昭和・私の記憶

途切れることのない吾想い 吾昭和の記憶を物語る
 

7 大阪ヒーロー 

2021年06月19日 07時21分40秒 | 7 大阪ヒーロー

大阪ヒーロー
      
漫才、落語、新喜劇の革命児達、我がヒーローを物語る 
目次
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笑いたいのをこらえたのに
昭和38年(1963年)
大阪に引越してきて、テレビで初めて「漫才」を知った
漫才、落語、漫談、浪曲、講談、新喜劇・・
8歳の少年の私
これを、「おもしろい」と思った
こういう芸能文化の在る大阪が、とてつもなく大都会に想えたのである
少年は感動したのである

「おかあちゃん、この漫才おもしろいで」

新しい風
昭和42年(1967年)
(中学1年の)私は、いつものとおりテレビで漫才を見ていた
そして
「おかあちゃん、この漫才、おもしろいでェ」
夕食の支度をしていた母に、そう叫んだのである
それはもう、おもしろかった


おまえ・・ブタマン屋の娘やろ
グラマーな女優(ハーフがかった美形の顔付)・・西川洋子が通行人の役で登場する
岡八郎が歩み寄り
「お嬢さん、僕と結婚して下さい」
「お断りします」
「なんや、八ちゃん、初対面の相手にいきなり」
「俺は、女性に遭うと、結婚を申し込む、システムをとっとるんや」
断られた、腹癒せに
「なんや、おまえ・・よう肥えて」
「おまえ・・ブタマン屋の娘やろ」
「ブタマン屋の娘です」         ドテー・・・ここで観客大笑い
岡八郎全盛期の吉本新喜劇の一場面である

革命児達
昭和44年(1969年)
大阪万博の前年、大阪は活気に満ちていた
そして、この活気に満ちた、大阪の勢いが、ヒーローを産み
そして、彼等は、「大阪の笑い」 を革命していく


笑福亭仁鶴
吉本新喜劇の岡八郎
漫才の横山やすし・西川きよし
各々の革命児の出現と共に、笑福亭仁鶴
の登場も亦、大阪の笑い を変えた
そしてそれは、大阪の芸人の存り方をも変えたのである
是、真に革命的と謂えよう
落語でもなく、漫談でもなく、これまでに無い形の喋りは、積重ねた過去をも、凌駕したのである
中学生の吾々は、だからこそ これを 面白いと想った
これを 吾々のモノ と、認めたのである
そして、この吾々が認めたる モノ は、大阪発 は、全国区に展開していった
吾々は得意に成って、自慢したのである
彼は 吾々のヒーローなり と

すきがあったら どっからなと かかってこんかい

岡八郎の真骨頂
吉本新喜劇の歴史上最大のギャグである
これほど爆笑を取ったギャグが他にあるものか
私にとって
岡八郎は 
まさに、ヒーロー なのである


ガオー
 岡八郎
男は泣いたらあかん
そう、教育された
人前で泣いて、どうする
歯をくいしばって、頑張らんかい
男は、泣いても、生涯で3回だけや
男が泣く時は、理由がいる
そして、その時は、誰はばからず
豪快に泣け
そう、教えられたのである
「男は豪快に」・・を信条とする
吾々の世代、誰もが持つ、認識である


人目憚ることなく、ひたすら落語に打ちこむ姿を目の当りにして

面白い落語から大爆笑落語へ
昭和45年(1970年)~50年(1975年)
革命児・笑福亭仁鶴が、我々に落語を知らしめ、落語に耳を傾けさせた
落語も面白いもの・・・と
落語を聞く・・を、若者の一つのファッションとしたのである
然し、それは未だ、粋の範疇、通の領域
落語の域を超えるまでには行かなかったのだ
時代は進化する
昭和48年(1973年)桂小米は桂枝雀を襲名した、そしてこれを機に
枝雀がばけた 大ばけした
ここに、ヒーロー・桂枝雀が真打登場・・したのである
彼の落語はこれまでの全ての落語を凌駕した
それはもう、大爆笑の大爆笑
落語を聴かせて、且つ、我々を大爆笑させたのである
これぞ、枝雀落語の真骨頂・・と


大阪名物パチパチパンチ
  
ポコポコヘッドに、カンカンヘッドは男のロマン
困った困ったこまどり姉妹、しまったしまった島倉千代子・・・
・・・等々のギャグを持つ
強面のキャラクターが、一転愛嬌たっぷり変貌するところが可笑しかった
私の知るところ、異色なキャラクターであった

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8 大和撫子
に続く


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2 コメント

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hikarinoumide (kazan/みむら)
2022-04-23 15:51:56
おっしゃる通り、「昭和はすばらしい」です。
当時、大正人のインテリ系義父は、一緒に浅草で飲みに行くと「◯◯クン、明治は良かった」を聞かされました。
昭和しか知らない◯◯クンには羨ましかったですね。
今、皆、周囲が鬼籍に入り、令和まで生きながらえて、初めて「昭和は良かったヨ、キミィ~」と言える権利だけは確保できたようです。
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吾昭和 (花田幸徳)
2022-04-23 18:27:48
kazan/みむら 様
私は戦後の高度成長期の時代と伴に過ごし、
だから『 私の昭和 』は、感動の連続だった。
そんな良き時代に生きたこと、嬉しく思っています。
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