昭和・私の記憶

途切れることのない吾想い 吾昭和の記憶を物語る
 

腕自慢でも敵わなかった万博の大屋根

2017年05月06日 17時38分32秒 | 4 力みちてり 1970年~

昭和44年(1969年) 中学3年の秋
クラスの男子生徒で、誰が一番高く、ボール(軟式球)を真上に投げるかを競ったことがある。
自信のある奴が、我こそはと、放り投げる。
しかし、どれも、放物線を描いて、遥か前方に落下するのである。
真上に上がらない。
球筋も観ていていかにも弱々しく、急速に落下する。
「 なんやおまえら、高く あがらんやんけ 」
だれも皆、真上に投げられないのだ。
そして、真打登場とばかり、私が投げて見せる。
「 オー !」
私の投げたボールは、勢い良く真上に上った、放物線など描かない。
皆が真下から見上げている。
ボールは、一直線に空高く舞上がり、なかなか落ちてこないのである。
そして投げた位置の真後ろ1メートルに落下した。
「 ドヤッ !」 と、得意顔の私
絶頂の瞬間(とき)である。


EXSPO70    大阪万国博覧会
各国のパビリオン も
太陽の塔 も
どれもみな、素晴らしく
国の勢い を 肌で感じた
人出も多く、誰も皆、活気に満ちた顔をしていた

  
神出先生設計のサントリー館   「 月の石 」 アメリカ館
     
     
     
     
     
     
    
         
       
松下館                             スイス館                          アメリカ館 

私が コダックインスタマチックカメラで撮影したもの

昭和45年 (1970年 ) 高校1年の夏
学校から課外授業として、大阪万博見学があった。
課外授業を終えた吾々。 現地散会。後は自由行動となった。
親しい仲間数人で万博会場を散策したのである。

腕自慢してはみたものの
我々は、お祭り広場の大屋根を見上げていた。
「 高い天井やな 」
「 何メートルくらいあるんかな 」
「 30メートルくらいやで 」
「 ウソオ、もっとあるやろ 」
「 イヤ、そんなもんやで 」
私は、見た感じで、50~60メートルはあるかと思ったのである。
「 30メートルやったら、 石投げたら届くで 」
「 あかん、そらぁ、絶対届けへんわ 」
「 なんでや、俺、石なら100メートル以上投げれるで 」
「 俺も、100メートル以上投げれるぞ 」
「 俺かて、そのくらい投げれる 」
「 それでも、無理やて 」
「 水平距離で100メートル投げれたかて、真上にはせいぜい20メートルくらいしか、いかへん 」
「 重力には、逆らわれへんのんや 」
「 ほんまかぁ?」
「 いや、あたるて、・・試しに投げてみようか 」
我々は、小石を探した。
「 で、天井にあたったらどうする、捕まるでぇ 」
「 大丈夫やて、絶対、あたらへんから 」
「 あたっても、しらんからな、・・よし!」
中学の時に真上に投げたボールのイメージが浮かんでいる。
私は、ちょうどいいサイズの小石を持っている。
それを、思い切って、真上に投げた。
・・
届かない。 其れも、前前といっていいほど。
「 なんでや 」
「 ほんまかいや、よし、俺も投げてみる 」
結果は、私と、同じであった。
「 ほんまやな 」
「 でも、なんでやねん 」


中学の時、誰よりも高く真上に投げた、あのボール
せいぜい20メートルほどだったのか・・
万博の大屋根に挑んだが敵わなかった。
中学で得意顔した私の鼻柱、
思いっ切り、圧し折られてしまった。 (ヘシオラレテ)
それは、腕自慢の誰もが試みてもとうてい及ばない程、
万博は大きかった 」
・・・
そういうことなのであらう。

「 君等はもう、高校生だ、中学生と違う、したがって細かい注意なぞしない 」
大人扱いをするぞ ・・・と
入学時の担任の詞 (コトバ) に、
「 高校生とは、斯くなるものか・・・さすが高校 」
・・・と、感激した私。
然し、その詞の意味を 肝に銘じてはいなかった。
それどころか、
自分の投げた石は、自分の頭に落ちる。
「 真上に投げれる 」 と、たかをくくっていた。
だから、周りに人が居ないこと確認すれば十分だと、そう判断したのだ。
ただ自慢したいが為に、
「 石を投げる 」 ということが、
どういうことか、考えもしなかったのである。


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