく、
    Gさんと逢ったあと、体験レコードを聞いたあとの、謙虚なオマエ自身だろう。
   あえてここでぼくが答えるなら、ぼく達の通常性が 善的でないとしたらどうか。
   このように仮定すれば、異常性は善的方向を示すことになる。
   だから異常な状態だからといって批判したり否定したりすることは出来ない。
   問題は善的であるか否かであり、それが通常性、異常性とどう結びついているかだ。
   通常性、異常性はその次の問題だ。
   そしてこのことに関して、ぼくの言う、オマエにとって不思議な生命力とは善的であると思うのだ。
「----「生命力は善的であると思う」 と、オマエが言えば、オレの方は再び言わなければならない、閉ざされたLoopを歩く時の、
 けだるさを伴いながら オレはオレ、オマエはオマエ と。」
----その閉ざされたLoopを開く方法が一つある。
   それは オマエが実際にGさんに逢ってみること、体験レコードを聞いてみることだ。
   オマエは言うだろう
   "閉ざされたLoopを開くつもりはない" と。
   そして再び降り出しにもどってしまうのだ。何故 オマエは言わなければならないのか、
   "閉ざされたLoopを開くつもりはない"と。
   それは オマエ自身のなかにある、要約されること=支配されることへの拒絶感のためではないだろうか。
   見当違いの拒絶感という情念のためではないだろうか。
   "閉ざされたLoopを開こう、Gさんに逢おう、体験レコードを聞こう" と言うことが、要約されること=支配されることと、いったいどこで交わるというのか。
   ぼくは思う。交わりをもたせてしまうこと、情念にうごかされてしまうことが、ちっぽけでつまらないことであると。
   要約---、価値基準---、通常・異常---Etc---、しばらくの間、これらのことは別のところへ置いておこう。
   語るのは今ではないのだ。今は不必要な情念を振りはらおうことが大切なのではないか。

(こう書いておきながらも) 学会に対して、入会後5ケ月の今のぼくは、まだまだ理解出来ない、納得のいかない、どうしても認められないことがある。
これらのことは、入会前のぼくの、学会拒絶理由と同様のものであるといっていい。
ぼくは冷静に考えてみる、これら学会に対する納得のいかない由縁を、入会前のぼくの学会拒絶理由の発端を----。
その第一の理由として、ぼく自身の学会(仏法)に対する知識不足、教学不足を認めよう。
ぼくは何も知ってはいない。断片的なことをかじってはいるけれど、学会(仏法)の根本原理というか価値体系というか、そういった「原点」を何も知ってはいない。
原点をわかっていない(体系的な教学不足)由に、学会拒絶が成り立っているのだと思う。
そして第二の理由は、無価値な"嫌悪と拒絶"しか残らない、視野の狭い、ちっぽけな感情のぶつかり合いという 「小兵の小競り合い」 にばかり気をとられていたからだと思う。
学会拒絶理由の発端、学会未納得理由は、以上の第一と、そしてこの二つのからまりあい由にであると思う。
こう思う、ぼくの進むべき道は
ボクはこのところ ムリ に学会を解ろうと努めて、きたようだ。もう少しはっきりいうなら、学会は正しいのだと思いこもうとしていたようだ。
学会という組織の一員として、学会員に認めてもらおうと努めてきたようだ。
然しこの姿勢は正しくない。
今のボクのとるべき姿勢は、正しい事は正しいと認める素直さを持ちつつ、納得のいかないことは頑固なまでに納得のいかないこととし、そらに納得のいくまで追求する。
そして行うべきことはちゃんと行う。
--------略----
"素直さと頑固さと実践" S50.120.23 
第一第二の理由を踏まえながら、S50.10.23 の記録につけ加えよう。
Gさんと話すときの、体験レコードを聞いたときの、あのぼくの心に湧きあがる、ストレートで真実な気持ちを決して忘れてはならないと。
ぼくはここで残していた大切なことを再び思いおこさなければならない。
それは 「オレはオレ、オマエはオマエ」 の問題。
この言葉を到達点に据え置くことは、容易なことだが、それ以上進めないという欠点がある。
人と人との間に 「オレはオレ、オマエはオマエ」 という境界線を引くということは どういうことなのか、そして どういう結末が待っているのだろうか。

ぼくは この言葉を出発的において考えてみたい。

こんな話を知ってゐるだろうか。

別のロケットに観測者BとCが乗って飛行しているとする。
地球にいるAがBの速さを測ったら、真東に向って U[m/s]、Cのそれは V[m/s] だったとすると、BがCの乗ったロケットの速さを測るとどれだけになるだろうか。
この問いの解答を W とすると

となるという。
この①式を求めるには ローレンツ変換という少し込みいったものを使わなければならない。

x y z という座標系に対して x軸上をUという速さで右方向に移動する座標系 x’ y’ z’ があるとする。
x y z という座標系における距離をx、時間をt 同様に x y z という座標系における それらを x’ t’ とすると

となるという。
以上がローレンツ変換式である。
運動する座標系には、その座標系固有の時間と空間が存在するということだろうか。
ニュートンがその著書「プリンキピア」で

「絶対的な、真の、かつ数学的な時間は、ひとりでにそれ自身の性質として、外界のどんなものとも無関係に、一様にたつていく。
絶対的な空間はそれ自身の性質として、外界のどんなものとも無関係に、つねに同一であり、かつ不変である。」 
と述べているれれども、「相対性原理」 と 「光速度不変の原理」 とを前提として展開される世界は「任意の等速直線運動をする座標系において、光の速度を測定した結果が、いつでも同じ値になるとすれば、それは、互いに異なった座標系にいる観測者の側から見た場合には ”測定器具”--物差しと時計--そのものに何かが起こっていることを意味する。
すなわち、これらの座標系において測定される同一の物体の寸法が異なっている。
また同一の時間の進みも座標系によって異なったものとなる。いいかえれば、何ものにも依存しないような、そして、すべてのものに対して一様な性質をもつ絶対的空間というものは存在しない。
また、すべてのものに対して、まったく同等に経過する絶対的時間も存在しない。
古典的物理学者が無条件に不変なものと仮定した空間と時間は、いまや絶対的なものでなくなったのである。」
    --リーマンとアインシュタインの世界--  聖教新聞より

ということになる。
さて、ここで始めの問いにもどると、Bが測定したCの乗っているロケットの速度wを、w=u+v とするのは 古典物理学の領域における解答ということになる。
何故なら、u 、v という数値は地球上にいるAが測定した数値、すなわちA座標系における数値である為、この数値を運動するB座標系にそのまま適用することは出来ない。
ここで先に示した ローケーレンツ変換を用いて、A座標における数値 (A座標における時間と空間)をB座標系に変換しなくてはならない。
どのようにして①式を導くかといえば
「ex1」 A、B、Cは各々 x1、y1、z1 座標の o1、x2、y2、z2 座標の o2、x3、y3、z3 座標の o3 にいるものとしよう。

 

 

( ex1 にしろ ex2 正直なところ、ぼくにはよく解らない。
   ex1、ex2 は別々の人が考え出した解答例であって、その正否は確かでない。正しく理解する人がいるなら是非とも教えてもらいたい)

冬のある夜勤の日、Kさんが窓から見上げながら 「長野君、アレ何か知っているか」 と南の天を指差した。
ぼくはその指差された方向を追い
「あの星ですか、何ですか?」
「あれが オリオン やして」
それから服を一枚着込んで 冬の夜に出て、-1.5等星、全天一の明るさをもつ シリウム、暖みのある黄色味のおびに1等星 カペラ、オリオンに襲いかかろうとする雄牛の目のところで輝く真赤な1等星 アルデバラン ---Etc--- を おしえてもらった。
それからぼくは 科学に関する本わ何冊か読んだのだが、その中の一冊に ロケットの話しが書いてあったのだ。
話しが少し横道にそれてしまったが、何故ここで ぼくがロケットの話しをもちだしたのかといえば、絶対的時間、絶対的空間は存在しない、ぼく流のいいかたをするなら 「運動する各々の物理的座標系は相対する」 ことをいいたかったのだ。
そして この ”物理的座標の相対” に着目するとき、(これまた ぼく流のいいかただが、判断・価値基準にとどまらず、その人全てという意味で) 「生命的座標系の相対」 が同時に頭にうかんでくるのである。
さらに 「生命的座標系の相対」 のなかに ”オレはオレ、オマエはオマエ” が含まれていると思えるのである。

