昭和・私の記憶

途切れることのない吾想い 吾昭和の記憶を物語る
 

蒜山高原

2016年08月06日 02時12分30秒 | 5 青春のひとこま 1973年~

「 ゴルフをしよう 」
「 寺内がコースの手配できる言うとるぞ 」
「 でも・・道具一つ、もっとらんしな 」
「 大丈夫、心配いらんて、靴からクラブまで一式借りれるから 」
「 そうか、それならしようか 」
親友・大土
私に誘われて、断れなかったのである。

 ・

男は豪快に
此は
吾々の世代の誰もが持つ信条である。
ドライバーで 300ヤードかっ飛ばす・・・は、男のロマン
然し、剛腕のみならず技も天下一品
私の憧れるところである。

ゴルフと謂えば
ジャンボ・・こと、尾崎将司

彼は、男のロマンを実践して見せた
一段と高いステータスの持主である。
私は、大なるファンであった。

  
1980年代は
空前のゴルフブーム
猫も杓子も
クラブを振り回したのである
私も、その渦中にあった


昭和56年 ( 1981年 ) 8月
盆休み
高校の同窓・大土、寺内、私の三人で旅行することに為った。
三人で旅行するは
昭和54年 ( 1979年 ) 8月
富士山~名古屋以来、二度目である。
  昭和54年8月静岡久能山・東照宮
13日(木)~16日(日)の三泊四日のスケジュール
( 13 日は移動、14 日はゴルフ、15 日は蒜山、16 日姫路城に立寄って帰阪 )

然し、何といっても
旅のメインは14
日(金)
本格的ゴルフコースでプレイする・・で、あった。
 ←近畿車両の打放し場
大土はゴルフを始めたばかり
私に背を押されて渋々コースに出る。
だから、さすがの私も心配だった。

それで、直近 まじかに練習しようということになった。
直近ならば、練習したことを忘れまい、軀が覚えておろう ・・・と、そういう訳だ。
12日(水)、近畿車両のゴルフ打放し場で練習した。
「 難しいクラブはハナから諦めよう 」
・・・と、コースで使うクラブを選択した。

ドライバー、7番アイアン、5番アイアン、ピツチングウェッジ
・・・と、これだけにマトを絞った。

そして、一通り打った。
打っては見たが、どのクラブとっても まともに打てやしない。
真直ぐ飛ばない
距離が出ない
ダフルは、シャンクするは
もう、散々・・・

そう謂う 私とて大したことはなく
本コースでのプレイは 2、3度経験したくらいの初心者
ハンディをつけるとしたら、36~45
当面の目標が、スコア100を切ること ・・・その程度だった。
・・・
「 これで明後日、本コースへ出るのか 」

8月13日(木)
 類似イメージ

私の愛車パルサー ( 日産、昭和55年購入 ) に、
大土を乗せて

岡山県山陽町 ( 現赤磐市 ) に単身赴任する、友 ・寺内の許へ向かった。
近畿自動車道~中国自動車道 ・美作インター~友 ・寺内の職場のある山陽町へ
午後3時頃到着した。
旅館の夕食までは時間がある。
それまで、三人で近くのミニコース ( パー27 ) で、練習しようということになった。
なにせ、27歳 ・・・遊びとあらば元気溌溂オロナミンC    (ハツラツ)
ところが
ミニコースを周って見て、それはもう、びっくり
あてにしていた友 ・寺内、全くの初心者であったのだ。
「 なんやお前、ゴルフしたことないんか 」
「 コースでるの、今度が初めてや 」
「 おいオイ ・・大丈夫かぁ 」
「 まあ、なんとかなるやろ 」 ・・・と、友・寺内
・・
「 これで明日、本コースへ出るのか 」

愈々、明日はコースに出る。

「これが、ゴルフコース ・・と謂うものか 」

天気晴朗  なれど波高し
8月14日(金)
朝から、快晴の無風 頗るいい天気であった。
空は、真夏らしく青々とし、森の碧も濃かった。
岡山県随一の名門のゴルフ倶楽部
ヘアウェイの芝は なんとも鮮やかで、そのシチュエーションたるや見事なものであった。
初めてコースに出た大土のみならず
眼前に拡がる素晴らしい景色を感動の面持ちで眺めたのである。

