昭和・私の記憶

途切れることのない吾想い 吾昭和の記憶を物語る
 

バラ色の時 4 「 小豆島グリーンランド キャンプ場 」

2022年07月06日 06時14分45秒 | 4 力みちてり 1970年~

芸術の授業で夏休の課題として、「 海の絵を画く 」 が、出題された。
巷では、西郷輝彦の 「 真夏のあらし 」 が流行っていた夏休み。
級友の平野、水阪、友ガキ・舟木、
平野の中学の同窓・平山、西川 とで、
小豆島のキャンプ場・グリーンランドへ泳ぎに行った。
二泊三日のキャンプ・・・初めての経験であった。
水着や飯盒・フライパンは持って行ったけれども。
絵の具など、誰が持って行くものか。
・・・リンク→茶目っけ

『 波 』 ギュスターヴ ・クールベ 作

昭和45年 ( 1970年 ) 4月1日 ( 水 )
入学式を終えて 新高校一年生。
8日は始業式、私は新品の自転車に乗って 颯爽と登校した。
「 君等はもう、高校生だ、中学生と違う 大人扱いをするぞ 」
と、
担任の詞(コトバ)に、
「 高校生とは、斯くなるものか 」 と、感激した私。

愈々、高校生としての 新たな人生が始まったのである。
8 日 ( 水 ) 天六ガス 爆発事故 ・・・リンク→天六ガス爆発事故 その瞬間(トキ)
9 日 ( 木 )  「 弁当食うのヤメーッ 」 ・・・リンク→力 満ちてり
4月中頃 住宅研究部へ入部 ・・・リンク→貴ノ花の相撲を見たかったのです
4月中頃 宝くじ当たる ・・・リンク→旭屋書店の帰り、宝くじ を買ったら 当たった~
4月28 日 ( 火 ) 「 応援団への自己紹介 」 ・・・リンク→力 満ちてり
5月3 日 ( 日  ) 中学の同窓会 ( 二年生のクラス 会 )
7月頃 ・・・万博見学 ・・・リンク→腕自慢でも敵わなかった万博の大屋根
・・・と、それはもう 感動の連続。
バラ色の日々を送っていたのである。

海へ行こう
期末テストも終って 後は夏休みを迎えるだけ、すっかり解放感の中に居た。
同級生・平野、水阪、 私、
夏休みになったら、三人組で海へ行こうと 盛り上がった。

そして 斯の親父が、
「 褒美 」 と言って、
海へ行くのを認めたものだから どうしやう。
もう 絶好調の有頂天。

「 海 」 と謂えば
若狭湾か和歌山。
「 その中から 何処かエエ所を決めよう 」 ・・・と。
大阪城で集合して、旅行の計画を練ることにしたのだ。 ( 何故か大阪城 )
大阪城は一番櫓で待合せした。
ところが、定刻に平野が来ない、
私は、一番櫓の階段に坐って俟つことにした。 ( 水阪が何処に居たかは覚えちゃあいない )

一番櫓
そこで当時売り出し中の 「 藤圭子 」 の顔が載った 大人のマンガ本を拾った。
( 当時はエロ本と称されていた )
高校一年生の吾々が、書店で容易く買えるものじゃない。


遅れて平野が来た。
来るなり彼は、
「 中学の同窓二人と小豆島へ行くことになった 」 と、云う。
彼は中学の同窓との旅行話に乗ったのである。
そして、吾々も一緒に行かないかと誘いに来たのだ。
「 知らん奴と一緒に行くんか 」
「 小豆島は、チョット 遠いぞ 」
「 瀬戸内海の海、大丈夫か、きれいいんか 」
 ・・・と、愚痴愚痴言ったけれど。
そんなことよりも なによりも、私は自分等で計画を立てたかった。
その上で 「 海 」 へ行きたかったのだ。
だから 余人の立てた計画に乗ることは 気に入らなかった。
肩透かしを食わされた気分になったのである。
だからと謂って 断念なぞ出来るものか。
だからと謂って そのまま 附いて行くのも 癪に障る。
『 男の意地 』 ・・・というヤツ である。
それならば もう一人誰かを誘って、
こちらも三人組の別グループとして同じ所へ行くことにしたのである。
そこで、私の親友、友ガキ・舟木を誘うことにした。

親父に、舟木も一緒に行くことを告げると、
「 平野は行かん 云うたんじゃろが。 ほいで 自分等だけで行くことにしたんじゃろが 」
・・・と、親父。
「 如何して、それが判るんじゃろ 」
・・・と、親父の 『 読み 』 に感心したのである。

何処の港に着いて、何処がグリーンランドキャンプ場かは判らない。
微かな記憶を辿って記したものである 。
そのイメージからすると、「 二十四の瞳 」 の 岬の方向には行かなかったので、
NO1   NO2  が 該当する ・・・哉


結局
小豆島の海

グリーンランドキャンプ場
に、行くことに成ったのである。

支度

阪急百貨店で購入したキャンプ用品、
カートリッジの燃料式の小型コンロ、固形燃料罐、飯盒、食料の罐詰、・・・・等々
TV 『 コンバット 』 の中で、
サンダース 軍曹 他 兵隊達が 食事に 罐詰 一缶をスプーンで食べるシーンを見たことがある。
「 罐詰、便利なもの 」 と、子供心にそう想ったていたのである。
近所の店で買った、「 日清焼きそば 」 と、生野菜のキャベツ、そして 米 ・・・・
確とリュックに入っている。 準備万端である。
費用は 3月のバイト代の残りと、宝くじの当選金1万円の残りを充てた。

