昭和・私の記憶

途切れることのない吾想い 吾昭和の記憶を物語る
 

反骨な奴のレジスタンス

2021年06月15日 14時53分37秒 | 4 力みちてり 1970年~

教壇前に立った リーダー格が怒鳴った。
「 弁当、やめーッ 」
機先を制された吾々は、慌てて弁当を片付けた。
「 今から、校歌を教えてやる!先に唄うからよく聞いとけッ!」
そう云って、
上級生全員で大声を出して唄いだした。

ヨドノカワモニハナカゲウツリテユウユウ
タルナガレメグレルアタリ
ソノナモユカシキワガミヤコジマフルキデントウカガヤクレキシ
ミヨワガボコウノスガタヲ

窓も開いていない密閉された鉄筋コンクリート造の教室。
そんなところで、40名が、有りっ丈の声を出して唄っている。
それはもう、やたら大声で怒鳴っている。 ( ・・・としか、聞えなかった )
そんなもん、何を唄っているのか分るものか。
上級生、歌い終わった。
リーダー格、
「 分かったかァ!! 」
分かりません! ・・反骨な奴が居た。
「 何ッ!! 」

恒例の伝統行事、
一級上・二年生に依る、
『 弁当食うの やめー 』 の、くだりである

・・・リンク→力 満ちてり

呉津との出逢い

此処で
「 分かりません!」
 と、云って
反骨な奴が居た・・と、私を感嘆せしめた者こそ、誰あらん呉津。
・・と、私はそう信じている。
此は 素直な心持ちが、咄嗟に出たものではない。
普段から、こう謂う 類 たぐい には、レジスタンスする ・・・そう謂う為人なのであろう。
それはきっと、天性のものであろう。私にはセンセーショナルなものに感じた。
此が、私が彼に抱いた最初のイメージである。

1972年5月・修学旅行・・阿蘇山火口
立っている者全て一年生で同じクラス、杉本以外は 『 仲間達 』 のメンバー

前で・かがんでいるのが、古田・・住宅研究部で3 年間共にしたが、同じクラスになったことがない。
・・・リンク→貴ノ花の相撲を見たかったのです

杉本の髪型
彼は、ハイレベルで有名な進学校、天王寺中学出身、
どうして こんな学力の高い奴が同じクラスに居るのか。
やはり、中学の担任が 心配したのはこう謂うことだったのかと、この時思い知らされたのである。
そして、彼は 中々の論客であった。
肩まで伸ばした髪は彼のセンスを物語るもの、其は ひと際目を惹いた。
ところがしかし
高校三年生の修学旅行前のこと
彼は自慢の肩まで伸びた髪の毛を短くカットして現れたのである。 ( 写真 )
 1972年5月・修学旅行・・阿蘇の旅館で
「 お前、どうしたんや その髪 ?」
「 土木の輩に、切れ 謂うて脅されてな 」
「 お前、それだけの理由で 切ったんか 」
隣の土木科の硬派に眼をつけられ、軟派だと絡まれたのである。
彼等は、"吾はバンカラ" の つもりなのである。
"
切らねば きっと 天誅を下す" は 単なる脅し。なにが バンカラ なものか。
奴等は、自分等に無い スマートさを身につけた彼を 嫉みに想ったに違いない。
しかし彼は誰かの如く、レジスタンス しなかった。
「 そうや、普段偉そうに謂うとっても、俺は根性ないんや 」
と、サラッと答えたのである。
それは、何か知らん私の心に響いた。
「 こいつ、大人やな 」
そう想った。
咎める気持ちなど起るものか。
寧ろ、彼のいさぎよさに感心したのである。

反骨 と レジスタンス、大人の対応
理屈は述べまい
感じた儘を記したまでである


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