約2ケ月半前の記録にこう書いてある。
 十人十色という言葉がある。十人十色、あたりまえのこととして見向きもされないこの言葉の持つ意味、考えてみると不思議であることは無論のこと、大変な重要さが含まれている気がする。
人はそれぞれに異なった考え方をもっている、そう人はそれぞれに異なった判断・価値の基準を有している。
何故なのかと問われれば、先天的要因(生れながらの才能とか知能----Etc----)とか後天的要因(環境とか体験、そしてこれらの組み合わせ---Etc---) と言えるかもしれないが、さらにそれが何故なのかとなれば、その人が存在するからという結論におちついてしまう。
今のぼくには、これ以上の何もわからない。
ともかく人はそれぞれに判断・価値基準を有している。
別の言い方をするなら、人はそれぞれに、固有で独特の生命的座標系を有している。
さて この事実を認めたうえで----
地球上にいる人が、ある物体の重量を測定して60[kgw]という測定結果を得、月面上のある人が、同一物体を同一計器にて重量を測定し 10[kgw]という測定結果を得たとしよう。
そしてこの測定結果の違いをめぐって、この二人が論争し合ったとすると、この論争は何と意味のない、こっけいなことか。
互いが自己の物理的座標系に固差するあまりの結果といえる。
自己の座標系をふんまえつつ、相手の座標系をみたとき ”月面上での重力は、地球上の重力の1/6” が得られるのである。
共に納得のいく答えがここにあるのである。
以上のことを、生命的座標系にあてはめることは出来ないだろうか。
自己の生命的座標系に固差するあまりに、自己の判断・価値基準で他の生命的座標系を要約しようとしていないか、他の生命的座標系を見つめていないだろうか。
そんな眼差しを 「自我の眼差し」 といおう。
「自我はけがらわしいものだよ。 ミトル君----略----
要するに 「自我」 には二つの性質があるのだ。
自分が何ごとにつけても中心になろうとする点で、 「自我」 はそれ自体不法なものだ。
また、他人を抑えつけようとする点で、他人にとっても不快なものだ。
つまり、各人の 「自我」 は、それぞれに敵であり、他のすべてのものを暴力で抑えつけようとするからだ。
君は、この不快な点は取り去ったようだが、不法さまでは取り去っていない。
----Etc----   パンセ より 」
ぼくは ”自我の眼差し” を認めない。
しかし自己を省みるとき、大きな困難に出くわし、立ち止まらざるを得なくなる。
ぼくは ”自我の眼差し” を認めないながらも、知らず知らずのうちに ”自我の眼差し” で見つめているのである。
--------
ぼくは立ち止まりながら、ただ何となく感じる。
それぞれの生命的座標系の空間を埋めつくすもの、それぞれの生命的座標系のローレンツ変換が存在することを。
それが何なのか、どういう性質のものかはわからないが、存在することは感じられる。 」
                                        S50.10.12 Sum.day

ぼくは 生命的座標系の空間を埋めつくすものを、生命的座標系のローレンツ変換を求める。

「ノアの大洪水を乗り越えた箱舟は 松の木で造られたけれど、価値の相対化と同時進行する現代の巨大な情報洪水を乗り切る箱舟は、結局のところ ぼくたち一人ひとりがその想像力、執拗なまでの抑制力に支えられた やさしさ、とでもいったものを素材として造るほかないのではあるまいか。
そしてこの場合、そこにおけるおそるべき困難とは、それこそこの二十世紀後半を生きる 「時代の児」 としての ぼくたちの運命と考える他ないのではないか、とぼくは思っている。」
庄可薫著 バクの飼主めざして  より

「「ルネッサンス」後 共同生活の必須条件たる共同紐帯が失われたのは、客観的な、他律的な教権は破壊されて、しかも人々みな理性の立場に立てず、個人的または階級的の傾向性、利害、好悪等に従って行動したからだ。
ただただ良心的に行動せよ。しからば期せずして多数個 「我」 の間に共通なるものが発見さるるであらう。
----略----
カントによれば それは他律的教権に求める必要はない。外的生活の改変に求める必要はない。客観的事実の経験的考察に求める必要はない。
ちかく自己の心内に求めよ。
自己心内におけるいっさいの個人的なもの、感性的なもの、傾向性や好悪や 利害やの障害物を排除し、いっさいの私を排して、純粋無垢の形における良心を内省せよ。
しからばそこに超個人的な、普遍妥当的なものが発見さるるであらう。」
朝永三十郎 近世における「我」の自覚史

「----略----
それは、コーサラ(拘薩羅)の王 パセーナディ(波斯匿)とその妃のマッリカー(未利)の、王宮の会話からはじまる。
二人は、高楼にあって、宏大な眺望をたのしみながら、この世にあってもっとも愛すべきものは何かという論題について語りあう。
その結論は、人間にとってもっとも愛すべきものは 自分自身のほかにはない、ということであった。
そこで、王は高楼をくだり、ジェータ(祗陀)林の精舎にブッタを訪ねて、その結論の吟味を乞うた。
ブッタは、その結論にふかく肯いて、彼らのために、偈を説いた。
「人の思いは いずこへ赴くこともできる。
 されど、いずこへ赴こうとも、自己よりも愛すべきものを見出すことはできぬ
 それと同じく、他の人々にも自己はこのうえもなく愛しい
 されば、自己の愛すべきを知るものは、他人を害してはならない」 」
増谷丈雄 著  仏教概論 より
そして11月20日、ぼくはこう書いている。
 この講演のなかの部分的なこと、一つ一つの個々のテーマに対する自己の認識不足をなげく。
----略----
しかし 以上のことを踏んまえながらも、この講演のなかに脈々と流れている息吹きを ぼくは感じる。
それは何か、そして感じることの出来る自分とは----。
カント流にいうなら、自己のなかにある好悪、利害、個人的または段階的な傾向性とか感性わ排す、ぼく流にいえば、自己の謙虚に素直にさせるものが、この講演のなかに生きずいているのである。
ぼくを謙虚に素直にさせるものが、さらに謙虚さと素直さを生んでいく。謙虚さと素直さの自励左様がそこにある。
個人的な好悪、利害、感性、傾向性の場をはなれて、ぼくはどこへ行こうとしているのか、この講演に生きずいているものは ぼくをどこへ運んでいこうとするのか。
----それは----
   それは 多数個 「我」 をはなれた普遍妥当的な 超個人我の立場 ≒ 生命尊厳の立場ではないだろうか。
   超個人我 ≒ 生命尊厳の場に立つとき、固有で独特の生命的座標系の融合が可能なのではないか、多数個 「我」 のボンドがここにあるのではないか。