出立
8月10日 ( 月 )
朝から快晴の夏空
気分は最高。
ところが、罐詰が失敗だった。
リュックを背負うと これが たいそう重かった。
重くて重くて。もう うんざりするほど重かった。50㎏はあったろうか。
リュックに入り切れなかったフライパンの柄が飛び出ていた。

とにかく リュックが重い。
国鉄大阪環状線 弁天町駅で下車すると、
「 重い。代って呉れ 」 と、リュックを 友ガキ・舟木に渡した。
ところが、なさけなや、彼は背負うことができないのだ。
二人して運ぶのも 格好が悪い。 ( 況や、天秤棒も無い )
結局、弁天埠頭まで長い途のりを、私一人重い目をして担いだのである。
( 右肩に、アザが出来ていた )

弁天埠頭から、加藤汽船に乗った。
この頃、「 田子ノ浦のヘドロ 」 ・・等、
工場から出る排出物が原因で起きる公害が全国的に問題になっていた。
大阪湾の褐色の海を見て、
「 これでは魚一匹おらんやろ 」 ・・・そう嘆いた。
瀬戸内海は吾故郷の海も一つである。

西へ西へと 青い空。 ぽっかり浮んだ白い雲。

キャンプ場到着
瀬戸内海を5時間半、心配した船酔いもせずに小豆島に着いた。
港に着くと、小舟に乗りかえて、目的地 グリーンランドキャンプ場へ向かった。
洋々着いたは夕刻。
へとへとで、とても海に入って泳ぐ気にはなれなかった。
「 明日があるさ 」 ・・・そんな想いを懐いて、
さっそく、テントを張って夕食の準備に取りかかった。
 類似イメージ
初めて飯盒で ご飯を炊いた。やればちゃんとできるものだ。
TV 『 戦友 』 の中で、
兵隊達が飯盒で炊いた飯を頬張るシーンを見て、
「 飯盒で炊いた飯は美味いんじゃ 」
と、親父が呟いたことがあった。
「 そんなに美味いんか 」
母にそう問うと、母は頷いた。
「 飯盒で炊いた飯 は、美味いもの 」 ・・・と、脳裡に刻んだのである。
果して、「 飯盒で炊いた飯 」 ・・・は、美味かった。
そして、親父の云った 「 美味い 」 と、謂う意味を 茲で知ったのである。
料理せずとも食える・・・と、せっかく重い目をして持って来た罐詰は、さほどの感激の味は無かった。
やはり、罐詰は罐詰である。

翌朝、どんよりした明るさの中で目覚めた。 薄暗い。
テントから顔を出し天を仰ぐと曇天、雲が低く垂れさがっている。
雨が落ちてこないのが不思議なくらいだ。
「 雨男は誰や 」 ・・・と、犯人捜ししても詮無い。 只ひたすら 晴れるのを俟った。
然し その日は、太陽が照りつける 夏らしい青空は現れなかった。
「 まぶしいの光の下、空も海も山も、輝いて見える絶景 」
そんな 「 海の絵 」 として適うほどの、景色は現れなかったのである。

←クリックシテ拡大
私、平野             平山              西川                        平野   水阪                       私、右肩にアザが
ところが、そんな天候も どこ吹く風か。
「 お前はカッパ か ? 」
と、云わせるほど
、平野だけは海に入っていた。
潜っては、ヒトデを掴んで上ってきた。
気温が上がらない、だから、気分もいまひとつ盛上がらなかった。

それでも、
昼に拵えて食べた、
「 日清焼きそば 」
これは格別美味かった。
こういう時、こういう所では 「 焼きそば 」 が 一番 合う ・・・と、そう想った。
又、家のフライパンを持って来た甲斐があったと謂うものだ。

友ガキ・舟木
一人砂浜に坐って吾々の泳ぐ様子を眺めていた。
「 せっかく 海にきたんや、泳がいでもええから、海に入れ 」
・・・と、そう言っても、
金づちの彼は、水に浸かろうともしない。
曇天で寒いこともあらうが、彼は泳ぐことそのものが好きではないのだ。
それでも、彼は こうして皆と共に来たこと、それだけで充分満足しているのだ。
そう謂うヤツなのである。( ・・・と、私はそう想っていた )
吾々が海で戯れている時、
何を想ったか、一人岩の上に腹這いになって泳ぐ真似をしていた。
ちょうどそこへ こともあろうに急に 『 波 』 が立った。
打寄せる波の勢いに押された彼は、岩の間に流された。
そして左胸を擦り剥いてしまったのである。
← 直後の写真
「 水のない処で泳いどって、溺れるんか 」
そう言って、皆で笑った。

吾 人生に於て、
バラ色の昭和45年 ( 1970年 ) 。
今 想うと
時を共有し、共に人生を重ね合った、友 との、
この上ない大切な、 宝物のような、 貴重な時間である。


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