昭和・私の記憶

途切れることのない吾想い 吾昭和の記憶を物語る
 

「サークル」

2022年07月17日 04時58分52秒 | 5 右翼青年 1974年~

昭和45年 (1970年 )、中学3年生、3学期の頃である。
私は、赤旗系の 『 サークル 』 への入会を誘われた。
同級生も、既に何人かは入会していると謂う。
だから、「 あなたもどうか 」 ・・・と。
同年代の男女が集まって、活動していく ものだと謂う。
『 サークル 』 と謂うもの、私は何にも知らなかった。
無知故の関心のなさ で、勧誘を断ったのである。 ・・・が然し。
「 男女が集まって 」 ・・・の言葉が、心の片隅に残った。

1969年1月18日 東大安田講堂事件 
いくら無知であった私でも知っている、記憶に残っている場面である

真友 ・長野から
「 今度の日曜日、仲間10人程でソフトボールするから来いよ 」
・・・と、誘われた。

昭和50年 (1975年 ) 5月18日 ( 日曜日 )
この日は、朝7時に起きた。
バスで、1時間もかけて西淀川の出来島へ。
そして、更に車で20分かけて、グランドに到着した。
着くと
学会の皆でソフトボールをするのだと聞かされた。
彼等は 私の仲間でも何でもない。
私はいきがかり
○○学会・西淀川地区主催の
『 ソフトボール大会 』 に、参加する羽目になったのである。
午前9時から競技は始まった。

その日の晩
その時の想いを
かきなぐったもの
である

そこには、健康な若い男女が集まっていた。
誰も皆、笑顔一杯。
嗚呼、これが 『 サークル 』 と、謂うものなのか。
なんと !
今の若者層のサンプルがそこに居るではないか。
それは、俺の想うイメージ、そのものであった。
俺は観た。
今の日本の若者のサンプルを。

女のてまえ、イキガッタ男。
それに愛想笑いする女。
なんとチャラチャラしている。
このての人種、俺は気にくわない。

軟派でも、 腕力 強かれば 憧れもしよう。
腕力 弱くても、インテリならば 尊敬もしよう。
しかるに、見る限り、彼等は普通の男女である。

なんと女の子の声援がシラジラシイ。
嗚呼 ・・・こんな女、俺はいらない。

何だ これは。
わざわざ、朝早く起きてまで、彼等と付き合わねばならぬのか。
くそ、おもしろくない。
こういった集まりには、必ず存る 「 出しゃばり野郎 」
俺に指図する。
無神経極まりなく、俺に指図する。
野郎・・・
無邪気にはしゃいで。

( 我慢も限界を超え、大会途中で、誘った長野と二人退場したのである )

はしゃいでいる彼等は、何も悪くは無いし何の責任も無い。
唯、俺は偏屈なる人間をめざしている。
而も、頑ななまでに。
その俺の信条と、彼等の行為に、ギャップがありすぎたのである。

最近の若には夢がない 」
俺は、常づね そう発信していた。
ところが
彼等も討論会で そう言っているんだと。
行動しない若者が増えた 」 ・・・と、嘆いているんだと。
嗚呼・・・
夢とは ロマン のこと
究極の行動とは 殉じる こと
彼等は それを知らない。

彼等は、真剣に 「 憂国 」 を、語り合っているんだと。
軽々しい。
憂国 とは 同胞の為に殉じる こと
相当な覚悟をもって、発言すべく事柄であらう。
彼等が、そんな覚悟を持っている筈は無い。
なにが 憂国か 
なに
が 幸福か
なにが 自分たちは活動している だ
所詮、 ままごと ではないか


左翼系だけに限らなかったが

「 サークル 」 と謂う活動をよく耳にした。
イデオロギーの時代の名残りかとも想う。
この頃の吾 関心は、
専ら
「 ナレは功を為せ、ワレは忠を為す 」 


又、斯の日 斯の事を、
真友 ・ 長野は自筆の 『 小冊 』 で、こう述べている。
・・・・・・
 S50.5.18日曜日、
□□学会・西淀川地区主催のソフトボール大会に未入会らもかかわらず、
未入会の H と二人して参加した。