しかし ぼくは知っている。最も根本的な困難があることを。
それは 超個人我 ≒ 生命尊厳の立場を維持することの困難さである。
実践か理知か----この困難を打破し得るのは。
                                     S50.11.20 
個有で独特の生命的座標系の存在事実を科学的に裏づけるのなら
 現代の生物化学の教えるところによると、ディオキシリボ 核酸(DNA)  という分子が、自分というのは、それがさらに基本的な四種類の分子からできていて、その四種類の分子が長く鎖のように一列につながっていて、さらに、それが日本重なり合って一つの分子を造っているのである。
その元をなす四種類の分子が、実に、50億個も集まって 一つの分子を造っていると考えられて、その集まり方や並び方で、いろいろ違った性質を示す 
という DNA の話しをもちだすことも可能であろう。
しかし近く自分のまわりの人々をみつめる時、ぼくはいかなる裏づけよりも、この 個有で独特の生命的座標系の存在事実を認める、いや認めざるをえない。
----人はそれぞれに違った考え方をし、異なった性格をもち、その人なりの判断・価値基準をもっている。
この--------の存在事実の認め方というものは、少なくとも 二通りあると思う。
その一つは、--------の存在事実を到達点において、 「愛するに オレはオレ、オマエはオマエ」 と、ことあるごとに いいすててしまう認め方。
そして 他の一つは、----の存在事実を出発点において 「オレはオレ、オマエはオマエだ、互いに要約し合うことの出来ない オレとオマエだ。しかし オレとオマエは要約などということを 超越とた ○○  によって結ばれているのだ。」 という認め方。
ぼくは後者の立場に立って ○○ を求めていこうと思っている。
S50.11.20 の自己を明確に、確実に発展させていこうと思う。
まだ一歩も歩み出していないうちに 出くわした困難を、ストレートな謙虚さと素直さでもっと溶かし去ってしまおうと思う。

今のぼくには、何も確かなことは言えない、全ての思いが ぼくの胸のなかで 朦朧と ただいたずらに散乱しているにすぎないことを知っているから、日々移り変わる自分を知っているから。
ただこれだけは いっておきたい。
ぼくは 今の自分には満足しない ということを。

・・・↓ 後
とぎすまされた星々の輝きをいっぱいにうける冬の夜
冷たい風に 身を震わせながら
ヘッドホーンから五輪真弓のかろやかな歌声
夜のなかに 白い煙草のけむりを溶け込ませる
涙が出そうなほど 悲しくて、そして何故だか たのしく うれしい
そんな自分が ぼくは好きだ。
泣くことを忘れ、怒ることを忘れ、
そして子供のように はしゃぎまわることを忘れようとしていた。
涙を、怒りの筋を、笑顔をそして何よりも、やさしさに満ちた眼差しをとりもどそう。
そこから すべてのことが 始まるのだ

                                          S50.12.29  5:00AM

コメント

長野君の小册 ・ 1 『 空虚の裏側に充実の存在に気づいた 』 

2010年04月13日 15時02分31秒 | 

雄弁
心地よいものと、真実なものがなければならない。
しかし、この心地よいものと、
それ自体も、
真正なものから
とり出されたものでなければ
ならない。


ここに記されているのは、
1974.10 ~ 現在に至るまでの自分でみつめた自分の姿、
そう  自己の客体化の記録とでもいえばいいだろうか。

1974.10.13、
確か秋晴れのすがすがしい日曜日だった、
それは創価学会との初めての出逢いの日。
1975.7.19、
季節が夏の入口にさしかかっていた。
背中に汗をうかべて入会カードを書いたのが想い出される。
そして黄色く色づいたポプラの枯葉が風邪に舞い、
本格的な冬の到来を待つ今、1975.12.8
1974.10、1975.7 から 1975.12 の 約1年2ケ月
そして約五ヵ月、
ぼくは過去の自分を振り返り、
過去の自分と対話することによって、
現在の自己存在の外柵を描ければ
この記録はぼくにとって満足なものだ。
そう  記録としてまんぞくなものだ。

ぼくはこの小冊が
記録 という主張のない領域にとどまってしまったことに対して自分をなさけなく思う。
ぼくは主張で貫抜かれた小冊を書きあげたかった。
しかし思うのだ。
今のぼくが主張を貫くという姿勢で書いていたなら、
そこに出来上がるのは、
文章の断片を 「嘘」 という 接着剤で貼り合わせた、
こっけいで、不釣り合いの、自分自身にとって納得のいかない小冊であるように。
----そんなものは望まない。
ぼくは  主張 = 確信  がつかめるまで、
主張で貫抜かれた目標の小冊を大切に残しておくことにしよう。
そして  主張=確信  が胸からあふれんばかりのとき、
冷静さと慎重さとそして情熱をもって、
胸から湧き上ってくる一字一字を受けとめながら、目標の小冊を書きあげよう。

 S50.5.18日曜日、
 創価学会 ・西淀川地区主催のソフトボール大会に未入会らもかかわらず、
未入会の H ( 花田 
・・・ 「サークル」 )  と二人して参加した。

会場となっているグランドには、
色とりどりのカラージーンズの若者達が思い思いのことをしながら集合の合図を待っていた。
9:00AM頃 ようやく集合の笛がなり、
その後大会宣言、選手宣誓、準備体操 その他のプログラムを消化し、
9:30AM頃 プレイボール。
----女の子の黄色い歓声、5ガロン缶をたたいての声援、手拍子、
口の減らないはりきり小僧、
3本のストライプの入ったジャージ姿の女の子の、
ホームからセカンドへの Niceスローのあとの あの得意そうな顔つき、
ボールを満足にスローイング出来ないライト、三振する人----Etc---。
その試合の結果を知ることもなく、また知りたくも思わず、
グランドを去ったのは 10:30AM 頃だったろうか。

それからぼくは考えている。
----この大会に集った多くの若者
そして この大会そのものは いったい何なのか!?
ほんとうの若者らしさとは、ほんとうの行動とは。
S50.5.18 Sun 

5月18日の このソフトボール大会と
この記録とは、思わぬところで関係してる。
ぼくは5月18日の記述のとおり考えた。
この日の一コマ一コマを再現しながら、
一語一語を思いおこしながら。

「 それならば、オマエ自身はどうなのか。オマエ自身は何をしていると言い切れるか。」
という、この頃きまっての重苦しい結論がそこに待ち受けていた。
この時ぼくは
「 それならば オマエ自身は----」
という自問に どうしようもなく答えられなかった。
答えられない自己への憤りが、
「 それならば オマエ自身は----」
を増巾し 
さらに新たな そして大きな憤りを生んでいくという袋小路へと、ぼくを追いたてていった。
そして この記録 ( その時は エッセーと呼んでいた ) を 書くという思いつきは この時おこった。
この記録のいちばん始めに
「何故エッセーを書こうと思ったのか 」 という見出しで、
5月18日の自分を振り返りながら、
袋小路に追いつめられたあの時のぼくは こう書いている。

創価学会主催、ソフトボール大会
      何故エッセーを書こうと思いたったのか

ソフトボール大会に中途半端なかたちであれ参加し、
その後 この大会に参加した多くの若者を偽善者を見る眼差しで見つめ、
大会そのものを偽善的行為ときめつけた。
5ガロン缶をたたいての声援とか手拍子、
女の子の黄色の歓声、大会宣言とか ラジオ体操----その他もろもろの行為が、
ぼくの目には しらじらしくうつろいやすい、
もうどうだっていい、ある空しさを伴って写ったからだ。
しかし そんな眼差し、
いろんな事に対して空しさを伴った眼差しで自分のまわりを見わたしてみると、
全対象に 「 空虚 」 というレッテルを貼らざるを得なくなることに気がついた。
と同時に 
この 「空虚」 の裏側に 「充実」 がかくされていることに気がついたのだ。
空虚な眼差しで自己の世界をみわたせば 世界は空虚な存在となって ぼくの心に横たわる。
これはあたかも色メガネをかけて世界をみたようなものである。
水色の色メガネをかけて 真赤なバラの花を見たことしよう。
そこに見えるは真赤なバラではなく水色で偏向された どす黒いバラだ。
水色の色メガネの世界は、水色で汚された 嘘の色の世界である。

ところで、
空虚という特殊色メガネで ソウトボール大会を見たとき 
空虚さで汚された世界の裏側に
 「充実」 の世界の存在に気づいたのは どういうわけだ。
 S50.6  」 

以上のことを書いているときのぼく、
そう  袋小路に追いつめられたときのぼくは、" 充実さを感じる自己 " ではなく、
 " 空虚さを感じる自己 " を否定する自分でしかなかったと思える。
空虚な眼差しでいるということは、
気が狂わんばかりの孤独感と身をつんざくような自己嫌悪とを伴っている。
ぼくは周期的といっていいほど押えようのない " 苛立ち " におそわれる。
------------
それでは この " 苛立ち " の原因は何であろう。
それは何もしていない自分、
ただ机の前でボッーとしている自分に対する 自己の呵責ではないだろうか。
結局のところ、ぼくは何もしていないということになるだろう。
何もしていないという自己の呵責に対して、Baseboll,Ski & Fishing,Reading Books----etc----
という  ( パスカル風 ) 気晴らしで ぼくはごまかしてきた。
気ばらしで 自己の呵責からのがれていたのだ。
 S50...? 

