昭和・私の記憶

途切れることのない吾想い 吾昭和の記憶を物語る
 

貴ノ花の相撲を見たかったのです

2022年07月10日 05時27分59秒 | 4 力みちてり 1970年~

(1970年)昭和45年 高校一年生
私は、同じBクラス3名(平野、山下、西尾)と共に、住宅研究部に入部した
Aクラスから1名(古田)、新一年生は5名の入部であった
先輩達が、T定規と三角定規の使い方、エンピツの線のひきかた等を教えて呉れる
それは、意外と難しかった
真面目な生徒古田
一人、必至で取り組んでいた
いつの時代も、そういう奴が居るものである

文化祭
11月、文化祭が近づいてきた

吾々一年生に、1/100の木造住宅の屋根無し模型を出展せよと謂う

必ず、出展しなければならんぞと

活動の実績がなければ、生徒会から、予算が下りないからだと

模型材料は、学校正門前の文房具店「菅家」で購入する

「菅家」さんは、吾々のOBの実家でもあったおかげで

店主のお父上は、後輩の吾々に親切に対応して呉れたのである

先輩様々である

模型の制作は、つまらなかった

途中で「イヤ」になったのである

文化部において、文化祭が、どういう意味があるのか、一年生の吾々は知らない

我慢できなくなって、とうとう吾々同級生4名は逃亡したのである

・・吾々の様な「ボンクラ」はいつの時代にも居る

これに、上級生が怒った

それでも、吾々は逃げた

放課後、部室へも行かずに帰宅したのである

真面目な生徒古田、一人、残して

写真 下 1973年 (吾々が卒業した年)
吾が住宅研究部の一年後輩によって描かれた鳥瞰図である

031975115

 

 

 

 

 

 

 



逃亡する、吾々に対して上級生(2年生)は、正門で待ち受けていた 

他の3名は捕まって、部室へ連行

他の3名、次の日は通用門をすり抜けた     画面下 右隅

「してやったり」の3人であった

ところが、敵もさるもの

この3人、国鉄環状線で通学している (ほとんどの生徒が利用)

環状線桜ノ宮駅で、待ち受けていた3年生に捕まってしまったのだ

然し 私は捕まらなかった

私は自転車通学だった、さすがの先輩達もそこまで、知らなかったのだ

自転車置場は体育館の右側(裏)にあって

そこから裏通路をグルット周って

写真上 中央の校舎と校舎の間の、裏門から脱出していたからである

 

貴ノ花    売り出し中の、最も勢いのあった頃である

たわいも無い、鬼ごっこ をしたものであるが
確かに、模型作りはつまらなかったけれど
それより 何よりも
私は 相撲 を見たかった
貴ノ花 の 取り組みを見たかったのである

カンネン、した、吾々は、模型を作製し、文化祭に出展したが・・
いものが出来るはずも無からうに

文化祭の当日
「こんな模型、僕でも作れる」 と、小学生
・・・


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