昭和・私の記憶

途切れることのない吾想い 吾昭和の記憶を物語る
 

叶うものであれは゛ 叶えて欲しい・・

2021年06月06日 05時05分44秒 | 5 青春のひとこま 1973年~

昭和50年 ( 1975年 ) 2月15日 (土)
親友 ・水阪
「  ( 結婚 ) 決めようと思っている 」 と、云う。
鹿児島まで、付き添って呉れと云う。
吾々は、春分の日の3連休
九州鹿児島まで旅行する事に成ったのである。

昭和50年 ( 1975年 ) 3月10日  
山陽新幹線 岡山ー博多が開通し
大阪から博多まで
4時間半で 行けるように成った。

3月21日(金) 春分の日
吾々の乗った山陽新幹線は、乗車率200%と超満員であった。
吾々は立ったまま、新大阪駅を出発した。
果して 4.5 時間、
新幹線は博多に着いた。

駅を出ると早速、
今回の旅で私の目的である、福岡相互銀行に直行した。
それはもう、スケールの大きな、感動の建築物であった。
建築家・磯崎新を存分に認識させられた想いであった。

私の旅はここまで、
これからは 親友 ・水阪の付添い役だ。

熊本で一泊
初日は熊本で、一泊する。
旅に不慣れの私、ユース会員の水阪、
段取り全てに、彼は機嫌良う 世話をして呉れた。
吾々は、水前寺公園近くの 「 松鶴YHS  」 で一泊することになった。
昔は遊郭だったそうな。
ところが、東京から来た野郎二人との相部屋だと。
見れば
おとなしそうな二人、
たかが一晩寝るだけのこと、
「 これも 旅の想い出哉 」
・・・と、
一夜を共にすることにしたのである。
ところが、この二人 とんだ 曲者 だった。
片や
「 いびき と 寝言 」
片や
「 歯軋り 」
殊に、これには参った。
人は眠った時にその本性が出る。
「 枕 」 が、違うだけで眠れない繊細な性格の持ち主である私、
とても
眠れることなぞ出来るものか。
翌朝 ( 22日 )
何食わぬ顔の二人
私が彼等の所為で眠れなかった事なぞ知るもんか。・・・そんな顔をしていた。
とんだ 「 旅の想い出哉  」 ・・・であった。

3月22日(土)
朝食。
食堂へ行くと、一組の男女が食事をしていた。
どちらも学生らしく、この場で偶々合ったのであらう。
聞くとはなしに、二人の気取った会話が聞こえて来た。 ( ・・・だから、別に聞き耳立てていた訳ではない )
それは、シラジラトしたものだった。

食事を済ませた吾々。
愈々、運命の地へ向かう。

午後12時半、吾々は鹿児島 ・伊集院駅に着いた。
此処から 一路、目的に向かって 二人だけの行軍である。
快晴の春日和。
吾 目に映る田園風景は、爽やかであった。
親友 ・水阪 の目には、如何に映っていたのであらうや。
もし、彼が景色を愉しむ心境にあったなら、彼は大人物である。

路を尋ねもって、歩くこと一時間。
峠 を越えた。
大阪から 遥々ここまで来た。
そして、洋々 目的地 
親友 ・水阪が結婚したいと謂う女性の在る職場、
『 □□学園 』 ・・・に、辿り着いたのだ。

そこには子供達も居た。
頑是無い子も居れば、健気な子も居る。
だれも皆、元気な子供らである。
私は、ビー玉で遊ぶ彼等の仲間に入れてもらった。
大阪では 「 アナポコ 」 という 一番ポピュラーな遊びである。
私の指先がビー玉に馴染んだ頃、彼等も 私に馴染んで呉れた。
そして素直に、「 野郎二人の客 」 の、吾々を歓迎して呉れたのである。

すっかり、子供らと馴染んだ吾々は、
こんどは、ドッジボールで遊ぼうと小学校へ行くことに成った。
子供らが大喜びをして呉れた。
早く グランドへ ・・気が逸る・・・駆け足に成って行く。
・・・リンク→ あの時の少女の言葉 忘れないで存る

親友 ・水阪、
小学校のグランドで子供らとボール遊びをしている。
私は、子供らとのボール遊びには加わらなかった。
砂場の渕に坐って、遠目でその様子を眺めていたのである。
「 あいつ、子供好きなんや 」
その時、私の傍らには彼女が坐って居た。
私は彼女に言葉した。
「 決めるべきです 」