だから 袋小路に追いつめられた ぼくが否定した空虚さとは、
孤独感と自己嫌悪の否定、 
別の言い方をするなら 孤独感と自己嫌悪からの逃避だったのだ。
孤独感と自己嫌悪に真向から戦いを挑むよりは、
さっさと逃げだしてしまう方が 安全でしかも容易なことなのだ。
そしてあの時のぼくは秘かに知っていたにちがいない。
エッセーを書くという行為が、

「 どんな境遇でも 騒しさや、気晴らしがなかったら、幸福ではない。
どんな境遇でも、なにか気晴らしをして楽しむことができるのなら、幸福である。
しかし、そんな幸福とは、いったいどんなものであるかを、よく考えてみるがいい。
それは、自分自身を考えることから気をそらそうとするところの幸福なのだ。」
・・・バスカル著 パンセ  より

という パスカル風気晴らしであることを。
ここで
 「 何故エッセーを書こうと思いたったのか 
 の最後に残しておいた問題、
" ----空虚さで汚された世界の裏側に 「充実」 の世界の存在に気がついたのはどういうわけだ。"
の答えがおのずとその殻を破ってあらわれてくるのである。

・・・次頁 長野君の小册 ・ 2 『 気晴らし 』   に続く

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長野君の小册 ・ 2 『 気晴らし 』 

2010年04月12日 14時59分20秒 | 


・・・ 長野君の小册 ・ 1 『 空虚の裏側に充実の存在に気づいた 』 の 続き

エッセーを書くという行為が、
「 どんな境遇でも 騒しさや、気晴らしがなかったら、幸福ではない。
どんな境遇でも、なにか気晴らしをして楽しむことができるのなら、幸福である。
しかし、そんな幸福とは、いったいどんなものであるかを、よく考えてみるがいい。
それは、自分自身を考えることから気をそらそうとするところの幸福なのだ。」
 ・・・バスカル著 パンセ  より
という パスカル風気晴らしであることを。

ここで
「 何故エッセーを書こうと思いたったのか」
の 最後に残しておいた問題、
" ----空虚さで汚された世界の裏側に
 「充実」 の世界の存在に気がついたのはどういうわけだ。"
の 答えがおのずとその殻を破ってあらわれてくるのである。

ところで 「 パンセ 」 のなかの気ばらしは、
あの時のぼくを考えるときに 頭に想いうかぶのみならず、
現在、刻々と過去に流れ落ち込んでいく現在の自分をみつめるときに、
よりいっそう その姿を現わす。

ここで パスカルのいう 「気晴らし」 について書くことにしよう。
野田又夫著 パスカル  岩波新書
(二)  善の研究----気晴らし

--------
人間は本質的に不幸であり 悲惨であって、これを脱れようともがいている。
内なる空虚をみたす善を求めている。
しかしながら、舟に乗って海に出たり、軍人となって城攻めに加わったり、役人の職を買ったり 賭事をしたりする、
これら人間的ないとなみは、本性の不幸を消し去れない。

ただ自己の悲惨から目をそらし、それを考えないことによって つかの間の幸福を興えるにすぎぬ。
あらゆる人間のいとなみ あらゆる有限なる善の追及は 
すべて自己の真の状態を考えまいとして工夫された 「気晴らし」 にすぎないのである。

--------
世に最も結構な身分とされている 「王」 の身分にも 「気晴らし」 は欠くことができぬ。
王にも反乱がないかとか、病や死とかが、気にかかる。
宮廷には必ず道化師が要るのである。
----しかし逆に、世に最も不幸な者も、 「気晴らし」 によって不幸を忘れることができる。
つい数ケ月前 一人息子を失い、また訴訟にも負けて今朝に浮かぬ顔をしていた男、
その男がいまけろりとして、楽しそうである。

いま彼は、六時間も前から犬どもの狩りたてている猪が どの道から現れるかと夢中にまちうけているのだ。
--------
すなわち、第一に、一匹の兎を追いかけて一日をつぶすのは愚かだと哲学者がいうのは誤まりである。
兎が目的なのではない。兎を追うことが大切なのだ。
毎日賭けをする男に、その日の儲けをはじめに興えて、
きょうは賭けをするな、といえば、その男は不幸になるのにきまっているのである。

----しかしながら 第二に、兎や賭け金がまったく問題でないというのもまた誤まりである。
何も賭けない遊戯はつまらない。
つまらぬ有限な目標でもやはりなくてはならない。
これは、静止と平安において真の幸福があるという正しい考えの痕跡が、
人間性の中にはやはり残っている証拠である。幸福は善にとどまるにあるということの象徴である。

----かくて 「気晴らし」 は、
第一に人間が自己の悲惨から脱れようとする動揺喧騒であるが、
しかし第二には真の幸福が静止にあることをおぼろげに示しており、
それぞれ、堕落してみじめになった人間の姿と、堕落以前の幸福な人間のあり方を現わしているのである。

始めに書いたように、創価学会に入会して およそ5ケ月の月日が経過したわけだが、
この過去5ケ月の学会のなかでの、ぼく自身の足跡を振り返るとき、ぼくは再び自問しなければならない。

----オレにとって学会とは 気晴らしの対象でしかないのではないか。

入会5ケ月の今のぼくは 自己を凝視するとき、
この自問に対して Yes と No  の両面を認めざるを得ない。
Yes といえば あとは問答無用である。
孤独感と自己嫌悪からの逃避というかたちで、気晴らしに入会している、ということになる。
しかし、No という場合は そんなわけにはいかない。
No という限りは「 何故えにか 」 を語らねばならないからであり、
そして今のぼくには 「 何故にか 」 を感ずることは出来ても 語ることが出来ないからである。
(  この小冊が 記録の領域にとどまるというのは、
 感じることは出来ても語ることの出来ない、今の自分に由来するのだ。)

それなら、今のぼくは いったい いかなることによって気晴らしを否定し得るものを感じるのか。

「 「仏教の基礎知識」 「道徳形而上学原論」 
これらのことが語り教えてくれないものが学会のなかにあるような気がする。
いろんな人と話し合ったあとのこのすがすがしさ、わだかまりのなさ、ぼくはほんとうに大切なことだと思う。
理論とか論理とか道徳とか、今はそのような単語をあてはめようとは思はない。
真っ直ぐで、素直で、謙虚で、そんな思いこそが何よりも大切なことだと思えるのだ。
( 学会のいろんな人を総称して ) Gさんのように
いきいきとした眼差しで、自信をもって、誇らしげに語ることが出来るということは、
何とすばらしいことか。
どんな話しよりも ぼくを魅了する。
ぼくはGさんと同じ眼差しで語らなければならないと思う。    S50.9 

月に一、二度座談会が行われ、そのとき " 体験レコード " というものをみんなで聞く。
----さまざまの境遇の、いろんな立場の人が、
自己の血のにじむような、あるいは戦慄的、感激的な体験に裏付けされた、
確信しきった口調で、胸をはって語るそのレコードを聞くとき、
ぼくは心から名も知らない、顔もみたことのない、
レコードの声の人に拍手を送りたくなるのだ。
と同時に、ぼくの生命に力が 理由もなく、
雲一つない青空の夏空にどんどん広がってゆく入道雲のごとく、
ムクムクと湧きあがってくるのがかんじられるのだ。
Gさんと逢って話し合うとき、体験レコードを聞くとき、そして----etc----、
ぼくは 気晴らしを否定し得るものを感じるのだ。 
 Gさんに逢うこと、座談会というものに出席すること、
これらは オマエにとって 自分自身を考えることから目をそらそうとする気晴らしにすぎない。
いろんな会合に出て、ただ忙しさのなかに自己を埋没させていれば オマエは幸せなのだ。 」
こんな風に 以前のボクが言うなら言えばいい、ぼくは否定せずに黙っていよう。
そして こんな風に言う 以前のボクに尋ねてみよう。