会場となっているグランドには、
色とりどりのカラージーンズの若者達が思い思いのことをしながら集合の合図を待っていた。

9 : 00AM頃 ようやく集合の笛がなり、
その後大会宣言、選手宣誓、準備体操 その他のプログラムを消化し、9 : 30AM頃プレイボール。

----女の子の黄色い歓声、
5ガロン缶をたたいての声援、手拍子、口の減らないはりきり小僧、

3本のストライプの入ったジャージ姿の女の子の、
ホームからセカンドへの Niceスローのあとの あの得意そうな顔つき、
ボールを満足にスローイング出来ないライト、三振する人----Etc---。

その試合の結果を知ることもなく、また知りたくも思わず、
グランドを去ったのは 10 : 30 AM 頃だったろうか。

それからぼくは考えている。
----この大会に集った多くの若者
そして この大会そのものは いったい何なのか!?
 ほんとうの若者らしさとは、ほんとうの行動とは。   S50.5.18 Sun  」

5月18日の このソフトボール大会と この記録とは、思わぬところで関係してる。

ぼくは5月18日の記述のとおり考えた。
この日の一コマ一コマを再現しながら、一語一語を思いおこしながら。
------------
「それならば、オマエ自身はどうなのか。
オマエ自身は何をしていると言い切れるか。」
という、この頃きまっての重苦しい結論がそこに待ち受けていた。

この時ぼくは 「それならば オマエ自身は----」
という自問に どうしようもなく答えられなかった。

答えられない自己への憤りが、
「それならば オマエ自身は----」 を増巾し 

さらに新たな そして大きな憤りを生んでいくという袋小路へと、ぼくを追いたてていった。
そして この記録 ( その時は エッセーと呼んでいた ) を書くという思いつきは この時おこった。
この記録のいちばん始めに 「何故エッセーを書こうと思ったのか」 という見出しで、
5月18日の自分を振り返りながら、袋小路に追いつめられたあの時のぼくは こう書いている。
創価学会主催、ソフトボール大会
何故エッセーを書こうと思いたったのか
ソフトボール大会に中途半端なかたちであれ参加し、

その後 この大会に参加した多くの若者を偽善者を見る眼差しで見つめ、
大会そのものを偽善的行為ときめつけた。

5ガロン缶をたたいての声援とか手拍子、
女の子の黄色の歓声、大会宣言とか ラジオ体操
----その他もろもろの行為が、

ぼくの目には しらじらしくうつろいやすい、
もうどうだっていい、ある空しさを伴って写ったからだ。

しかし そんな眼差し、
いろんな事に対して空しさを伴った眼差しで自分のまわりを見わたしてみると、

全対象に 「空虚」 というレッテルを貼らざるを得なくなることに気がついた。
と同時に この 「空虚」 の裏側に 「充実」 がかくされていることに気がついたのだ。
空虚な眼差しで自己の世界をみわたせば 
世界は空虚な存在となって ぼくの心に横たわる。

これはあたかも色メガネをかけて世界をみたようなものである。
水色の色メガネをかけて 真赤なバラの花を見たことしよう。
そこに見えるは真赤なバラではなく水色で偏向された どす黒いバラだ。
水色の色メガネの世界は、水色で汚された 嘘の色の世界である。
ところで、空虚という特殊色メガネで 
ソウトボール大会を見たとき 空虚さで汚された世界の裏側に

「充実」 の世界の存在に気づいたのは どういうわけだ。  S50.6 」
以上のことを書いているときのぼく、
そう袋小路に追いつめられたときのぼくは、
"充実さを感じる自己" ではなく、

"空虚さを感じる自己" を否定する自分でしかなかったと思える。
・・・・

此が、真友 ・長野の為人である。


コメント    この記事についてブログを書く
« サンタは煙突から入って来る | トップ | 手編みのプレゼント »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。