ボール遊びを終えて
「 湯の元 」 の、旅館に案内された。
この日は此処で一泊するのである。
夕食が済んで、部屋に入った吾々。
親友 ・水阪、
未だ肝心な用を達していない。
「 お前、話  して来いよ。 ( 俺 ) 此処に居るから 」
と、彼を促しすと、
「 うん、それじゃあ 行って来るワ 」
・・・そう云って、彼は部屋を出た。

果して
旨くいくに決まっている。

3月23日(日)
鹿児島駅に着いたのは午前11時であった。
鹿児島の磯公園から、噴煙をあげる桜島が眺望できた。
初めて見る火山の噴煙は感動であった。
そして、斯の景色を、三人で眺めたのである。
二人と私。
「 将来を共に生きる 」 ・・・ことを決めた二人。
私はその瞬間 ( とき) に 立会えた。
そう想へば
感慨一入であった。


人生バラ色の瞬間ときの水阪

写真は磯公園での私
旅行の目的は達成された。
親友の水阪
幸せ気分の絶頂・・そんな面持ちであった。
心晴々、帰途に就いたのである。

私が、付添いとしての役目を果したか否かは分らない。

ゆきずりの女性 ( ひと )
今旅を終えて、大阪へ帰らん
午後2時頃 鹿児島駅で鹿児島本線 ・博多行特急電車に乗った。
満員の電車、座る所も無い。
通路を進んでいると、
旅行カバンとショルダーバッグ、紙袋と、三つを持て余している女性と遭った。
前屈みになって、抱きかかえた紙袋から、中の荷物が落ちそうになっている。
見るに見かねた私は、
「 持ちましょうか 」 ・・・と、声をかけた。
「 ハイ 」
・・・と、その女性、
意外にも、素直に応えて呉れたのである。
満員の車内は窮屈だった。
出入り口のデッキなら人は居るまい ・・・と、
吾々は、デッキに移動することにした。
案の定 果して
デッキには誰も居なくて、床に座る事が出来たのである。

 イメージ

黒い ブラウス と スカートの女性
私より、2歳年上で
風吹ジュンに、似ていた。
鹿児島の大学を卒業して、故郷の福岡に帰るところだと言う。
お礼に、と 差し出されて食べたオレンジは、それはもう甘くて美味しかった。
傍では親友 ・水阪、
彼女から貰った お土産 ・「 竹細工の小鳥 」を手にして陶酔している。
もう、幸せいっぱい、胸いっぱい 。
彼のニヤケている姿を目の当りにして、
斯の女性と私、
想わず顔を見合せ微笑んでしまった。
二人と あいつ
愉しい時間は、あっという間に過ぎる。
鹿児島から5時間。
「 もうすぐ博多に着く 」 ・・・という、アナウンス。
続いて、山陽
新幹線の乗り継を報しらせた。
心配したが、なんとか新幹線には間に合う、そして今日中に大阪へ帰れる。
「 良かったわねェ 」
間に合ったことを、彼女は喜んで呉れたのである。
ところが然し、
乗り継ぐ時間が 5分程度しか無いことが判った。
折角、5時間を共にしたのである。
せめて、名残り を惜しむ時間が欲しいというもの。
しかし、此が縁・運命と謂うもの
人生の流れ ・・・には、逆らえないものである。
カナシバリ に、遭ったが如く、
名も聞かず、
名も告げず、
唯、ゆきずりの人として、
別れたのである。
これを 一期一会 と 謂うのであらう ・・・や
「 さようなら 」

博多駅に着くと吾々は、乗り換えの階段を2段づつ駆け上がり、
新幹線に跳び乗った。
大阪に着いたのは午後11時半であった。


後に、残念の想いが積り、
人気番組、「 やすし・きよし プロポーズ大作戦 」 で
「 あなたの望みを叶えます 」 
・・・と、愛のキューピット・
桂きんし が、
尋ねし女性 を 探して呉れるコーナーがあった。
叶うものであれば、叶えて欲しい・・
応募してみようか、と、話し合ってはみたけれど、
本気にまでは至らなかった。
此も縁・運命と謂うもの、
人生の流れ ・・・には、逆らえないものである。

 名も聞かず、名も告げず・・・

親友・水阪の、結論から謂うと
ゆきずりの女性のまま、別れた。
からこそ、良かったのだ。
・・そうな


この旅行中
貴ノ花が大阪場所で初優勝した。
貴ノ花のファンの私
普段は、一番も欠かさず、テレビ観戦するのに、
この時だけは、見過ごしたのである。

想えば
密度の濃い、旅行だった。


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