----Gさんと話しているとき、体験レコードを聞くとき、
ぼくの心にフツフツと湧きあがってくる押えようのない力 ( 生命力) を オマエは何とするか。
「 それが何なのか オレには解らない。
 何故ならオレはGさんと話したこともないし、体験レコードとやらも聞いたことがないのだから 」
----それならば、Gさんに逢ってみたらどうか、
座談会に参加して 体験レコードを聞いてみたらどうか。
そうすれば、少しは、ぼくの言っている心に湧きあがる押えようのない力を解ってもらえるのではないか。
「 オマエはとんだところで了見違いをしていることに気づかないのか、
 一人よがりしていることに気づかないのか。
オマエは生命力とかいうものに価値をあたえているようだが、オレは価値をみいだし得ない。
だからGさんに逢おうとも思わないし、体験レコードも聞こうとは思わない。
オレはオマエが生命力に価値をあたえることに対して、
何ら批判はしないし、また その権利をも認めない。
と同様に オレが生命力に価値をみいだし得ないからといって、オマエに何ら言われる筋合いはない。
要するに オレはオレであり オマエはオマエなのだ。
オマエの価値基準をオレに押しつけて オレを要約しようとすることが、
不当で不法な自我に他ならないことをオマエは知っているはずだ。」

----オマエはこそ とんだ了見違いをしている。
ぼくはオマエに ぼくの価値基準を押しつけて オマエを要約しようなどとは思っていないし、
そうした行為にの不当、不法さも少しは知っているつもりだ。
ぼくは ただ解ってもらいたいだけなのだ。
ただ オマエに Gさんに逢って欲しい、体験レコードを聞いて欲しいだけなのだ。
そして その後 オマエ自身の心を、素直に謙虚に省みて欲しいのだ。
オマエはこれらのことに 価値をみいだし得ないからといって、
ぼくの話しに耳も傾けないけれど、オマエが何事かの内に、
何らかの価値をみいだす場合のことを少しは考えてもら いたい。
そうしたとき、おのずからオマエ自身のなかで矛盾が生ずるのではないか。
その矛盾に気づいたなら、
オマエはそんなにもそっけなく 「 逢おうと思わない----、聞こうと思わない----」 
などとは言えないのではないか。
さらに オマエがGさんに逢ったからといって、
体験レコードを聞いたからといって、いったい何を失うというのか。
失うものがあるというなら それはいったい何なのか。
「 なるほど オマエの言うことは ある面で正しいのかもしれないし、
今のオレには失うものはないと言っていい。
しかし今度は オマエに考えてもらいたいことがある。
オマエは いつもいつも オレにとって 不思議な生命力に湓れた状態ではないだろう。
すなわち Gさんと話している時、あるいは体験レコードとやらを聞くときに
心のなかから湧き上ってくる不思議な生命力に湓ふれた状態というものが、
通常の状態ではなく、ある種の異常状態であるということだ。
そしてオマエは ただ単に異常性のなかに価値をみいだしているにすぎないのではないか。」

----確かに 今のぼくはいつもいつも生命力の湧き上った状態ではない。
そしてそのことを決して好ましく思っていないということを まず答えておこう。
「 異常性のなかに価値をみいだしているにすぎないのではないか 」 
、この問に最も的確に答えられるのは、ぼくではなく、
Gさんと逢ったあと、体験レコードを聞いたあとの、謙虚なオマエ自身だろう。
あえてここでぼくが答えるなら、ぼく達の通常性が 善的でないとしたらどうか。
このように仮定すれば、異常性は善的方向を示すことになる。
だから異常な状態だからといって批判したり否定したりすることは出来ない。
問題は善的であるか否かであり、それが通常性、異常性とどう結びついているかだ。
通常性、異常性はその次の問題だ。
そしてこのことに関して、ぼくの言う、オマエにとって不思議な生命力とは善的であると思うのだ。

「----「生命力は善的であると思う」 と、オマエが言えば、
 オレの方は再び言わなければならない、
閉ざされたLoopを歩く時の、
けだるさを伴いながら オレはオレ、オマエはオマエ と。」

----その閉ざされたLoopを開く方法が一つある。
それは オマエが実際にGさんに逢ってみること、体験レコードを聞いてみることだ。
オマエは言うだろう
" 閉ざされたLoopを開くつもりはない " と。
そして再び降り出しにもどってしまうのだ。
何故 オマエは言わなければならないのか、
" 閉ざされたLoopを開くつもりはない "  と。
それは オマエ自身のなかにある、要約されること = 支配されることへの拒絶感のためではないだろうか。
見当違いの拒絶感という情念のためではないだろうか。
"  閉ざされたLoopを開こう、Gさんに逢おう、体験レコードを聞こう  " 
と言うことが、
要約されること=支配されることと、いったいどこで交わるというのか。
ぼくは思う。
交わりをもたせてしまうこと、情念にうごかされてしまうことが、ちっぽけでつまらないことであると。
要約---、価値基準---、通常・異常---Etc---、しばらくの間、これらのことは別のところへ置いておこう。
語るのは今ではないのだ。
今は不必要な情念を振りはらおうことが大切なのではないか。

( こう書いておきながらも )
学会に対して、入会後5ケ月の今のぼくは、まだまだ理解出来ない、
納得のいかない、どうしても認められないことがある。
これらのことは、入会前のぼくの、学会拒絶理由と同様のものであるといっていい。
ぼくは冷静に考えてみる、これら学会に対する納得のいかない由縁を、入会前のぼくの学会拒絶理由の発端を----。
その第一の理由として、ぼく自身の学会 ( 仏法 ) に対する知識不足、教学不足を認めよう。
ぼくは何も知ってはいない。
断片的なことをかじってはいるけれど、
学会 ( 仏法 ) の根本原理というか価値体系というか、そういった「 原点 」 を何も知ってはいない。
原点をわかっていない ( 体系的な教学不足 ) 由に、学会拒絶が成り立っているのだと思う。
そして第二の理由は、無価値な " 嫌悪と拒絶 " しか残らない、視野の狭い、ちっぽけな感情のぶつかり合いという 
「 小兵の小競り合い 」 にばかり気をとられていたからだと思う。
学会拒絶理由の発端、学会未納得理由は、以上の第一と、そしてこの二つのからまりあい由にであると思う。
こう思う、ぼくの進むべき道は
ボクはこのところ ムリ に学会を解ろうと努めて、きたようだ。
 もう少しはっきりいうなら、学会は正しいのだと思いこもうとしていたようだ。
学会という組織の一員として、学会員に認めてもらおうと努めてきたようだ。
然しこの姿勢は正しくない。
今のボクのとるべき姿勢は、正しい事は正しいと認める素直さを持ちつつ、
納得のいかないことは頑固なまでに納得のいかないこととし、そらに納得のいくまで追求する。
そして行うべきことはちゃんと行う。

・・・次頁  長野君の小册 ・ 3 『 自我の眼差し 』 
に続く

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長野君の小册 ・ 3 『 自我の眼差し 』 

2010年04月11日 14時56分31秒 | 


長野君の小册 ・ 2 『 気晴らし 』 の 続き

" 素直さと頑固さと実践 " S50.120.23
第一第二の理由を踏まえながら、S50.10.23 の記録につけ加えよう。
Gさんと話すときの、体験レコードを聞いたときの、
あのぼくの心に湧きあがる、ストレートで真実な気持ちを決して忘れてはならないと。
ぼくはここで残していた大切なことを再び思いおこさなければならない。
それは 「 オレはオレ、オマエはオマエ 」 の問題。
この言葉を到達点に据え置くことは、容易なことだが、それ以上進めないという欠点がある。
人と人との間に
「 オレはオレ、オマエはオマエ 」 という境界線を引くということは 
どういうことなのか、そして どういう結末が待っているのだろうか。
ぼくは この言葉を出発的において考えてみたい。