「 3人とも初心者です 」
初心者です ・・・は、初心者の誰もが言う挨拶。
だから、キャディさん
私の申告を真に受けてしまった様だ。
「 宜しくおねがいします」
キャディさん、爽やかな笑顔で応えて呉れた。

イザ、行かん
OUTの1番 スタートホールは、パー5のロングホール
オナーは私
ティーアップして、グリーンの落としどころを見定めた。
軽く素振りをして
さあ、感動の第一打である。
男は豪快に
300
ヤードは、男のロマン・・・と、
得意のドライバー、おもいっきり叩いた。
なんと
記念すべく第一打と、
私が渾身の力でもって打ち放ったボール。
大きくフックして、コース境の樹木を越えて、遥か彼方の森の中へ。
「 フアーーー 」
何もあれだけ飛ばなくとも ・・よからうものを

二番手は、
友 ・寺内
普段は左利きの彼、然しゴルフは別と不慣れな右利きで構えている。
その実力の程は、昨日のミニコースで確認済みである。
不安の中、果して・・・
ドライバーを振り下ろした。
「 ファーーー 」

続いて
親友 ・大土
「 ファーーー 」

キャディさんの顔が真っ青になっている。

キャディさん・・・お気の毒に
初心者だと言うので、
ある程度はその心づもりをしていたであらう
ところが
吾々の謂う 『 初心者 』、
キャディさんの推いを、軽く凌駕した。
・・・何が、『 初心者 』 なものか
まったくもって、ズブの素人ではないか
そんな者が、会員制のゴルフ倶楽部のコースに出るなんて
10年早い・・ワ
なのに、こうして出しゃ張ってプレイしている
今日はなんてついてない日なのだらう
とんだ厄日である
・・・そんな顔をしていた。
さもあらん

後は語るまい

アガツテ観らば
11□、15□、19□ の、スコア
推して知るべし
その後のストーリーを、
物語らう



イメージ ・蒜山高原

斯くの如く

ゴルフを愉しんだ翌日の8月15日(土)
吾々は、蒜山高原へ向かった。
車の運転は、友 ・寺内に任せて
一人後部座席に横たわり窓外の跳んで行く風景を眺めていた。
川沿いの道に、
湯郷温泉の看板が見える
カーラジオからは
夏の甲子園、高校野球
報徳学園高校の金村 ( 後の近鉄 ) が、活躍する模様が流れていた。

その日は飛込みで、蒜山高原の国民宿舎に一泊した。
今爾、旅行中の宿泊の世話は全て、友 ・寺内がめんどうを見て呉れた。
持つべきは友・・・である。
8月16日(日)
レストランでの朝食の際、飲んだホットミルク
その
濃厚で美味かった・・こと
生涯忘れることは無い

  類似イメージ
大阪への帰り、予定通り  『 姫路城 』 に立寄った。
「 白鷺城 」 ・・と、子供の頃叔父に教わったことがある。
これまでは いつも 電車の窓から、遠目でその 白い美しい姿を 眺るだけであった。
だから、「 いつかは 観に行こう 」・・と、そう想っていたのである。
友 ・ 寺内は、一度 訪れたことが あると言って 天守閣には登らなかった。
私と大土で天守を登ったのである。


ものごとは出遭いによって決まる
みな、出遭い方ひとつ
親友 ・大土
これを機に ゴルフ から、暫らく遠退いた。  (トオノイタ)
彼とゴルフとの出遭いは、屈辱的なものであった。
その結果、トラウマ・・と、なった。

その素は、私なのである。
リンク→青雲の涯 遙かなる想い


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2 コメント

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昭和56年8月の思い出 (takezii)
2016-08-06 09:06:35
鮮明に記憶されておられる青春のひとこま、場面が 映像の如く 思い浮かびます。
友達、仲間との 思い出は 金銭に換算出来ない 宝物だと思います。
hanada様の 昭和の記憶、楽しみにしている 爺さんです。
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蒜山高原 (唯我独尊)
2016-08-06 10:30:08
takezii 様

共に考えるを友と謂う
宝なんだよ
(十の想ひを一言でのべる・想ひⅠ・友)

そんな風に想って生きていた頃の
愛おしい想い出です
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