昭和・私の記憶

途切れることのない吾想い 吾昭和の記憶を物語る
 

文学少女にはなれなかった

2016年04月14日 23時00分00秒 | 3 青い鳥 1967年~


「 一握の砂・悲しき玩具 」 石川啄木歌集・・金田一京助編
新潮文庫 ( 昭和四十三年三月十日 二十八刷改版 )  
の、序文である。



世の中には途方も無い仁もあるものぢゃ、歌集の序を書けとある
人もあらうに此の俺に新派の歌集の序を書けとぢゃ
ああでも無い、かうでも無い、・・・・

「 アハハハハハッ 」

・・ともがき・舟木 が、笑い出した

「 どうした、何がおかしいんヤ?」

「 さっきから、そこばっかり、何遍も呼んでいる 」

「 途方もない仁もあるものぢゃ・・と 」

「 あるものじゃ・・何遍も呼んで、覚えるんじゃ 」

彼は、昔の言葉遣いが面白かったようだ

「 ・・ああでも無い、かうでも無い・・ 」

と、いった具合に私がそのまま読み上げていたからだ


昭和44年(1969年)中学三年生の秋のことである

中学生の頃、文庫本を読むのがトレンドであった

大人の真似をしたかったのである

私も真面目ぶって、「ゲーテ詩集」や「リルケ詩集」を読んだりして、淡い心持に浸っていた

しかれども、私は、文学少女には成れなかった

「雪国」や「伊豆の踊り子」・・心に響かなかった

他にも、白秋や藤村、と、試みたものの

何も身に着かなかったのである

私には文学は向かない

・・そう思った

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夕方6時半頃放映されていた
短編TVドラマ「姉妹 あねいもうと」
妹役の岡崎友紀
吾々(中学3年男子生徒)のアイドルに
 


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