こんな話を知ってゐるだろうか。

別のロケットに観測者BとCが乗って飛行しているとする。
地球にいるAがBの速さを測ったら、
真東に向って U[m/s]、Cのそれは V[m/s] だったとすると、
BがCの乗ったロケットの速さを測るとどれだけになるだろうか。
この問いの解答を W とすると

となるという。
この①式を求めるには
ローレンツ変換という少し込みいったものを使わなければならない。

x y z という座標系に対して x軸上をUという速さで右方向に移動する座標系 x’ y’ z’ があるとする。
x y z という座標系における距離をx、時間をt 同様に x y z という座標系における それらを x’ t’ とすると

となるという。
以上がローレンツ変換式である。
運動する座標系には、その座標系固有の時間と空間が存在するということだろうか。
ニュートンがその著書 「 プリンキピア 」 で

「 絶対的な、真の、かつ数学的な時間は、
 ひとりでにそれ自身の性質として、外界のどんなものとも無関係に、一様にたつていく。

絶対的な空間はそれ自身の性質として、外界のどんなものとも無関係に、つねに同一であり、かつ不変である。」 
と述べているれれども、
「 相対性原理 」 と 「 光速度不変の原理 」 とを前提として展開される世界は
「 任意の等速直線運動をする座標系において、
 光の速度を測定した結果が、いつでも同じ値になるとすれば、
それは、互いに異なった座標系にいる観測者の側から見た場合には 
” 測定器具 ” --物差しと時計--そのものに何かが起こっていることを意味する。
すなわち、これらの座標系において測定される同一の物体の寸法が異なっている。
また同一の時間の進みも座標系によって異なったものとなる。
いいかえれば、何ものにも依存しないような、
そして、すべてのものに対して一様な性質をもつ絶対的空間というものは存在しない。
また、すべてのものに対して、まったく同等に経過する絶対的時間も存在しない。
古典的物理学者が無条件に不変なものと仮定した空間と時間は、いまや絶対的なものでなくなったのである。」
--リーマンとアインシュタインの世界--  聖教新聞より

ということになる。

さて、ここで始めの問いにもどると、
Bが測定したCの乗っているロケットの速度wを、w=u+v とするのは
古典物理学の領域における解答ということになる。
何故なら、u 、v という数値は地球上にいるAが測定した数値、
すなわちA座標系における数値である為、この数値を運動するB座標系にそのまま適用することは出来ない。
ここで先に示した ローケーレンツ変換を用いて、
A座標における数値 ( A座標における時間と空間 ) をB座標系に変換しなくてはならない。
どのようにして①式を導くかといえば
「ex1」 A、B、Cは各々 x1、y1、z1 座標の o1、x2、y2、z2 座標の o2、x3、y3、z3 座標の o3 にいるものとしよう。

 

 

( ex1 にしろ ex2 正直なところ、ぼくにはよく解らない。
   ex1、ex2 は別々の人が考え出した解答例であって、その正否は確かでない。
 正しく理解する人がいるなら是非とも教えてもらいたい )

冬のある夜勤の日、
Kさんが窓から見上げながら 「 長野君、アレ何か知っているか 」 と南の天を指差した。
ぼくはその指差された方向を追い
「 あの星ですか、何ですか?」
「 あれが オリオン やして 」
それから服を一枚着込んで 冬の夜に出て、
-1.5等星、全天一の明るさをもつ シリウム、
暖みのある黄色味のおびに1等星 カペラ、
オリオンに襲いかかろうとする雄牛の目のところで輝く真赤な1等星 アルデバラン 
---Etc--- を おしえてもらった。
それからぼくは 科学に関する本を何冊か読んだのだが、
その中の一冊に ロケットの話しが書いてあったのだ。

話しが少し横道にそれてしまったが、
何故ここで ぼくがロケットの話しをもちだしたのかといえば、
絶対的時間、絶対的空間は存在しない、ぼく流のいいかたをするなら
「 運動する各々の物理的座標系は相対する 」 ことをいいたかったのだ。
そして この ” 物理的座標の相対 ” に着目するとき、
( これまた ぼく流のいいかただが、判断・価値基準にとどまらず、その人全てという意味で )
「 生命的座標系の相対 」 が同時に頭にうかんでくるのである。
さらに 「 生命的座標系の相対 」 のなかに
” オレはオレ、オマエはオマエ ”
が含まれていると思えるのである。

約2ケ月半前の記録にこう書いてある。
「 十人十色という言葉がある。
 十人十色、あたりまえのこととして見向きもされないこの言葉の持つ意味、
考えてみると不思議であることは無論のこと、大変な重要さが含まれている気がする。
人はそれぞれに異なった考え方をもっている、
そう  人はそれぞれに異なった判断 ・価値の基準を有している。
何故なのかと問われれば、
先天的要因 ( 生れながらの才能とか知能----Etc---- ) とか
後天的要因 ( 環境とか体験、そしてこれらの組み合わせ---Etc--- )
と言えるかもしれないが、
さらにそれが何故なのかとなれば、その人が存在するからという結論におちついてしまう。
今のぼくには、これ以上の何もわからない。

ともかく人はそれぞれに判断 ・価値基準を有している。
別の言い方をするなら、人はそれぞれに、固有で独特の生命的座標系を有している。

さて この事実を認めたうえで----
地球上にいる人が、ある物体の重量を測定して60[kgw]という測定結果を得、
月面上のある人が、同一物体を同一計器にて重量を測定し 10[kgw]という測定結果を得たとしよう。
そしてこの測定結果の違いをめぐって、この二人が論争し合ったとすると、この論争は何と意味のない、こっけいなことか。
互いが自己の物理的座標系に固差するあまりの結果といえる。
自己の座標系をふんまえつつ、相手の座標系をみたとき
” 月面上での重力は、地球上の重力の1/6 ” が得られるのである。
共に納得のいく答えがここにあるのである。
以上のことを、生命的座標系にあてはめることは出来ないだろうか。
自己の生命的座標系に固差するあまりに、
自己の判断・価値基準で他の生命的座標系を要約しようとしていないか、
他の生命的座標系を見つめていないだろうか。

そんな眼差しを 「 自我の眼差し 」 といおう。

「 自我はけがらわしいものだよ。 ミトル君----略----
要するに 「 自我 」 には二つの性質があるのだ。
自分が何ごとにつけても中心になろうとする点で、 「 自我 」 はそれ自体不法なものだ。
また、他人を抑えつけようとする点で、他人にとっても不快なものだ。
つまり、各人の 「 自我 」 は、それぞれに敵であり、他のすべてのものを暴力で抑えつけようとするからだ。
君は、この不快な点は取り去ったようだが、不法さまでは取り去っていない。
----Etc----   パンセ より 

ぼくは  自我の眼差し ” を認めない。

しかし自己を省みるとき、大きな困難に出くわし、立ち止まらざるを得なくなる。
ぼくは ” 自我の眼差し ” を認めないながらも、
知らず知らずのうちに ” 自我の眼差し” で見つめているのである。

--------

ぼくは立ち止まりながら、ただ何となく感じる。
それぞれの生命的座標系の空間を埋めつくすもの、
それぞれの生命的座標系のローレンツ変換が存在することを。
それが何なのか、どういう性質のものかはわからないが、存在することは感じられる。 」
 S50.10.12 Sum.day

ぼくは 生命的座標系の空間を埋めつくすものを、生命的座標系のローレンツ変換を求める。
「 ノアの大洪水を乗り越えた箱舟は 松の木で造られたけれど、
 価値の相対化と同時進行する現代の巨大な情報洪水を乗り切る箱舟は、
結局のところ ぼくたち一人ひとりがその想像力、執拗なまでの抑制力に支えられた
やさしさ、とでもいったものを素材として造るほかないのではあるまいか。

