昭和・私の記憶

途切れることのない吾想い 吾昭和の記憶を物語る
 

修学旅行 1 ・ 消えた記憶 「 観音様です、おっ母さん」

2021年04月22日 05時00分01秒 | 3 青い鳥 1967年~


 6月14 日 皇居 ・二重橋  3年5 組 記念の写真  ( 後列右端・・おんなせんせい・・岩崎佳子先生 )

大阪市立淀川中学校
第9期生 ・ 修学旅行
昭和44年 ( 1969年 ) 6月11日~15日 ( 四泊五日 )


      
6月11日 ・大阪駅 ( 電車で一泊 )   12 日 ・富士駅   白糸の滝                           富士ハイランドホステル ( 二泊目)
       
6月13日 ・富士山五合目       山中湖                                   大涌谷                           箱根高原ホテル ( 三泊目 )
       
6月14日 ・サボテン公園        横浜港 ・氷川丸                    皇居 ・楠木正成像                   皇居二重橋
   
浅草・浅草寺                         銀座                              品川駅  ( 電車で四泊目 )           ・・・→6月15日帰校

修学旅行
二度と帰らぬ 想い出乗せて
クラス友達 肩よせ合えば
ベルが鳴る鳴る プラットホーム
ラララン 汽車が行く 汽車が行く
遥々と 遥々と  若い僕等の 修学旅行
『 修学旅行 』  舟木一夫 ( 昭和38年 )

修学旅行歌の定番で、必ず唄われた。
「 二度と帰らぬ 想いで乗せて 」
・・・心に響く、名文句である。


昭和44年 ( 1969年 ) 6月11日
修学旅行列車 「 日の出号 」 で、東京へ
夜行に乗って出発した。


一泊目は車内
就寝までの間、男女でトランプを愉しんだ。
ナゴヤー ナゴヤー
「 おっ 名古屋か、なごやかなったなぁ 」
・・・超・しょうもないダジャレ を、云ったものである。

吾々男子
女子に受けようと、競って、ダジャレを言い合った。
男心とは 幼き子の如き、可愛いもの・・と、
女子は ちゃんと 見抜いている。
男子の受け狙いの ダジャレの連発 に 愛想笑い して応えて呉れた女子。
やっぱり 女は偉い。
( 女子の一人に、峰さんが居た )


旅行中の 6月12日、二泊目の富士ハイランドホステルでのこと。
就寝まで自由時間、
皆 それぞれ ゲームしたり お喋りしたり と、愉しんでいた。
私は他の男子数人と一緒に、ラジオのプロ野球 ・巨人戦を聞いていた。
そこには、女子の姿もあった。
斯の 『 別品 』 女子である。 (  ・・・リンク→リーダーは、別品 )
『 アタックNO1 鮎原こずえ 』  (  ・・・リンク→東洋の魔女  )
・・・ くらいなら 知っているであろうと、
そのくらいしか想っていなかった  彼女が、

何と、吾々と伴に プロ野球の実況放送に耳を傾けている。
「 お前、プロ野球 知ってんのんか?」
「 お父さんが、いつも プロ野球 観ているから 」
・・・なんとなく観ているうちに 野球ファンに為ったと云う。
彼女の その 詞ことば意外であった。
そして、
長島のファン だと云う。
「 長島少年 」 の私
それはもう、 感動するほど嬉しかった のである。


旅行中、富士急行のバスで 富士山の五合目に上った。
バスを降りると、3776mの富士山頂上が 直ぐそこに 見えた。
「 30分で登れるで 」 ・・・と、私は呟いた。

