昭和・私の記憶

途切れることのない吾想い 吾昭和の記憶を物語る
 

「ママ、可哀そう」

2021年06月03日 20時40分27秒 | 5 青春のひとこま 1973年~

昭和51年 ( 1976年 )
呼ばれて、一人住まいの朋友・長野宅へ行くと、
男二人、女性一人の3人が既に室に居た。
彼の中学の同窓だと言う。
私が凛とした口調で自己紹介をすると、彼等の目の色が変わった。
彼等から、朋友・長野の友人として認知された様だ。
ところが、肝心の彼が居ない。
例の集会で少し遅れる・・と、待っているのだと言う。
黙って坐っていても、間が持たない。
如何いう経緯かは、まったく覚えちゃいないが、
その時私は、石川さゆり の 「 あいあい傘 」 を唄ったのだ。
而も、歌詞カードも何もない、『 アカペラ 』 で唄ったのである。
それは、吾ながら いやになるくらいに下手なものであった。
ところが此に、強面の建築職人・井上が反応したのであるから、
世の中、捨てたもんじゃない。


朋友・長野宅で
山口百恵の壁紙に、「 あいつ、百恵フアンだったのか ・・・」

森昌子、山口百恵、桜田淳子、
三人娘が花盛りの頃
次点アイドルゆえに、
冷や飯を食っていた 石川さゆり
子供の頃から、同情が愛情に変るタイプの私、
妹のような彼女を不憫に想い、
心で以て、応援していたのである。

♪ 壁に描いたいたずら書き  あいあい傘の
下に並ぶ金釘釘文字  二人の名前
忘れはしません あなたはあの時に
私のことを好きじゃないと  にらみつけたのよ
それでも許してあげるわ  二人は傘の中
今はこんなに好きといってくれるから
にわか雨は はげし過ぎる  お寄りなさいな ♪


ママ、可哀そう

野郎四人で、共に飲もう、語ろうと、朋友・長野宅へ再び集った。
先日と同じ顔ぶれで、強面・井上も居る。
彼は、私が設計士ということを意識しているようで、
「 若い生意気な現場監督がきてな、
偉そうに あれこれ、訳の分らんこと言うんや。
そんなもんできるかい、
俺はなんでもヘイヘイ言うてイイナリ にはならん 」
・・・と、己が職人気質を自慢し   (オノガショクニンカタギ)
心意気のあるところを、殊更強調するのである。

( 話しの ) 流れの勢い、スナックへ行って飲もう、ということに成った。
強面・井上が皆を連れて行くと言いだしたのだ。
余り気乗りはしなかったが、流れの中 断ることも適わない。
彼の運転で西宮(市)へ向かった。
武庫川の河口ベリ のスナック、彼の馴染みの店だと言う。
和服姿の美人のママさんが迎えて呉れた。
ママさんのその態度は、強面・井上の馴染みの深さを物語る。

吾々が腰を据えて暫くして、一人の男性が現れた。
ママさんの態度からして、常連の上得意さんであらう。
ところが 驚いたことに、日本髪を結った芸者二人を引連れている。
此処は吾々も愉しむ普通のバースナック、どう見てもミスマッチであらう。
たちまち、店の雰囲気がガラッと替わってしまった。
芸者引連れての豪遊で、上機嫌の旦那さん、それはもう有頂天である。
彼に促されて芸者が、唄い出した。
 イメージ
お水の世界、
その仁義の程、私は知らない、知る由もない
然し、そんな私でさえも その光景は奇異に感じたのである。
ママさん、旦那さんの手前もあって愛想せざるを得ない
吾々はその様子を、唯呆然と眺めていた。

と、その時
「 ママ、可哀そう 」
・・・
と、強面・井上が呟いた。
その言葉にホロッときたママさん
両の目が潤んだ。
タイムリーなその言葉は
彼女の心肝に沁みたのである

心の機微
中々、分るものでは無い
ママさんの心懐を慮り
「 可哀そう 」 と、呟いた 強面・井上。
たかが22歳のくせに、大人なのである。
その時、そう想った私である。


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