そしてこの場合、そこにおけるおそるべき困難とは、
それこそこの二十世紀後半を生きる 「 時代の児 」 としての 
ぼくたちの運命と考える他ないのではないか、とぼくは思っている。」

・・・庄可薫著 バクの飼主めざして  より

「 「 ルネッサンス 」 後 共同生活の必須条件たる共同紐帯が失われたのは、
客観的な、他律的な教権は破壊されて、しかも人々みな理性の立場に立てず、
個人的または階級的の傾向性、利害、好悪等に従って行動したからだ。

ただただ良心的に行動せよ。
しからば期せずして多数個 「 我 」 の間に共通なるものが発見さるるであらう。

----略----
カントによれば それは他律的教権に求める必要はない。
外的生活の改変に求める必要はない。
客観的事実の経験的考察に求める必要はない。

ちかく自己の心内に求めよ。
自己心内におけるいっさいの個人的なもの、感性的なもの、傾向性や好悪や 利害やの障害物を排除し、
いっさいの私を排して、純粋無垢の形における良心を内省せよ。

しからばそこに超個人的な、普遍妥当的なものが発見さるるであらう。」
・・・朝永三十郎 近世における「我」の自覚史

「----略----
それは、コーサラ ( 拘薩羅 )の王 パセーナディ ( 波斯匿 ) と
その妃のマッリカー ( 未利 ) の、王宮の会話からはじまる。

二人は、高楼にあって、宏大な眺望をたのしみながら、
この世にあってもっとも愛すべきものは何かという論題について語りあう。

その結論は、人間にとってもっとも愛すべきものは 自分自身のほかにはない、ということであった。
そこで、王は高楼をくだり、ジェータ(祗陀)林の精舎にブッタを訪ねて、その結論の吟味を乞うた。
ブッタは、その結論にふかく肯いて、彼らのために、偈を説いた。
「人の思いは いずこへ赴くこともできる。
 されど、いずこへ赴こうとも、自己よりも愛すべきものを見出すことはできぬ
それと同じく、他の人々にも自己はこのうえもなく愛しい
されば、自己の愛すべきを知るものは、他人を害してはならない」 」
・・・増谷丈雄 著  仏教概論 より

そして11月20日、
ぼくはこう書いている。
 この講演のなかの部分的なこと、
 一つ一つの個々のテーマに対する自己の認識不足をなげく。
----略----
しかし 以上のことを踏んまえながらも、この講演のなかに脈々と流れている息吹きを ぼくは感じる。
それは何か、そして感じることの出来る自分とは----。
カント流にいうなら、
自己のなかにある好悪、利害、個人的または段階的な傾向性とか感性わ排す、
ぼく流にいえば、自己の謙虚に素直にさせるものが、この講演のなかに生きずいているのである。
ぼくを謙虚に素直にさせるものが、さらに謙虚さと素直さを生んでいく。
謙虚さと素直さの自励左様がそこにある。
個人的な好悪、利害、感性、傾向性の場をはなれて、ぼくはどこへ行こうとしているのか、
この講演に生きずいているものは ぼくをどこへ運んでいこうとするのか。

----それは----

それは
多数個 「 我 」 をはなれた普遍妥当的な 超個人我の立場 ≒ 生命尊厳の立場ではないだろうか。
超個人我 ≒ 生命尊厳の場に立つとき、
固有で独特の生命的座標系の融合が可能なのではないか、
多数個 「 我 」 のボンドがここにあるのではないか。

しかし ぼくは知っている。最も根本的な困難があることを。
それは 超個人我 ≒ 生命尊厳の立場を維持することの困難さである。
実践か理知か----この困難を打破し得るのは。
  S50.11.20 

個有で独特の生命的座標系の存在事実を科学的に裏づけるのなら
「 現代の生物化学の教えるところによると、
 ディオキシリボ 核酸 ( DNA )  という分子が、
自分というのは、それがさらに基本的な四種類の分子からできていて、
その四種類の分子が長く鎖のように一列につながっていて、
さらに、それが日本重なり合って一つの分子を造っているのである。
その元をなす四種類の分子が、実に、50億個も集まって 一つの分子を造っていると考えられて、
その集まり方や並び方で、いろいろ違った性質を示す 
という DNA の話しをもちだすことも可能であろう。
しかし近く自分のまわりの人々をみつめる時、ぼくはいかなる裏づけよりも、
この 個有で独特の生命的座標系の存在事実を認める、いや認めざるをえない。
----人はそれぞれに違った考え方をし、異なった性格をもち、その人なりの判断・価値基準をもっている。
この--------の存在事実の認め方というものは、少なくとも 二通りあると思う。
その一つは、
--------の存在事実を到達点において、
「 愛するに オレはオレ、オマエはオマエ 」 と、ことあるごとに いいすててしまう 認め方。
そして 他の一つは、
----の存在事実を出発点において
「 オレはオレ、オマエはオマエだ、
 互いに要約し合うことの出来ない オレとオマエだ。
しかし オレとオマエは要約などということを 超越した ○○ によって結ばれているのだ。」
という 認め方。
ぼくは後者の立場に立って ○○ を求めていこうと思っている。
S50.11.20 の自己を明確に、確実に発展させていこうと思う。
まだ一歩も歩み出していないうちに出くわした困難を、
ストレートな謙虚さと素直さでもっと溶かし去ってしまおうと思う。

今のぼくには、何も確かなことは言えない、
全ての思いが ぼくの胸のなかで
朦朧と ただいたずらに散乱しているにすぎないことを知っているから、
日々移り変わる自分を知っているから。
ただこれだけは いっておきたい。
ぼくは 今の自分には満足しない ということを。

とぎすまされた星々の輝きをいっぱいにうける冬の夜
冷たい風に 身を震わせながら
ヘッドホーンから五輪真弓のかろやかな歌声
夜のなかに 白い煙草のけむりを溶け込ませる
涙が出そうなほど 悲しくて、そして何故だか たのしく うれしい
そんな自分が ぼくは好きだ。 
泣くことを忘れ、怒ることを忘れ、
そして子供のように はしゃぎまわることを忘れようとしていた。
涙を、怒りの筋を、笑顔を
そして何よりも、やさしさに満ちた眼差しをとりもどそう。
そこから すべてのことが 始まるのだ。
  S50.12.29  5:00AM

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平野君の天皇観 1975 

2010年04月10日 14時53分47秒 | 

「ソ連が攻めてきたら、どうする?」
「戦争反対、唱えるしかないな」
「北海道に攻め入ってきて、日本人が殺されているんやで、それでも、戦争反対唱えるのか?」
「俺は戦いに行く」
「勝ち目ないで、ソ連には敵わん」
「日本人が殺されるのを、手を拱いて視とけ、言うのか?、占領されたら、どうするんャ」
「白旗挙げて降伏する、戦ったら死ぬデ、死んだら終わりヤ、死んで、残った家族どうなるんャ」
降伏しても、命までは取らんヤロ」
「ソ連の奴隷になれ言うのかァ」
「死ぬよりましヤデ」
「お前、本当に、そう思っているのか?・・・」

昭和50年(1975年) 頃、の小冊
「ソ連が攻めてきたら、白旗を掲げて降伏する」
 と、言った 平野君の天皇観である
私と悉く異なる 彼の思想信念は、どこから産れ、亦、築き上げてきたのであらうか
・・・と、当時はそんな風に想っていた

 

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友を亡くした悲しみ

2010年04月09日 18時09分16秒 | 


想ひ 
( あれから )
昭和 54年 ( 1979年 ) 春 ( 24歳 ) ~ 昭和59年 ( 1984年 ) 春 ( 29歳 )
の、
日々の想いを纏めたもの   
若かりし日の 『 吾が想ひ 』 ・・・である
途切れることのない想ひ    吾心は 「不偏で不易 」
吾は 吾は唯一ではないか     今なほ そう想ふ