箱根高原ホテルで三泊目を過ごした吾々。
修学旅行四日目の14日は、横浜港、そして東京を観光する。

箱根から小田原、湘南海岸・・・と、
吾々を乗せたバスは走って行く。

あれが、有名な加山雄三のお母さん 小桜葉子さんの所有する、
  茅ヶ崎パシフィクホテルてす 」
と、バスガイドが白い手袋の手を向けた。
「 ヘー、あれが加山雄三のホテルか 」
    ・・・リンク→風よ伝えてよ あの娘に
さらに 暫くして、
「 あれが加山雄三の家です 」
「 ヘーッ、あれが加山雄三の家か 」
唯々感心するばかりの吾々であった。
映画俳優一家の加山雄三、銀幕のスターとは斯くの如きなるもの乎。
吾々は、芸能人とは 異次元の存在と認識せられたのである。
此も亦、修学旅行での想い出の一つである。


東京だよ おっ母さん
おっ母さん
おっ母さんとこうして 久しぶりに手をつないで
東京見物できるなんて とっても嬉しいは
ほら みてご覧なさい
あれが宮城 二重橋よ

久しぶりに 手を引いて 親子で歩ける嬉しさに
小さいころが 浮かんできますよ おっ母さん
ここが ここが 二重橋
記念の写真を 撮りましょうね
お兄ちゃん
千代子もこんなに大きくなりました
♪♪
優しかった 兄さんが 田舎の話を聞きたいと
桜の下で さぞかし待つだろ おっ母さん
あれが あれが 九段坂
逢ったら泣くでしょ 兄さんも
ねえ お兄ちゃん
お兄ちゃんが登って遊んだ柿木も そのままよ
見みせた上げたいは
♪♪♪
さあさ 着いた着きました 達者で長生きするように
お参りしましょうよ 観音様ですおっ母さん
ここが ここが 浅草よ
お祭り みたいに賑やかね

皆が ・・そう歌ったか如何か ・・・知らない。

ヤスモトさんが笑っている 
苦しそうな シマの顔 青い鳥 が いる

浅草寺での観光を終えた吾々は、
夕食を浅草寺傍のレストランで取った。
「 舟木君、チャンと食べましたか?」 ・・・と、担任の木下雅子先生。
茶目ッ気を起した私、
「 チャンと食べましたよ 」
と、彼の弁当箱を手にとり先生に見せた。
これにはカラクリがあり、
弁当箱の蓋を半分程押えて、彼がさも食べたかのように見せたのだ。
やっぱり、半分ほどしか食べていなかったのである。
友ガキ・舟木、
旅行中、彼の偏食振りは担任を悩ませた。
とにかく、魚と味噌汁、にしめ ・・・以外は嫌いだと食べなかったのである。


友ガキ・舟木

木箱風の弁当
中身は、ご飯の上に鳥ミンチ肉を敷き詰めたもの。
「 こんな甘いもん、舟木が食べれるものか 」 ・・・と、そう想った。
側に付いていた私、
それでも、彼を励ましたところ半分は食べたのだから
「 マッ いいか 」 ・・・良しとしたのである。

夕食を済ませた吾々
土産物を買い終え  ( ちなみに私、定番である 東京タワーの土産物を買った )
東京での日程を終了し、品川駅へ向かった。
日はトップリ暮れていた。


                                                                                類似イメージ
途中
バスの窓外に服部時計店が見える。
そして
プロレス中継で必ず出てくる、三菱の丸い建物
「 ヘェー・・ここが あの銀座か
大都会・東京に来た
と謂う、実感が湧いたのである。

 品川駅
修学旅行の全日程を終えた吾々。
♪ 二度と帰らぬ 想いで乗せて 
サア、大阪へ帰らん。

・・・修学旅行 2  へ、続く

想い出したくても、
想い出せなき記憶

浅草寺観光の後、確かと 夕食はとった。
ところが、肝心な浅草寺での記憶 ・・・

( 写真の様に ) 
浅草寺・斯の煙り、私も冠った筈であらう ・・に
そして、観音様にお参りしたであらう ・・に
・・・
完全にワープしているのである。
此は・・もう 生涯の不覚
至極、残念である。


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