昭和・私の記憶

途切れることのない吾想い 吾昭和の記憶を物語る
 

桃花の咲く頃

2024年04月19日 18時32分12秒 | 1 想い出る故郷 ~1962年

ブンブンブン
ハチが飛ぶ

お池のまわりに
野ばらがさいたよ

ブンブンブン
ハチが飛ぶ


生涯で唯一私が知る 桃木
それは 井戸端の傍にあった
そして 桃花が咲く春、ミツバチも飛んで来る
そこから、物語が始まる
昭和35年 ( 1960年 ) のことである
 
写真は、斯の物語の一年後 昭和36年 ( 1961年 )
我家の外にある井戸端で水鉄砲して遊ぶ私の姿である。
そして、見返しの写真は、海へ落ちた頃の妹と私  ( ・・・リンク→海に落ちた妹  )
写真の井戸端から3、4メートル離れた位置に一本の桃の木があった。
ちょうど、私等兄弟が坐っている前辺りになろうか。


桃花の咲く頃
我家の隣に若い女の人が一人住んでいた
でも、家の障子はいつも閉まっていた
「 誰が住みょうるんじゃろ 」
家の前には一本の桃の木があった
偶に 障子窓をあけて 風を入れる
そして その女の人は桃の木を眺めていた
私が そーっと覗くと その女の人は優しく微笑んでくれた
いつも寝床があった
イメージ
桃の木に花が咲く頃、ミツバチが姿を現す
私は開けられた窓に坐り  ( ・・・上記、見返りの写真の様に )
その女の人と 一緒に眺めた
ブンブンブン 蜂が飛ぶ
お池のまわりに野ばらがさいたよ
ブンフンブン ハチが飛ぶ

その女の人が口遊んだ
私も一緒に口遊んだ
なんとなく 薄い日差しの中にいた
そして 季節はめぐらなかった
その女の人は、明るい日差しの中へ帰ることは無かったのだ
荼毘に附される 『 焼場 』 に大勢の人が連なった
私も、尻尾にいた
ふと、
母の従妹である トミちゃんの涙する姿を遠目に見た
友達だったのだ・・・

そして
昭和36年 (1961年 ) 、冬の宵。
私は、母の云いつけで祖母の家に出かけた。
櫓炬燵の灰床を作る為に、祖母の家から炭俵を貰うためである。
今年も櫓炬燵をする季節が来たのだ。

祖母の家からの帰り道、日はトップリと暮れていた。
街路灯などあるものか。
それでも、いつもの慣れた路、ちっとも心細くはなかった。
心細くはなかった とは雖も、冬のこと。
路には人も居らず、閑散としていたのである。
私は、薄明がりの中、炭俵を持って小走った。
松本店前、ていさんの家前、
月刊誌少年画報を購入していた丸本の前を過した。
そして、□□家の井戸が見える所まできた。  ( ・・・□□家は、『 その 女の人 』 の実家 )
其処でなんとなく足を止めて 山の麓にある井戸に目を遣ったのである。
すると どうであろう。
□□家の軒先から、井戸に向かって、
スーッ と 一本の糸を引いて 小さな光が走った。
「 ホタルが 飛びょうる 」
・・・そう呟いた その瞬間、背筋に冷たいものが走ったのである。
怖ろしくなった。
一刻も早く この場を去らんと、駆け出したちょうどその時、
「 幸徳君、ええとこへ来た。ちょっと手伝うて 」
2、3軒 ( ≒5m ) 先の 縁側辺りから、私を呼ぶ声がした。
□□家の 中学生のお姉ちゃんだった。
「 テレビの映りが悪いきん、アンテナの向きを変えようるんじゃ 」
「 一々確かめに行くんも面倒じゃきん、代わりに上って確めてくれんね 」
弾けるような声でそう言ったのである。
勝手知ったるこの家 うち
私は 縁側から上がってテレビの前に坐った。
・・・
我家にテレビが来る前のこと。
私は、この家でテレビを見せて貰ったことがあった。
テレビでは、ザ・ピーナッツ が歌っていた。

そこへ、ターボン (  山本タダトシ・・・リンク→気がついてみたら ) がやって来て。
「 視たか、顔くっつけて唄ようたろうが 」
と、興奮した面持ちで語ったことがある。
その、テレビである

・・・
彼女の顔を見て、弱気の心が失せた。
そして、彼女の元気な声が
私の心に入らんとした邪気を払ったのである。

・・・でも、


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