友を亡くした悲しみ
「おい!」
倖せなとき なかったよなあ
苦悩ばかりしてなぁ
人生 
生きてゆくのは むつかしいよなあ
楽しいことなんて なかったよなあ
「でも ・・・ どうして?」

031982814

わかるもんかよ 優しさだけじゃ 
生きてゆけない 男の苦さ
ばかなやつだよ 背中をむけて 
ちょいと人生かくれんぼ
意地をとおして ひとりぽっち

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『 人生 』 咲かない華 どうして、次に継ひでいく

2010年04月08日 18時16分54秒 | 


想ひ 
( あれから )
昭和 54年 ( 1979年 ) 春 ( 24歳 ) ~ 昭和59年 ( 1984年 ) 春 ( 29歳 ) の、
日々の想いを纏めたもの    若かりし日の吾が想ひ 』 ・・・である

途切れることのない想ひ    吾心は 「不偏不易 」
吾は 吾は唯一ではないか     今なほ そう想ふ


人生
咲かない華
どうして、次に継ひでいく

咲かない華 一生懸命、咲かさうとしている
側から観て、哀れ と 言ふ

華をさかせる・・・何を意味するのか
価値判断は何処に在るのか・・・明 にすべき所 であらふ

何が 価値か
一生懸命が価値なら、結果は問へなひ
結果の成否で一生懸命を評価するのか
あるひは 幸運・不運 で決めるのか
砂漠で 咲かない華 
一生懸命、咲かさうとしている と 言ふ
是 不運か  是を 悲運 と 言ふのか
私しの咲かさうとしている華 は 咲かない華 か
私しは 砂漠 か
私しの 咲かさうとしている華は 確かに咲く
「 確かに咲く 」
信じて今日 なるも
さて
咲かない華 
どうして、次に継ひでいく

人生において
( 平野 匡勇 ) 2006-04-16 12:39:12               ・・日曜日
人生において、その過程も結果も満足できれば幸いです。
僕は怠け者なので、平均点を目指しているだけです。
追い立てられて一所懸命になるときもありますが。

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平野君

2010年04月07日 18時19分54秒 | 


想ひ 
( あれから )
昭和 54年 ( 1979年 ) 春 ( 24歳 ) ~ 昭和59年 ( 1984年 ) 春 ( 29歳 ) の、

日々の想いを纏めたもの    若かりし日の吾が想ひ 』 ・・・である
途切れることのない想ひ   
吾心は 「不偏不易 」
吾は 吾は唯一ではないか     今なほ そう想ふ

平野君

所詮 君のやること
どうころんでも おれの顔

平野君が 大学の受験勉強をしている
来年の春 退職する
そして エンジニア を捨て 医者に成ると言うのだ
しかし 医者に成るには年数がかかるので 歯医者に成ると言う
それでも 6年はかかるという
市大出の彼 その学歴を捨てると言うのである
親に心配をかけるのが 気がかりだけど そうしたいのだと
大学に通うとなると 近所の目がきになる 
いい歳して 恥ずかしい・・と
だから 家を出て 独りで住みたいのだと言う
実に 素直で 分りやすい いかにも彼らしい

私ならば 
「俺は人生を懸けて転職する だから 誰が何と言おうと
 どう想おうとも 気にしない」
との 覚悟が先にきて カッコウをつけるが
彼は この覚悟はしないし 大げさな カッコウもつけない
近所の目が気にかかるから・・が先にくるのである
それが 私から見ると 
漂々としている様 に見えるのかも知れない

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人と人との間

2010年04月06日 18時30分55秒 | 

「俺はオレ、オマエはお前」

これを肝に銘ずる

其れで善いではないか

汝は汝たり 我は我たり 
(・・・吉田松陰)

最後まで頑張って自己を尊重し、自尊心を護ることが
取りも直さず 人間を尊重することに成る
自己を尊重する者が人間を尊重でき、真実を尊重できる
    (・・三島由紀夫)


不変
「おまえ、かわったなあ」・・と

吾は不偏で不易
そうみえざるは
おまえこそが、かわったのである

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平野匡勇君の天皇観 1975

2010年04月05日 18時36分37秒 | 

ソ連が攻めてきたら、どうする?」
「戦争反対、唱えるしかないな」
「北海道に攻め入ってきて、日本人が殺されているんやで、それでも、戦争反対唱えるのか?」
「俺は戦いに行く」
「勝ち目ないで、ソ連には敵わん」
「日本人が殺されるのを、手を拱いて視とけ、言うのか?、占領されたら、どうするんャ」
「白旗挙げて降伏する、戦ったら死ぬデ、死んだら終わりヤ、死んで、残った家族どうなるんャ」
「降伏しても、命までは取らんヤロ」
「ソ連の奴隷になれ言うのかァ」
「死ぬよりましヤデ」
「お前、本当に、そう思っているのか?・・・」

昭和50年(1975年) 頃、の小冊
「ソ連が攻めてきたら、白旗を掲げて降伏する」
 と、言った 平野君の天皇観である
私と悉く異なる 彼の思想信念は、どこから産れ、亦、築き上げてきたのであらうか
・・・と、当時はそんな風に想っていた

 

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自尊心を問う 1977

2010年04月04日 18時50分36秒 | 

自尊心を問う








昭和52年(1977年)3月11日
長野から 手紙がくる
内容は、先日 吾が問うた
「自尊心」の返答である
以下は、その返答に対しての

吾が想いをかきなぐったものである
     原文

一、お前は、吾の意 を 分っていない
    確かに、吾の文章は、困難なものであらう
    しかし、吾を知る お前ならば 判ろうに
    吾は お前をかいかぶっていたのか

二、吾は 自尊心について、その本質を問うたのだ
    人間が 自尊心をかんじる根元は何処にあるのか
    吾は それを問うたのである
    吾が吾に 自尊心を問うたとき、その根本を為しているものは何かを追求すると
    あげく、いきつくところ
    吾が自尊心の根元は、「 おのれ 」 であった
    更に吾は何故に 「 おのれ 」 を誇に想うのか・・・と、追求すると
    吾は 「 おのれ 」 が 「 日本人である 」 と 謂うところに 到達したのである
    「 おのれ は 日本人である 」 と謂う自覚
    これが 吾の誇りであり 自尊心の源 なのである

三、何故、「 おのれ 」 を尊ぶのか、誇りに想うのか
    「 おのれが誇り貴き 」 を、信ずるが故である
    おのれが 日本人成るが故である
    日本人である おのれを誇り貴きと信ずるが故である

四、吾が手紙で謂った 「自尊心は誰にでも在る」 の意は
    吾が自尊心の意とは、全くの逆意也
    おまえならば かの文章にて 吾が意は通ずるものと たかをくくっていた
    お前は 吾を知らないのか
    お前は、お前自身を 本当にわかっているのか
    根本を考えた事はないのか

五、上辺の返事に、吾は不満の意を表す
    「吾は甚だ不本意なり」
    お前の謂う事は自尊心ではない、断じて違う
    お前の言は自尊心について、全く触れていない
    自己の正当化 と 自己を信ずること
     同音同意 ではないか
    吾は、自己を正当化することが、いけない事だとは思わない
    自己を正当化する と謂う 上辺の意味に捉われる事こそが 間違って居るのである

六、自分を真理と信ずれば故に行動できる
    自我 が 在るが故に、他我 と 交えるのだ
    お前は、何故 自我を否定するのか
    お前は、「 向上しようとする自分 」 に 自尊心 を置くと謂う
    しかし それだけでは、吾への答えに成っていない
    向上心 は 吾にも在る
    しかし 吾は 向上心 イコール 自尊心ではない
    何故、おのれが向上心を持つのかを 考えると、何処へ行き着くか
    果して おのれを信ぜるが為であろうが
    おのれを貴きと信じるからこそ 向上しようとするのだ
    自我はそれ自体 真理なのだ
    一次元のものだ、一人称なのだ
    自我をニ次元・二人称に考えるところが
    本質(自我の本質)を見失っている所以なのだ
    自我は、おのれ自信なのである

七、改めて問う 「お前の自尊心とは」

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